#5 圏
俺と瑠伊が教室に戻ると、みんながこっち向いてくるからぎょっとした。
いや、志麻だけは机に突っ伏してるんだけど。
「篝に会わなかった?」
佐伯が珍しく苛立ったような声を上げた。
首を横に振ったら佐伯は舌打ちして貧乏ゆすりをはじめる。
瑠伊は席につきがてら佐伯の顔を覗き込んだ。
「どうしたの?」
「電波入んねーしWi-Fiも切れてんだよ」
教室の奥から、佐伯以上に殺気立ってる大塚が吠えた。
電波か。たまにあるんだよな、二年の棟は。
「洋二郎、今日デート?」
「そ、学校終わったら連絡すんだ。篝もおせえし電波はゴミだし最悪」
俺も一応ポケットからスマホを出して机の上に置いた。
キャラクターのステッカーで埋め尽くされたケースをひっくり返すと、確かに「圏外」という文字が目に入る。
圏って字、すごい密度だな。潰れた虫に見える。
とかぼんやり考えて、指でつついてみる。
葛西は再び時計に目をやると、すっと立ち上がって言った。
「俺、準備室行って先生呼んで来るよ。電波のことも聞いてみる」
学級委員の頼もしい言葉で、殺伐としたクラスにほんの少し爽やかな風が吹く。
なのに大塚は葛西を急かすようなことを言うから、葛西は足をもつらせた。
葛西、中間管理職みたいだ。
探せば白髪、生えてそう。絶対出世して報われてほしい。
ところが葛西は扉の前で、ガタガタと扉の音を立てるだけでちっとも外に出ない。
「もたもたすんなよ」
「え、いや、なんか……開かなくて」
「はぁ?」
大塚が立ち上がると、彼を支えていた椅子がガタンと音を立てて倒れた。
教室の前扉で立ち尽くす葛西に詰め寄るって、大塚は乱暴に扉を揺らした。
俺たちは全員で見ていた。
去年の夏に改築が終わった校舎の扉は、以前と違ってかなり軽いはずだった。
「あ? なんだよこれ……おい蓮司」
「えっ、俺?」
大塚で開かないなら、俺で開くわけないけどな。と思いながら手伝った。
が、やっぱり開かない。
開かないどころか、扉が壁になってしまったようにびくともしない。
「鍵かかっちゃったってこと?」
さっき瑠伊と帰ってきたときは何の違和感もなかったし、前扉は外からしか鍵がかからない。
俺の言葉に葛西は顔を青くしている。
「まさか先生、俺たちのこと忘れて帰っちゃった……?」
「いやさすがにそれは……あはは」
誤魔化すみたいに笑ったのが余計に不安をあおったのか、葛西はそわそわ時計に視線をやった。
がたがた、と教室の後ろの扉を動かす音がする。
桐原は後方扉の内鍵に慎重な手つきで触れて、扉を動かそうとしている。
「桐原、そっち開く?」
声をかけると、桐原は落ち着いた様子でこっちを見た。
でも首は横に振られた。
「後ろ扉は外から鍵がかからない。内側からしか施錠できないはずだ」
「じゃ鍵開ければいいじゃん?」
桐原は少しだけ口元を緩めた。
が、また不穏なことを言い出した。
「いや、無理。動かないんだ、鍵」
終わった。
このクラスでいちばん力が強くて冷静な桐原が、扉を開けられないと言った。
それでようやく、俺も、クラスも、凍りついた。
「おい、マジかよ。避難訓練ってマジだったんじゃないの?」
佐伯は椅子に腰かけたままスマホを机に叩きつける。
いつものへらへらした調子ではない。
窓際の志麻も顔を上げて扉を見ていた。
でもその顔は、みんなのような苛立ちや不安とは種類が違うように思えた。
なんだ、あの顔。
怒ってるわけでも、怯えているわけでもない。
ただ切羽詰まったような目。
ボン、という機械音が鳴って、教室の上に吊られたモニターが突然起動した。
「ぎゃあああっ」
思わずそばにいた葛西に抱きつくと、葛西も咄嗟に俺の腕をつかんでくる。
モニターはほんのわずかな機械音を出しながら、西日のオレンジ色を上書きするように真っ白に発光している。
モニターのリモコンは職員室で管理されてるはずだ。
じゃ、誰かがスイッチ押したってこと?
んなわけない。あんな高いところにあるんだから。
Bluetooth的な? それ、電波もWi-Fiもなくて使えんの?
推論が飛び交っている間も、志麻は目を見開いて、起動された真っ白なモニターを凝視している。
さっき、教科書の文字に取り憑かれてしまったのと同じように、志麻の目は画鋲が刺さったようにモニターから動かない。
カーン、と鐘をつくような音とともに、モニターに文字が浮かんだ。
日本の鐘の音じゃないな。軽くてきれいな、高い音。
『二年二組のみなさん』
突如モニターに映し出された白い文字は、繊細なフォントで柔らかい。
でも背景が黒いせいか不穏な雰囲気が漂っている。
なんとなく目が離せなかった。
それは俺だけじゃない。
二十人いるクラスメイト全員が、吸い込まれるようにモニターを見ていた。
『みなさんの中に一人だけ、【天使】が紛れ込んでいます』
天使……?
漫画、絵本、外国の宗教。
俺たちの生活にかかわることがない、おとぎ話みたいな響き。
笑いが起きてもおかしくなかったが、誰も何も言い出さなかった。
『【天使】は名乗り出て、教卓に起立して【自らが天使である】と宣言してください』
なんだそれ。教卓?
『【天使】を捧げられないときは、【試練】を完遂してください
【試練】を完遂できないときは、【悪魔】を選出してください』
『【天使】を発見した場合、または、100ポイントに到達した場合、全員が救済されます』
なにそれ。
……なにそれ?
全員が読んだことを確認したかのように、誰かが口を開く前に画面が切り替わる。
真っ黒な背景に『0/100』とだけ表示され、それ以降、画面は切り替わらなくなった。
俺の腕をつかみ続けていた葛西が、ふいに顔を上げる。
時計は16時1分を差していた。
「……もしかして、文化祭のかな?」
俺にしか聞こえないような小さい声で、葛西はそうつぶやいた。
「文化祭?」
あ、やべ、思ったよりでかい声出た。
クラスの注目が集まって、葛西はバツの悪そうな顔をする。
「えーっと……文化祭の出し物で、あるんじゃない? こういうの……と思って」
「こういうのって?」
教室の一番うしろに座っている大塚から投げかけられた言葉に、葛西は多少声を張って言った。
「八組が脱出ゲームをやるんだけど、デモをしたいから、放課後に教室を貸してほしいって、この前生徒会で言われたんだ……」
「それでお前、この教室貸したの?」
苛立った声で言い返されて、葛西はまた身体を縮めた。
大塚と葛西は同じ野球部とは思えない。
「ん……でも、人も貸すなんて言ってない。それに今日じゃなくて、水曜日くらいだったはず。時間は……16時くらいから、だったから……きっと、なにか間違いがあって……」
「くらい、くらいって。はっきりしろよ。俺たちの教室だろ。勝手に貸すなよ」
ドン、と大塚の足が机の脚を蹴る。
やめなよ明良、と瑠伊が振り返ってなだめると、大塚は舌打ちをしてそっぽを向いた。
ナイス、瑠伊。
でも確かに、葛西が言ったことは、電波の不通も、教室の閉鎖も、全部きれいに説明しているように思えた。
「ま、なんかの手違いだろ。付き合ってやろーよ、面白そうじゃん」
葛西の肩をもみながら、何の気なしに、そう言った。




