↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/34

#3 夢十夜

担任の眠たい眠たい授業。

「死んだ女に百年待てと言われて、待つ」これは愛か?


ところが指名された志麻の様子がなんだかおかしくてーー?

篝《かがり》の授業は眠くなる。みんな言っていることだ。

先生の声は子守歌みたいに穏やかだし、寝ている生徒を起こさないし。午後だし。

だからって、開始一分ですでに突っ伏している志麻は流石に怒られるんじゃないかな。


でもよく見ると教科書は出ているしノートも出ている。

しかも多分――板書を写している形跡もある。

なんなんだよこいつ。


「では復習は、あらすじだけを簡単に。堺くん」

「えっ、はいっっ」


やべ、志麻のノートなんか見てる場合じゃなかった。

とりあえず頭にある記憶を瞬時に結びつけた。


「はい。主人公が盗みを働いた結果虎になってしまう悲劇です」


クラスの反応的に、たぶん俺は、結構間違えた。

頭のいいやつらはにこりとも笑っていなくてなんか怖い。

志麻の後ろに座っている瑠伊が俺のことおかしそうに振り返って見てる。


先生は眉を八の字にして、おやおや、と穏やかな調子で言った。


「それは『羅生門』と、『山月記』を合わせたようなあらすじだね。どちらの話ももう読み終えたはずだよ。……では清水くん、正解を」

「はい、先生」


先生に名前を呼ばれた瑠伊は目を輝かせて立ち上がった。

瑠伊は国語が得意らしくいつも国語だけはクラスで一番を取る。

まぁ、他の教科も5本の指には入るんだけど。


「『夢十夜』の『第一夜』は、死ぬ間際の女の人が、男の人に『百年待っていてください。必ず会いに来ますから』と約束するお話です。男の人は、女の人の墓のそばで、ただひたすらに百年待つんです。……自分を置いて死んだはずの相手が、いつか『何か』に姿を変えて、自分を救いに来てくれるのを信じて」


瑠伊の言葉を聞いてなんとなく2日前の授業を思い出す。

たしか、男の夢の中の話なんだよな。


それにしても百年待つって、夢とはいえ男気がすげえよな。

決めたことは最後までやり遂げるのが男ってもんだろ。

改めて考えると感心してしまい、教科書をぺらぺらと見直した。


「うん、そうだね。前回はみんなにコメントシートを書いてもらいました。返却するから取りに来るように」


先生は一人ずつ名前を読み上げて、コメントシートを返却していく。

A4の裏紙を四等分にしたお粗末な紙だ。

赤ペン一つの書き込みも、確認印の一つもされていないものを渡された。

先生ほんとに見たのかな?


最後に呼ばれた志麻は、すぐに顔を上げて紙を取りに行った。

先生は志麻にだけ何か耳打ちをしたが、志麻は表情を変えずに先に戻っていく。


何話してたんだろ。寝てたの怒られたのかな。


「女に百年待っていてと言われる。そして百年待つ。これをみんながどう読んだのか、非常に多様な読み方があり個性がありました。まず葛西くん」

「はい」


葛西は凛とした声で答えてすっと立ち上がる。

当てられることが分かっていたように落ち着いている。


「僕は、この物語を永遠の愛の証明と捉えました。愛する者の言葉を信じ抜き、困難を乗り越えて約束を果たす男の愛を、女は受け取り、自分も愛を示したのだと考えました」

「男にとっては約束を果たすことが愛であり、それに応えるのが女の愛だと。素晴らしい。この題材の主題を余すことなく捉えているね」

「はっはい」


篝から評価を得た葛西は顔を赤くして俯きがちに座った。

そわそわしてる。かわいーな。


「では南雲くん」


名前を呼ばれた南雲は、忙しなく前髪を触りながら慌てて立ち上がる。

ぎょろっとした目をキョロキョロさせて、明らかに気が動転している様子だ。


「君はどう解釈したのかな?」

「あっ……はい、えっと。僕は……こ、この物語は、愛の物語じゃないと思いました。自己犠牲の狂気です。到底不可能な難題を押し付けられて身を滅ぼす男の異常性が、この物語の本質だと読みました」


南雲は声を裏返して早口で話し終えた。

えーっ、愛じゃないの? 葛西の言ってることの方がなんとなく共感できるけど。

でも南雲の言う狂気ってのも、確かに分かるな。百年だもんな。


「確かに百年、死んだ女の言葉に囚われて待ち続けている男の姿は狂気的にも見えるね。桐原くんはどう?」


お、桐原。

恋愛とか興味なさそうな男が愛語るのってちょっとドキドキする。


桐原は彼は音も立てずに立ち上がり、手元の紙も見ずにまっすぐな目で先生を射抜いて話し始めた。


「男は百年待ちますが、それは男の意志ではない。待つ側に選択肢はなく、一度背負った『約束』は、たとえ自分がどうなろうと守らなければならない鎖のようなものだと考えました」


うーん? むずいな……

大塚は退屈そうに大あくびをした。


「メンヘラな女に捕まって悦に入ってるってことだろ? キモいわー。ホラーだろ」


大塚の横入れにクラスの一部は沸いたが、先生は大塚の発言をバカにしなかった。


「……ホラーか。面白いね。確かに、死者に百年縛り付けられるのは、見方によっては恐怖そのものだ」


先生は手に持っていたチョークを教卓にとんとんと軽く打ち付け、クラス全体を見渡した。

その目はやはり、笑っているのかただ細められているだけなのか判別がつかない。


「いいかい、大塚くん。学校の授業という枠組みの中では、私たちは便宜上『正解』や『不正解』という線引きをして、君たちの成績をつけなければならない。けれど本来、読書という行為にそのような境界線はないんだよ」


篝は黒板に『自由』と小さく書き記した。


「作者の意図がどうあれ、読んだ君がどう感じ、どう嫌悪し、どう震えたか……その誰にも侵されない自由な『読み』があってはじめて、本はただの紙の束から『物語』に変わるんだ。だから君の、『キモい』という感想も、この教室においては立派な答えの一つだよ」


そう言われると、大塚はヘラヘラした笑顔を消して照れくさそうに頭を掻いた。

俺も拍手する勢いで、教卓の先生を見上げていた。


篝ちゃん、何考えてるのかわからなくてうっすら怖いけど、生徒のことちゃんと見てくれるから好き。


「佐伯くんは? 君も面白いことを書いていたね」


当てられた佐伯は、えー、俺? とか言いながらもったいぶったように立ち上がる。


「自分はこの物語の主題を、死によって完成される美しさだと考えました。百年という非現実的な時間を、一瞬に変えてしまうレトリック。これがこの話の本質じゃないかと」


……こいつ、さっきまでこそこそ隠れて彼女にラインしてたくせに!

てかレトリックって誰?


「うん、面白いね。死によって完成される美。そういった退廃的な美しさも、創作であることよってこうして楽しむことができる。現実に起こっていたら、そうはいっていないだろうけどね」


先生はふふ、と小さく鼻を鳴らした。

これは流石に笑ってる……よな?

それからまたトントンとチョークで教卓を叩いた。


「では清水くん。君の意見を聞かせてくれるかな」

「はい、先生」


瑠伊は声を上擦らせて立ち上がる。

現代文の時の瑠伊を見てると、天才子役の演技を思い出すんだよな、なぜか。


「百合になって咲くことでしか、女は愛を証明できなかった。彼女にとって、消えることはいちばんの幸せだったんじゃないかな、と思います。待たせていた人の傍で、綺麗なまま終われたんだから」


先生は少し黙った。


「それはつまり、彼女にとって死こそが幸福だったと、そういうことかな」


死こそが幸福。そんなの小説の一節だとしてもゾッとする。

たぶん俺は、今後の人生でどんなことを経験したとしても、理解できないと思う。


斜め前にいる瑠伊を見上げた。

普段のカワウソみたいな人懐っこい顔が少しだけ大人っぽくなっているような気がした。


「はい、そうです」


瑠伊は何の躊躇いもなく、口元に微笑みをたたえたまま答えた。

とん、とん、とチョークが机をつつく音だけが響く。


うわ。嫌な沈黙。流石に間違いだったのかな。


そんなに長い時間じゃないはずなのに、瑠伊と先生の我慢比べみたいに感じる。

俺こういうの耐えられない、あと五秒待ったらなんか言おう、


「なるほどね、清水くんの読みはいつも興味深い」


先生が視線を落とした瞬間、俺は肺に溜まっていた息を、音を立てないように吐き出した。


なんだこれ、心臓に悪い。

瑠伊も瑠伊だ、あんなにニコニコしながら「死ぬのが幸せ」なんて、よく言えるよな。


先生は慈しむような、それでいて突き放したような手つきで、指先で摘んでいたチョークを置いた。

瑠伊は満足げに笑って静かに座る。

先生が教科書を閉じる気配は、まだない。


「では志麻くん、君の解釈を聞かせてもらおう」


志麻の名前が呼ばれて、一度弛緩したクラスの空気が再び張り詰めるのを感じた。


志麻は一番前の窓側、クラス全員の目が集まる場所で、ずっと突っ伏している。

先生のことを無視するかもしれない。

悪態をつくかもしれない。

先程の葛西とのやりとりが、クラスメイトの頭を一斉によぎっていた。


志麻はのろのろと顔を上げた。

前を向いているから表情まではちゃんと見えない。


「……わかりません」


志麻は小さい、しかし芯のある声で確かにそう言った。


「分からない。この話の内容が、かい?」


先生は教卓に開いた教科書を細い指で撫でながらそう言った。


「……いいえ」


志麻がそれ以上何も答えようとしないので、先生は問い詰めなかった。


「では質問を変えよう。志麻くん、教科書の三十八頁を開いて……みんなもね」


弾かれたように教科書をめくる。

志麻も視界の片隅で、ゆっくりとページを開いている。


「男は百年の時を待ち続けるが、なにせ百年だ、時間の感覚も曖昧になり、女に騙されたのではという気になってしまう」


こつ、こつ、と革靴の音を鳴らして、先生は机間を蛇行する。


「ではその場面に続く四行目から。読んでくれ、志麻くん」

「…………」


志麻は教科書に目を落としてわずかな時間黙った。

それから一度だけ長い瞬きをして、澄んだ声で読み始めた。


「すると石の下から斜に自分の方は向いて青い茎が伸びて来た。見る間に長くなってちょうど自分の胸のあたりまで来て留まった。……」


先程まで寝ていたと思えない流暢な読みだった。

小学生の頃はだいぶ高かった志麻の声は、知らない間に掠れた苦味のある声になった。

会えてなかった間、志麻の声はどうやって変わっていったんだろ。

ずっと一緒だったのに、なんで志麻はいなくなっちゃったんだろ。


暴君の清廉な読みに、誰もが聞き入っていた時だった。


「と思うと、すらりと揺ぐ茎の頂に、心持首を傾けていた細長い一輪の蕾が、ふっくらと弁を開いた。……、……ま、っ真白な百合が鼻の先で骨に徹えるほど、……匂った」


志麻の読みがつかえはじめた。


「……そこへ遥の上から、ぽたりと露が落ちたので……花は、自分の重みでふらふらと、動いた」


どうしたんだろう。声が震えている気がする。

顔を上げて志麻を見上げた。

志麻の顔が青ざめている。……なんだ?


コツ、コツ、という秒針のような先生の足音が、志麻を急かしているようだった。


「自分は首を前へ出して、冷たい露の滴る、白い、花弁に、……、…………」


オルゴールのゼンマイが止まってしまったように、志麻はゆっくり調子を落として、完全に言い淀んでしまった。

その目は一点、教科書にあるはずなのに、教科書を見てなどいない。

もっと奥にある何かを見つけてしまったような目だ。


瑠伊が、助け船を出すように腰をそっと上げて志麻に囁いた。

それはひどく甘く、親切な声だった。


「せっぷん、って読むんだよ」


接吻。

もちろん俺には読めない漢字が教科書に書かれている。

瑠伊の言うとおり、志麻は漢字が読めずに硬直してしまっているようにも見えた。


「……あんなにイキってんのにこんなんも読めないの? あいつ童貞?」


隣の席に座る佐伯が、教科書で口元を隠しながら俺に耳打ちする。

それには答えず、声を顰めて佐伯に囁き返す。


「……せっぷんって何なの?」


佐伯はククっと押し殺したような笑いを喉の奥で鳴らした。


「バカだねー蓮司。キスだよ、キス。見ろよあの固まり方、中学生かよ」

「き…………」


キス? って日本語で接吻って言うんだ?

志麻とそういう話したことないからわかんないけど……でも。


志麻の顔は赤らむどころか、血が抜けたみたいな白さだ。

人間っていうより、生気のない蝋人形みたいに見える。


それに志麻の手が震えている。

教科書に爪を立てて、今にも落としそうになっているのを必死に耐えている。


目が泳いでるんじゃない。視点は一点、教科書の、もっともっと奥を見ているのに、ガタガタ揺れてるんだ。


恥ずかしいだけで、こんなふうになるのか?


「志麻……?」


思わず名前を呼んでしまったのを大塚のしゃがれた笑い声が遮った。


「っはは、志麻ぁ、キスシーン読めないんだ? お前そのキャラで童貞丸出しなのかわいーな」


散々な言われようだ。

教卓の前に座っている葛西が嫌そうな顔をして大塚のことを振り返る。


違う、やめろよと言おうとしたのに、大塚の言葉につられて起こる嘲笑にかき消されてしまう。


志麻は聞こえていないように一点を見つめたままだ。

どうしちゃったんだよ志麻。


その時。視界の端で、黒い影が揺れた。

篝先生だ。

同時にふわりと、重たい匂いが鼻をついた。

先生からいつも漂うタバコの匂い。

焦げたような苦味の奥に、ねっとりとへばりつくようなバニラの甘い匂いを漂わせ、先生はゆっくり志麻の前に立った。


「……無理に読まなくていいよ、志麻くん。続きは僕が読もう。座りなさい」


先生の声は、いつもより優しかった。

けれど、その指先が志麻の肩に触れようとした瞬間、志麻の身体が弾かれたように小さく跳ねたのを、俺は見逃さなかった。


志麻は身体を吊っていた透明な糸が切れてしまったように、すとんと椅子に座る。

志麻の顔が見たい。どんな顔してるんだろう。


しかし視界を遮るように、先生の影がまた教室を蛇行する。

そして志麻が読むことができなかった続きを、低い、甘さの張り付く声で読み上げた。


「自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花弁に接吻した」


先生の声。いつも聞いている声と同じだ。何にも変わらない。

なのになんで今日は、誰も寝ていないんだろう……。


「自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。『百年はもう来ていたんだな』とこの時始めて気がついた」


先生は読み終えるとパタンと音を立てて教科書を閉じた。

先生の足音は教室の後ろで止まった。

クラスを見渡しているような沈黙。俺は息をするのも忘れていた。


先生が何か言いかけたのか、わずかに息を吸う音が聞こえた。

ちょうどそれをかき消すように、チャイムの音が鳴る。

聞きなれた音が、教室を支配していた奇妙な夢を解いてくれる。


「あーねみぃ!」


大塚は教科書を投げ出して大きく伸びをした。

隣の佐伯は筆箱のジッパーを開けて片付け始めている。

葛西もノートの上にシャーペンを置いた。


「おや、もうこんな時間か」


先生は黒板の上に提げられている時計を見上げると、小さく息をついた。


そしてバタバタと授業を終えていくクラスの中で、先生と目が合った。

先生は口元を緩めて微笑んだように見えた。

俺の不安を見ぬいて、和らげるみたいに。

見間違いかな。でもちょっと救われた。

先生なら本当に見抜いててくれるかも。


「堺くん、盗人も虎も出てこないということは思い出せたかな。復習を怠らないように」


げ。


「はい、すんません……」


ふふ、と、チョークをケースにしまいながら、先生は声を出した。

それからいつもの調子で言った。


「……ああ、葛西くん、文化祭の衣装は配り終わったかな? 段ボールは校舎裏に捨てておいてくれるかな。……では終わろう。コメントシートはノートに貼っておきなさい。十分後には帰りのホームルームをするから、皆それまでには着席しているように。……日直、号令」

  

起立、気をつけ、礼。教室に喧騒が戻った。

先生があくびをしながら教室を出ていく。


それでもまだ、俺の時計は止まったままだった。

完全に言い淀んでしまった志麻。

次回更新は本日19時前後を予定しています。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。