#21 結婚式
小五の六月、蓮司の一番上の兄ちゃんが結婚した。
蓮司は、パパがデジカメで撮った手ブレだらけの写真の中からマシなのを抜き取って、部屋いっぱいに並べていた。
「この日、すっげえ土砂降りでー。でもな! 兄ちゃんとカナちゃんが外出てきたとたんに、ぱーーーっ!! って晴れてえ! ほら!!」
大袈裟な身振り手振りで、蓮司は俺の前に一枚のとっておきの写真を突きつけた。
おしゃれなスーツ着た、パパそっくりの兄ちゃん。
かっこいいじゃん。いつもおしゃれだけど、こういうちゃんとした格好してるの見ると、ドキッとするな。
その隣に、優しそうな、ドレス着た女の人。この人と結婚したんだ。
「見て? 虹!!」
蓮司は写真の表面に触れないようにしながらも鼻息を荒くして空の方を指差した。
目を凝らすと、言われてみればわずかに空の色が変わっているところがある。
「これ? 見えねーよ」
そう言うと蓮司は、ええーっと不服そうに声をあげて写真を食い入るように見た。
「まぁ確かに分かりづらいかな? ほんとに、あったんだよー。綺麗な虹。そのあとまた土砂降りだったんだけど」
「ふーん。……はは、端っこパパの指入っちゃってんじゃん」
「え」
蓮司は慌てて角っこを確認すると、あからさまに眉毛をハの字にした。
「もったいな! まーでも、プロの写真? が夏にはできるんだって! ビデオもあるって! 絶対見せるからな」
蓮司はあんなに大事そうにしていた写真をテーブルの上にぽいっと投げて、俺の肩を組んだ。
「そこまで興味ねーよ」
「いや見せるっ、感動したから!」
「はー?」
「全部は見なくていい! 俺さっ、志麻に見てほしいとこあんだよ」
「何。ケーキ切るやつ?」
「ちがうよっ、スピーチだよスピーチ! 兄ちゃんの親友がスピーチしてて……」「あははっ、そういうのは知らない人が見ても意味ないの」
「だから聞けってば。スピーチはな、一番仲良いやつかやることになってるんだよ。兄ちゃんの親友は大学の同級生で〜〜〜」
親友なぁ。
「ふーん。そうなんだ」
「俺が結婚する時はさぁ、志麻がスピーチしてくれるよな!?」
「はは! あたりまえだろ。俺のは蓮司がしろよな」
「もっちろーん。何言うか考えとこーっ」
はえーよ、と笑いながら、テーブルの写真を拾い上げてもう一度覗き込んだ。
蓮司の兄ちゃん。
背が高くて筋肉質で、暑苦しくて、ちょっと日焼けしてる。
蓮司もこうなんのかな。
どんな大人になるの、蓮司って。
俺はどんな風になるの。結婚すんの、女と。
家庭持つの?
家? 家、家……
蓮司んちみたいな家がいいな。
……なんか違うか。
蓮司、蓮司みたいな……うーん。そうだなぁ。
「あんたたち! ポテチ触った手で写真触んないでよねっ?」
げ、やべ。パパの声。
あわてて写真を放る。
「ほら! もうご飯にするから片付けて!」
リビングからほのかにカレーの匂いが漂っていた。それだけで頬が綻んだんだ。
1700。
ヤブ医者もどきだけは冷や汗かいてぶつぶつ文句を言ってるが、一巡目と違って、俺たちはかなりおとなしく血を抜き取られている。
蓮司は食い入るように、真っ赤なチューブを眺めている。
お前のいう通りだよ。
好きだったよ、パパのカレー。
クラスの奴らが確実にAとBに分断されても、自分だけ這いつくばって、曇った顔でこっちを覗き込んできた蓮司の姿を思い出す。
地獄がどこにあるかも知らないくせに、何か分かろうと必死になりやがって。
手のひらに感じた蓮司の体温も、後ろから抱き止められた時に感じた鼓動も。
その、正しさを押し付けてくる感じも。
お前だけ変わんないままだ。身体がでかくなっただけで。
なぁ蓮司。
お前は俺のことまだオトモダチだと思えんの。
シアワセ育ちのお前にそんな覚悟あんの。
蓮司は、ぶっ壊された葛西に引き摺られてる大男に、あっさりカレーを食わせてやった。
そうだよな。それがお前だよな。
お前は誰にでもそういうことするんだよな。
そういうのがムカつくんだって。
そういうのじゃもう俺、助かんないんだって。
なんで俺ばっかりこんな思いしなくちゃいけないんだよ。
なんでお前は昔の俺ばっかり押し付けてくるんだよ?
モニターの数字が2300を超えている。
もうヤブ医者野郎も吐いてぶっ倒れていて、残っているのは俺と、大男と、蓮司だけ。
蓮司の顔色はどんどん悪くなっていた。
失血によるものだけではない。
水分不足。寝不足。強いストレス。
血の気を失った唇がわずかに動いていた。
何かしきりに呟いているのに、日本語の形になる前にぼろぼろ溢れているようで全く聞き取れない。
お前は何見てるの。
2500。
教室は太陽を失っている。
苛立ちと興奮で殺気立っている。
2700。
動悸がする。
幼い蓮司がケタケタ笑ってる声が遠くで聞こえる気がする。
いつも華々しい友達に囲まれて笑ってる蓮司。
蓮司はそのままでいてよ。
お前は何にも知らずに笑っててよ。
お前までおかしくなっちゃったら、これから俺はどうやって生きていけばいいの。
蓮司の顔が青い。
熱だってろくに出したことないようなお前なのに。
蓮司を助けなきゃ。このまま続けさせたらこいつ、失血して、笑うどころか――
2800。
自分の腕に入ってるチューブを引っ張って針を抜いた。
腕から血が流れている。手が震えている。
試練とか、どうでもいい。誰かが罰を受ければいい。
蓮司に手を伸ばそうとした。それなのに力が入らない。
自分の両目が、勝手に凝視する、おかしくなっていく蓮司を。
2900。
間違いなく今、蓮司の中心にいるのは俺だ。
俺が蓮司の中心にいるんだ。
俺を傷つけたことで一生の傷を負ってるんだ。
蓮司はどこまで壊れてくれるの。俺が死んでって言ったら死んでくれるの。
モニターの数字が3000を超えた。
大男が自分のチューブを引っこ抜いて床に落とした。
それなのにモニターの数字は止まらなかった。
虚ろな目をした蓮司が、バケツに溜まっていく血を見続けている。
止めなきゃいけない。
止めなきゃいけないのか?
蓮司は降りてきてくれるの、俺のところまで。
3020。
結婚がどう、親友がどう、スピーチがどうとか熱弁してる蓮司を見て、あの時思ったんだ。
一生一緒にいるなら蓮司がいいなって。
あの時の俺に教えてやるよ。
俺は、差し伸べてくれた蓮司の手を踏みつけて、蓮司の心ごと壊したんだよ。
ああ、怖いぐらい醜い。
なんでだかわかる?
俺の血は、俺のものじゃないんだよ。
俺の中には、俺じゃない奴がたくさん住んでるんだ。
俺が一生一緒に生きてかなきゃいけないのは、この人たちなんだよ。
それで、蓮司が生きていかなきゃいけないのは……
「志麻!!」
叱りつけるような太い声が降ってきて、びくっと体が縮こまった。
パパ? ではなかった。
大男が、信じられないというような顔でこちらを見ていた。
そしてすぐに蓮司の腕から針を抜いて床に叩きつけた。
5ポイント。
モニターが18/100に切り替わる。
びしっ、とチューブが床に落ちる軽い音がする。
蓮司が大男にもたれかかるみたいに倒れ込んだ。
太くなった蓮司の腕からとろとろ、一筋血が流れている。
血。蓮司の血の味。パパの血でできた蓮司の血。俺の血、俺の血はね。……
嘘。嘘。全部嘘だよ
笑って蓮司。嫌わないで。俺を愛して。




