第89話 自立した生活
儀式の神聖な光が薄れていく中で、デレオたちは人々の祝福に見守られながら、無事に職級のクラスアップを果たした。
カシヤはずっとデレオの手を離そうとしない。彼はぼんやりしたまま、その手に引かれるように会場を後にする。
「デレオ……デレオ……本当に大丈夫?」
隣に立つカシヤが、不安そうに彼の顔をのぞき込んだ。
その声は小さいが、たっぷりとした気遣いがこもっている。
「えっと……ちょっと、ぼーっとしてただけ。」
デレオはこめかみを押さえる。
メジェドの啓示の残響が、まだ頭の内側をゆらゆらとめぐっていた。
「ふん、一体なにボサッとしてんのよ。」
チェラーレが鼻を鳴らす。
その不機嫌そうな表情は、ほとんど目に見える形になりそうなほどだった。
「ふう……これでまた、全員レベル1からやり直し、だね。」
シミリスが両手を広げて、わざとらしく肩をすくめる。口調は軽い。
「でも、それは長い年月で積み上げた力を抱えたままのレベル1さ。」
アペスの声は静かだが、口元には隠しきれない自信の笑みが浮かんでいた。
「ボクはまだLv50だもんにゃ〜!」
アレカがぴょんぴょん跳ねながら皆の輪に飛び込んでくる。
「どうして気づかないうちに皆さんを追い抜いてしまったのでしょうか?」
悪びれもなく瞬きを繰り返す、その声音にはいたずらっぽさが満ちていた。
「そのうち魔王専用のあの角笛を手に入れてあげるから、そのときは君もレベル1に逆戻りだよ。」
アビスウズが半分冗談めかして返す。
儀式が終わっても、空気にはまだどこか神聖な余韻が漂っていた。
すぐ後には、あたたかな晩餐会が続く。
会場はスコラリス家の重厚な大理石ホール。
高い天井からは豪奢なシャンデリアがいくつも吊り下がり、光に照らされた人々の顔には、達成感と喜びが浮かんでいた。
儀式の主役であるデレオたちのまわりには、さまざまな来賓が集まり、次々にグラスが掲げられる。
意外だったのは、社会の闇側を歩む存在として怖れられているはずのチェラーレの周りに、
むしろ多くの人間が挨拶に訪れたことだった。
彼女と縁を結ぼうとする者は少なくない。
そのぶっきらぼうな物言いも、誰一人として気にしていないようだった。
チェラーレは時に棘のある言葉を吐き、時に豪快に笑う。
それでも、接する者たちはかえってその独特の人柄に惹かれ、
畏れよりも敬意と賞賛を込めた視線を向けていた。
テーブルの上には色とりどりの料理が並び、
一行は思う存分食べ、杯を交わしながら、新たな顔ぶれとの縁を育んでいった。
やがて夜も更け、客たちが一人また一人と帰っていくにつれ、広いホールは少しずつ静けさを取り戻していく。
スコラリス家の大きな玄関を出ると、夜風がひやりと頬を撫でた。
一行が門の方へ歩いていくと、塀のそばにサリクスが立っているのが見えた。
老いた背筋はやや丸いが、立ち姿には揺るがぬ意志が宿っている。
カシヤの胸がきゅっと縮む。
もしかしたら、ここで引き止められるのではないかと、どうしても身構えてしまう。
だが、サリクスは優しい笑みを浮かべ、両腕を大きく広げて彼女を迎えた。
「うちのかわいい孫娘が、どうしてそんな悲しそうな顔をしておるんだね。
今日はクラスアップの祝いの日であり、独り立ちの準備を始める記念日でもあるのだぞ?」
その声には、温かさと誇らしさが等しく混じっている。
「へえ〜、そうなると、あたしがわざわざ連れ出す必要もなくなったわけだ。」
チェラーレが横から茶化すように口を挟む。
唇の端に、悪戯っぽい笑みが浮かぶ。
カシヤはようやく肩の力を抜き、駆け寄ってサリクスの胸に飛び込んだ。
二人はしっかりと抱き合う。
サリクスはやがてデレオの方へ目を向けた。
そこには信頼と、いくばくかの託す思いが宿っている。
「デレオ少年、うちの大事な孫を、頼んだよ。」
その声は穏やかだが、言葉の重みは決して軽くない。
サリクスは細やかな気遣いでもって、黒塗りの礼装車を門前に待たせていた。
月明かりを受けた車体は柔らかな光を帯びている。
祖父と孫は庭先でしばらく言葉を交わした。
サリクスは、衣食住のことから健康まで、こまごまとした注意を語り聞かせる。
カシヤは目尻を赤くしながら、「ちゃんと顔を見せに戻る」と何度も約束した。
最後には、何度も振り返りながら車へ向かう彼女の肩を、アペスがそっと叩いた。
礼装車は静かにスコラリス邸を後にし、やがて繁華街を抜けて行く。
広々とした郊外の大通りに出ると、車窓の外には、ゆるやかに続く平原と、そびえ立つ塔林の影が流れていく。
そして、街全体が夜の静寂に沈みきったころ、
彼らは召喚塔林にほど近いあの別荘に到着した。
玄関前の花壇の草花が、夜風に揺れながら迎えるようにざわめく。
車が止まり、皆は顔を見合わせてから、少し疲れの残る足取りで家の中へと入っていった。
仲間たちがそれぞれの部屋で眠りについた後──
デレオだけが、一人ベランダに立っていた。
月光の下で、正四面体が淡く輝く。
メジェドの声が、改めてはっきりと胸の奥で反響する。
「自分が一番得意なものを忘れるな。」
デレオは遠くの古代宇宙船遺跡の方角を見つめた。
あのあたりの闇は、いつもよりいっそう濃く見える。
彼は掌の「心の器」を強く握りしめ、静かな決意の光を瞳に宿す。
「俺が一番得意なのは……
きっと、殺すことなんかじゃない。守ることだ。」
これから訪れる決戦で、自分がどう戦うべきか。
デレオはもう、はっきりと理解していた。




