#7 解析
葛西が言い終わるのを待っていたかのように、間髪入れずにまた鐘の音がなった。どこにカメラがついてるんだろう? 見渡してみるけどそれらしきものは見つからない。
謎の数字を映していたモニターは、ぼん、と小さな電子音を立てて切り替わった。
『葛西杏太くんが、【天使】だと宣言したのを確認しました』
今度は女性の音声付きだった。AI特有の不自然なイントネーションが、無感情に文字を読みあげる。みんな声も上げられない。
『教室を開錠します。廊下に献花台がありますので、【天使】を飾ってください』
献花台……?
瑠伊をチラッとみると、モニターを見上げたまま眉間に皺を寄せて首を傾げている。やっぱりなかったよな?
『献花が終わり次第、全員で【天使】を二階多目的室に入室させてください』
ガチャ、と金属の音がして、桐原が開けられなかった扉が、ガラガラと音を立ててひとりでに開いた。
扉の仕組みまで、変えるのか?
本当に、出し物なんだよな?
「チッ……ねぇ、これって」
扉のすぐそばに座っていた南雲は、開いた先に何か見えたのか苛立ちのこもった声でつぶやいた。
ようやく開いた扉からわらわらと人が出ていき、南雲が見たのであろう献花台が俺の目にも入る。
「花って……これ?」
それは文化祭に向けて製作していた紙花の山だった。
南雲はメイド喫茶の装飾の全てを任されていて、限られた資材で器用にゴシック調の内装をデザインしていた。紙花もそのひとつで、生花のように美しかった。その白や黒の薔薇のような紙花に混じり、ティッシュを丸めたような不恰好なものが時折混ざっている。辛うじて南雲の元に集まった素人たちの作品に違いなかった。
「……なんで人のクラスの備品まで使うわけ? 信じらんないんだけど」
南雲キレてる。そりゃそうだよな、勝手に使われてるんだもん。
「お、これいーじゃん。葛西こっち向けよ」
ひょい、と上にあった黒い紙花を手に取ると、大塚は葛西のこめかみあたりに乱暴にねじ込んだ。
うわー、やめろよ、南雲すごい顔してるぞ。
「いててっ」
紙の根元がグシャリと潰れて、葛西の左耳の上に花が飾られた。
「ははっ、なんか葬式みてえ」
……あ。
葬式。
大塚の言葉を聞いて、全身の血が逆流しているようにぞわぞわするのを感じる。
俺も幼いころ、母さんの葬式で献花をした。
悲しくて仕方ないのに。花どころじゃない、とか思いながらも、母さんの棺をひまわり畑にしてやったら、真っ白な顔がちょっとだけ穏やかになったような気がしたんだ。
それなのになんだ、目の前の献花は。
脱がれた靴。天使。……悪趣味だ。なんでこんな企画が通ったんだろ。
瑠伊は献花には加わらずに、細い指が白くなるまでぎゅっと握りしめて拳を作っていた。嫌悪の混じった目は、たぶん俺と同じ色をしていた。瑠伊もそれを悟ったように、小さく首を横に振った。
「……バカみたい、こんなこと」
「……うん」
泣き出しそうに震える、その小さい背中をさすった。瑠伊の体温が、葛西の髪の毛の温もりを思い出させてくれる。
「見て、かんせー」
佐伯が飾った葛西を中央に連れてきて、ぐるりと一周回した。葛西はされるがままに回ると、雑に挿されていた花がひとつ床に転がった。南雲がその全てを鋭い目で睨みつけている。
「ごめんね、せっかく南雲が作ってくれたやつなのに……」
白黒の紙花まみれになっている葛西は、南雲の視線を痛いほど感じているようで陳謝した。が、顔は赤いままだった。南雲は謝罪など聞こえていないように顔色を変えない。
「ほら、早く行こうぜ、多目的室。近くでよかったなー」
誰かがそう言って、群衆は葛西を先頭に、なんとなく列になった。
多目的室は、教室を出てL字に曲がったところの突き当たりにある、教室二つ分の部屋だ。
列が動き始める。
志麻は、と思って教室を覗くと、あいつだけがまだ自分の席で突っ伏したまま動いていなかった。騒がしい足音が遠ざかっていく中、志麻の周りだけが、時間が切り取られたように重く沈黙している。
声をかけなきゃ――
「志麻くん」
俺を追い越して、瑠伊が凛とした声を上げた。
志麻は動かない。瑠伊は構わず、その冷え切った背中に歩み寄る。
「モニター、見たでしょ。全員で付き添わなきゃいけないんだって。……ねえ、今だけ協力してくれる?」
志麻の目が一瞬揺らいだように見えた。
「志麻くんも早く帰りたいでしょ。ね」
「…………」
数拍黙ってから、志麻はゆっくり顔を上げた。
前髪の隙間から覗く目は、光を一切反射していない。志麻は何も言わず、ただ重い身体を引きずるようにして立ち上がる。
「……行こう、蓮司」
瑠伊が満足げに俺の腕に手を添える。
志麻は舌打ちしてノロノロとついてきた。
先頭を行く大塚たちは、修学旅行の夜みたいに浮き足立っていた。
対照的に、最後尾を歩く俺たちの周りだけは、切り取られたように重苦しい空気が流れている。
「……なんか、変だよ。この廊下」
瑠伊が腕を掴む力が強くなる。
「うん……」
視線の先では、列の中ほどを行く南雲が、桐原の背中に隠れるようにしてぶつぶつと呪文のように文句を零していた。その横で桐原は、一度も口を開くことなく、ただ真っ直ぐ前だけを見据えて歩いている。
角を曲がった瞬間、その異様は姿を現した。
「……うわ、なにこれ」
お祭り騒ぎだったクラスメイトたちが、一人、また一人と沈黙していく。
突き当たりにある多目的室の扉。それを縁取るように、大量の白い百合が飾られていた。
造花じゃない。本物だ。
暮れの廊下に、百合特有の甘くて重い匂いが充満している。
「……これ、全部百合? どこから持ってきたんだよ」
佐伯の声が引き攣っている。
「あ、えっと……。二年二組、葛西杏太です」
扉の前に立った葛西が、場違いなほど律儀に名乗った。
その瞬間、ガラガラと重い音を立てて扉が横に滑る。
扉の向こうには、真っ黒な暗幕が垂れ下がっていた。教室の入り口というよりは、奈落への入り口のように見えた。
『【天使】の入室を確認します。葛西杏太くん、入室してください』
どこからともなく、無機質な声が静まり返った廊下に響き渡る。
葛西は一瞬だけ、こっちを振り返った。
頭に刺さった白黒の紙花が、彼の動きに合わせてカサリと乾いた音を立てる。
「じゃあ、行ってくるね」
困ったような、でもどこか誇らしげな笑みを浮かべて、葛西は暗幕の向こう側へと足を踏み入れた。
「……葛西、」
声をかけたが葛西は立ち止まらなかった。
葛西の背中が消えた瞬間に、金属が噛み合う重い音がする。
廊下には、十九人のクラスメイトと、百合の強烈な匂いだけが取り残された。
二分、三分くらい経ったのかな。
不気味なくらい何も音がしない。百合の匂いってこんなに気持ち悪かったっけ。さっきの授業では、ロマンチックだなぁとか思ったのに。
そろそろ誰かが大欠伸しそうだ、と思った頃だった。
『入室した人物を解析しています。そのまましばらくお待ちください』
そう声がするのとほとんど同じタイミングで、扉の向こうで金属音が鳴り始めた。キーンと鋭利なドリルを回すみたいな、歯医者で聞くような嫌な音だった。
「ぎゃああああっっ!?!」
一拍遅れて悲鳴がする、野太い男の声だ、葛西……じゃない? よな? 葛西の声ってもっと高くて、あんまり通らないから指示が通らなくて、だからさっきの、メイド服の時みたいなことに……いや、
いや、いや、待て、葛西だ、葛西の声だ、だめだ、葛西、葛西が、葛西がっ、
凍りつくクラスメイトにぶつかりながら、俺は多目的の扉に体当たりした。さっき教室を開けようとした力よりずっと強い力で、扉をぶち破ろうとした。びくともしない。開かないのではない。なんの手応えもない。そこにあるのは壁だ、鉄の壁。
すぐに桐原が加勢した。でも、桐原が来たところでなんとかなる気がしなかった。桐原はすぐ別の扉を探すが、多目的室に扉は一つしかない。
大きな悲鳴があったのは一回だけで、あとに続いているのはブツブツと途切れた喘ぎ苦しむ声だ。不気味な機械音に紛れて聞こえる。
何をされているのか見当もつかない。
まるで、生肉をゆっくりミシンで縫い合わせているような音が断続的にするんだ……
次の瞬間、何度も体当たりする俺に、獰猛な速さの影が降りかかろうとした。
「……っ、どけ!」
志麻だ。
最後尾にいたはずの志麻は、俺の制服をつかんで思い切り後ろに引っ張ると、廊下にあったのだろう消火器を扉に叩きつけた。耳をつんざくような金属音は、俺や桐原の体当たりよりよっぽど扉に衝撃を与えている。僅かにガタガタと音を鳴らして扉が揺らいだ。
志麻だ。俺の知ってる志麻だ……。
誰もが息をするのも忘れて志麻の後ろ姿を見ている中、俺は言いようのない高揚を感じていた。
志麻は百合の装飾がボロボロと崩れ落ちていくのを気にも留めずに、一心不乱に扉を叩きつけた。鈍い金属音のたびに、志麻の激しい呼気が漏れる。志麻の額はあっという間に汗に濡れていた。
「志麻っ、代わるからそれ貸せ!」
志麻は苦しげに細められた目で俺を一瞥すると、最後の力を振り絞ったように大きなストロークで消火器を振り翳した。その一撃が、扉を歪ませて入り口に僅かな隙間を作った。
葛西を痛めつけている音も停止する。内側にいる葛西ではない誰かが、隙間に気づいて手を止めているように。
「これ使え」
数十歩先の掃除ロッカーから、桐原が柄の長いトングを掴んで床を滑らせる。
バトンを受け取ったように志麻がトングを掴んで、隙間にトングを捩じ込んだ。志麻に押し付けられた消火器で、ウィークポイントをひたすら叩く。
「ぐ、お゛えッ……っぎ!……ぁ゛、あ、ああーっ………」
葛西の声だ。また何か始まったんだ。どんどん声の調子が落ちていく。
「葛西っ、葛西っ……! がんばれ、今助けてやるからっ……」
そうは言ったが、手汗でぬるついて消火器にうまく力が入らない。志麻は奥歯を音がなるほど噛みながらトングを握るが、隙間はそれ以上大きくならない。
「……っクソっ、開け開け開け開けっ、開けよっ! 葛西!!!」
志麻の咆哮が廊下を反響する。大塚は呆然と立ち尽くし、佐伯は腰を抜かし、南雲は隅で嘔吐している。
何もできない。手も足も出ない。
俺たちとんでもないことをしてしまったんだ。
止めてればよかったんだ、靴揃えてた時も、花飾られてたときも、この部屋に入る時も。止めてればこんなことにならなかった、葛西がこんな、ことにならなくてよかった、俺が止めてれば、止めてれば、
「おい、手止めろ」
桐原の大きな手が、俺と志麻の首根っこを掴んで扉から引き離した。
ぜえぜえ息をつきながらその場に倒れ込む。ベコベコにへこんだ消火器が床に転がっていく音の他に、あのAIの声がするのにようやく気づいた。
『解析の結果、葛西杏太くんが天使ではないことが判明しました』
それはとても事務的な報告だった。
『葛西杏太くんを返却します。全員、教室に戻ってください』
かち。と金属の音がする。おもちゃ箱が開くような頼りない音だった。
震える手でドアを横に滑らせる。重さを感じさせない、あまりにも軽い扉だ。
暗幕がかかっていて相変わらず中が見えなかった。
この暗幕を引き下ろして中を見るのが、怖い。
だけど、葛西が、まだ生きているかもしれないから。
今度こそ助けなければいけないから。
俺は固唾を飲んで、両手で思い切り暗幕を引き摺り下ろした。




