第百七十四話『大罪』
「ロズガルドの覚醒に対する方針は定まった。となれば、次はラグランジア王国に対する方針を固める番だな」
ネルギウスの言葉にフレデリカの目つきが鋭くなった。
恐らくは精霊伝いにラグランジア王国の惨状を聞き知ったのだろうと彼は推察した。
「ゲームにはラグランジア王国の内情までは描かれていなかったようだな」
「……はい」
仮に描かれていたのならば、フレデリカの性格上、もっと早くに打ち明けていた筈だ。
それほどまでに、ラグランジア王国の内情は凄惨なものとなっている。
「フレデリカよ。予め言っておくが、お前には一切の咎がない。ゲームの情報を事細やかに語られていたとしても、今の状態に陥っていた事だろう」
その言葉だけで彼女は察したようだ。血の気が引き、青褪める彼女に対して、ネルギウスは一拍の間を置いた。
それは彼女の為の間ではなく、自らの為の間であった。
「まずは情報を共有する所から始めるとしよう。現状、ラグランジア王国には死霊を操る魔人が根を張っている」
「……ファルム・アズールですね」
「その名は初めて聞いたな。ゲームでは、そう名乗っているのか?」
「はい」
「だが、その名に意味はない」
「え!?」
ネルギウスはゲームがフレデリカに提示した情報の偏り方を気にしつつも言った。
「十中八九、ただの偽名だ。確定はしていないが、その正体はおそらく屍叉ジュド。七大魔王の一画だ」
「ジュド!?」
「いくつか根拠がある。その一つを提供してくれたのは、先程も話題に挙げた剣聖だ。彼女は一度、奴を追い詰めている」
そのまま、倒しておいてくれればと思った事は一度や二度ではない。
「だが、彼女は奴を見逃した」
「どうしてですか!?」
「もっと、面白くなると思ったからだそうだ」
フレデリカとアルヴィレオは揃って言葉を失った。
―――― 剣聖マリア・ミリガンを頼る事は純粋に危険だからだ。
戦闘狂。彼女の評する言葉として、これ以上に相応しいものはない。
戦いこそが至上であり、その為ならば巨悪を見逃す。勇者に牙を剥く。だからこそ、ネルギウスは彼女に頼る事を危険と断ずる。
「……彼女が奴を追い詰めた場所、そこは地下の研究施設だった。調査が行われた結果、屍叉ジュドが世界各地に築き上げた拠点の一つであった事が判明した」
「で、ですが、ジュドは勇者様が討伐した筈では?」
「殺しはした。だが、滅ぼせてはいなかったという事だ」
殺したのに、滅ぼせていない。一見すると矛盾を感じるが、その矛盾を解決する鍵は既に提示されていた。
死霊術だ。死霊を操る術を死霊自身が操っている。そういう事なのだろう。
「お前達は屍叉ジュドの事をどこまで知っている?」
「……七大魔王の中で最も残忍で冷酷な魔王。イグノス武国の東に浮かぶ監獄島を始めとした私設監獄や研究施設を多数所有しており、非道な実験を繰り返していたと」
「聖地レムサムルを襲撃し、時の聖女を攫ったとも聞いています」
二人が語る屍叉ジュドの肖像はいずれも七大魔王となった後のものだった。だが、それは二人が触れられる公文書などを通じて得られる知識の限界でもあった。
その真髄へ至る為の資料は、その多くが禁書とされている。王族に連なる者であっても、一定の年齢に達するまでは触れる事すら許されない。
「ジュドという魔人はバスティロで生まれた」
「……霊王の支配領域でございますね?」
「そうだ。今は死霊楽園と呼ばれているが、それより前には亡霊の港と呼ばれていた。冥王アルファが初代魔王ザラクによって滅ぼされた後、死者の魂はその地に引き寄せられ、苦痛の時を刻み続けていた」
「苦痛の時を……?」
「死者の魂は転生する。それが世の理だが、案内人である冥王亡き後、魂は転生する事が出来なくなってしまったのだ。肉体という器を持たぬ剥き出しの魂はやがて摩耗していく。その苦痛は想像を絶するほどだ」
「……何故、魂はバスティロに引き寄せられたのですか?」
「その理由を語るには、バスティロという港町の過去を語らねばならぬ」
フレデリカとアルヴィレオにとって、バスティロとは霊王の支配領域を意味する言葉だった。
港町という、人の営みを感じられる言葉とは簡単に結びつける事が出来なかった。
「その街は実に風光明媚だったという。その時代の多くの人々が思ったという。『バスティロで死のう』とな」
「……えっと」
フレデリカは戸惑った。ネルギウスの言葉が繋がっていないように感じられた為だ。
「それほどまでに美しい街だったというわけだ。人生の最後を飾るに相応しい場所。その風景の中で死ぬ事は最も幸福な終わりであると信じられていたのだ。だからこそ、魂達は苦痛を和らげるためにその地を目指した。結果、バスティロは死霊で溢れた」
ネルギウスは指先を虚空に向けた。すると、無数の顔が浮かぶ泡状の物体が現れた。
あまりの悍ましさにフレデリカは後退り、アルヴィレオは庇うように前へ出た。
「これはレギオンという。恨み、あるいは苦痛により怨念を蓄積させた死霊の集合体だ。生者を呪い、生者を殺し、その魂を取り込む事で力を増大させる。これが現れた事でバスティロは滅亡した」
楽園は地獄と化し、やがては亡霊の港と呼ばれるに至った。
誰かがそうなるよう望んだわけでもなく、バスティロはその美しさが故に滅びてしまった。
「少年時代のジュドはレギオンの出現に居合わせてしまったそうだ。次々に現れるレギオンが人々を呑み込み、己の一部とする光景を見つめながら、彼は必死に逃げ回った。そして、逃げた先に立っていたのが霊王レムハザードだったというわけだ」
「ジュドは霊王に救われたのですね」
「そうだ。霊王はレギオン達を鎮め、バスティロを己の支配領域とした。その時、ジュドは彼女の信奉者となり、その手伝いを買って出たのだそうだ」
地獄を見た少年と少年を救った少女。それはまるで物語のような出会い方だ。
「ジュドは何故、魔王になったのですか?」
アルヴィレオが問い掛けた。話を聞く限り、彼の悲劇には憎悪するべき対象がいなかった。ただひたすらに、バスティロは不運であったとしか言いようがない。
「ジュドの望みは分からない。霊王は彼を保護していたが、特別な関心を寄せてはいなかったようなのだ」
「……保護したのにですか?」
「彼女は少女の姿をしている。だからこそ、多くの者が思い違いをする。彼女は紛れもなく王なのだ。彼女は慈悲深く、そして、公平だ。彼女に保護されていたのはジュドだけではなかった。他にも大勢のバスティロ出身者が保護を受けていた。彼女は彼らを等しく守り、施しを与えた。一切の優劣を付けず、どこまでも公平にな」
それはまさしく、王の慈悲。個ではなく、民草という群に与えるもの。
「霊王はジュドに……、個に対して興味を持たなかったのですか?」
「まったく持っていないわけではない。だが、ジュドの心の機微を悟る程の関心は向けていなかった。ある日、彼は霊王の下を離れて姿を眩ましたのだという。彼女は彼を追わなかった。同じように出て行く者が多かった為だ。その中の一人の事情に深入りしようとは考えなかったらしい」
それを責められる人間などいない。
フレデリカとアルヴィレオもまた、夜会の際には語り掛ける相手を選別していた。全ての者を個として重んじる事など、誰にも出来はしない。
「ジュドのその後の足取りは判明しているのですか?」
「多少だが、辿れる部分もある。ジュドは多くの拠点を築いている。その拠点の大半が研究施設になっていた」
ネルギウスは一拍の間を置いた。そして、少しだけ指でテーブルを叩く動作をした。
フレデリカには彼が苛立っているように見えた。
「陛下……?」
「……あまり、語りたくない内容なのだ。だが、お前達は知らねばならぬ」
ゴクリと唾を呑み込む子供達を見つめ、ネルギウスは深く息を吐いた後に言った。
「ジュドが行っていたのは人体に纏わる研究だった。老若男女を問わず、数え切れない数の人間の標本が並べられていた。恐らくは研究所内で生まれたのであろう赤子や子供の標本までな……」
想像してしまったのだろう。フレデリカはすっかり青褪め、今にも吐き出しそうな顔をしている。
アルヴィレオは彼女を支えた。
「……フリッカ。辛いようなら、後はボクに任せてくれ」
「ううん……、ダメ。わたしはちゃんと聞かなきゃいけない。知らなきゃいけないの、ジュドを」
ジュドの過去はジュドの今でもある。彼がラグランジア王国で何をしているのか、フレデリカは知らねばならないと思った。
「重ねて言うが、お前に咎はない」
「……ない筈がありません」
瞳を揺らしながら、彼女は言った。
「わたくしが陛下と謁見したその時に打ち明けていれば、まったく違った未来があった筈です」
「いきなり打ち明けられたとしても、今のように情報を紐解けてはいない。今だからこそ、私はお前の話を信じ、その情報を真実のものと受け入れる事が出来ているのだ。加えて言えば、ジュドがラグランジアに現れるタイミングをお前は知らなかった。ゲームが教えなかったのだろう? それでは、何も変わらぬ。お前は私が何もしていなかったとでも思うのか? 策を練り、実行に移していたのだ。ジュドが現れた事を察した時も、対抗し得る最大の手を打ったのだ!」
ネルギウスは机に拳を叩きつけた。それはいつも穏やかで理性的な彼らしくない振る舞いだった。
あまりの事に呆気に取られるフレデリカに対して、ネルギウスは言った。
「重ねて言う。お前に咎はないのだ。ゲームの知識を過信するな。少し語り聞いただけでハッキリした! 明らかに情報を制限された未来の断片など、ノイズにしかならぬ。オレ様の今の策略以上の結果など、そのゲームの知識が加わった所であり得ないと心せよ!」
「……は、はぃ」
すっかり怯えてしまったフレデリカを抱き締めながら、アルヴィレオは父の変貌に戸惑いを隠せない様子だった。
その姿を見て、ネルギウスは深く息を吐いた。
「すまない。多少強く言わねば、フレデリカには届かぬと思ってな」
「も、申し訳ございません」
「良い。お前に咎がない事を分かって欲しいだけだ。これは慰めなどではない。私の本心だ。どうか、それを信じて欲しい」
「……陛下」
フレデリカの頬を伝う涙をアルヴィレオが拭う。
「……話を続けるぞ。七英雄の時代が終わり、勇者メナスが現れるまでの空白の時代だった。ジュドを追う者もいたが、討伐に至れる者はいなかった。だが、それはジュド自身の力だけが理由ではなかった」
「それはどういう事ですか?」
「時の権力者が彼を守ってしまったのだ」
「どうして……」
「彼の研究の中には、人類の利となる内容も多く含まれていた為だ」
ネルギウスは汚物を吐き出すかのような表情を浮かべて言った。
「国が表立っては到底出来ないような人の道を外れた研究を代替してくれる存在として、彼の研究と犠牲は黙認された」




