#2 乖離
そんなわけで、俺はふざけた格好のまま、志麻に二階から突き落とされそうになっているってわけだ。
「……し、しま、マジで死ぬ……」
ぐいっと教室の方に引っ張られてつんのめたところで、ぱっと志麻の手が離れた。
無様に転がりそうになるのを耐えると、志麻は涼しい顔してふいと顔を背けた。
今のだって志麻なりの悪ふざけなんだって思いたいけど、正直、目の前の志麻は何を考えているのかよくわからない。
心臓がばくばく跳ねて、体中にぐるぐる血が巡っていくのが分かった。
「蓮司関係ないでしょ、ひどいことしないでよ」
葛西もやめときゃいいのに。
こういうとき真面目なやつって損だよな。
志麻は案の定こめかみに青筋浮かせてまた葛西に詰め寄ろうとするから、俺は今度こそ冗談抜きで止めた。
「落ち着けって」
志麻の白い手首をつかもうとすると、志麻は奥歯をぎりっと音をたてて避けた。
「なあ、どしたの? 何でそんな怒ってんの」
志麻の殺気に気圧されて葛西に聞いてしまった。
「志麻くんのメイド服ね、注文、間に合わなくて……。転入してきたの、二週間前でしょ。注文した時は転校生が来るなんて、先生言ってなかったんだ。知ってたら頼んでたよっ」
「え……」
メイド服? が、手元にないから、怒ってるってこと? 志麻が?
「んなことどーでもいい」
志麻は掠れた声で再び葛西を威圧する。
冷たく言い放たれてひるみながらも、葛西は負けじと反論した。
「俺、志麻くんのだけないのはまずいからって、先生に追加注文頼んだんだよ。そしたらみんなのを発注した業者じゃもう本番に間に合わなくて……でも、似たようなのを最速で届けてくれるところを、先生が見つけてくれてね。それ頼んだんだよっ」
「それは本番までには届くってこと?」
「そうだよ! ……でも志麻くん、みんなと違うのが、嫌みたいで……」
「は?」
ドン、とまた嫌な音が鳴る。
今度は志麻が倒れたままの机を蹴り飛ばした音だった。
「おい志麻……」
志麻は一拍黙って、それから唸るみたいに言った。
「何で一人で白いメイド服なんて着なきゃいけねーんだよ。気色悪ぃ。死ね」
俺を睨みつける志麻の目がギラギラしてる。
クラスの奴らは全員黙って志麻を見ている。
あーなんか言わなきゃ。
俺が無理やり口角を上げようとすると、志麻は舌打ちして顔をそむけた。
結局何も言えないでいると葛西がまごまごと口を開く。
「……じゃ、俺のと交換しよ? 俺は色なんてどうでも……」
「自己犠牲? 偉いねぇ学級委員サマは。いらねーよ、俺文化祭は休むんで」
吐き捨てるように言って、志麻は窓際の一番前の席に帰っていく。
その席も、何日か前の席替えで、葛西に圧をかけて志麻が手に入れた席だった。
葛西は肩をすくめて俺の方を見た。
もはや葛西ですら、志麻を腫れもののように感じている様子だった。
瑠伊は心配そうな、不安そうな顔でこちらを見ているし、大塚と佐伯はくすくす笑って、たぶん志麻の悪口を言っている。
あー、何でこんなことになってんだろ。
誤解をときたいのに、チャイムが鳴って教室の空気が一度に解れる。
何事もなかったように、おしゃべりしながらメイド服をロッカーに押し込んで、現文の支度をしはじめている。
志麻は死んでるみたいに動かない。
じっくり目をこらさないと、息をしているかどうかもわからない。
文化祭、一緒に回ろうよ志麻。
隣のクラスは射的だってよ、お前すごい強かったじゃんか。
そうやって誘ったら、当たり前だろ、インチキな景品だって落としてやるよ、って、昔みたいに笑って欲しい。
志麻が転入してきたときは、こんな偶然ないって思ったのに。
ようやく会えたと思ったのにな。
今の志麻はクラスの奴らにも、先生にも、俺にも敵意みたいなものをむき出しにして、ずっと何かに怒ってる。
志麻にかける言葉を探すのに、正解がひとつも見つからない。
チャイムが鳴って10分が過ぎたころ、ようやくガラガラと扉が滑る音がして、背を屈めた篝先生が現れた。
それだけでふわっと甘い煙の匂いがする。
先生はガリガリってわけでもないのに、筋っぽくてやつれているので年取った猫みたいだ。
まだそこまでおじさんじゃないはずだけどなあ。
慌ててロッカーから現文の教科書とノートを引っこ抜いて座った。
「お待たせしたね。職員室で少し捕まってしまって」
先生は教卓に荷物を下ろしながらすまなそうに言った。
荷物といっても、くたびれた教科書が一冊と使い込んだ革製のチョークケースが一つ、あとは小さな紙の束だけだ。
教室には大きなモニターもプロジェクターも設置されているのに、先生だけは一切使わなかった。
「せんせー、また準備室でタバコ吸ってたのバレたんでしょー」
佐伯が後ろの席から囃すと、先生は寝癖のついた癖毛をバツが悪そうにかいた。
「はは、今回は違うよ。後夜祭で使う花火が届いたとかで、担当の先生に引き継いでいてね」
「花火ーっ?」
思わず弾かれたように声に出すと、先生は顔を上げて俺の方を見た。
「うん。……ああ、堺くんは見たことがないよね。この学校は三年に一度、文化祭で花火をあげるんだよ。僕も3年前、着任したてだったから驚いたな。伝統校だから、嫌がりそうじゃないか、そういうの」
「外部生は知らないかー。これだからスポーツ推薦はなぁ」
大塚はニヤニヤしながら得意げに言う。でもそこでムキになる俺ではない。
「ははーっ、内部生さま、お詳しいことで!」
プライドもへったくれもない声で言うと、大塚は満足そうにふんぞりかえっている。
「そういう選民的な意識はよくないよ、大塚くん。さ、授業をはじめよう。テスト範囲が終わらなければ、花火も見られないぞ」
先生はそう言うと教科書を開いた。
授業は夏目漱石の『夢十夜』から、第一夜を題材としていた。




