第百七十一話『ゲーム制作者』
レデリカは人払いを命じておいた部屋に入り、魔王の権能でゲートを開いた。潜り抜けた先はアガリア塔の上階にある王室用のフロアだった。
そこには既にアルヴィレオの姿があった。
「お待たせ!」
「フリッカ。ボクも着いたばかりだよ」
アルヴィレオはフレデリカを抱き締め、口づけをした。
フレデリカはそのまま、甘い時に身を委ねそうになり、慌てて飛び退いた。
「ア、アル! 今はやる事がある! そうでしょ!?」
「……ああ、その通りだ。行こうか」
「はい」
フレデリカは門を開いた。そして、王宮にある王の執務室へ足を踏み入れた。
先触れを送っていた為、ネルギウスは二人の来訪を歓迎した。
「よく来た。ラグランジアについてだったな? フレデリカよ、よくぞ秘密を明かす決断をしてくれた」
「……あの、わたくしは……、王国の未来を考えればもっと早くに……」
「いや、語るべき事以外は語るべきではない。先触れの手紙に記されていた内容を読む限り、そのゲームとやらは十中八九、未来の改変を目的として制作されている。その目的が何であれ、お前にとって都合の良い結末を選ぶ為に作られたものではないと知れ」
「み、未来の改変……」
ゲームが作られた目的。フレデリカ自身、幾度も考えて来た。
異世界として存在する世界の未来を描いたゲーム。誰が、どうやって、何のために作ったのか? その疑問の答えに、彼女は今も辿り着けずにいた。
けれど、ネルギウスは既に辿り着いていた。たった一枚の手紙に認めた、少しの情報だけで。
「考えていたのだ」
ネルギウスは言った。
「シャロンは何故、異世界に渡る事で権能の『担い手に影響を及ぼす』というデメリットを解除出来ると知っていたのか。オズワルドはシャロンの頭脳を褒めたが、その発想に至る為のピースを彼女が独力で得られたとは思えぬ」
「……先駆者が居たという事ですか?」
「恐らくな。その正体についても、少し前に手掛かりを得られている」
ネルギウスは近くのテーブルを指差した。すると、そこに魔法陣が浮かび上がり、一匹の犬の姿を投影した。
見覚えのある姿だった。
「えっ、ポチ!?」
フレデリカは思わず身を乗り出した。その犬は転生する前に友達とよく通っていたカフェのアイドル犬によく似ていた。
「知っているのか?」
「いえ……、別の子かもしれません。ただ、この犬と同じ犬を見た事がありまして……」
「いや、同一の個体だろう。この犬の名前はポチという」
「そ、そうなんですか? いや、でも……、ポチって、犬の名前としてはポピュラーと言いますか……」
「そうなのか? ならば、別個体の可能性は残るか……」
「父上、この犬が一体何だと言うのですか?」
「少し前、ジュラ・マウンテンの麓に現れた」
「ジュラ・マウンテンに!?」
フレデリカとアルヴィレオは顔を見合わせた。
ジュラ・マウンテン。またの名を氷神の山。それは四大魔境と呼ばれる、この世界の四つの禁足地の一つだ。
法で禁じられているわけではないが、その地へ迂闊に踏み込めば命を落とす。英雄クラスの力を持っている者でさえも。
それ故に、その地は魔境とも、禁足地とも呼ばれている。
「このポチという犬は、お前と同じ境遇の存在だったらしい」
その言葉と共に、ネルギウスはフレデリカを見た。
「わ、わたくしと……?」
「つまり、七大魔王の生まれ変わりだ」
「七大魔王の!?」
「……一体、誰の生まれ変わりだったのですか?」
「雷帝ザインだ」
雷帝ザイン。フレデリカはその伝承についての記憶を掘り起こした。
ザインは七大魔王の中で、唯一人型ではなかった王だと聞いている。天空城イベルナスティルを所有しており、制空権を掌握された当時の人々は彼を七大魔王の中でも最大の脅威だったと記録に残している。
「ザインは今もジュラ・マウンテンに?」
「いいや、すでにアースへ帰還している」
「アース?」
「お前の故郷の事だ」
「え?」
フレデリカは目を見開いた。
故郷。そう言われて、真っ先に浮かんだのはヴァレンタイン領だった。けれど、すぐに違うと気付いた。
アース。その言葉を彼女は前世の頃から知っていた。それは地球を意味する言葉だ。
「ち、地球に帰還!? 出来るんですか!? っていうか、え? ザインが地球に!?」
「慌てるなと言っても無理な話だとは理解しているが、それでも慌てるな。お前が望めば、アースに帰還する方法はすでに確立出来ている。帰還した後、こちらの世界に戻る事も可能だ。既に実践した者がいる」
「……往復出来るの? じゃ、じゃあ、もしかして……、お父さんとお母さんにまた……?」
「それは確約出来ない。ザインは転生して来たのではなく、恐らくは魔王の権能のゲートに近しいもので移動して来たようだからな。転生による時差については私にも分からない。もし、転生体であるポチがお前の知るポチと同一個体ならば可能性があるがな」
「そう……、ですか……」
「フリッカ!」
あまりの事に立っていられなくなった。よろけると、アルヴィレオが抱き留めてくれた。フレデリカはその腕に縋るように身を寄せた。
この世界に骨を埋める決意を決めたけれど、故郷への未練が消えたわけではない。
叶うなら、一目だけでもまた見たかった。往復すら可能となると、心の奥底に眠らせた筈の望郷の思いが目を覚ましてしまう。
零れる涙を止める事が出来ない。その姿を見て、アルヴィレオは父王に問い掛けた。
「方法は? フリッカの故郷へ行く方法を教えてください!」
「方法自体は簡単だ。ガイス・レヴァリオンと魔王の権能のゲートを使えばいい。アースを直接知る者でなければ門を繋ぐ事は出来ないが、フレデリカならば可能だろう」
「……ガイス・レヴァリオン」
最悪の事態に備える為に取得する事を命じられた勇者の奥義。
「な、ならば、ライにガイス・レヴァリオンを使ってもらえば!」
「使えるのならば、フレデリカに会得しろとなど命じはしない」
「あっ……」
アルヴィレオはハッとした様子で口を押えた。
ライは弱体化している。もはや、奥義を使えぬほどに。
だからこそ、フレデリカが会得を迫られているのだ。
「……あの、でも、ザインが地球にって……、魔王が地球に行くなんて、地球は大丈夫なんですか!?」
「ああ、問題ない」
フレデリカの不安をネルギウスは一蹴した。
「ザイン自身はそもそも人間に隔意など抱いていなかった。ただ、配下の魔獣達に求められたからこそ、人類と敵対したに過ぎない。ポチとして現れた彼は終始人類の味方として立ち回ったと聞いている」
「で、でも、どうして地球に戻ったのですか?」
「ポチという犬として転生した後、ザインには飼い主となった人間がいたそうだ。その飼い主はザインを心から愛し、ザインもまた、その飼い主を心から愛したそうだ。飼い主の方は既に老衰により死去していてな。ザインも後を追うつもりらしい。この世界に現れた時点で、犬としての寿命が差し迫っていたようだ。伸ばす手段を関わった者達が提示したそうだが、断られたらしい」
「……では、ザインは既にアースで死亡しているという事ですか」
「ああ、その通りだ。だが、いずれはこの世界に舞い戻って来るだろう」
「え?」
ネルギウスはフレデリカを見た。
「シャロンの魔王の権能は初代魔王の力を写したものであり、シャロン以外の七大魔王の魔王の権能はシャロンの力を写したもの。その事は把握しているな?」
「は、はい」
フレデリカはライからそう教わったが、アルヴィレオも驚く事なく頷いている。
「故に、シャロンが羽川 祐希という少年に転生し、さらにフレデリカ・ヴァレンタインという少女へ転生するというプロセスが他の七大魔王にも適応されている。ザインはポチという犬に転生した。そして、次はこの世界の生物として再転生する筈だ」
「え? え? えぇぇぇぇぇぇ!?」
フレデリカは素っ頓狂な声をあげた。
ザインの転生や他の七大魔王も転生の可能性があるという部分にではなく、ネルギウスが前世の名前と性別を把握していた事に衝撃を受けた。
「あっ、あ、あの……、わ、わたくしの前世のこ、事をごごご、ご存じだったのですか……?」
「パニックを起こすな。お前の前世については出会った当初から推察はしていた。その上で、アルヴィレオの婚約者として認めたのだ。まあ、お前自身が納得し、受け入れるまでに時間が掛かる事も分かっていたからな。把握している事は内密にしていた。だが、もう完全に受け入れている様子だからな。気まずい部分はあるかもしれぬが、私から特に言うべき事はない」
フレデリカはあわあわと小刻みに震えている。そんな彼女をアルヴィレオは抱き締めた。
「大丈夫だよ、フリッカ。ボクは君を愛しているし、父上もボク達の愛を認めて下さっている。君はただ、ボクを愛せばいいんだ」
「ア、アル……」
「フリッカ……」
「言うべき事はないと言ったが、今ここで愛を育めとも言っていないぞ。本題がまだなのだ。続きは学園に戻ってからにしなさい」
「は、はい!」
「……はい」
アルヴィレオは心底ガッカリした表情を浮かべた。その姿にネルギウスはやれやれと肩を竦めた。
「話を戻す。シャロンに異界への転生という閃きを与えたもの。その存在をザインは確定してくれた」
「どういう事ですか?」
「ザインがこの世界に舞い戻って来たのは、彼自身の意思によるものではなかった。飼い主を亡くして打ちひしがれていた彼を慰める為に、彼と一緒に散歩をしていた少年がいた。その少年とザインの前に、突如異界を渡る門が現れたそうだ。その門を開いた者こそがシャロンに閃きを与えた者なのだろう。そして、フレデリカよ。お前が言う、ゲームの制作者もその者である可能性が高い」
フレデリカは言葉を発する事が出来なかった。ゲームの事をアルヴィレオに明かし、ネルギウスに手紙を送ったのは昨夜の事だ。
一晩でここまで辿り着いたという事だ。その叡智はやはり計り知れない。
賢王ネルギウス・アガリア。その偉大さにフレデリカは改めて敬服した。
「問題はゲーム制作者の意図だ。ゲームという形でお前や一部の者に未来を示し、ザインをこの世界へ送り込んだ意図が分からぬ」
「父上でも分からないのですか……?」
「推察は出来るが、それだけだ」
「推察……、そのお考えをお聞かせ頂けますでしょうか?」
「あくまでも推察である事を念頭に入れて聞くのだぞ。ザインの件、彼の寿命を延ばしたかったのかもしれぬ」
「ザインの寿命を?」
「寿命が尽きる寸前だったそうだからな。その寿命を延ばす手段がアースには無く、それ故にこの世界へ引きずり込んだ可能性がある。そして、それが意図だったとすれば、その正体も推察出来る。ゲームという形で未来の情報を伝える事も、その存在であれば可能だろう」
「一体、何者なのですか!?」
アルヴィレオの問い掛けにネルギウスは一拍を置いてから答えた。
「創造神バルサーラ」
「……は?」
「え?」
それは意外どころではない答えだった。
創造神バルサーラ。それはバルサーラ教が崇める神の名前であり、このアガリア王国がある大陸の名の由来でもあった。
ただ、どうしてもゲーム制作者という点と神が結びつかず、フレデリカの思考は完全に停止していた。




