第84話 殺し屋は語らない
アビスウズも身を乗り出した。
「たしか、あんたの家って『ノールールマーケット』の近くだったわよね」
テーブルの上に、彼女も指で素早く文字を書く。
『うちの誰かが限界』
チェラーレはすぐに文字を拭い取り、
鋭い視線で周囲をひと通り見回した。
『急いで動くべきね』
「じゃあ、俺も一緒に行く」デレオーが言う。
『あんたたち二人だけじゃ危ない』
ここは冒険者ギルドだというのに――
そう思うと、彼の胸に不穏な予感が広がった。
「でも、シミリスにはちゃんと休んでもらわないと」
サリクスが彼らの不安を理解したように頷く。
「スコラリス邸へ来るといい。うちには奇跡術専門のヒーラーがいる」
『それに国家レベルの護衛と警備もな』
そう言って、彼も手早く文字を書き、
同じようにすぐ拭き消した。
「それじゃ、お世話になります……スコラリスさん」
チェラーレは少し戸惑いながら礼を言う。
長く北風ばかり浴びてきた旅人は、
ようやく出てきた太陽の前で、どう防備を解けばいいか忘れてしまう。
今の彼女は、まさにそんな心地だった。
サリクスは多くを語らず、穏やかにうなずくだけだった。
「アペス、おまえはカシヤを連れて後から来なさい。二人もいっしょに家へ来るんだ。
話しておかないといけないことがあるし、荷物もまとめておきなさい」
サリクスは優しい眼差しで若者たちを見つめる。
「もう家出は終わりだ。胸を張って、自分の足で独立した生活へ歩き出しなさい」
「議長さんよ、孫娘にはちゃんと自分の口で言ってやりなよ」
フィネストラ会長がからかうように笑う。
サリクスは笑って頷いた。
「君たちの用事が片付いたら車を出そう。盛大なクラスアップの儀式をしてやらんとな」
そう言って話を締めくくると、
アペスはカシヤを探しにギルドホールへ駆け戻り、
他の者たちもそれぞれ動き出した。
――冒険者ギルドを出る道すがら、
三人は表面上は軽い世間話を交わしていたが、
チェラーレの手は、ずっと匕首から離れようとしなかった。
「ついて来てるわね」
彼女が低く呟く。
チェラーレの家は『ノールールマーケット』近くの旧市街にある、
目立たない二階建ての家だった。
「ここ」
チェラーレが鍵を取り出す。
「一人暮らしして、もうすぐ三年」
彼女が扉を押し開ける。
中は思ったより広い。
片付けは行き届いているが、
あちこちに生活の痕跡が残っていた。
アレカはぴょんぴょんと箱ごと跳ねながら部屋に入り、好奇心いっぱいにあちこちを覗き込む。
「この家、一人で住むにはちょっと広すぎないか?」
「そうね。広すぎるわ」
デレオーがそう言った瞬間、
自分で地雷を踏んだことに気づく。
「本当は、三人で住めたらいいなって……思ってたから」
チェラーレは部屋の中をゆっくり歩く。
「ほら、シミリスのために買っておいた魔法書」
本棚の背表紙を指でなぞる。
「これが、わたしの装備」
彼女の視線が、棚に立て掛けられた魔導銃に止まる。
デレオーは、壁に掛かった一枚の写真に目を留めた。
三人のあどけない少年少女。
学士帽をかぶったシミリスを、デレオーとチェラーレが両側から支えるように寄り添っている。
「本当なら、あのまま新しい生活が始まるはずだったのにね」
チェラーレは額縁にそっと触れながら言う。
テーブルの上には、一枚の地図が広げられていた。
いくつもの依頼場所に赤い印がついている。
「おまえも、楽じゃなかったんだな」
「慣れたわ」
チェラーレは大事なものだけを手際よくまとめ始める。
「自由には、こういう代償がつきものよ」
その時だった。
チェラーレが、ぴくりと耳を立てた。
「足音……動く気ね。ひとりじゃない」
彼女は魔導銃を手に取り、
手首に魔力を灯して装填を始める。
「何人だ?」デレオーが低く問う。
視線はすでに窓の外を警戒していた。
「感じるかぎり四人。
でも、もっと腕の立つのがいてもおかしくない」
チェラーレは床に片膝をつき、板張りに耳を寄せた。
握った魔導銃の掌に、淡い蒼光が広がっていく。
「アレカちゃん、こういうときこそ、あんたの出番よ!」
玄関口に立つアビスウズの指先にも、魔力が集まり始めていた。
「えっ、ぼく?」
アレカがぱちぱちと瞬きし、
すぐに何かをひらめいたように箱を揺らす。
「そっか、こういう使い方もアリか!」
アレカはパタンと蓋を閉じ、ぐっと身を震わせてから――
「恐怖のオーラ!」
バンッと蓋を開き、勢いよく飛び出した。
黒い影の波が、家の中から外へと一気に広がる。
家の外の通りから、あちこちで悲鳴が上がった。
訳もわからぬ恐怖に駆られた通行人たちが、一斉に逃げ散っていく。
同時に、周囲に潜んでいた伏兵たちも、
突如襲った寒気に気配を乱した。
「六人いる!」
チェラーレの顔色が変わったのとほぼ同時に、
外から慌ただしい足音が近づいてくる。
彼女は素早く玄関へ駆け寄り、勢いよく扉を開け放った。
「二人、逃げようとしてる!」
チェラーレの身体が閃き、銃口が素早く二人の背へ向けられる。
魔導銃から、冷たい青光の弾丸が二条走った。
二人の右膝裏だけを正確に撃ち抜き、地面に叩き伏せる。
アビスウズはすぐさま前へ出た。
片手でデレオーを引き寄せ、もう片方の手で周囲を警戒する。
「他の連中はまだどこかにいる。戦う準備を!」
彼女の声は低く、張り詰めていた。
その時、鋭い冷気が一陣、天井から吹き下ろされた。
黒い影が廊下の上空に現れ、一気に降下する。
チェラーレは反射的に匕首を抜き、迎撃するように刃を振るった。
「生命の伝道師メンデル、その肉体に痙攣を!」
アビスウズが突然現れた敵に向かって呪詛を放つ。
だが、その背後から迫る別の影には気づかなかった。
チェラーレは痙攣して倒れ込んだ襲撃者を見捨てて、
すぐさまアビスウズを脇へ押しやる。
そして、飛びかかってきたもう一人の攻撃者の胴を横蹴りで弾き飛ばした。
「今の現れ方、ウンブラ婆さんと同じ……影から直接出てきたわね」
蹴り飛ばされた覆面の刺客は、床を転がりながら、再び影の中へと溶け込む。
「ありえない! クロートの信徒じゃないのはわかるのに!」
アビスウズは局部惡魔化の状態へと移行し始める。
「じゃあ、魔法アイテムってことね!」
デレオーはアレカを抱き上げ、蓋を開けた。
「影に潜むためのアイテムって言ったら……
『影のマント』、『黒繭』、『暗光の短剣』……」
候補が多くて、どれか一つを絞りきれない。
だがすぐに思い至る。
「どれを使っていようと、共通して必要なのは――動かすための魔力さ」
「独占アイテム:闇魔法結晶!」
その瞬間、周囲の暗がりという暗がりから、
闇の気配が一斉にデレオーの掌へと吸い寄せられた。
すべての影の効果が解除される。
盗賊たちがどんな魔道具を使っていようと、
デレオーの手にあるその結晶がなければ、燃料を失った発電機のように、もう動かない。
「うわっ、このスキル、魔力消費エグすぎだろ……!」
デレオーは頭がくらりとし、その場に片膝をつく。
彼は魔法使いではない。
乏しい魔力で、こんな上級スキルを一度発動しただけでも、すでに限界に近かった。
それでも、盗賊たちの姿をすべて暴き出すには十分だった。
現れた瞬間、最初の一人はアビスウズに地面へ押さえ込まれる。
二人目は即座に逃げようとしたが――
チェラーレの三連射が走る。
左腕、右腕、右膝。
「あと一人!」
「そいつはおまえにやるよ!」
デレオーは闇魔法結晶をつまみ上げ、スリングショットのゴムに掛けた。
ぐっと引き絞り、狙いを定め、放つ。
純粋な闇の魔力が、最後の盗賊の全身を包み込む。
男はその場に崩れ落ち、動かなくなった。
「ふう……これで全部片付いた、ってことになるのか?」
思いのほかあっさり終わった気がして、デレオーは首をかしげる。
「さすがリーダー、勘はいいじゃないか」
アレカがニヤリと牙を見せた。
バネを伸ばして勢いよく跳ね上がり、
チェラーレの頭の上に着地する。
右手で蓋を押さえ、左手の猫の爪を構えた、その瞬間――
キィン!
鋭い金属音。
匕首の一撃が、アレカの蓋に弾かれて火花を散らした。
アレカはチェラーレの頭上で踏ん張りながら、彼女を守る盾となっていた。
チェラーレはアレカを見上げ、心からの感謝の笑みを浮かべる。
もう自分が嫌われていないことを、はっきりと確信した。
「まだ一人いたのか!」デレオーが叫ぶ。
「ムトゥス!」
最後に姿を現した盗賊を見て、チェラーレは思わずその名を叫んでいた。




