第十章 我、問わずとも・・・
村に戻ったのは、エルフの集落を発ってから丸二日後の夕方だった。
森を抜け、見慣れた道に出たとき、行人は特に何も感じなかった。何かを感じたのかもしれないが、それが言葉になる前に消えた。言葉にする必要がなかった。
村の入り口に差し掛かったとき、遠くでガランの家の煙突から煙が上がっているのが見えた。夕食の時刻だった。
「戻りましたね。」
テアが言った。
「戻りました。」
それだけだった。二人で並んで、村の中に入った。
エナが気づいて走ってきた。「おかえりなさい」と言った。それから少し照れたように「遅かったから、心配しました」と言った。
行人はエナを見た。エナはいつもの顔をしていた。丸みのある顔立ちに、人懐っこい目。その顔が今夜は——ただそこにある顔として、行人の目に映った。欲せられているということを確かめようとする動作が、今夜は起動しなかった。
起動しなかったことに気づいたのは、それから少し経ってからだった。
翌日から、村の日常が戻った。
エナの仕事を手伝い、テアと話し、夕方にはガランの家の前で座る。異世界に来た最初の頃と、外側だけ見れば変わらない。しかし何かが違う。違いを言語化しようとすると、今は少し面倒だった。言語化することの必要が、薄れてきた。
そういうことに気づくたびに、以前の自分との差異を測ろうとする習慣が行人にはあった。観察者の習慣だ。しかし今は、その習慣も少し落ち着いていた。測らなくていい。ただ、そうなっている。
カルタとは、作業場の近くで顔を合わせることが多かった。
ある朝、カルタが唐突に聞いた。作業の手を止めずに、行人の方を向かずに。
「元の世界に、帰れるのか。」
「わからない。」
「帰りたいか。」
行人は少し止まった。
帰りたいか。答えが出るかどうか、出してみようとした。
出なかった。
出なかったのは答えがわからないからではなく、問いの意味が今の行人にはうまく摑めなかったからだ。帰る、ということが何を意味するのか。帰った先に何があるのか。元の世界に戻れば、また同じことをやるだろう。そのことが今は恐ろしくなかった。ただ、そういうことだ、という了解がどこかにあった。
「わからない。」
行人はまた答えた。最初と同じ言葉だったが、意味が少し違った。
カルタは何も言わなかった。作業を再開した。行人も歩き続けた。
以前なら、行人はその問いを持ち帰って、夜にひとりで何度も裏返していたはずだ。今夜は持ち帰らなかった。必要がなかった。
数日後の夜、ガランが行人を呼んだ。
珍しいことだった。行人は炉端に座った。ガランは向かいに座って、火を見ていた。しばらく、二人で火を見ていた。
「ソルウェンから文が来た。」
ガランが言った。
「読みますか。」
「お前に宛てたものだ。」
行人は受け取った。短い文だった。
「問いは届いた。次は何を問うか。」
それだけだった。行人はその文を、一度読んで、折り畳んだ。
「何かを問わなければならない気がしない。」
行人は正直に言った。
「ならその通りだ。」
ガランが答えた。
「急ぐな。」
行人はガランを見た。ガランは火を見ていた。
ガランが立ち上がった。棚の方へ行き、何かを取り出して戻ってきた。
帳面だった。
「お前のものだ。」
ガランは短く言った。
「お前が読んだとき、あの男の問いはお前の中に入った。俺には読めなかった。お前が持て。」
行人は帳面を受け取った。ガランの仕事は終わった——そういうことだと、行人にはわかった。
「ありがとうございます。」
「礼は要らない。」
火が静かに燃えていた。
テアとは、翌日の夕方に話した。
「魔法の研究、また始めますか。」
「続きはありますか。」
「あります。わかることが増えるほど、わからないことが増えています。」
「続けましょう。」
「はい。」
二人で並んで座った。
「ユキトさん。」
「なんですか。」
「前、言いかけたこと——覚えていますか。」
「覚えています。」
「あれは、今も言わないです。言えるようになったわけでもないし、言わなくてもいい気がしてきたので。」
行人はテアを見た。テアは空を見ていた。
「でも——届いていますから。それで十分です。」
行人はその言葉を、しばらく持っていた。
ライナを見かけたのは、その夜の少し後だった。
探したわけではない。村の外れを通ったら、ライナがいた。今夜は何もしていなかった。地面に腰を下ろして、空を見ていた。
行人が近づくと、ライナは振り返らずに言った。
「何だ。」
「通りかかりました。」
「そうか。」
「座るか。」
行人は隣に座った。前回より少し近い距離だった。行人が測ったわけでも、ライナが測ったわけでもない。ただ、そういう距離になった。
夜の空気が低く流れていた。
「エルフの集落まで行ったんだってな。」
「行きました。」
「どうだった。」
「広かった。」
「私はこの村から出たことがない。」
「行きたいと思いますか。」
「行けたら行く。行けなかったら、ここにいる。」
行人はその答えを聞いて、少し思った。帰りたいか、という問いにうまく答えられなかった自分と、「行けたら行く、行けなかったらここにいる」と言い切るライナ。ライナは最初からそこにいて、行人だけが遠回りをしてきた。
「なんかあった顔だな。」
「何かあったのかもしれない。うまく言えないですが。」
「言えないなら、それでいい。」
ライナは立ち上がった。
「帰る。」
「はい。」
ライナが少し歩いてから、振り返らずに言った。
「お前、ここにいるな。」
問いかけではなかった。確認でも要求でも願いでもない。ただの観察だった。
「います。」
行人は答えた。
ライナの背中が、夜の中に消えていった。行人はしばらく、その場に留まった。括弧に入れようとして——入れる必要がないことに気づいて、そのままにした。




