#19 デシリットル
用意されていた採血用の器具は、8つだった。横に並んだ四つの机が向かい合わせに並べられている。
個人ごとに交換が必要な針などは全員分揃っていたが、同時にできるのは8人まで、ということらしい。
俺と志麻は二週目に回った。佐伯は自分の近くにいた者から着席させていく。
最後に座った大塚だけが、佐伯のことを睨んでいる。
「お前嘘こけよ、失敗したらマジで殺すからな」
「ははっ、嘘じゃねーし。それにほら、俺保健委員だし?」
佐伯はきゅ、とリボンでも巻くかのような手つきでチューブを巻いた。
「順番にまわりますからね〜」
呑気なものだ。佐伯は器具に併せて置かれていた説明書を軽く読むと、あーはいはいと頷きながら一人ずつ針を刺していった。
針についた透明のチューブが、みるみるうちに赤黒くなっていく。チューブの先には馴染みのない機械を通して大きなバケツに流れ着くようになっていて、ちょろちょろと音を立てて血がバケツに溜まっていった。モニターには採血の量が映し出されている。
「うーわ。本当に出てる。きも」
乾いた笑みを浮かべて、佐伯は二人目の採血にとりかかる。
はじめは順調だった。確かに血が採取されていく。
三人目、四人目と進んでいくにつれ、佐伯の指先が震え始めた。
チューブを伝う赤黒い液体が、混ざり合ってバケツに溜まっていく。
誰もができるだけ直視しないようにしていたが、最前線にいる佐伯は生々しく、肌で感じているはずだった。何度も刺し間違える。
刺し間違えたところから血が滲んでいく。佐伯の指先は汗と、誰ともわからない血でぬめりはじめていた。
五人目。六人目。佐伯の手つきはどんどん乱暴になっていた。
「痛えよっお前ちゃんとやれって……」
血を抜かれながら文句を言われると、佐伯は顔に張り付けている笑みをこわばらせた。
「は? うっせえよ。お前が動くからだろが」
そう言う声すら震えている。7人目の大塚に辿り着いた頃、1人目はもう真っ白な顔をして採血に耐えている。
素人に刺された針で数百ミリの血を抜かれるんだ。痛くないはずがなかった。
最後の一人は瑠伊だ。
佐伯は少しだけ安心したような顔をして、机に左手をつきながら瑠伊の前のチューブを手に取った。
「あーあ、みんな怖い顔してさ。やんなっちゃうよな??」
いつもの調子で瑠伊の顔を覗き込んで、佐伯は瑠伊の細い左腕にチューブを巻く。
瑠伊は瞬きしないで、じっと腕を見つめている。
バケツの中の7人分の血は、500mlを超えていた。
511、512、513
目まぐるしく変わっていくモニターの数字を、俺はぼんやり見つめていた。
10のまとまりを、10回で100。それを10回くりかえして1000。
リットル。ミリリットルとデシリットル。
算数。先生に何回聞いてもおぼえられなかったこと。小テストのやり直し。志麻がこっそりえんぴつで、机に書いてくれた単位。を、せんせいにばれそうになって、あわてて消しゴムで、消したな。でもけっきょくばれて、しまもおこられた。
578、579、600
10のまとまりを、あと40かいで、1000。
それをあと2回で2000。
痛いのかな、あれ。痛いといいな。
634、635、636
「あっ……ぁ、ぁ、あっ……」
瑠伊の声だ。
ようやく見つけた青い血管に、佐伯は針をあてようとしている。
661、662、663、664、665
「よ……よ、じろ……むり、……ごめんなさいっ、ごめんなさいっ……!!」
「え?! ちょっ……おい瑠伊!」
瑠伊は手を引っ込めるように身を捩って、そのまま両手で頭を抱えた。
身体がガタガタと震えている。
それで一度だけ瞬きをした。
瑠伊の長いまつ毛が動くのが、スローモーションみたいに見えた。
675、676、677、678、679、680、681、682、683、687、
「……み、さま。かみさま、かみさまっかみさま、ごめんなさい、ごめ、ごめんなさいっっ……!!」
「瑠伊? 瑠伊?!」
「おいっ、大丈夫かよ?」
703、704、705、706、707、708、709、710、711、712、713、714、715、716、717、
「神様? どゆこと……?」
「瑠伊にはなんか見えてんのか? おい!瑠伊?」
「っやべ、ごめ、きもちわりっ……」
「あっおい、抜くなよ、まだ量が……」
「っげ、げぇっっ、おえっ……!!」
732、733、734、735、736、737、738、739、740、741、742、743、744、745、746、747、748、
「やめろって、血が……」
「るせえよ!!! 逃げたやつが口出すなって!!」
「……ぁ、無理、俺も無理、吐きそ……ぅえ゛っ……!!」
「痛い、痛いって……」
「勝手に針抜くなよ!!!」
「どうすんだよっどうすんだよ足りなくなったら!」
「お前らがやれよっ、せこいんだよ言い訳しやがって!!」
765、766、767、768、769、770、771、772、773、774、775、776、777、大当たり
「うるせえよでかい声出すな!! 瑠伊が……」
「……やめて、……やめて、もう、みんな、……罰が、罰が下るっ……こんなことしたら、か、神様……が……!!」
「……はは……は、罰……?神様……?」
「血、血、血をっ……だめ、出しちゃダメだよっ、こんなふうに、出したら……っう、っう……!!」
「瑠伊ー、落ち着け、深呼吸だ。吸って……」
「っあ、っは、っはぁ、ご、ごめんなさい、ごめんなさいっ、ごめんなさい、…!!」
「お……おい、だめだこれ、誰か抑えて……」
798、799、800、801、802、803。
804。805。806。
おもしろいくらいコロコロ変わっていった数字の進みが、穏やかになっていた。
机に座って血を抜かれているのは、もう大塚しかいなかった。
12人で3000、ひとり250、それが8人で2000。
2000は採らなくちゃいけなかったのになぁ。
821。822。823。824。825。
「……罰、罰、罰がくだる……僕たちは裁かれる、ああ……お許しを、お許しを、お許しを……」
「佐伯っおいってめえのせいでっっ」
「は、お、俺じゃねーよ、抜けてただろちゃんと、お前らが勝手に……」
「ふざけんな!!お前二周目回れよ、俺たち全員やり方見てたんだからな!!」
「は……はあ?素人が……」
851。852。853。854。855。
「おい瑠伊っ……罰ってなに?……なに? 何が起きんの……?」
「やめろよっ、離れろ瑠伊からっ」
「こえーよ、なんだよっ神様って」
「なぁそれなんか天使とかと関係あんの……?」
873。874。875。876。877。
「……て……天使……? 天使……?」
「瑠伊を刺激すんなっ、ほぼ失神してるぞこれっ」
「いやでも……!!」
「し、死んだらどうするんだよ瑠伊がっ」
「ばかっ、気失ってるだけだって、顔色もそんなに悪くないし……」
906。907。908。909。910。911。912。
「……ぁ、ああっ……血、止まんない……たすけて……」
「えっ、し、止血方法? なんて書いてあった?」
「うわ……血、もったいな……」
934。935。936。937。938。939。940。
「……大塚、お前大丈夫なの……?」
「はっ、こんなの余裕だからな……」
989。990。1000。
1000ミリリットル。は、1リットル。
てことは、何デシリットル?
志麻はいつも一生懸命教えてくれたのに。あいつも説明下手だったんじゃないの。
「なぁ……平気かな?」
「何が……?」
「だいぶ一人で抜いてるけど……一日の献血量って上限400とかじゃない……?」
「……大塚いまいくつ?」
1108。1109。1110。1111。ぞろめ、ポッキーの日、
「……おい、大塚?」
「お前顔色悪いよ……」
「……るせーな、お前らが……やらないから……」
「…………」
1136。1137。1138。1139。1140。1141。
ガタッ
「おい大塚!!」
「ぅせえよ……こんくらい……っあッ……」
「もうやめさせろっ、真っ青だぞこいつ!」
1208。
モニターが動かなくなった。
壊れたんじゃない。血を抜く人がいなくなったから。
大塚は真っ青な顔で机に突っ伏していた。たぶん一人で600は抜いた。ペットボトル一本分とちょっと。
足りねーよ。
無意識のうちに舌打ちした。
俺たちが抜かなきゃいけないのは牛乳パック3本分。
ペットボトルだと6本分。
残っているのは1792ミリリットル。
1.792リットル。
デシリットルにすると、いくつだろ?




