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エースな彼女は変化球が投げられない  作者: 芝井流歌


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31/40

31☆秘密なんですけど

 



 翌日、SNSに真鈴の登板回避がトレンド入りした。

 見出しには大きく『登板回避』と重々しく飾られていたものの、詳細内容を読めば、ケガではなく肩の違和感のため大事を取ってのスキップだ、と大ごとではないことが強調されていた。

 フォレストビーナスとの3連戦の、本日は2戦目。ビジターとはいえ、神月真鈴の地元であるメロナドームで登板を見れなくなったファンの無念は大きい。ファンのみならず、ドルフィンズ選手や関係者も衝撃を隠せずにいた。

 真実を知っているのは、本人とるなのみ……。

 朝8時。洗面を終えたるなが朝食会場に向かおうと部屋を出ると、扉の前には猫のような大きな瞳をまん丸にしたリホが立っていた。


「うわっ! びっくりしたぁ……」

「……おはようございます。ノックをしようとしたら扉が開いたもので。驚かせてすみません」

「ううん、こっちこそ。……で、どしたの?」


 真鈴に代わり、先発が1日繰り上がったのはこのリホ。ローテーションが狂ったにも関わらず、通常通りの冷静さである。


「お届け物です。有澤選手から預かりました。るなさんの落とし物だから渡してほしいと」

「えっ? 落とし物?」


 首を傾げるるなに、リホは柴犬モチーフのカードケースを差し出してきた。

 確かに、るなの持っているのと同じ物だ。ただし、これを持っているのはもう1人いる……。

 出国する際に、ポイントカード類は全て日本に置いてきた。もしるなの物であれば、中は母とのツーショット写真だけが入っているはず。二つ折りになっているそれを開いてみた。

 何かのカードが2枚。その隣の写真は……。


「るなさんの、大学の先輩なんですね。昨夜、データ見て気付きました」


 るなとヒカルが笑顔で頬を寄せ、大学時代のチームメイトたちと写っている写真……。

 それは、るなが大学2年生の夏。ヒカルたち4年生にとっては最後の関東大会だった。完封勝利で優勝した際、レギュラーみんなで撮った思い出の写真だ。

 なぜ、ヒカルはこれをリホに託したのか……。


「うん。バッテリー組んでたよ……。どこで会ったの?」

「朝練の帰りに渡り廊下で会いました。るなさんを待っていたみたいなので、呼びましょうかと言ったんですが、自分もこれから朝練に行くからいいと言われて。少し話した後、球場のほうへ行きました」


 すでに朝練を終えたとは、リホは相変わらずストイックである。ヒカルは真鈴に遭遇するのを回避するために長居は禁物と立ち去ったのだろうか……。

 いずれにせよ、自分のカードケースをるなの落とし物と称して届けさせた真意は……。


「話したって……何を?」


 るなは恐る恐る問う。昨夜、真鈴から打ち明けられたばかりの真実を、まさかほぼ初対面のリホに言うはずもないのだが、少しだけ鼓動が早くなる。


「球種のこととかです。精神的な先手を打つタイプのキャッチャーですね。私ははっきり言って苦手なタイプです。にこにこしているけれど、何を考えてるかはさっぱり分からない。るなさんの先輩を悪く言うつもりはないですが、あの人は『くせ者』だと思います」


 ヒカルらしい……と思った。ホッとして苦笑が漏れる。


「……それ、ヒカル先輩にとっては誉め言葉みたい。実は私も昨日、サエさんに同じこと言ったんだ。キャッチャーなんて常に心理戦だもんね」

「そうですか……。私のことも、すでに調べつくしてました。急遽のスライド登板とはいえ、私フォレストビーナスとは相性いいですし、メロナドームでは、まだ負けなしなので当然でしょうけど」

「負けなしかぁ! さすがリホだ。明日も無敗記録更新できるように、バックアップするからね」


 るなが胸の前に拳を作ると、リホは少しだけ目を細めて「よろしくお願いします」と頭を下げた。

 リホに礼を告げ、るなは一度部屋へ戻った。受け取ったカードケースをまじまじ見つめる。2枚あるうちの1枚を取り出してみた。

 それは、顔写真付きの選手証だった。やはり、ネームには『HIKARU ARISAWA』とある。球場入りする際に必須なはずだが……。


「ん?」


 選手証の裏に、付箋紙が付いていた。手書きで何か書かれている。懐かしいヒカルの字だ。

 そこには、昨日聞きそびれた、ヒカルの連絡先と、『メモしたら返してね』と一言が書かれていた。


「考えましたねぇ、ヒカル先輩……」


 くすっと笑いがこみ上げてくる。早速スマホに登録し、ついでに『るなです』とメッセージを送ってみた。

 大事な預かり物をしまい、改めて朝食会場へ向かう。ポケットの中のスマホが短く振動した。

 画面には『今、電話大丈夫?』とメッセージが届いていた。送り主はヒカル。るなは再び部屋へ戻る。

 急いで『大丈夫ですよー』と返信すると、数秒後にヒカルから着信があった。


『はーい、るな。おはよう。ちゃんと手紙気付いてくれてよかったぁ』

「おはようございます! ヒカル先輩、よく考えましたね。先輩はもう球場入りしてるんですよね? これ、試合前に返せばいいですか?」

『それでもいいけど、朝ご飯まだならドライブスルーでモーニングしない? ちょっと話そうよ』

「はい、行きます行きます! あ、でも……」


 脳裏に、真鈴の切なげな表情が蘇る。るなの一瞬の沈黙で察したらしく、ヒカルは『もちろん、誰にも内緒でね』と苦笑した。


『ホテルの駐車場まで迎えに行ってあげたいけど、見つかったら怒られちゃうから。球場の駐車場まで来れる? ホテルの渡り廊下渡って左に曲がると、関係者用駐車場に降りるエレベーターがあるの。B2ね。エレベーター降りたとこで待ってるから』

「分かりました。すぐ行きますね!」


 るなはスマホとカードケースをポケットに入れ、いそいそとキャップを被る。登板回避の真鈴はさすがにうろうろはしないであろうが、彼女のことなので、どこでるなを待ち伏せているか分からない。

 教わった通り、るなは関係者用駐車場へ向かう。途中の渡り廊下で2人のチームメイトとすれ違ったが、上下ジャージなのでランニングかトレーニングと勘違いしてくれたはず。お互い母国語しか話せないので「おはよう!」と手を上げた。

 エレベーターで地下2階へ降りる。扉が開くと、白い車の影から手を振るヒカルの姿が目に入った。


「お待たせしました!」

「大丈夫だった? じゃ、行こっか」


 見覚えのある車体だった。ヒカルの家に遊びに行った帰り、ヒカルの母が送ってくれた車だ。助手席に座ると、懐かしい香りがした。

 真鈴への罪悪感がないわけではない。真鈴が自分を大切に思ってくれているように、自分もヒカルを大切に思っているのだ。同情だけで自分の行動や関係を制限するほどお人好しにはなれない。

 ヒカルは慣れたハンドル裁きで駐車場を抜けた。元気いっぱいのセシアナの朝日は目に痛いほどだ。


「るなはメロンパン好き?」

「はい。チームメイトのおすすめで食べてみたんですけど、ル・ビリーヌってとこのメロンパンは食べました! めっちゃおいしかったです」

「あはっ、さすがだね。それじゃ、私のおすすめも食べてもらおうかな?」


 ヒカルがハンドルを切ったのはベーカリーレストラン。ガラス張りの店内は客席の半分が埋まっていた。ぐるっと半周し、ドライブスルーカウンターで徐行する。


「メロンパン以外もおいしいの。お腹、空いてるでしょ?」

「いくらでも食べれます!」

「あははっ。オッケー」


 ヒカルが流暢な英語で購入している間、るなはその耳障りのよい声に耳を傾けていた。

 入学した当初、るなは先輩ピッチャーから睨まれることが多かった。投げれば立場を奪ってしまうし、打てば面子を潰してしまうからだ。

 だからといって、顔を立てるために手を抜くのも、それはそれで失礼に当たる。当然おもしろくない先輩たちはるなに目をつけた。

 理不尽な罵倒は高校の時もあった。だが、大学生にもなると、高卒でプロ入り出来なかった選手たちが、必死で蹴落としにかかる。悪い空気が一転したのは、ヒカルがキャプテンになった秋からだ。

 ヒカルはみんなに優しかった。真面目で温かい。誰よりもチームメイト思いで、まるで聖母のようだった。

 みんなヒカルを慕っていた。るなも大好きだった。一緒にいると日向のように温かくて、母を失っているるなにとっては母のような存在でもあり、ずっと欲しかった姉のような存在でもあった。


「買いすぎ?」


 会計を終えたヒカルが、どさっと大きな紙袋をるなの膝に置いた。まだ温かい。るなは中を覗き、歓喜の声をあげる。


「うわーっ、おいしそー! これ、全部食べていいんですか?」

「あははっ。どれでもいいから2つは残しておいて? 私も朝ご飯まだなんだから」

「あ……えへへ。了解です」


 車は再び加速する。セシアナの鮮やかな朝日がフロントガラス越しに差し込み、車内には焼き立てパンの香ばしく甘い香りが充満していく。膝の上にある紙袋の温もりを感じながら、るなは隣でハンドルを握るヒカルの横顔を盗み見た。

 大学時代、荒んだ空気から自分を救い出してくれた聖母のような先輩。その優しさは今も変わらない……。


『私ははっきり言って苦手なタイプです。にこにこしているけれど、何を考えてるかはさっぱり分からない。るなさんの先輩を悪く言うつもりはないですが、あの人はくせ者だと思います』


 リホの感じた印象はもっともだ。さすがの冷静さで的を得ている。有能な選手は誰だって敵に回したくはない。リホが感じたのは、キャッチャーとしてのヒカルの才能を認めている証だ。るなもそれを誇りに思っていた。

 ……だが、これからは違う。ヒカルは敵なのだ。良くも悪くも『くせ者』という言葉が、るなとヒカルの距離を大きく引き剥がしていくような気がした。


「まずはメロンパンから食べてみて? 外はサクサクだから、ぽろぽろこぼさないでよ?」


 ヒカルはからかうように笑う。視線を前に向けたまま、「はい」と左手でチルドカップのコーヒーを差し出してきた。


「こぼさない自信はないので、あとで片付けますよぉ。いただきまーす」


 かぶりついたメロンパンの中からは、生クリームがこんにちわした。口端にパンくずとクリームを付けたるなは、「おいしい!」とヒカルに向く。


「よかった。るなは甘いものなら何でもおいしいって食べてくれたよね」

「いやぁ、なんでもじゃないですよ……。こっちのフルーツ入りのカレーやらオムライスやらはどうしても……」


 言いかけて、オムライス屋での一件を思い出す。真鈴を怒らせた、大切なお店を……。


「行ったんだね。オムライス屋さん」


 唐突に核心を突かれ、るなの手が止まる。


「真鈴から聞いたんでしょ? 私たちのこと。だから何も聞いてこないんだよね」


 口元は笑っているのに、眉尻は困ったように下がっている。ヒカルのくせだ。


「るなのこと、相当お気に入りみたいだね。真鈴らしいなぁ。もしかして、ル・ビリーヌも真鈴と?」

「……ヒカル先輩は……誤解を解くつもりはないんですか?」

「誤解、かぁ……」


 走行音に紛れるような小さな声だったが、ヒカルは薄く笑みを浮かべたまま真っすぐ前を見据えている。澄み切った青空の先には、仲の良かった義妹の愛くるしい笑顔か、それとも、激情に歪むエースの激怒の表情か……。


「誤解だと、るなは思うの?」


 るなは口元を紙ナフキンで拭った。


「……真鈴、すごく不安定でした。もともと喜怒哀楽激しい子ではあると思いますけど、ヒカル先輩のこと、本当に大好きだったんだろうなって伝わって来ました。ヒカル先輩がそれに気付いてないわけがないし、私の知ってるヒカル先輩は……真鈴の言うような……」

「『偽善者じゃない』?」

「……はい」

「それはどうかなぁ……」


 車が右に曲がる。遊具が目に入った。どうやら公園に来たようだ。ヒカルはその駐車場でエンジンを切った。るなの膝にある袋の中からクロワッサンを取り出し、ようやく自分も朝食のようだ。


「誤解は誤解でも、真鈴にとってはもうそんなことどうでもいいのよ。私が真鈴の元へ戻らなかったことだけが全てだから。事実は真鈴の中にしかないの」


 諦めた言葉を並べていても、ヒカルの語尾には寂しさがにじみ出ている。公園で遊ぶ子供たちをじっと眺めながら、チルドカップのストローに口を付けた。


「ヒカル先輩でも、裏をかいて失敗することもあるんですね」

「ふふっ。そりゃそうよ。バッテリー組んでたのに、私が完璧超人だとでも思ってた?」

「はい。私にとっても真鈴にとっても、ヒカル先輩は完璧なお姉ちゃんですよ」

「あははっ。完璧じゃないからこんなことになっちゃってるんだけどなぁ。でも、ありがと。私にとっても、るなと真鈴はかわいい妹よ?」


 やはり、ヒカルは今でも真鈴のこと……。

 深く息を吸い、るなはヒカルに向き直る。


「聞いていいですか? 日本に戻ってからのこと」



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