#22 悪魔
あー。寝坊だ。反省文だ。
めんどくさいな。
寮母さんいい人なんだよな。
困らせちゃうのやだな。
朝ごはん食べない代わりに夕飯いっぱい食べます。
ごめんなさい。
だいぶ寝ちゃった。
目開けるのやだな。眩しいんだもん。
目の奥ツーンって痛くなるし。
寝てちゃだめかな。だめか。
コーチにチクられたら終わりだし。
目を開ける。LEDのつんとした照明。
うわ、やっぱり眩しい。目の奥がツーンとなる。
何時ですか、今。
あれ、教室じゃあないですか。
時計。教卓。見上げたら、あれ。
志麻が立ってる。
おい何してんの。お前。志麻ぁ。
そんなとこ立っちゃだめだよ。怒られるって。
目立ちたがり屋かよ。
何してんの志麻。なんて顔してんの。
志麻。……しま?
俺さっき志麻になんかしなかった。
両手にはっきり残ってる、この嫌な痺れは何。
俺はこの手で志麻になんかしなかったか。
バキバキと音を立てて、志麻の首の骨が砕けていく感触。を、手のひらに、
「蓮司……!! ぁ、うわっ……」
顔を覗き込んできた瑠伊を突き飛ばして、志麻の足元に飛びついた。
志麻はぎょっとしたような顔をしているが、その場を動こうとしない。
「いい、ぃ、い、生きてる? しま??」
ひっくり返った声が情けなく震えてる。
佐伯が鼻で笑ってる。
「……蓮司、今大事なことしてんだから下がってろ」
大塚がそんなことを言って、俺の襟の後ろを引っ張って志麻から引き剥がした。さっき倒れていたはずなのにすごい力だ。
ぐっと空気が詰まったような声が漏れながら、体が後ろに持っていかれる。
あんまり力が入らない。
志麻がめくった袖から、血の滲んだ絆創膏がちらりと見えた。
血を抜かれたのは夢じゃないんだ。ちらりと自分の腕に目をやると、針の跡に同じように絆創膏が貼られている。
じゃあ志麻の首は?
はっとして見上げるが、白く細い首には何の跡もない。
志麻は俺を見下ろしながら目を細めて、薄い唇を開きかけた。
何。何、なに、コイツなんか良くないこと言う。
胸騒ぎがして一歩前に出ようとしたら、今度は瑠伊が腕を掴んだ。
「止めないであげて」
「……は?」
瑠伊は俺と目が合うとギュッと身体をこわばらせた。
それでも負けじと唇を噛んで、正義感のある子供みたいな顔で吠えた。
「志麻くんはみんなを助けてくれるんだよ」
「何言ってんの?」
「……蓮司、倒れたでしょ。覚えてる? 長いこと寝てたんだよ。……その間に新しい試練が出されたんだ、でも到底僕たちにできるものじゃなかった。……天使だって誰も名乗り出ない。……それで……」
「何」
それで何。だから何。
助けてくれるって何。
天使を捧げられなければ試練、だろ。
それに失敗したら誰かが罰、だろ。
それに志麻が選ばれたってこと。
言葉に詰まって黙っている瑠伊の詰襟を、鷲掴みにして持ち上げた。
ちょっと引き上げただけで瑠伊は不恰好に爪先立ちになった。
瑠伊の大きな瞳に涙の膜が張っているのがわかる。
「……ごめんね、蓮司……」
「だから何のことだって!!」
「悪魔だよ」
頭の上から冷たい声が降ってくる。
昔の甲高さを失って、叫び疲れたみたいに掠れてる。
天使を捧げろ。
天使を捧げられなければ試練を。
試練を達成できなければ悪魔を捧げろ。
悪魔。
手のひらから力が抜けて、瑠伊が床に足をついてよろめいた。
教室は静まり返ったままで、誰も驚いていない。
頭痛い。
「……誰が志麻を悪魔にしようっつったの? くだらねー噂話こそこそ言い合ってたやつら??」
誰の目も見ずに吐き捨てたら、何人かが唾を飲み込んだ。
瑠伊は半歩前に出て俺の顔をじっと見た。
「……志麻くんが言い出したんだよ、自分で」
「は? だからって……一人に押し付けるなんて人のすることじゃないだろ。全員で……」
「出た課題は、全員で採取した血液を飲み干すこと、だよ。そんなのできるわけない」
瑠伊の声はもう震えていなかった。
「……じゃあ、俺がやる、その悪魔とかいうやつ。いいだろ」
クラスの真ん中に向かって言うと、何人かは眉を顰めた。大塚は笑っていたし、佐伯は呆れたような顔をしていた。
「だめだよ蓮司」
瑠伊は聞いたことのない低い声で言った。
刺すみたいな声だ。
さっき涙を浮かべていたのも、神様がどうこう言って取り乱していたのも、嘘みたいに。
「蓮司は今、逃げたいだけ。親友を傷つけることから」
「……当たり前だろ、そんなの……」
瑠伊のこの感じ、知ってる。
篝ちゃんの授業で、死ぬことが幸せだって言い放った時とおんなじだ。
頭一個ぶんくらい小さい瑠伊は、俺のことを怒りも笑いもしないでじっと見つめている。
「蓮司が悪魔になったとして。今度は志麻くんが、蓮司を悪魔にするっていうナイフを、握らなくちゃいけないんだよ? それともさ。今ここでもし違う人が選ばれていたら、君はうなだれながらも受け入れたんじゃない?」
「……それは……」
「蓮司」
瑠伊の手が伸びてくる。
なんとなく、首を絞められるんじゃないかと身構えた。
瑠伊は両手で俺の頬をそっと包んだ。
瑠伊の手はすごく冷たかった。
「君がしてることって、命の選別だよ。それを無自覚でやってる君が怖い」
無自覚。
「それに志麻くんは、安心してるんだよ。悪魔に選ばれることが、クラスメイトをーー蓮司を傷つけることから逃げられる、唯一の方法なんだもん」
瑠伊の言葉を理解できるより前に、志麻と目が合った。
志麻は笑っているのか目を細めているだけなのか、わからない。
なんとなく篝ちゃんの目を思い出した。
そうなの、志麻。嬉しいの。どうなの。
「僕も志麻くんが羨ましいよ」
瑠伊が小さく呟いたのが、志麻に聞こえたのか、たまたまか、志麻は口の端を少しだけあげて笑った。
その得意そうな笑い方が懐かしかった。
「まぁそういうことだから。止めんなよ」
志麻はそう言うと、黙って立ち尽くしているクラスメイトを見渡した。
そして小さく息を吸い込んで、声を張り上げて言い放った。
「私、志麻惟久は、身命を賭して、皆様の悪魔になることを宣言します」
志麻が言い終えるのを待っていたように、不気味な鐘の音が鳴った。
『志麻惟久くんが、悪魔として選出されたことを確認しました』
待ってよ。意味わかんない。
わかんない。わかんないよ。
『悪魔は、クラスメイトに打ち明けていない罪を3つ告白してください』




