第二話 ④
試合開始。
しかしやはり華矢部長は攻めて来ず、俺も攻めない。というか、俺の場合は攻めることが出来ない。
「どうしたの? 来ないの?」
「……」
ここまでなんだかんだ言っても足を運んだわけだし、俺も自らの欠点の改善を期待する気持ちが少しはあった。しかし久々にこうして畳の上に立ってみると、やっぱりダメだと思い知る。
わからない。わかラナイ。
ドウウゴケバイインダ?
「なら、こっちからいくよ!」
華矢部長は瞬時に間を積め、振りかぶった右拳を俺に突き出して来た。――と見せかけて、その拳を急速に引き、左拳を俺の脇腹にどしりと重くぶち当てた。
いきなりのフェイントに加え、引いた拳の反動まで利用した渾身の一撃だ。
しかし、痛くもかゆくも何ともない。でも、倒れなきゃ。苦悶の表情を浮かべて、みんなと同じように――
『どうしてそんなに出来ないのか、ここまで情けない生徒は初めてです』
脳裏に八重樫先生の呆れた顔が霞んだ。
奥歯を強く噛み締める。あの一言は悔しかった。俺だってやる気がないわけじゃない、できないわけじゃないんだ。何も知らないくせに好き勝手言いやがって。
俺はわざと倒れようかとした身を、思わず踏み留めてしまった。構えを解き、気だるく棒立ちになる。
――今の一撃で倒れない?
どうやら俺の身に違和感を覚えたらしい、華矢部長の表情からそんな感情が読み取れ、余裕がなくなった。俺を殴った自分の拳を疑り深く見つめる。
審判の女子生徒が心配気に声をかけた。
「華矢部長、どうかしたんですか……?」
「い、今の、この感触、何……? 柔らかい皮膚の内側に分厚い金属の塊があるみたいな……。あなた、サイボーグ?」
そんなわけないだろ。今朝もしっかりひり出したウンコに誓って人間だわ。
だが、俺は質問に答えず、突っ立ったまま。
「……」
「っ、このっ!」
華矢部長は正面から俺に殴りかかり、容赦のない連打を浴びせてきた。
一撃一撃が急所に突き刺さる。が、しかし俺はびくともしない。無防備のまま、ドゴバゴと身体を殴られながら、この試合とはまったく別のことを考えていた。
ガキの時分。七歳の時。初めて武道の大会に出ようとしたその前日のこと。
稽古が終わって、俺は爺ちゃんに呼び止められ、道場の真ん中で向かい合って正座し、言われたのだ。
『歩、おまえは試合には出さん』
俺はもちろん、なんで? と聞いた。
すると爺ちゃんは、静かに、重く口を開いた。
『おまえは強い。人と対するには、あまりに危険すぎる。もう、ここに来るな――』
突然の破門だった。しかしなぜ破門されなきゃいけないのか、俺はそれ以上問い詰めることはしなかった。理由はその当時で既にわかっていた。俺は破門を受け入れるしかなく、その日を最後に武術から身を引いた。
あれから幾年の時が過ぎ、今、場所は違えど俺はまた武術の道場にいる。
性懲りもなく――
ほんのわずかでも、自らの欠点の改善の光明を見出だせることを期待して、ここに立っている。
だけど、やっぱりわからない。今繰り出されているこの攻撃に対して、どんな対応をするのが正解なのか、どう動けばいいのか。
ワカラナイ。ワカラねぇんだよ!
「いい加減に、倒れろ! ハァッ!」
強烈なハイキック。下から高く振られた華矢部長の蹴りが俺の頬に直撃した。メガネが飛び、首がわずかに傾ぐ。それでもやはりダメージはない。
俺は首を傾いだまま、華矢部長を睨んだ。息を乱し、額に汗を滲ませる、わずかに怯んだ相貌が覗えた。
あー、もういいや――
俺は考えるのを止めた。そして、自然に、あるがまま、これだと感じた行動を全身に伝える。
華矢部長は体勢を立て直し、拳をストレートに突き出してくる。
「でやぁ!」
もはや俺に躊躇はなかった。その拳を身体を横にして避け、華矢部長の足を踏んだ。
「――えっ!? わっ!」
華矢部長は身体のバランスを崩し、畳にダイブして腹から倒れた。
足を踏んだのは、瞬きの間の出来事。
「あれ、転んだ?」
「なんで? どうしたの?」
道場は騒然とした。何が起こったのか、誰もわからない様子だった。
うつ伏せの身を持ち上げ、華矢先輩はこちらを睨む。鼻が赤い。しかしその口元は、なぜか嬉しそうに笑っていた。いや。
「やってくれるじゃない」
笑っちゃいるけど、かなり怒ってる。そりゃそうだ。足を踏まれて転ばされりゃあ誰でもムカつくだろう。
起き上がり、すぐに突進。
華矢先輩はまた連打を浴びせてきた。が、今度は喰らわない。両手を駆使して全て打ち払う。
数打のジャブから、右のボディーブロー、左のフック、斜め上――と見せかけて下からスマッシュブロー。
全部見えてる。おっそ。まともに向き合えばこんなの当たるわけがない。
俺はわずかに生じた攻撃の隙に拳を構えてまっすぐに突き出した。それをかわして華矢部長は俺に身を寄せ、がら空きのわき腹に拳を見舞おうとする。
しかし先を読んでいた俺はその顔に「べっ!」と唾を吐き飛ばした。
「なっ――!?」
唾は華矢部長の左目に直撃した。すかさず動きを止めた彼女の首に腕を回し、もう片方の手で脇を掴んで高く一直線に持ち上げる。
これぞ古より伝わりし伝説の武術『プロレス』の四大必殺技が一つ。
――ブレーンバスター。
俺は華矢部長を持ち上げたまま勢いよく背面に倒れる。ドンッ! と背中から叩き落された華矢部長は「ガハッ!」と口を大きく開け、苦悶の表情で天を仰いだ。
「……ぐぅっ、うぇっ」
華矢部長はぴくぴくと手足を痙攣させ、涙と嗚咽を漏らして動かなくなった。
黄色い悲鳴が道場に湧き起こる。
「キャー!」「ぶ、部長!」「ひどい!」
「あんたなんてことするのよ!」「鬼!」「悪魔!」「変態!」「下衆!」「このゴミクズ野郎!」「最低最悪の鬼畜男子!」
いや酷いことをしたのは認めるけど、何もそこまで言わなくてもよろしいのでは?
春斗も華矢部長に駆け寄り、その様子を確認すると、俺に怒りの形相を向けた。
「おい! やりすぎだぞ!」
そうだね。やっちまった。
華矢部長もみんなを痛めつけちゃいたけど、別にいじめてたわけじゃない。そりゃあ嗜虐的な感情もちょっとはあったのかもしれないが、弱者をいたぶっていた感じはなく、目的はあくまで洗礼。そうとわかっていながら、大人げなく倒してしまった。これじゃ部長としての面子が丸潰れだ。わざとやられておくのがどう考えても正解だった。最悪なことをした。
そして人に悪いことをしたら、どうすればいいのか。俺は幼稚園児ではないので知っている。
俺は一歩身を引き、両膝と両手を畳に着いた。次に頭を下げ、心からの謝罪を申し上げる。
「すみませんでした」
全力の土下座だ。
一応、手加減はしたつもりだ。今は叩き落された背中の痛みと胸の苦しみで身動きが取れないだろうが、しばらくすれば回復して起き上がれるだろう。
奇妙に発生した静寂の中、俺は立ち上がり、メガネを拾ってそそくさとその場を後にした。
ここで述べよう。
俺には昔からひとつの欠点があった。
自分で言うのもなんだが、俺はめちゃくちゃに強い。たぶん、世界中の誰よりも。
しかし、それは決して他人には認められない強さだ。
――なぜなのか?
勝負ごとになると、俺は勝つために手段を選べない。
選ばないではなく、選べない。
もっと分かりやすく言えば、
俺は卑怯で無様な戦い方しかできないのだ。
絶対に。どうあっても。何をしても。
前にも述べたとおり、どんなふうに戦えばいいのかはわかる。
普通は戦いの最中にズボンを脱いだりしないし、相手に唾なんか飛ばさないないだろう。そうした常識は当然ある。頭ではわかってるのだ。しかし、いざ勝負の場に立つと、常識はずれの手ばかりが思い浮かぶ。
理性を働かせて、そんなことをしちゃいけない、とすると、じゃあ他にどんな手段があるのか? 普通の手がまったく思い浮かばず、つまり『どう動いたらいいのかわからない』状態になって身体が動かなくなる。後は敗北あるのみ。
力加減のコントロールはできるが、理性による欠点のみの行動の抑制はできない。
これのために今までどれだけ辛酸を舐めさせられてきたことか。
スポーツ競技も全部ダメで、徒競走ですら隣を走る人の足を引っ掛けるとか卑怯な手を使って勝つことを考えてしまい、それが出来ないとなると動けなくなる。ただ走ればいいだけなのに、常識はずれなことばかりが頭を駆け巡ってどうしようもなくなる。
そうしなくても勝てる能力はある。だがそうせずにはいられない。
小学生の時は色んな運動クラブに参加した。初めは誰もが俺の身体能力の高さを称賛して歓迎する。しかし俺の欠点に気付くと皆落胆して離れていった。
そうして中学に上がる頃には俺自身が俺に失望し、家に引きこもるようになった。漫画やアニメなどの二次元創作物を見て、ただただ時間を怠惰に消費する日々。
能力を活かしたいとする気持ちは常にあった。そこにきて俺にNSLの操縦適性があることがわかり、俺はNSLなら――、と思った。
しかしここでもやはり俺の能力は認められるものではなかった。
NSLの意、〝高潔なる鋼の四肢〟の高潔など名ばかりのものだと思っていた。だって軍隊だよ? 兵器だよ? 高潔だなんて、そんなの建前だと思うじゃないか。
でもダメなものはダメ。
欠点の克服を試みる気持ちもあったが、今はそれも完全に折れてしまった。いや、そもそも克服できてしまったら主人公の活躍の場がなくなってしまう。物語的に考えてもやはり俺の欠点の克服はあり得ないものなのだ。
俺は結局ここでも何も出来ずに終わるのだ。
主人公のサポート役すら、まともに勤めあげることはできないだろう。




