21☆おいしいんですけど
翌朝、るなはいつもと違う音で目を覚ました。
あぁそっか、ここはシャニータウンホテルじゃないんだっけ……。寝ぼけ眼で内線電話を手にする。耳に当てないうちから、ご機嫌なハスキーボイスが聞こえてきた。
『おはようございまーす。7時ですよー。あなたの真鈴のモーニングコールでーす』
「……声デカっ。頼んでないけど」
『頼まれなくたって、るなさんの目覚めはあたしの美声にしたいじゃないですかぁ。いやぁ、るなさんが隣で寝てないと眠れなくてですねぇ。それに、今日は本格的なデートだーと思ったら、ムラムラして……あ、いえ、わくわくして寝ても起きてもいられなかったんです』
「……色々おかしな日本語使わないで。隣の部屋で寝てはいたけど、あなたの隣で寝た覚えはないからね? それと、別にデートとかじゃないし、それに……はー、もういいや……」
ツッコミどころが多すぎる。るなはめんどくさくなり、訂正を省略した。すると、真鈴はなぜか小声になりだした。
『それに、なんですか? 愛してる、ですか?』
どうやら会話が脳内で、都合のいいほうへ変換されてしまうようだ……。どうにもおめでたい。
るなは枕元のスマホの電源を入れた。どうせ真鈴からかかってくるだろうと思い、夜のうちに電源を切っておいたのだ。オフの日くらいゆっくり寝たかったのに。案の定、20分も前から、不在着信が数件入っていた。
出かけることは昨夜約束したが、こうして朝っぱらからかけてくる予想が的中するとは……。
『それで、あたしのことが大好きなるなさんの元へ、何時にお迎えにあがりましょうか? あたしはもう準備万端、変装完了ですよ』
訂正してもしなくても、今朝の真鈴のおかしなテンションは治らなさそうだ。るなは諦め、徹底的に流すことにした。
「今日は変装するんだ? つっても、背高いし腕だって普通の女性の細さじゃないし、何よりオーラとかでバレるんじゃないの?」
『ふふん。あたしを誰だと思ってるんですか? オーラどころか、フェロモンでバレます』
「……ダメじゃん」
『とりあえず、30分で支度してください。部屋の前まで迎えに行きますから』
「来なくていい、来なくていい。フロア貸し切りって言っても、チームメイトとかに見られたら……。昨日みたいに駐車場でいいでしょ?」
『了解です! では、また後で』
受話器を置き、るなは身支度を始める。少しでも遅れようものなら、部屋まで迎えに来そうな勢いだ。
洗面と歯磨きを済ませ、ナチュラルメイクだけ施す。髪を2つに束ねてみた。中学生以来だ。プライドは傷つくが、トウコのアイディアのふりふりハットを被ってお子様感をパワーアップさせた。
お気に入りのワンピースにポシェットをかけ、廊下に出る。誰にも……特にトウコさんには会いませんよーに! と祈りながら、忍者のごとくエレベーターへ小走りする。
「るなさん?」
心臓が口から出そうになった。ハットを深く被り、下を向いていたのに……とおずおず顔を上げる。エレベーター前には、リホがいた。
リュックを背負い、上下ジャージ姿のリホは、真顔でるなの頭からつま先までをしげしげと眺めている。るなは気まずくなり、なぜか「おはよう!」とヘラヘラ笑い出した。
「おはようございます。お出かけですか?」
「あー……うん。お出かけってゆーかー……」
「神月真鈴とですか? 彼女は地元が近いらしいですもんね。楽しんで来てください」
いきなり当てられた……。デフォルトで無表情なので、リホがどんな心情で言っているのか分かりかねる。なんと返そうか悩んでいると、チン、とエレベーターの扉が開いた。
まぁ、あれだけるなさんるなさんとくっつかれていれば、るなが誰と出かけるかなどバレバレなのだろうが……。否定も肯定もせず、リホに続いて乗り込んだ。
「リホはトレーニング? ずいぶん早いね」
「はい。一昨日、1本打たれちゃいましたから」
「いやいや、あれは別に失投じゃなかったでしょ。ゴロアウト多かったし、ヒットもそんなに打たれてなかったよね?」
「失投じゃなかったからですよ。まだまだです。あんなピッチング見せられた翌日でしたし。比べられるの、イヤですから」
降下していくエレベーターからは、朝日とメロナドームが見えた。リホの視線はメロナドーム一点。クールな表情からは想像も出来ない情熱が伝わってきた。
るなは恥じた。真鈴のデビュー戦の翌日、敗戦投手になったリホが『負け慣れている』だなんて感じてしまっていた。だが、表情や言葉からは汲み取れなかった熱いものが、リホの中には確かにあった。
真鈴が移籍するまでは、次期エース候補と呼ばれていたリホ。真鈴の言っていた通り、サエの『心ここにあらず』に気付いていたのだ。比べられて開き直ってなどいない。リホはむしろ、追いかけるつもりなのだろう。
あの、怪物の背中を……。
「かわいいでしょう?」
「え?」
「メロナドーム。私は、夜のライトアップよりもこっちのほうが好きなんです。『ル・ビリーヌ』というお店のメロンパンを思い出します。もし通りかかったら食べてみてください。とてもおいしいですよ」
リホの口元が、少しだけ緩んだ気がした。エレベーターが3階で止まる。ドームへの中廊下は3階にあるらしい。「では、行ってらっしゃい」とリホは降りて行った。
クールな中に熱いものを秘めるリホ……。そのリホが『比べられたくない』と闘志を燃やすカリスマとお出かけのるな……。
地下駐車場へと降下していくエレベーターの中で、るなはもんもんとしていた。
「ハァーイ。お待ちしてましたよ」
扉が開くと、愛車に寄りかかり手を振る女性の姿があった。
ナチュラルブラウンのストレートロングウィッグに、レースがあしらわれた薄手のブラウス。踝まで隠れるエレガントなスカートとパンプスは、普段の真鈴のイメージから大きく外れている。
サングラスも、いつものゴツいものではなく、シャープで女性的なフォルムのもの。ピンクゴールドに塗られた唇は、清楚な中に色気も漂う。
声と口調で明らかではあるが、黙っていればその辺の避暑地にいるお姉様だ……。
「奇麗……! 黙ってればね」
「ちょっとぉ、なんですか? その残念そうな言い方はー。喋ってても黙ってても奇麗でしょーが。るなさんも素敵ですよ? 小学生みたいで」
「はいはい、言うと思ってた。誰かに見つからないうちに行こうよ」
「もー。るなさんってば、ほんっと褒め下手なんだから……」
ぶつくさ言い、真鈴は運転席へ滑り込む。だが、普段から履き慣れてないのであろうスカートが引き裂けんばかりに足を広げて乗るので、ちょっと心配になってくる。
「さてさて、今日はおいしいお店の他に、楽しいところへも案内します。オフといえど、トレーニングも兼ねてますので、ご心配なく」
「楽しいとこ? 嫌な予感しかしないんだけど」
「一体なにを想像してるんですか。るなさんてばやらしいなぁ」
「そっちこそ、なに想像してんのよ」
ゆるゆると走り出す真鈴の愛車。暗い駐車場を出ると、巨大なメロンパンが目の前にお目見えした。
「ねぇ、ル・ビリーヌってパン屋さん知ってる?」
「もちろん知ってますとも。日本から取り寄せた小麦粉を使ったメロンパンが有名なお店ですよね。るなさんこそ、よく知ってますね。ネットで調べたんですか?」
「ううん。さっきリホから聞いて。私も食べてみたいし、リホにもお土産で買って行ってあげようかな」
「……なるほど。リホさんにメロンパンをお土産ということは、あたしへのお土産はるなさんからのチューですか?」
「……どう繋がったらそうなるわけ?」
「なーんだ。リホさんには優しいんですねー。……じゃあ、朝食はビ・リーヌにしますか? 小さいお店ですけど、カウンターのイートインコーナーがあるらしいんで」
賛成! と、るなは右手を挙げる。試合のない日は車も少ないのか、通りはとても空いていた。
何度か路地を曲がったところで、丸太小屋を模した店舗が見えてきた。真鈴は隣接の駐車場へ車を入れ、ミラーでウィッグの再調整をする。
「私が注文するから。真鈴が喋ったらバレちゃうかもしれないし」
「んー、じゃあそうしてもらいましょうかねぇ。るなさんが喋ったら、『あれ? もしかしてセシアにゃの……』ってなるかもしれませんけど」
「なんない! ……ったく、このネタいつまでこすられるんだか……」
ぷんぷんと入り口の扉を開ける。ドアベルがカランコロンと鳴り、るなを一瞥した店員が「いらっしゃいませぇ」となまりのない日本語で挨拶してきた。
注文すると言ったはいいが、店員が英語オンリーだったらどうしようかと内心ヒヤヒヤしていたるな。ショーケースを指差し、メロンパン7つ、そのうち1つを持ち帰りでと告げた。
「かしこまりました。……6つはこちらでお召し上がりでよろしいですか?」
「はい。それと、んーっと……セシアンコーヒーを2つ」
「かしこまりました」
店員の視線が、るなの背後にチラリと向く。2人で6つ? と言いたいのだろう。まじまじ見られては困る真鈴は、るなに「これで」とクレジットカードを握らせ、そそくさと窓際のカウンターテーブルで背を向けた。
「ありがと。私とリホの分は出すよ」
トレイにどっさり積まれたメロンパンをテーブルに置き、るなは会計に使用した真鈴のカードを差し出した。真鈴はそれを受け取り、「いいですよ」と、いかにも高級そうな財布にしまう。
「これだから日本人はめんどくさいですねぇ。あたしがおごりって言ったらおごりなんです。年俸、いくら違うと思ってるんですか? 移籍して3分の1になったとはいえ、それでもるなさんの50倍はありますよ」
「うわぁ、有り難いのにムカつく言い方ぁ。……ほんとのことだから何も言い返せないけどさ……。じゃあ遠慮無くごちそうになるね」
並んで座る。小声で話していると、「お待たせしました」とコーヒーが運ばれてきた。店員は真鈴の変装に怪しむことなくレジへ戻って行く。
「そういえば、なんで今日はファンサービスじゃないの? 昨日はサングラスかけてても、仕事のやる気がなんとかって言ってたのに」
「考えてみてくださいよ。明日、メロナドームでドルフィンズ戦があるってことは、あたしたち選手はもうメロナドームホテルに滞在してるってバレてます。みんな静かにアンテナ張ってるんです。ドライブスルーなら追いかけられることはほぼないですけど、こんなとこで騒ぎになったら、るなさんがもみくちゃでぺったんこになりますよ」
「あー、なるほど」
るなは頷き「いただきまーす」とメロンパンに手を延ばす。先にコーヒーを一口飲んだ真鈴は、「ところで」とトレイを覗き込んだ。
「これ、どういう分担ですか? まさか、あたしも3つってわけじゃないですよね?」
「え? 適当に買っただけ。店内なんだし、足りなかったら追加すればいいや、と思って」
「足りない? あたしは1個でいいんですけど……。るなさん、5つも食べ……」
「食べる」
「ですよねー」
あははっ、と笑い、真鈴はメロンパンのクッキー生地を小さく摘み、上品に口に運んだ。変装しているせいか、その仕草は、本物の淑女に見える。
。すでに2つ目に取りかかろうとしたるなは、その前にセシアンコーヒーなるものを飲んでみようか……と恐る恐るストローを咥える。
「おいしい! これ、甘くておいしいね」
「よかった。るなさんがセシアナの食事、全部受け入れられなかったらどうしようって内心思ってたんですよねぇ」
真鈴の心からの安堵そっちのけで、るなは外はカリカリ、中はふわっふわのメロンパンのあまりのクオリティに、感動で瞳を輝かせていた。
「リホがメロナドーム見て思い出すって言ってた意味がわかる気がする。これは一度食べたらやみつきになるね。私もメロナドームに来るの、楽しみになりそう」
「るなさんらしいですね。あたしたちは試合しに来てるんですけど……まぁ、息抜きもアスリートのメニューの一つだからいっか。それにしても、リホさんも意外とかわいいですねぇ」
「ちょっとぉ。選手に手ぇ出さないって約束、忘れてないでしょうね?」
「もちろんですよ。そーゆー意味じゃなくです。リホさんは、顔はかわいいですけど、ガードが堅そ……じゃなくて、触れたら凍らされそうなオーラ出してるじゃないですか。とてもメロンパンとか食べてるイメージないですもん。中身は普通の女子なんだなーって」
「ねっ。だからさ、喜んだらどんな顔するのかなって思ったの」
「ふぅーん。あたしのことも喜ばせてほしいとこですけどねぇ」
またもいじける真鈴。めんどくさいキャラではあるが、本当に他の選手には目もくれないようになったようだ。自分への執着も、もう少し減らないかなぁ……と5つ目のメロンパンを頬張る。
「リホね、もうトレーニングに行ったの。同じエレベーター乗ってて、私、なんか恥ずかしくなっちゃったよ。真鈴とのほほんと出かけてるんだもん。あの子はほんとにストイック。私も早く帰って自主トレしなきゃ」
真鈴の最後の一口より先に「ごちそうさまでした」と両手を合わせる。
「だから言ってるじゃないですかぁ。トレーニングも兼ねてるって。デートの初っぱなから帰る話ししないでくださいよ」
「まさか、その格好でランニングするなんて言わないよね?」
「言いませんよ。……さて、次はちょこっとだけ腹ごなし。ランチとスイーツはその後です」
真鈴はサングラスの奥で、ふっと不敵に微笑んだ。
その瞬間だけは、清楚なお姉様の変装を突き破り、あのマウンドで君臨するカリスマ・神月真鈴が顔を出したように見えた。




