28☆気付いちゃったんですけど
真鈴はるなを強引に引きずり、ホテルのエレベーターへ押し込んだ。扉が閉まる瞬間、「ヒカル先輩!」と呼んだるなに、ヒカルはただ、切なげに微笑んだだけだった。
乱暴に11階のボタンを押すと、真鈴はようやくるなを解放した。エレベーターが上昇していく。真鈴は目を尖らせたまま、壁にドンともたれた。眼下に光るメロナドームを恨めしそうに睨むだけで、るなに視線を合わそうとはしない。
「どういうつもりっ? ヒカル先輩と何があったのか知らないけど、私が誰とどこへ行こうが、あなたには関係ないでしょ!」
「……」
「真鈴! ヒカル先輩は、私の大学の先輩なの。久しぶりだったんだよ? 5年ぶりだったの。どうして邪魔するの!」
真鈴は答えない。どんどん小さくなっていくメロナドーム。
「なんとか言ってよ! なんの権利があって……」
「権利?」
氷のように冷たい視線が、るなをぎろりと見下ろした。
「大切な人を守る権利くらい、あたしにだってあるでしょう? るなさんが傷つけられるかもしれないのに、指加えて見てろって言うんですか?」
「傷つける? ヒカル先輩はそんな人じゃない! 真鈴、あなた何か勘違いして……」
「勘違いしてるのはあなたのほうですよ! 何も知らないくせに……。ヒカルのことも、あたしのことも……」
真鈴はボタンに八つ当たりする。上昇中に10階を押した。チンッと扉が開く。真鈴はそのまま、逃げるように10階で降りて行った。
残されたるなは呆然とするしかなかった。ヒカルの態度からするに、渡り廊下へ戻ってももういないだろう。扉は勝手に閉まり、また上昇する。
『お姉ちゃんぶらないでよ!』
……まさか……。
ヒカル先輩が、真鈴のお姉さん……?
地区大会で優勝した際、祝勝会に保護者としてヒカルの母親も来ていた。るなも話したことがある。若くて奇麗で、ヒカルとそっくりな雰囲気を持った、優しそうな女性だった。
だが、るなはヒカルの父親に会ったことはない。もっとも、大学生にもなれば保護者の来ない選手だって数人いたし、るなだってその1人だ。父親がいるのかいないのかなんて考えたこともない。
だとすると、ヒカルの父親は神月渉……?
真鈴のあの荒れ方からすると、『報復死球』という物騒なワードも有り得なくはない……?
「まさか……」
11階に着く。るなは急に重たく感じ出したバッグを担ぎ直し、吸い込まれるように1111号室へ入ると、ベッドで速攻スマホを取り出す。『有澤ひかる 出身』と検索してみた。
『有澤ひかる。アリサワヒカル。プロ野球選手。セシアナ出身。世田谷女子大学卒業後、実業団で3年間プレイ後、セシアナ・フォレストビーナスに入団』
……やっぱり……。
全く知らなかった。英語が得意なのは、単に成績がいいからではなかった。
震える指で『父』と付け足してみた。
『有澤は義父の姓であり、高校入学時は母の旧姓である仁科』
それ以上は出て来なかった。神月渉との関係はシークレットなのだろうか。『神月渉 妻』と入れてみたが、真鈴の母親の情報しかヒットしない。
今度は『義妹』と入力してみたが、それには何もヒットしなかった。
るなは生唾を飲み、最後に『神月真鈴 仁科ひかる』と検索してみた。
「出て来ないか……」
るなはスマホを置いた。真鈴の尋常ではない怒り様を思うと、何もなかったわけがない。現にヒカルも『許してくれないんだね』と言っていた。
だが、記事によれば網膜剥離を起こしたのは義姉。ということはヒカルのはずだ。ならば、許す許さないの立場が逆ではないのか……?
それとも記事通り、何らかの理由でヒカルに逆上した真鈴がデッドボールを……?
「どっちも、そんな風には……」
スマホが短く振動した。メッセージを受信したようだ。るなは画面を覗き込む。真鈴からだった。
『るなさん、助けて』
たったそれだけだった。るなの鼓動が激しくなっていく。返信しようとしたが、まどろっこしくなり通話ボタンをタップした。
『……はい』
何度目かのコールで聞こえた真鈴の声は今にも消え入りそうだった。まるで、ずっと叫び続けていたような、カサカサに乾いた声だった。
「真鈴、どうしたの? 助けてって……」
『るなさん……。あたし、明後日投げれません……』
「えっ、投げれない……?」
『助けてください……。ヒカルが、ヒカルが怖い……』
あの穏やかなヒカルが怖い……? さっきまで怖い顔をしていたのは真鈴のほうだ。
だが、その真鈴は今や声を振るわせている。冗談や嘘なんかではなさそうだ。徐々に呼吸が荒くなってきている。るなは胸騒ぎがした。
「今、部屋? 今から行くから、ロック解除しといて」
るなは通話を切ると同時に部屋を出た。エレベーターのボタンを連打し、10階の真鈴の部屋をノックする。応答がないので押してみた。ロックは解除されていた。
「真鈴、入るよ?」
部屋の奥で、ベッドサイドの、オレンジ色のランプだけが灯っていた。真鈴はベッドの隅で、猫のように丸くなっていた。るなはそろそろと覗き込む。
「真鈴、大丈夫……?」
「……さっきはごめんなさい。痛かったでしょう……」
腕の中に顔を埋めているので、声がくぐもっている。表情が分からない。
あの時、るなの右腕には指が食い込んでいた。腕を強く掴んだことに対しての謝罪はしても、ヒカルと引き離したことに対しての謝罪はしないつもりらしい。本当に同一人物なのか疑わしいほどの変わり様だ。
「うん、痛かったけど……多分跡にはなってないから大丈夫。それより、どうしたの? ……か、聞いてもいい?」
るなは、真鈴の転がるそばに腰かけた。黙って返答を待った。
「……ヒカルとるなさんが、同じ大学だったなんて知りませんでした……」
「うん、そう。私は2つ下だけど、バッテリー組んでた。真鈴は、その……」
るなは腹を決め、検索にはヒットしなかった事実を聞こうとした。
「姉です、母違いの。あたしの……いや、姉でした」
やっぱり……と、るなは息を飲む。
しかし、過去形に言い直した。るなの中のパズルのピースは、1つはまって2つ増えた。
真鈴が手を延ばす。るなを探しているようだ。膝に触れてきた。
「るなさん、お願いがあります……」
「……うん、なに?」
「そばにいてくれませんか? 明後日、ヒカルにも投げなきゃいけないと思ったら、怖くて……」
真鈴の身体が震え出した。『怖い』、その一言は尋常ではない。るなは動揺しつつも、膝に触れていた真鈴の手に自分の手を重ねた。
「落ち着いて? 怖いってどういうこと?」
「お願いです。助けてください。あたしは投げられない。きっとまた投げられなくなってしまう。あいつの……ヒカルのせいで……」
「分かった、分かったから落ち着いて? いいよ。少しだけならそばにいる。でも、ドルフィンズにはあなたが必要なの。投げないなんて言わないで?」
「投げたくても投げられないんです。投げられなくなるのが怖い。ヒカルが怖いんです。帰りたい、帰りたい……」
ギュッと身を縮める真鈴。るなはその震える背を優しく摩った。自分よりも30センチ以上背の高い人物とは思えない。とても小さく感じた。
23歳の女性が、これほどまでに怯える理由……。
どうしたらいいか分からず、るなはずっと真鈴の背を摩り続けていた。マウンドでは実物よりも大きく見えるその背は、面影もないほど頼りない。
「真鈴、おいで……?」
るなは真鈴の顔の前に座り直し、ぽんぽんと腿を叩いた。真鈴が気付かないようなので、頭を持ち上げて自分の腿に乗せる。薄茶色の髪を撫でてやった。
昔、母がそうしてくれたように……。
「……るなさん」
「ん?」
「落ち着いたら話しますんで、もうちょっとこのままでもいいですか……?」
「……うん、いいよ。でも私、お腹空いてるから10分だけね」
「……はい。ありがとうございます……」
照れ隠しの冗談を受け取る余裕もないらしく、真鈴はもぞもぞと体制を変えるとるなの膝枕に顔を埋めた。
真鈴の震えがいつの間にか止まっていた。効果は覿面だったらしい。るなはスマホを取り出し、検索履歴を1つずつ削除した。
「……真鈴?」
履歴削除の後、身動きの取れない10分間の時間つぶしにSNSなどを見ていたら、あっという間に20分が過ぎてしまっていた。
呼びかけても応答はない。もしかして? と耳を近付けてみた。すーすーとかわいらしい寝息が聞こえてきた。
「寝ちゃった感じ?」
るなは拍子抜けすると共に、真鈴が一時でも悲痛から解放されたことに安堵した。
落ち着いたら話すと言っていた……。
自分も聞く覚悟を持たなければ……。
もう少しだけ、寝かせてあげよう。薄茶色の髪を撫でながら、るなもそっと瞼を閉じた。




