#31 ピアス
バスケ部の部室は、今年入った中等部のマネージャー、森くんが綺麗にしてくれたおかげで、何がどこにあるのか蓮司にもわかるようになっていた。
去年まで乱雑に放って置かれてさいた洗濯済みのタオルは、折り目正しく畳まれている。
森くんありがとう。
蓮司は柔らかく真っ白なタオルを傷だらけの志麻の背中に押しつけた。
「志麻」
「ん?」
志麻は少しだけ振り返ってくれた。
「志麻もバスケ部、入れば?」
「…………無理」
「なんで?」
「毎日練習あんのダルい」
「だって暇だろ。俺毎日部活だし」
「……。無理。バイトとかしたい」
「バイトぉ? 何すんの」
「わかんないけど、コンビニとか」
「ムカつく客に舌打ちしたらだめなんだよ」
「じゃあマックとか」
「お前、スマイルあげられないだろ」
「キッチンなら平気」
「不器用なのに〜?」
「うるせえな、お前も無理だろっ」
あははと笑いながら、押さえていたタオルを志麻から離す。タオルにはまばらに血が滲んでいる。志麻に見えないように咄嗟に畳んで、綺麗な面をまた押しつけた。
みんな大した傷はつけなかったが、ペナルティを恐れて力む奴もいた。
南雲がつけた傷が一番痛々しかった。傷は深くないけれど、志麻の仙骨の傷を延ばすみたいにつけられていたから。
「……じゃあ部活は一緒じゃなくてもいいからさ。オフの日は遊ぼうよ」
タオルの上から、痛くないくらいの強さで志麻の背を撫でた。
キモい、とか言われるかなと思ったのに、志麻が小さく、うん、とか言うから。
志麻、とまた呼ぶと、志麻は素直に俺の方を振り返った。
志麻の真っ白な肌は透明で、いなくなっちゃいそうで。
血だらけのタオルを胸と背の間に挟んで、俺たちはまたキスをした。
あー。俺こんなことしてる。志麻と。
遠慮がちに動く舌を絡めとる。志麻は時折目を薄く開けて、何か確認するような顔をした。
顔色をうかがっているように見えた。
「大丈夫だよ」
そう言うと志麻は小さく頷いて、また目を閉じた。
薄い胸元に腕を回す。細く長い指が重なり、ぎゅっと掴まれた。
痛いくらいに力がこもっているのに、志麻は絶対に俺を突き放そうとはしなかった。
「……ん、っ……」
息が切れて唇が離れる。
志麻は潤んだ目で俺を見上げたまま、小さく肩で息をしていた。その細い首筋から視線を滑らせた先に、赤い小さな傷跡が見えた。
右の耳たぶ。
さっき俺が針で弾いて、自分の耳とお揃いにした傷。
「……しま」
吸い寄せられるように、そこへ顔を近づけた。
志麻はびくと身体を強張らせて、顎を引いて逃げようとしたけれど、志麻の腕ごとぎゅっと抱いて固定すると、それ以上は抵抗しなくなった。
熱をもった唇で、そっとその傷跡を食む。
ちゅ、と小さく湿った音を立てて、小さな傷口を吸い上げた。
「っ、ぁ…………蓮司、……」
志麻の喉から、掠れた声が漏れる。
痛いのか、くすぐったいのか、志麻は小さく身体を捩りながら俺の左肩に頬を擦り付けている。
やっぱ耳弱いんだ。
かわい。
唇を離して志麻のことを覗き込む。
耳の裏まで、みるみるうちに熱くなって赤く染まった。
俺は志麻の耳たぶを親指と人差し指でそっと挟み、逃げられないようにしながら、何度も、何度も、慈しむようにその傷を唇で啄んだ。
自分の右耳の同じ場所も、じくじくと熱をもちはじめた。
志麻は心も身体も傷だらけだ。
志麻の親父に。教団の奴らに。クラスメイトにつけられた傷。
その全部が憎くて仕方ない。
俺の、俺の宝物に何してくれてんの。
でもこれは違う。この傷は俺がつけた傷。
他の誰でもない、俺がつけたやつ。
誰にも渡さないし、誰にも触らせない。
志麻の傷。
志麻は腰が抜けたみたいにどんどん立てなくなって、背中を俺に預けて腕の中にすっぽり収まった。
それでも俺は、志麻の耳たぶを離さなかった。
「んんっ……ぅうう……っ」
指先で耳の傷を弾くだけでも、志麻の声は甘い響きをもち始めている。
「……痛い?」
低く囁きながら、今度は傷口の周りを舌の先でゆっくりと愛撫するように舐め上げる。
志麻は俺の腕を掴んだまま、小さく頭を振った。
「これは?」
志麻の耳の傷をがりっと噛んだ。
「ん゛っ……」
志麻の爪が腕にめり込む。
逃げようとする志麻を足で絡め取って、傷の上に舌を押し付けた。
少し傷が広がったのか、鉄の味がする。
ぐちゅぐちゅ音を立てて、傷を舐めた。
志麻の傷。俺の傷。
この血に混ざっていやがるんだ、志麻を汚した奴らの穢れが。
全部吸い取ってやりたい。
「つ……れんじっ…………」
志麻は明確に抵抗を始めた。
イヤイヤする子供のように首を力無く振っている。手足は俺を押し除けようとしている。
なんで?
唇を離すと目が合った。
志麻はどこか潤んだ目で俺を見上げていた。
「蓮司……」
「…………嫌?」
志麻は答えないで、のろのろ体を起こして俺に向き合った。
「ううん。嫌じゃない」
「……じゃあなに」
志麻の黒い瞳は夜の海みたいに穏やかで深い色。
俺の胸の奥の、どす黒く渦巻いているヘドロまで飲み込まれそう。
直視できなくなって下を見た。
志麻の白い首にかぶりついた。
「んあっ……! っは、……ぁっ……!」
じゃあ何、志麻。
嫌じゃないなら何。
軽蔑した?
怖かった?
失望?
なに。
されるがままになっていた志麻の長い指が、俺の髪をすいていた。
一つ、二つ、志麻の首に赤い痕がついていくたびに、視界がどんどんぶれていく。
わかってる、わかってるよ。
俺がほしいのは志麻の傷じゃない。
志麻についた18人分の傷を消すことも、志麻が親父や信者たちにされてたことをなかったことにすることも、本当は俺にはできないよ。
だから悔しいんだよ、
そう言いたくて、言葉が出てこないから、何度も何度もキスをして、気づいたら肩で息をしながら嗚咽していた。
志麻はあやすみたいに頭をぽんぽんと叩いた。
「……しま、しま……」
「はいはい。でっかい赤ちゃん」
小さく笑ってる志麻。
こいつは昔からこう。
自分も泣き虫なくせに、俺が泣くとすぐこうだ。
志麻の手がわしゃわしゃと犬を撫でるみたいに、俺の襟足を撫でた。
「チャラくなったよなぁ。色気づいちゃって」
「…………」
……。なにこいつ……。
「髪も染めてるし。コーチ怒んねーの」
「…………。結果出せばいいってタイプ……」
「ふーん?」
「……なんだよ、いいだろ……」
それから志麻は俺の右の耳たぶに手を伸ばした。
むず痒い。ちょっと痛い。
「バイト先が禁止じゃなかったら、俺も開けてやるよ」
「はぁ?」
「ピアスだよ」
そう言うと志麻はぐいと体を起こして、俺の耳に軽い音を立ててキスをして。
「蓮司が開けてな」
志麻のニカっとした笑顔。
俺のヒーロー。俺の太陽。
「絶対こっから出してやるから」
志麻をきつく抱きしめながら言うと、志麻は照れくさそうに、うん、と頷いた。




