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第四話 ① 深遠の彼方

 週末の休みにテロに備えての待機要請がないことを確認して、外出の許可を取り、迎えた今日、日曜日の横浜。

 駅にほど近い、車の往来の多い大通り沿いの映画館の前。

 周りをキョロキョロと見回しながら、俺は詩音ちゃんが来るのを今か今かと待っていた。

 あんな誘い方をして来てくれるとも思えないが、念のため川で伝えた時刻より十五分ほど前に到着した。


 今日の俺は白のインナーに濃いめの青のジャケットを身に着けた私服の装いだ。デートではないと言ったものの、女の子と遊ぶのだ。最低限の礼儀として、そこそこのお洒落はしてきたつもりである。

 さて、映画の開演時刻までにはまだ時間があるが、果たして詩音ちゃんは来てくれるだろうか――


――ん?


 映画館の出入口脇で立っていた俺は、ふと、殺気を感じ、正面の道路の先に目を向けた。

 斜め上空から、何かが超スピードで飛来する。

 掌でガシッ! とおでこの辺りで受け止めたそれは、あろうことか、一発の弾丸だった。


「……」


 とりあえず思考するのは後回しにして、今一度正面、テナントビルが連なる通りの先――高層マンションの屋上に目を向ける。

 何かがキラリと光った。

 目を少し凝らしてみると、その光は身を伏せた謎の老紳士が構える狙撃銃のスコープのレンズから発せられていた。


 あの鼻の下に髭のあるお爺ちゃん、誰? あとその横にいるのは、詩音ちゃんかな? 老紳士の隣で同じく身を伏せて双眼鏡でこちらを窺う、見覚えのある黒髪の少女の姿が見えた。

 ははっ、まいったね。映画館の前で女の子待ってたら狙撃されちゃったよ。まったく、なに考えてるんだろうね、マジで、あの女、バカじゃねぇの!?



 詩音は高層マンションの屋上で瞠目していた。

 ――今、あいつ、手で弾丸を掴まなかったか?

「……。権爺、もう一発だ」

「かしこまりました」

 主人の命に従い、隣にいる老執事は何の躊躇いもなく狙撃銃の引き金を引いた。


 ボシュン! と、銃口に取り付けられたサイレンサーを通り抜けて発射された二発目の弾丸は、見事に遥か遠方に立つ坂下歩の眉間を捉えていたが、またしてもその右手に阻止される。


 化け物め、一体どういう体の構造してるんだ?


「チッ、やはりこの程度では仕留められないか」

「そのようでございますな」

 双眼鏡越しに遠方に望む坂下歩にはまったくダメージがあるようには見えなかった。しかし何かひどく焦っている様子で、片手をブンブンと振ったかと思えば次には両手でバッテンを作った。

「見つかったか」

「耳や感だけでなく、目もかなりよろしいようで。メガネをかけているのに」

「まったくわけがわからん、デタラメなやつだ」


 坂下歩は唇を動かして何かを必死に訴えている。どうやら『やめろ』と声を出さずに言っているようだ。周囲を気にしてのものだろう。別にこちらとしては狙撃を続けても構わないのだが、どうせ無駄弾に終わることだ。

 詩音は双眼鏡から両目を離し、立ち上がる。

「仕方ない。ここからは近接戦闘だ。直接ヤツを仕留める。いくぞ権爺」

「はい、お嬢様」


 狙撃の他にも手は用意してある。次は映画館のホールの暗闇に紛れて攻撃する。

 今日はスタンガンを用意してきた。象もイチコロの超強力なやつだ。映画に目を奪われて油断しているところを狙う。殺気を出さぬようギリギリまで平常心を保つ必要があるが、大丈夫だ、私ならやれる。

 我ながらぬかりない作戦。完璧である。

 あのクソメガネ。何が映画だ。舐めやがって。

 今日こそは絶対に殺てやる。



 狙撃が止んでから十分ほど経過した。

 映画館の前の路肩に一台の黒塗りの高級車が近付き、歩道に慎重に幅を寄せ、停車する。先ほど高層マンションの屋上で狙撃銃を構えていた鼻髭の老紳士が何食わぬ顔でその運転席から姿を現し、車の横手にまわって後部席のドアを開けた。


 そうして老紳士に促されて降りてきたのは、南国の海の透き通るようなブルーのワンピースを身に着けた、清楚な装いの少女だった。

 ふうわりとした薄黄色のカーディガンをワンピースの上に着て、白い小さめのバッグを肩から下げている。桜色のパンプスが可愛らしくも上品なコーディネートである。が、顔の下半部を覆い隠す大きさの真っ白なマスクを着け、登山用のつば広で茶色の帽子を深く被っているため、正体が判然としない。――変装かよ。辛うじて目が見えてるため詩音ちゃんだというのはわかるが――なんだこいつ? 怪しい探偵みたいな格好して。これから誰かを尾行でもするつもりか?

 

「それではお嬢様、私めはこれで」

「ああ」

 詩音ちゃんが短く了承を告げると、老紳士は一礼して運転席に戻り、車を発進させて通りの先へと走り去って行った。それを見送ると、詩音ちゃんは俺の下へと歩いて来る。


 このバカ女……


 俺の前で足を止めた詩音ちゃんに、顔を引きつらせ、まずは開口一番、苦情を申し付ける。

「おまえふざけんなよ……こんなところで何してくれてんだよ」

 人通りの多い日曜日の映画館前である。狙撃が周囲に気付かれたら大パニック間違いなしだ。場をわきまえてほしい。


 しかし詩音ちゃん反省するどころか、「ふん」と俺の苦情を鼻で吹き飛ばし、

「ふざけてるのはおまえだろう。銃で射たれてなぜ生きてるんだ」

 可愛いげのない野太い声で、俺の目を見ずにそう言った。

「生きてちゃ悪いかよ」

「ああ、最悪だ」


 こいつ、完全に居直ってやがる。どうやら文句を言うだけ無駄なようだ。

 俺はため息を吐く。

「はぁ……まぁいいや。何はともあれ、こうして来てくれたわけだしな。ありがとな、詩音ちゃ――」

 言葉の途中で、腹をドン! と殴られた。痛くないけど、

「なんだよ……?」

「名前で呼ぶな。誰か知り合いに気づかれるかもしれないだろ」

 俯きがちに帽子のつばを摘まみ、周囲に目をやる詩音ちゃん。

「ここは私の学校に近い。日曜とはいえ、部活や遊びに来てる生徒がいるかもしれないんだ」

 なるほど、と怪しい探偵みたいな変装をしてきた理由を俺は納得する。


「ああ、同級生とかに男といるところを見られたくないのか。悪かったよ。映画のチケット、この映画館で買ったからさ」

 場所が横浜で申し訳ないと思いながら、俺は頭を掻く。

「でもおまえ変装するにしてもさ、その帽子はないんじゃないか? あきらかに服装に合ってないだろ」

 俺は詩音ちゃんの被る茶色い登山用の帽子を見て言った。

「……普段帽子なんて被らないから、これしかなかったんだ」

「ふーん」


 せっかく服装は可愛いのに、もったいない。けど変装までして来たということは、なんだかんだ言って映画を楽しみにして来てくれたのかな? 俺はちょっと微笑ましく思った。

「ってかもう映画始まっちゃうよ。とりあえず、行こうぜ」

 こんなところで長話をしている時間はない。俺たちは自動ドアを抜けて映画館の中へと足を進める。

 大小十以上のスクリーンがある複合型の大きな映画館だ。メインロビーのカウンター上部にある光化学モニターでスクリーンナンバーを確認し、エスカレーターに乗る。ほどなくして到着したフロアの受け付けでチケットを切ってもらい、俺たちは上映ホールに入場し、後部中間に位置する指定の座席に着いた。


 まだ映画は始まっていない。ホールは明るく電灯に照らされており、光化学スクリーンには他の映画のCMが流れていた。

「間に合ってよかったな」

「ああ、そうだな」

 安堵する俺に、詩音ちゃんは前を見据えたまま応えた。


 しばらくすると、消灯が成されてホールが暗くなり、映画の上映が始まった。


 俺が佐倉さんのために選んだ映画は人気の少女漫画を原作にして作られた学園ラブストーリーだった。いかにも女子中高生が好きそうな作品である。アクションやラブコメが好きな男の俺の趣味からは外れているが、佐倉さんを喜ばせたい一心でこの映画のチケットを買った。


「……」


 巨大なスクリーンの中で、超の付くイケメンアイドルが演じる男と、これまためっちゃ可愛いアイドルが演じる女の子が、何やら揉めたり悲しんだりしながら互いの恋愛感情に気づいてゆく物語が展開される。

 趣味には合わないが、物語の中盤、全身全霊をかけて好きな女の子を庇い、必死の形相で叫ぶ男の姿を見て、こういう映画も悪くないなと思う。むしろいい映画だ。ちらりと隣に目をやると、詩音ちゃんも夢中になってじっとスクリーンに熱い視線を送り、両膝の上に置いたスタンガンを右手でギュッと握り締めていた。


 ――って、オイ。


 こいつなんでこんな物騒なもん持ってんだ?

 一目見てそれとわかる形状。黒くごついスタンガンが、スクリーンの光に照らされ、淡い光沢を放っていた。

 俺は当然のごとくすぐさま詩音ちゃんを映画館の外に連れ出し、「てめぇ何考えてんだ! マジでバカだろ!」 と抗議の声を上げようと思ったのだが、

「……」

 よからぬことを企んでいたのだろう自分の目的を忘れ、あまりにもスクリーンに釘付けになっているその目を見て、俺は抗議を延期させることにした。

 ったく、しょうがねー女だな。

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