#24 ロッカー
誰も志麻に話しかけないのは、今に始まったことじゃない。
こそこそ聞こえる噂話だって、閉じ込められる前からのことだ。
でも今が一番許せない。
志麻にこんなことを強いるこいつら。
こいつら全員許さない。
「……行こ、志麻」
クラスのど真ん中に立ってる志麻の手を再び掴んだ。
ほっそ。なにこれ。
無意識のうちに力が入ってたのに気づいて慌てて緩めた。
じゃないと折れちゃいそうだ。
志麻の細さにすらイライラした。
志麻は怪訝そうな顔をしたが振り払うことはしなかった。
「どこ行くんだよ」
教室の扉を塞ぐみたいに大塚が立ちはだかった。
大塚にしては静かな声だ。いつもの虚勢もない、ふざけた調子もない。
まっすぐ俺の目を射抜いてくる。
「お前らと一緒に過ごせない」
俺の声はひっくり返りそうなくらい震えていた。
大塚の肩越しに佐伯が笑ってる。
「ははっ何それ? 俺らだってそんな野蛮なやつと過ごすのこえーわ」
「ざけんなって」
「うーわ、こえー顔。蓮司そのうち詐欺とか引っかかるんじゃない?」
俺は二歩で佐伯にたどり着いて、右手で佐伯をぶん殴った。
たぶん生まれて初めて本気で人を殴った。
力が強い自覚があったから、これまで誰のことも本気で殴ったりしなかった。
佐伯は思ったより遠くに飛んで、なんにもできないで突っ立ってる連中に突っ込んで倒れた。
さよなら、2の2の王子様。
俺今怒ってるから。
あとで謝るから、たぶん。でも今は無理。
「落ち着けよ蓮司」
大塚は一歩前に出た。
いつもみたいに怒鳴ってくれたら、こっちもキレられるのに。
大塚の声は変に穏やかで、手出したからにはもう引かない、っていう決意が滲んでる。
大塚は間違ったこともたくさんするけど、きっぱりしててかっこいいな、ああ俺、こいつのこういうところが好きなのにな。
「……何で一人傷つけんのが平気なの。俺は無理」
「じゃあお前血飲めたのかよ。みんなで仲良く飲もうぜって、誰のことも傷つけなかったのか」
「…………」
「冷静になれよ。そいつは今、自分がしたこと白状しただけだろ。それだけだろーが。別に死なねーだろそいつは」
「…………」
「瑠伊が言ったこと思い出せや」
「無理!」
志麻の手を引っ張って。
奥歯噛み締める大塚を振り切って。
「それでも無理! 無理無理!!」
みんな嫌い。
分かってくれない大塚もムカつくことばっかり言ってくる佐伯も、論破してくる瑠伊も。
見てるだけの桐原もだ。何が警察官の息子だよタコ。
そのまま教室を飛び出した。
瑠伊が俺の名前を呼ぶ声が聞こえる。
捕まえろよ! と誰かが叫んでる。これは南雲かな。
バカが、捕まるもんかよ。
な、志麻!
「っざけんな、もっと端寄れよ」
「おいっ、静かにしろよ馬鹿っ」
俺たちは結局、漫画みたいにカッコよく逃げ切ることができなくて、埃臭い掃除ロッカーにぎゅうぎゅうになって隠れていた。
黙ってついてきていた志麻だったけど、もうすっかり機嫌を悪くして舌打ちをしている。
二人で立ってると顔が近くなりすぎるから、志麻はしゃがんで俺は立っていた。
こうしていると昨夜のことが思い出されてすごい嫌なんだけど。
でももう今さら体勢を変えられないくらい、俺たちはぎゅうぎゅうに詰まっていた。
志麻の体やっぱり細い。
何してたんだろ、この空白の時間。志麻がいなくなった時、志麻に何かが起きたんだと思ってすっごい心配したけど、その何かがなんなのかなんて、考えたことなかったな。
そういう俺の浅はかさが、志麻は嫌なんかな。
「……馬鹿だろ、こんなとこ入るなんて。もっと他にあっただろ」
志麻は呆れたみたいにため息をついた。
「仕方ねーだろ、咄嗟だったんだから」
「考えないからこんなことになるんだろ」
「うるせーわ。もう考えても意味ねーよ。……考えても俺、間違えるし」
昨日閉じ込められてから、もう何回間違えた選択をしてしまったかわからない。
俺の直感は、いつも俺のこと助けてくれてると思ったのに。そうでもないんだなって、気づいたよ。
「…………」
志麻は何にも言わなかった。
暗くてどんな顔してるのか分かんない。
……まだ怒ってるよな。
俺、志麻にちゃんと謝らなきゃ。
「……志麻」
「しっ」
ぴしゃりと言われて凍りつく。
外でパタパタと軽い足音がする。
「蓮司!……蓮司、いないの……?」
小さい声がする。迷子になっちゃった子供みたいな、切実な声。
絶対瑠伊だ。
息を殺すだけじゃ瑠伊には気づかれそうで、口を手で覆った。
足音が止まって、少しずつ、迷うように近づいてくる。
やべ。気づかれたかな。
「……れんじ?」
「…………」
「僕だよ。……ねえ……志麻くんも一緒なんだよね? 何もしないよ、他に誰もいない。だから出てきてっ、話したい……」
「…………、」
ばれてるのかな……ハッタリかな。
外を覗くと、僅かに廊下の照明を受けて瑠伊のシルエットがぼんやり浮かんでいた。
でも顔は教室の中央を向いていて、掃除ロッカーの方は見ていない。
何の返事も返ってこないのを確認すると、瑠伊は小さなため息をついて、両手の指を組んだ。何かに祈っているような仕草だ。
「……蓮司、ごめんね。……僕ひどいこと言った。蓮司が志麻くんのこと大事なの、よく、わかってたのに……」
唾を飲み込む。
瑠伊の言う通り、俺は志麻じゃないやつが悪魔に選ばれてたら、こんなことまでしていなかった。
瑠伊は許しを乞うみたいに声を絞り出した。
「明良たちのこと止めなくて、ごめん。……でも、間違ったことを言ったとは、思ってない。何が最善なのか、僕にもわかんない……」
瑠伊とは何度か喧嘩したけど、いつも俺が幼稚なせいで、俺の方から謝って終わるんだ。
こんなに必死になって謝ってる瑠伊の声、初めて聞いた。
心臓がドキドキいってる。
ロッカーの扉に手のひらをくっつけた。
押せば開く。爪を立ててコンと音を出すだけで、瑠伊に応えてやれる。
でも。今はごめん。瑠伊。
「僕たち……大事な友達でしょ。ねえ……蓮司。出てきてよ。……蓮司。バカな顔見せてよ、寂しいよっ……ねえ……」
大事な友達だよ。
そうだよ。
瑠伊はいつも大切なこと教えてくれる大事な友達だよ。
ビー玉みたいな瑠伊の目。
たまに、何にも映してないみたいに見えるんだ。
瑠伊は俺だけに見えてる幽霊かなんかだと思うくらい、透き通ってて、そこには本当はいないみたいな感覚に、なる時があるんだ。
なんとも思ってこなかったけど。今はそれが、ちょっと怖いんだ。
瑠伊のすすり泣きが聞こえた。声を殺しながら、しゃくりあげて泣いていた。
影だけでも見ているのがつらくて、ロッカーの隙間から目を逸らした。
足元の志麻はぴくりとも動かずにじっとしていた。
俺を見上げているのか、時折視線も感じる。
「瑠伊、そっちいた?」
別の声が遠くから聞こえた。たぶん佐伯の声だ。だいぶ苛立っている。
バレてる? やばくね?
頭が一瞬でフル回転する。緊張で指が一本も動かない。
瑠伊は鼻を啜って、深呼吸をして、いつもの明るい声を振り絞った。
「ううん、誰もいない」
ごく、と喉が唾を飲み込んだ。
瑠伊はぺしぺし頬を叩くと、廊下の方にくるりと翻って「こっちには誰もいないよ、戻るね」と佐伯に向かって言った。
そしてそのまま佐伯のところへ、行く、と思ったのに、
一歩。また一歩。
瑠伊はロッカーに近づいてきて、
「ね、蓮司」
隙間から瑠伊の影が間近に見えた。
暗闇で見えないはずなのに、瑠伊の目が猫みたいに細められて、唇が三日月みたいな形になって、笑っているのが、よく分かった。
いつもふざけてる時みたいに。いや。違うかも。それよりもっと、なんていうか。
「うまく逃げなよっ」
瑠伊は小声でそう言い残して、軽い足音を立てて教室を出た。
瑠伊の足音が聞こえなくなっても、俺たちはしばらく固まっていた。
ハッとしたように動いたのは志麻の方だった。
「こんなとこ出るぞ」
「……ん、うん」
俺たちはそっと音を立てずにロッカーを出て、校舎を出て、雨のなか体育館に向かった。




