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第三話 ③

 そうして日は昇り、時が過ぎて緩やかに下降を始め。

 校舎が茜色に染まる頃。


 詩音は気づかなかった。

 最も危惧すべき存在。

 それは確かな足音を立てて、近付きつつあることに――

 

 放課後。委員会『マリア様をお花で飾る会』の活動を終え、詩音は校門までの道を歩いていた。

 同じ委員会の同学年の女子生徒たちを引き連れている。彼女たちは嬉々として、

「本日の詩音様は最高に冴えてましたわ!」

「マリア様をあんなにもポップでキュートにしてさしあげるなんて!」

「なかなかできることではございませんわ!」

「アメイジングですわ! グレートネス!」

 と、今日の詩音の活躍を口にする。


 詩音は楚々と歩みながら、謙遜と自画自賛でそれに応える。

「大したことではございませんわ。(わたくし)がマリア様を慈しむ心が、マリア様を美しく変貌させただけのことですのよ」

「「さすがでございます!」」

 声を揃えて詩音を称える取り巻きたち。当然のことだ。今日は本当にいい仕事をした。

 白一色のマリア像に自らのハイセンスをもって『もっと明るく可愛らしく』をテーマに花を見繕い、誰が見ても愛らしいぬいぐるみのような姿に仕立て上げたのだ。鳴き声を上げるとしたら「むにゅ~」であろう、ラブリー度百パーセントの一分の隙もないかわゆさである。それほどまでに素晴らしくしてさしあげたのだ、御利益があって然るべきであろう。きっと自分の願いは聞き届けられ、昨晩の夢も正夢になるはず。

 詩音は大変に上機嫌で、満足の心持ちであった。しかし。


 ――おや?


 MUリストバンドが振動した。腕を持ち上げてチラリとパネルを確認する。NSL学校の諜報員からのメールを着信していた。だが皆の手前、この場で光化学モニターを起動して内容を確認することはできない。

 彼女たちは詩音に好かれたい一心で、詩音にばかり声をかけてくる。

「あ、そういえば詩音様、ご存知ですか? この紅薔薇学院の近くにおいしいワッフルのお店があるんですよ」

 仕方なくメールの確認を後回しにして、会話に興ずる。

「あら、それは初耳ですわ。なんというお店ですの?」

「キティシャーロットですわ」

 女の子は甘い物が大好きだ。詩音ももちろん甘い物に目がない。


 別の女子生徒が会話に混ざる。

「そのお店なら私も存じておりますわ。雑誌で取り上げられてるのをお見かけしたことがありますの」

「私もテレビで拝見しましたわ。さくさくふわふわのワッフルに生クリームが乗っててとてもおいしそうでした」

「でも買い食いは校則で硬く禁じられてますから、学校帰りに立ち寄れないのが残念ですわねー」

「そうですね。ではいずれ休日にここにいる皆様でそのお店にお伺いいたしましょう」

「それはナイス提案ですわ!」

 詩音の休日のお誘いに、皆歓喜の声を上げる。


 乙女たちはお喋りに花を咲かせながら、歩みを進め、校門を抜ける。

 権爺が朝と同じく少し先の通りで車を停めて待機していた。詩音の姿を認め、一礼する。

 他の女子生徒は駅まで歩く。自分は権爺の下まで歩いてお別れだ。

 そこまではいつものこと。今日もそのはずだった。

 詩音は信じて疑わなかった。不満のない、満たされた日々がいつまでも続くことを。

 だが――


「あら?」


 女子生徒の一人がそう発して、詩音は皆と共に足を止め、瞠目した。

「――っ!?」

 権爺の後ろ。通りの先に、一人の少年の姿が見えた。


「あの殿方が着ている制服、私、見覚えがありますわ。確か――」


 NSL学校の――

 それ以上の言葉は詩音の耳には届かなかった。

 驚愕し、目を大きく見開いてその姿を見つめる。

 両手をズボンのポケットに入れ、ぼんやりとこちらに歩いてくる少年。

 メガネをかけている。見覚えのあるつまらない面構え。

 自分のプライドを粉々に打ち砕いた、あの悪夢の悪魔。

 その男の名は。


 坂下歩。


 なぜ? なぜヤツがここにいる?

 それも、どんどん、こちらに近づいて来て。

 これはなんだ? どうなっている!?

 詩音は激しく動揺した。全身の毛穴が開き、足が震える。


「詩音様? いかがなさいましたか?」

 詩音はハッとする。

「……いや、なんでもない」

 言葉遣いを気にかける余裕は失せていた。必死に状況を分析し、落ち着け、と自らに念じる。

 これは何かの間違いだ。偶然。そう、これはきっと偶然だ。


 自分の正体は気づかれていないはず。気づかれる要素がない。大丈夫だ。

 しかし、万が一、ヤツが襲い掛かって来たらどうする? その時は、殺るしかない――

 詩音は制服の内ポケットに忍ばさせている折り畳み式のナイフを意識し、確かな殺気を放った。その瞬間。

「……」

 坂下歩は歩みを止めた。

 直立したままじっとこちらを見つめている。


 ――やばい!


 目が合ってしまった。

 詩音は慌てて視線を反らすが、その目は完全に泳いでいた。

 恐る恐る視線を戻す。

「……」

 坂下歩はまだ足を止め、こちらを真っ直ぐに見つめていた。しかし、次には「はぁー」とため息を地面に落としてまたぼんやりと歩き出す。

 こちらに近づいて来る。


 まずい……か? 大丈夫……か?


 仮に戦うにしても、こんなちっぽけなナイフでヤツを仕留めることはできるのか? 答えは即座に出る。無理だ。NSLすら素手で倒してしまう男だぞ。敵うわけがない。しかし、どうする? どうすればいい……?

 警戒する詩音の下に、坂下歩は一歩一歩、歩みを進め、そして――

「……」

 何事もなく、すれ違って行った。

 足音が遠ざかって行く。


 詩音は後ろを振り返った。坂下歩の背中はどこかしょんぼりしていて、やけに小さく見えた。どうやら襲ってくることはなさそうだ。やはりここで遭遇したのは偶然だったか。

 静寂が流れ、心配げな声が周囲から洩れる。

「詩音様、今の殿方がどうかなさいましたか……?」

「あっ、ああ……。大丈夫、ですわ……いきましょう」

「……?」


 詩音は前方に向き直り、どうにか震える足を動かし、歩き出した。皆は常とは違う詩音の様子に動揺しながらも、それに続く。

 車の横で待機していた権爺の下に着く頃には、なんとか気を持ち直していた。だがその笑顔は、ひどく強張ったものだった。

 権爺も一部始終を見ていた。

「詩音様……?」


 その先を言わせまいと、詩音は性急に言葉を口にする。

「なんでもありませんわ。それでは皆様、また明日」

 早々に皆に別れを告げ、ニコリと笑う。

「はい……ごきげんよう、詩音様」

 ごきげんよう――と返して、皆に手を振る。

 乙女たちがすぐ先の交差点を折れるのを確認して、今一度後ろを振り返る。


 坂下歩の姿はない。既に歩き去っていた。


「……」

 詩音は車に乗り込むと、怒りに表情を歪め、閉められたドアを横にした拳で、ドンッ! と殴った。

「クソォッ!」


 ――あのメガネ、この私をまたも怯えさせるか!


 わなわなと震える手で、MUリストバンドのパネルを操作し、光化学モニターで先ほど届いた諜報員からのメールを確認する。

『詩音様。坂下歩がそちらの学校に近づいております。特に問題はないと思われますが、一応御報告を。』

 危機感のないのん気な一文。諜報員は坂下歩の危険性を知らない。しかし、あの夜から数日が過ぎている。同じ学校にいながら、なぜあの脅威を知らずにいられるのか、詩音はそれにも腹が立ち、奥歯を強く噛み締めた。


 権爺が運転席に着いた。

「詩音様、よもやとは思いますが、今のお方が……?」

「ああ、そうだ。ヤツが坂下歩だ」

「さようですか……、特に危険があるようには窺えませんでしたが」

「そうだろう。だが油断のならない相手だ。本当に、あの時も、そして今も、油断していた――」


 わずかな時ではあったが、ひどい醜態を皆に晒してしまった。

 偶然の出くわしとはいえ、またこんなことがいつ起こるとも限らない。早急に手を打つ必要がある。


 坂下歩を殺す。これは全てにおいて最優先だ。


 そうしなければ、不満のない、平穏で満たされた日々はないことを悟った。

「次に会った時は、必ず殺してやる」

 詩音はあの夜以上の強烈な殺意を胸に、坂下歩の打倒を誓った。

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