第百七十話『チームアップ』
授業が終わると、フレデリカは足早に教室を去って行った。その背中に手を振った後、エレインはレネ達にアイコンタクトを送り、自身も教室を後にした。
これから向かう先にはバラバラに向かうべきだとザイリンが言ったからだ。
彼女が足を進めた先、そこはレッドフィールド寮だった。その前に彼はいた。
「お待ちしておりました、レディ・エレイン」
「……その呼び方、気持ち悪いからやめてくれないか?」
「生憎ですが、貴女に対する呼称はこれが最も多くなりますよ。いずれは」
エレインは顔を顰めた。
「それで? この中でやるのか?」
「いいえ、違います。内容が内容ですからね、万が一にも盗聴などされない場所を用意致しました」
そう言うと、彼はエレインの手を取った。すると、エレインの視界が歪んだ。
危険を感じて飛び退くと、彼女は言葉を失った。
「……は?」
風景が一変していた。目の前に聳えていた筈の塔が姿を消し、代わりに大海原が広がっていた。
陽光が降り注いでいる。地面が緩やかに揺れている。そこは船の上だった。
「え? は!?」
それはエレインの理解を完全に超えていた。
目を白黒させる彼女に、彼は微笑んだ。
「さあ、そろそろ他の方々もいらっしゃいますよ」
「……あ、ああ」
彼が言った通り、次々に船上へ見知った顔が現れた。
ザイリン、レネ、ローゼリンデ、キャロライン、シャシャ、ルミリア、それからフレデリカとキャロラインが決闘をした時にいたバレットという名の生徒。
「あれ?」
エレインは彼の顔を見た。当たり前のように彼の下へ赴き、当たり前のように会話をした。けれど、その名前が浮かんでこない。
この場所の事どころではない。彼の存在自体が既に異常であった事に、エレインは今になって気が付いた。
「……誰だ、お前?」
浅黒い肌の中年男。まるで、浮浪者のような身嗜み。
どれだけ記憶を漁っても、男の正体に対するアンサーは返ってこない。
「え? ここどこ!?」
「だ、だれ!?」
「うそっ!? わたしが欺かれた!?」
他の面々も異常に気が付き始めたらしい。キャロラインは抜刀し、シャシャもどこからか弓を取り出して構えた。
「落ち着いてください、みなさん! ここはクリムゾンリバー号です!」
「なにそれ!?」
「海賊船です!」
「それ、安心出来るの!?」
ルミリアはこの船の事を知っているらしいが、海賊船と聞いてシャシャは余計に警戒心を跳ね上げた。
「待て! クリムゾンリバー号はウェントワース・レッドフィールドの船だぞ。なんで、そんな所に!?」
ザイリンもパニックを起こしかけている。おかげで、エレインは少し冷静になれた。
炯眼を発動する。すると、ここが見た目通りの空間ではない事が分かった。更によく見てみれば、消えたと思っていたレッドフィールド寮の塔が変わらず聳えていた。
「……幻か?」
「御名答」
拍手の音が響いた。一斉に視線が集まった先には少年がいた。
「ジョーカー。これは何の真似だ?」
口を開いたのはバレットだった。
「七大魔王のアシュリーが転生して、この学園内にいます。殿下とフレデリカ様に気付かれる前に対処する為、必要な人員をここに集めました」
「お、おい!?」
「そ、それは!!」
エレインとルミリアは慌てた。二人にとって、ジョーカーと呼ばれた彼が何者なのかは分からない。けれど、彼があまり公にしたくない事実を知っている事に気が付いたからだ。
「レディ・エレイン。レディ・ルミリア。ここにいる面々には話してしまった方がいい。この件に巻き込んだ時点で、いずれは気付かれます。加えて、レディ・シャシャとレディ・キャロラインの背後にいる方々はこの件をとうに察知しております。必要となれば、彼らが彼女達に教えるでしょう」
「えっ、それって……」
「剣聖様の事を言ってるの?」
「ええ、聞けば答えてくれると思いますよ」
「……剣聖様の事を知った風に」
殺気立つキャロラインに対して、ジョーカーは涼し気な表情を崩さない。それだけで、只者ではない事が分かる。
レネやローゼリンデなどは直接向けられたわけでもないのにすっかり青褪めてしまっている。
「……そもそも、あなたは何者ですか?」
ルミリアは油断なくジョーカーを見つめながら問いかけた。
「申し遅れました。アルヴィレオ・アガリア皇太子殿下の側近、ジョーカー・レッドフィールドと申します」
「ジョーカー。この事を殿下は……」
「もちろん、知らせていませんよ。言ったでしょう? 殿下に気付かれる前に対処すると」
「……どういうつもりなんだ?」
アルヴィレオの側近という言葉にエレイン達がざわつく中で、バレットがジョーカーに詰め寄った。
「殿下には今、ラグランジアの件に集中して頂かなければなりません。どちらも火急の要件ですが、こちらは我々で対処可能な範疇にある」
「だが……」
「バレット。わたしとしても、本当はもう少し静観する予定でした。しかし、レディ・エレインはすでにわたしと同じ情報を得ている。その上で動き出してしまった」
「最善なのか?」
「次善です。レディ・ルミリアの説得が成功していれば、それが最上でした。ですが、アルトギアが彼女に刻み付けた傷跡は大き過ぎた」
「……そうか」
ザイリン達にはチンプンカンプンな会話だろう。けれど、エレインには彼らの会話の意味が分かった。
「なあ、わたしが動いたのは間違いなのか?」
エレインがジョーカーに問う。
「いいえ、正解です。次善とは言いましたが、現状では最善でしょう。あなたが決断したおかげで、わたしも動く決断を下せました。それに、彼女の監視を行っている者から報告がありました。彼女の心は急速に崩れつつある。恐らく、権能が暴走を始めたのでしょう」
「権能が暴走? どういう意味だ?」
「権能とは、人々の想念によって紡がれるもの。大衆から、その者をそうあるべきと思われているからこそ、権能の担い手は強大な力を持ちます。しかし、権能はただ力を与えるものではありません。同時に大衆の思いを担い手に反映させようともします。強大であれば、強大であるほど、その影響は大きくなる。担い手の心が揺らげば、その影響はさらに強まり、担い手の心を塗り潰してしまう」
「……つまり、アイツの心が権能に塗りつぶされちまうって事か?」
「そういう事です。その前に対処する必要がある。あなたの迅速な判断はそういう意味で正解です。手段も悪くない。だが、あなたの想定する戦力では不足がありました。それを補う役目がわたしとバレットです」
「……キャロラインとシャシャで足りないってのか?」
揃って首を傾げていたシャシャとキャロラインはその言葉にカチンと来た様子でジョーカーを睨みつけた。
「足りません。レディ・シャシャはまだ神器を使いこなせていない。レディ・キャロラインはフレデリカ様に負ける程度の実力ですからね」
「ちょっと! 言いたい事言ってくれるじゃないの!」
「お姉さまに負けたのは事実だけど、アンタに舐めた口をきかれる筋合いはないんだけど?」
「筋合いはあるでしょう。現に、貴女はここへ連れ込まれている」
ジョーカーの言葉にキャロラインは顔を引き攣らせた。
「……わたしに何をしたの?」
「海賊王レッドフィールドは英雄にして、極悪人。その権能には他者を隷属させる力があります。なにしろ、奴隷商人という一面もありましたからね。ウェントワース・レッドフィールドには」
「海賊王の権能……」
キャロラインは嫌悪に満ちた表情を浮かべた。
権能について詳しくない者でも、他者を隷属させる力と聞いては平然としてなどいられない。
エレインやザイリン達もジョーカーに警戒の態度を取った。
「ご安心ください。我が力は殿下のもの。即ち、アガリア王国の為のもの。アガリア王国に牙を剝かぬ限り、悪意をもった行使は致しませんよ」
その言葉に嘘はない。炯眼によって、そう理解して尚もエレインは警戒心を解けなかった。
ここに来るまで、疑問を抱く事さえなかった。疑問を抱けたのは、彼が権能の力を解除したからなのだろう。
キャロラインやシャシャですら、防ぐ事が出来なかった力になど、エレイン達には対抗する術がない。
あまりにも絶対的な力だ。
「……この空間も海賊王の権能の力ってわけか?」
エレインは恐怖を押し殺しながら問いかけた。
「その通りです。レッドフィールドの逸話の中に、『おとぎの国』というものがあるのを御存じですか? とある村で、子供が一人、また一人といなくなる事件がありました。『どこにも行かないでくれ』と、大人が懇願すると、子供は言いました。『ぼくたちはおとぎの国に行くの』と。ウェントワースは麻薬を子供に与えていたのです。幻覚症状に見舞われた子供達はウェントワースの下で生きる事こそが幸福な事なのだと信じ込まされました。その逸話は権能に組み込まれ、隷属させた者を閉じ込める『おとぎの国』として能力化されました」
「……吐き気がするな」
「同感ですよ」
エレインは深く息を吐いた。そして、炯眼でジョーカーを見つめた。
「分かった」
そう言うと、彼女は手を叩いた。
「全員、こいつの事を一旦信じろ」
「信じろって言われても……」
「エレイン?」
「本気なの?」
誰も彼もがエレインの正気を疑っている。けれど、エレインは正気だった。
「こいつは隠し事をしていない。嘘もついていない。聞かれた事に答えている。内容が内容だから警戒したくなるが、だからこそ、それを包み隠さず話しているのはこいつなりの誠実さなんだろうさ」
ジョーカーは満足そうに頷いた。そして、隣に立っているバレットはエレインをマジマジと見つめている。
「ジョーカー。時間が無いんだな?」
「そうです」
「分かった。方針は? わたしの案のままでいいのか?」
「ええ、それで構いません。その為の戦力も整っています」
「分かった」
他者を隷属させる力を使ったのも、己の力についてつまびやかに語ったのも、回りくどい説明をしている暇がないという事なのだろう。
状況は切迫している。今すぐに動かなければいけない。
「シャシャ、キャロライン。お前達の力を借りたい。相手は七大魔王だ。その相手をして欲しい。ただ、殺さないで欲しい。説得がしたいんだ。頼めるか?」
「……いや、いきなり言われても」
「問答無用で拉致られた上に、なんでわたしがそんな事しないといけないの? 意味不明」
予想通りの反応だ。けれど、この二人の力は絶対に必要だ。
七大魔王の力。フレデリカの力を知るエレインには、その力の強大さがよく分かる。
彼女達の力を借りられなければ、何も果たせないまま終わってしまう。
だけど、説得する為の道具などない。金もない。だから、出来る事は一つだった。
「お願いだ、シャシャ。キャロライン」
エレインは深々と頭を下げた。
「力を貸してください」
その姿に驚いたのはシャシャとキャロラインだけではなかった。
普段の彼女をよく知る面々はもちろん、ジョーカーやバレットも目を見開いて彼女を見つめている。
「……あーあー、そういうのズルいと思うなぁ」
「真正面から頼まれちゃったら、断れないじゃん……」
頬を膨らませながら、二人はそう言った。そして、頭を下げたままのエレインはニヤリと笑みを浮かべていた。
この二人の性質をエレインはすでに掴んでいた。
交換条件を提示したり、回りくどい説得をしたり、情に訴えかけるような真似は逆効果だ。真正面から頭を下げる。そうされると、断れない。
自分がそうだから、よく分かる。頼まれたら、応えたくなるものだ。




