#4 赤虫
志麻の逆鱗に触れてしまう蓮司。
すっかり意気消沈する蓮司を、瑠伊は慰める。
「志麻」
一点を見つめたまま、魂が抜けてしまったように呆然としている志麻の肩を叩いた。
志麻の肩は篝の手に触れられようとした時と同じように僅かに動いたが、俺だとわかるとすぐに手を弾き返した。
「触んな」
志麻の声には、葛西を威圧していた時のような鋭さも勢いもなかった。
ほらな、変だろやっぱり、どう考えても。
「なー志麻、腹減んない? ダッシュで売店行こーぜ、今ならまだ空いてんだろ」
へらへら笑いながらそう言うと、志麻の瞳が僅かに揺れる。
信じられないものを見るような目だ。
手振り払われるくらいじゃ、もう驚かないけど。
その目ちょっと傷つくかも。
「種類はあんまりないんだけどさー。売店、コンビニの下位互換だから! あはは」
志麻の目の冷たい光が怒りと憎しみの炎に変わっていくのが分かる。
分かっちゃいる。
「まーでも俺のおすすめはカツサンドですかねぇ」
喋りながら記憶を辿る。志麻の好きなもの。志麻の好きなもの。
あ、甘いもの。
こいつ夏祭りで買ったかき氷、かけ放題だからってシロップかけまくって氷ほとんど溶かしてた。
「あ! 志麻にはホイップサンドがいいかなぁ、チョコスプレーみたいなのがいっぱい入ってて……」
早口で喋っていた舌が突然止まってしまったのは、左頬に強烈な殴打を受けたから。
遅れて口の中に血の味が広がる。
「いって……ぁ、ごめ……」
派手に尻もちついたまま、ぶれる視界に志麻を探した。
てめえ何してんだ、と怒鳴る大塚を佐伯がなだめてる。
蓮司、って悲痛な声あげて瑠伊が駆け寄ってくる。
その全部がスローモーションみたい。
でも志麻は? 志麻の顔が見たい。
瑠伊に背中をさすられながら顔を上げる。
志麻が立っている。肩で息をしている。
教室の窓からは西陽が差していて、こんなに近くにいる志麻の顔がよく見えない。
「…………」
志麻は何か言い出しそうで何も言わない。
次の瞬間には扉をピシャリと閉めて飛び出していってしまった。
「バカだねぇ、蓮司って」
俺の痛ましさに耐えられなかったのか、瑠伊が手を引いて購買に連れて行ってくれることになった。
バカ、と無邪気な笑顔で言われて胸が一層えぐられる。
こういう時の瑠伊は遠慮がない。
「志麻くんゴコロを分かってないよね蓮司は。幼馴染なんだっけ? それって蓮司だけが思ってたりして」
「ちげーよ」
言い返したけど口にしてみると、本当に違うのかな、よくわかんなくなってきた。
あんまり暗い顔してたのか、瑠伊はぎょっとしたような顔をして背中をばしばし叩いてくる。
「もうっ、冗談だよ。はいはい、蓮司の好きないちごオレ買ってあげるから元気出して」
ところがさらに悪いことに、購買はシャッターが閉まっていてもぬけの殻だった。
神様なんていないんだ、と思う。泣けてくる。
瑠伊はついてないなーと笑いながら、購買に隣接されている自動販売機に小銭を入れた。
白い指に握られた栗色の上品なレザーの小銭入れが、あどけない瑠伊の顔に似合わず浮いている。
「ね、こっちにも同じの売ってるからさ。自販機は二十円高いけどね。僕もほら、内部生だから」
授業中の大塚の言葉を借りて、瑠伊はくすくす笑う。
しょぼくれたままの顔で頭を下げた。
「……あざっす、上級国民サマ」
「うん、くるしゅーないよ」
はい、飲みなさい、と言いながら強引にストローを口に突っ込んでくる。
眉を八の字にしたまま喉を鳴らした。
あー、うまいよ。うまいんだけどさ。なんかしょっぱいよ。
瑠伊は呆れたように笑ってる。
ほんとに人たらしだな、瑠伊って。
「蓮司、元気出して。僕も志麻くんに悪いことしちゃった、って思ってる。恥ずかしい思いさせちゃったかなって……でも蒸し返したら志麻くんのことまた傷つけちゃうでしょ。そっとしておいてあげたらいいんだよ。そういう時ってあるでしょ」
あるのかな、俺はないからわかんない。
どんどん志麻が遠くに感じる。
志麻が何考えてるか当てるの、特技だったのにな。
「いつから仲良かったの? 蓮司と志麻くん」
「小一……家が近所で。ノリも一緒で……」
「ノリ? 蓮司と志麻くんが?」
瑠伊は目を丸くして言った。
「っそーだよ、わかんないよな? あいつ俺より……ってことはないかもしれないけど、騒がしかったんだよっ」
力説すると瑠伊はおかしそうに笑った。
「あは、今も騒がしいといえば騒がしいけど」
「いや、ほんと全然違ったんだって。明るくて、正義感強くて、……」
話しているうちに、殴られた頬がヒリヒリ痛む。
いてえな。初めて志麻に殴られた。スーパーヒーローの志麻に。
それだけで自分がとんでもなく悪いことをしてしまったんじゃないかって気になる。
その半分、あのかわいいガキ大将と俺を殴ってきたあの男が同じ志麻とは到底思えない、という気持ちも確かにある。
「なんか恩でもあるの?」
「恩……? 別にないよ、ただすっごい友達で、俺、自分の結婚式では志麻にスピーチしてもらうんだって決めてんだよ」
「あははっ、なにそれっ、独りよがりっ」
「ぐさ。ぐさぐさ」
胸に手を当ててよろけた。瑠伊はケタケタと笑ってる。
なんだよ、志麻にも許可取ってるし! ……いやでも、なんか、やってくれるとは、到底思えない……。
瑠伊は涙をぬぐって立ち上がると、俺の背中に回ってぎゅっと抱きしめてくれた。
肩甲骨のあたりに、瑠伊の暖かい息遣いを感じる。
瑠伊は精一杯の体重をかけてるんだろうけど、ちょっと動いただけで吹っ飛んじゃいそうな軽さだ。
うわーあったけえ、やわらけえ、石鹸の匂いする。
「だいじょーぶだよ、蓮司。志麻くんはそっとしておいてあげよ。ね」
勘違い。独りよがり。
瑠伊にそう言われると、確かになぁって気がしてくる。
何より今の志麻の目が、それを物語ってる。あーあ。あーあ……
「ちょっと、蓮司? ……わー泣いてる!」
いつのまにかぼろぼろ出てきた涙を見て瑠伊は飛び上がった。
俺の手に紙パックを握らせて、柔らかいハンドタオルで涙をせっせと拭いてくれた。
「よしよし。はいこれ、全部飲んで。あ、でも! ひとくちちょうだい」
俺の返事を待たずに、瑠伊は俺の手の中にある紙パックに顔だけ近づけ、ちゅうっと音を立てて本当に一口だけいちごオレを飲んだ。
あざといな。別に断るつもりはなかったけど。
「わー甘いっ、よくこんなに甘いの飲むよね。あ、いちごオレの赤さって、古本とかにいる赤虫をすり潰したのが原料らしいよ」
「え!? 最悪! 最悪!! もう飲めないんだけど!!」
キャハハと嬉しそうな声を出して、瑠伊は軽やかに階段を駆け上がっていく。
瑠伊は階段の窓から差す西日の光を浴びて眩しく輝いている。
顔は見えないけど笑ってるのがわかる。
あー、なんか神々しい。
一瞬だけ足を止めて、ぼんやり瑠伊を眺めていた。
「蓮司、ほら!チャイムなっちゃう!先生きちゃうよ、いそごっ」
瑠伊の声に導かれて、またひとくちストローを啜った。
こんなに美味しいのにな。
何も知らずにおいしいって、笑ってたかったよ。
次話より不穏な展開が続きます。
明日のお昼頃更新予定です。




