第四話 ②
映画が終わって、俺たちは外に出た。
太陽の明るさを少し眩しく感じながら、俺は横にいる詩音ちゃんに映画の感想を簡潔に口にする。
「いい映画だったな」
観に来てよかったなーと余韻に浸る。ほんとに面白かったし、感動した。恋愛映画もたまにはいいものだ。
詩音ちゃんもよっぽど気に入ったのだろう、映画が終わってから外に出るまで終始陶然として心ここにあらずといった風体だった。しかし、
「ふん、あんなものを称賛するなど、おまえのセンスを疑うな」
などと憎まれ口を叩く。
「実にくだらない映画だった。恋愛など、私にはまったく興味のないものだ」
「そう言うわりにはずいぶんと夢中になって見てたじゃないか。そんな物騒なもん握り絞めてさ」
詩音ちゃんの右手には、スタンガンがずっと握られたままだった。
「えっ? あっ! いや、これは――」
慌ててをスタンガンをバッグに突っ込む詩音ちゃん。
気づいていたのに放置かよ、とでも訴えたいのか、なぜか鋭い目付きで睨まれる。
ため息を吐き、ちょっと俺は憂鬱に思う。
考えてみたら当然のこと。こいつが素直に俺と映画を観に来るはずがない、こいつは俺を殺しに来たんだ。狙撃された時点で思うべきことだった。変装してきた理由の一つには、俺を殺害した犯人としての正体を悟られないためというのもあるのだろう。でも、
「まぁ、おまえがどういうつもりでここに来たのかはともかく、楽しんでくれたならよかったよ」
やはり俺はそんな詩音ちゃんを微笑ましく思い、笑顔を見せた。
「とりあえずここを離れよう。ちらほらとそれを見て気にしてる人がいたからな、誰かに通報されたかもしれん。さっさと行こう」
俺は詩音ちゃんに背を向け、歩き出す。詩音ちゃんは何も言わずに着いてくる。
まだ命を狙われてるんだろうなーと思いつつ、その時はその時、なんとかなると大して警戒もせずに駅前の繁華街へと足を進ませる。
「腹減ったな。丁度昼飯時だ。なんか食いたいもんあるか?」
歩きながら斜め後ろを着いて来る詩音ちゃんに顔を向けて言う。
「なんでもいい。好きにしろ」
ぶっきら棒に応えられたが、俺と飯を食うことにはどうやら抵抗はないらしい。
「んーどこがいいかなぁ――」
ふと、俺は足を止め、何気なく詩音ちゃんを見つめる。
「なんだ?」
「いや」
傲慢な態度とは裏腹な清楚な井出達。お供に着いていたあの老紳士は、きっと執事とかいうやつだろう。
こいつ、絶対お嬢様だよな。なら気取ったものよりも普段口にしない庶民的なものを食わせてやった方が喜ぶかもしれない。
「おまえ、ラーメン屋って入ったことある?」
「……ない」
予想通りの答え。俺は笑顔を見せる。
「じゃあ行こう」
光化学モニターを起動し、近場のラーメン屋を検索する。さすが横浜、ラーメン激戦区だ。すぐに数十件の検索結果が出た。だが俺は横浜のラーメン店には入ったことがない。知らない店に入って大してうまくもないラーメンを出されでもしたら、きっとガッカリされてしまうだろう。ここは無難に、俺が食べたことのあるチェーン店に行くことにした。抜群にうまいということはないが、安定して誰の口にも合うそこそこうまいラーメンを出してくれるので失敗はない。
「よし。こっちだ」
店を決め、俺たちは再び歩き出す。
目的地にはすぐに着いた。関東に多く店を構える有名なラーメンチェーン店だ。自動扉を抜けて奥のテーブル席に着く。食事中はマスクを外して顔を晒す必要があるだろうことを考慮して、詩音ちゃんを入り口側に座らせた。これなら店員などに多少は顔を見られるだろうが、店の外から発見されるリスクはなくなる。気にしすぎかもしれないが。
テーブルの脇に二つに折り畳まれて置かれていたメニュー表を広げる。醤油、味噌、塩の他に、数種類のラーメンが写真付きで載せられている。
「さて、ラーメン、どれにする?」
聞くと、詩音ちゃんは難しい顔をしてメニュー表を見つめ、
「……まかせる」
と小さく口にした。どれを選んだらいいのかわからないらしい。俺は「OK」と了解し、この店で一番オーソドックスなラーメンを二つ注文することに決め、店員を呼ぶ。
店員は水の入ったグラスを持ってすぐに来た。
「いらっしゃいませー。ご注文はお決まりですか?」
「はい。えっと、こぶしラーメン二つ。あと首から下げる紙ナプキンを一枚お願いします」
「はーい、少々お待ちくださいませー」
店員は光化学モニターに注文を入力して厨房に引き返した。
詩音ちゃんはどこか緊張した面持ちでテーブルを見つめる。俺はその様子が可愛く思えて、ニヤニヤしてしまった。詩音ちゃんの目がスッと動いて俺を睨んだ。
「何を笑っている?」
「別に」
そうしてしばらく待っていると、店員が俺たちの席に注文したラーメンを運んできた。
テーブルに二つのどんぶりが置かれ、紙ナプキンが詩音ちゃんに手渡される。それを胡乱げに見つめる詩音ちゃん。
「これはなんだ?」
「汁除けだよ。ラーメンの撥ねた汁が服に着くと染みになって洗ってもなかなか落ちないし、見っともないぞ。俺は食い慣れてるから大丈夫だけど、おまえは着けた方がいい」
「……ふん」
詩音ちゃんは一瞬躊躇したように見えたが、やはり服に汁が着くことを嫌ってか、紙ナプキンの紐を首に回して装着した。
その様子を見届けてると、俺は割り箸を二本取って一本を詩音ちゃんに渡してやり、「いただきます」と軽く頭を下げてラーメンを食べ始めた。スープに背油の浮いた醤油豚骨のラーメンだ。脂っこい濃厚な風味が口いっぱいに広がる。詩音ちゃんもマスクを顎にずらしてラーメンを口に運ぶ。
「どうだ? うまいか?」
「……まぁまぁだな」
「そっか。ならよかった」
まぁまぁか。でもうまいならそれでよしだ。
ラーメンを食べている途中で、俺の水の入ったグラスが空になった。
「ふむ、水が空だな。私が注いできてやろう」
水の継ぎ足しはセルフサービスだ。意外な申し出に、俺は当惑する。
「え? いいのか?」
「ああ、問題ない」
詩音ちゃんはなぜか機嫌良さそうに言って、マスクを用心深く鼻筋につまみ上げ、俺のグラスとバッグを持って立ち上がる。いいところもあるんだなー、けどなんでバッグまで持ってくんだろ? 別に置きっぱでも中身見たりしないのに、と思いながら俺は呑気にラーメンを食べ続けた。
詩音ちゃんはすぐに戻ってきた。
「ほら 、注いできたぞ。飲むがいい」
「おう、ありがとな」
俺は丼の横に置かれたグラスを手に取り、半分ほど飲んだ。うんめぇ。いやマジで、ラーメン食ってる時に飲む水って異常にうまいよね。
しかしふと、俺は異変に気付く。詩音ちゃんがまじまじと俺を見ていた。マスクを着けたまま、食事に直ろうとしない。――なんだこいつ? 俺の顔になんかついてんのか?
「なんだよ……?」
訊くと、詩音ちゃんは俺の顔を見つめたまま、
「おまえ……なんともないのか?」
「は?」
嫌な予感がする。こいつ……オイ。
「おまえ、まさか、この水に毒でも入れたのか?」
「……」
詩音ちゃんは黙して視線を反らす。またその反応かよ。わかりやすいなーもー。
声を荒げたいところだが、店内で大声を上げるのは気が引けたので、俺は静かにドン引きした。
「おまえいい加減にしろよ……。俺に何飲ませたんだよ?」
「し……」
「し?」
「し、シアン化カリウムよりも強力な、即効性のある毒を少々……」
ふむ、シアン化カリウム。またの名を青酸カリ。
その劇物の名を頭に思い浮かべた瞬間、俺は手からグラスを離していた。グラスは床に落ち、派手な音を立てて割れ、透明な破片と液体を飛散させた。
「あっ、すみませーん。グラス割っちゃいましたー」
すみやかに手を上げて店員に申し出る。
「そのままで大丈夫ですよー。お怪我はないですか?」
店員は塵取りと箒を持ってきて、接客態度よろしくニコニコと応じてくれた。
「はい、ほんとすんません。手元が狂っちゃって」
俺は頭をかきながら平身低頭。困った作り笑いを浮かべてヘコヘコと頭を下げた。
店員の手により、割れたグラスは手早く回収され、俺は詩音ちゃんに向き直る。詩音ちゃんは俯いて背中を丸め、縮こまっていた。俺がどんな行動に出るのか、ビビッてるようだ。
当然、俺は怒っている。しかし、こんなところで物騒な話しはできない。説教は後だ。
「ラーメン、伸びちゃうから、さっさと食おうぜ」
「……」
俺たちは静かにラーメンを食べ終えた。
会計を俺のおごりで済ませ、店を出る。
横にいるマスク女に目を向けると、ギロリと睨み返された。
「……なんだ? 言いたいことがあるなら言え」
――こいつ、完全に開き直ってやがる。
まったくとんでもない女がいたもんだ。そんなに俺のことが憎いのかよ。そりゃあ色々とやっちまったのは認めるが、俺は詩音ちゃんのことを誰にも言ってないわけだし、ムキになって命を狙う必要なんかないだろう。そもそも俺に殺すほどの価値なんかない。そのへんのことをわかってもらうには、どうしたらいいものか? 一度じっくりと腰を据えて話す必要がありそうだ。
文句を言う気も失せた。俺は詩音ちゃんに一つの提案をする。
「あー、カラオケでも行くか」




