11 シルクス、あのね
白い壷の中で、リプロはぼんやりと外を眺める。あんなにも家がひしめいていたのに、今はまだらになっている。変わりにのどかな風景が広がっている。この田園を抜けると、海に着くと聞いた。
「退屈かい、リプロ」
対面に座るシルクスの言葉に、リプロは首を横に振った。
「ううん。こうやってじっくりと外を見るの初めてだったから、楽しいよ」
「そうか。僕もこんな遠くに来たのは初めてだから、キミと同じ気持ちだ」
そう言って、シルクスもリプロに倣って馬車の外を見つめる。その横顔を、リプロはこっそりと盗み見る。
彼の瞳に宿っていた陰はすっかりと消え去っていた。あの事件の日から、シルクスは変わった。いや、王族全員の意識が変わったようだ。
まず、バラバラに取っていた食事はせめて朝食だけでも全員揃うようになった。初めは無言の食卓だったが、少しずつ会話が増えているらしい。特に王が子供たちを気にかけるようになったと、ビュランがリプロに教えてくれた。シルクスとエングレーも不器用ながらお互いに歩み寄っているらしい。
ビュランはあの後、すぐにリプロの元へ謝罪に訪れた。頭を下げ続ける彼を、リプロは許した。正直に言えば、誘拐の恐怖は消え去ってはいない。だが、ビュランもシルクスを思っての行動だったのだ。そう考えたら、彼を恨むことなんてリプロには出来なかった。
それよりもシルクスの方がビュランに対して激しく怒っていたので、対照的にリプロの怒りがしぼんでしまったのかも知れない。
「ビュランも来れば良かったのに」
「そう、だな……」
信頼し切っていたいた分だけ、わだかまりを解消するのが難しいらしい。ビュランの方も罪悪感からか、シルクスを避けている様子だ。あれから結構な日にちが経ったのに、二人の関係はどこかよそよそしいものとなっていた。
「もういい加減許してあげなよ、シルクス」
「……分かっている」
「お城に帰ったら、今日の内にちゃんとビュランと仲直りするんだよ」
リプロが指差すと、シルクスは口をもごもごさせる。やがて小さな声で、分かったと言った。
「約束だからね、シルクス」
頷いたシルクスを見て、リプロは思う。これでもう大丈夫だ、と。
心残りは無いはずなのに、リプロの胸には小さな棘が刺さったような痛みがある。何となくその理由は分かっている。シルクスとの別れが惜しいのだ。
今日で二人は別れ、シルクスは陸で、リプロは海で生きて行く。それがたまらなく寂しい。
泣きそうになって、リプロは窓の外へと意識を集中させた。懐かしい潮の香りが鼻に届き始めていた。
いつの間にか田園畑は、一面の海景色へと姿を変えていた。馬車が止まり、行者が扉を開けに来た。
「彼女は僕が運ぶから、キミはここで待っていてくれ」
シルクスが断ると、行者はそれに従った。一応辺りを確認し、護衛の必要は無いと感じ取ったらしい。
「さ、リプロ。おいで」
シルクスが手を伸ばす。リプロはためらいがちにそれを受け取った。壷から引き上げられ、シルクスの腕の中にリプロは抱えられる。
「服、濡れちゃったね」
「構わないさ」
馬車の外の風景に、リプロは胸が詰まった。日に照らされ、水色に輝く海。打ちつける波の音。空高く舞う海鳥たち。あの緑岩もそのままの姿でリプロを迎え入れてくれた。
シルクスが砂浜を一歩ずつ進むたびに、懐かしい海が近付く。自然と彼の肩に回したリプロの腕に力がこもった。あと少し、あと少しでこの温もりが離れてしまう。
そして、波打ち際にたどり着いた。別れの時だ。
「シルクス、あのね」
感謝とか離別の言葉とか、伝えたいことは山ほどあった。が、どれもが声にならずに消え去ってしまう。
シルクスたちにはちゃんと話し合えと偉そうに言ったのに、自分の番になるとこんな様だ。本当に情けない。
何も言えないでいると、シルクスが口を開いた。
「リプロ、キミといた日々は本当に素晴らしいものだった。感謝してもしきれない」
「……うん」
頭を伏せたままでリプロは頷く。シルクスの顔が見れなかった。今見たら、きっと別れたくなくなる。
伝えなくちゃ。私もシルクスに出会えて良かったって。本当に嬉しかったって。
やがてリプロは決意した。顔を上げ、想いを言葉にする。
「シルクス、好き」
「……え?」
シルクスが固まった。無論、発言者のリプロもだった。放った言葉を脳内で反芻させると、すぐに体温が上昇した。慌ててリプロは体をよじらせて、シルクスの腕の中から逃れようとする。
「リ、リプロ。落ち着いて……わ、わわっ」
リプロの動きのせいで、シルクスは体制を崩した。結果、二人は海の中に頭ごと突っ込んだ。大きな波しぶきが上がった。
「ごめん!シルク――」
リプロの言葉は、シルクスの抱き止められたことによって遮られた。海水で冷えているはずなのに、シルクスの体は熱かった。
「僕もキミが好きだ」
強く抱きしめられる。その強さが心地良かった。リプロもシルクスの背中に腕を回した。
「私、シルクスと別れたくないよ」
一番伝えたかった言葉。それを口にした瞬間、リプロの両目から涙が溢れた。
「また、会いに来る」
シルクスが言った。
「リプロに会いに来る。すぐには無理かも知れない。だが、約束する」
「うん、私もまたシルクスと一緒に過ごしたい」
そうして、二人は自然に唇を合わせる。柔らかな感触と塩の味がした。
「人魚鉢、残しておいてね」
「あぁ、勿論だとも」
陸と海の狭間で、二人は顔を見合わせて笑い合った。
《了》
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