#18 犬
朝の十時に課された試練は、Bが、Aに感謝する、という、ただそれだけの内容だった。
鎖が解けた志麻は一時間、一度も俺から目を離さないで、完璧に喋り続けた。
俺はお前の善意を踏みにじりました。
お前なら何しても許されるって傲っていました。
無償で信頼してくれるお前を軽んじていました。
蓮司はずっと俺の憧れです。
いつどんな時も俺に手を差し伸べてくれるヒーローです。
そして時折屈託のない笑顔で、俺の背中を叩いた。
3ポイント。全員で命を削って得た。
13/100、と表示された。
「なにお前ら。仲直りしたの?」
佐伯は瑠伊の腰に手を回してニヤニヤとそう言った。
「……るせえよ」
誰とも喋りたくない。
冷たい声で言い放つと佐伯は黙って、瑠伊が半歩前に出た。
「……蓮司?」
「……わり、ちょっとそっとしといて」
そう言うのが精一杯で、教室を出た。
志麻は黙って、俺の後をついてきた。
「んだよあいつら。犬?」
「ちょっと、洋二郎」
佐伯がわざとらしく放った言葉にも、俺は反応しなかった。
次の指示があるまで、みんなはバラバラに過ごしている。
もう、クラスをまとめようとする者も、励まし合う声も無い。
頭のおかしい葛西の相手をしてくれる千秋のことを、誰も構わなくなった。
大塚は南雲を殴らなくなった。
それなりに豪勢な食事が三食。
シャワーもある。着替えもある。歯磨きだってできるし寝袋で寝られる。
得られるポイントが少なくても、出される指示に従ってさえいれば、死ぬことはなさそうだった。
俺たちの頭は少しずつ麻痺している。みんなそれを分かっていて、抗うことをしない。
一人になりたいのに、どこをいくにも志麻がついてきた。
意思があるわけじゃない。俺のことをじっと見て、黙ってついてくる。
犬、という佐伯の言葉がしっくりきた。
口の中はずっと血の味がしていた。
「……ついてくんなよ」
振り返らずに言っても、志麻は変わらない。
苛立ちながら闇雲に走ると、志麻の足音が止まり、それから姿が見えなくなった。
でも一人になったって同じだ。
志麻の言葉が鋭い針になって、俺を針山にしている。
何がヒーローだよ。
どこがヒーローだよ。
お前は気高い、第五小学校の餓鬼大将じゃねーの。
何に謝ってんだ
何笑ってんだ
気持ちわり
また吐きそう
14時にも試練が課された。
正確に言うならば、天使を選びますか、といういつもの文句もあった。
葬式のようにみんなで俯いていたが、やはり最後は試練を選んだ。
志麻は教室に戻ってきた俺をじっと見て、手が届く距離に黙って近づいてきた。
気味が悪いって、はっきりそう感じた。
クラス全体で血液を規定量採取しろ、という試練だった。
誰の血液を採取してもいい、採取されない者がいてもいい。
20人で3L。
全員平等に採るとして、1人あたり150ml。
これに強い拒否感を示したのは、意外にも南雲だった。
「俺はやらない」
南雲の声ははっきりしていた。視線はまっすぐクラスの中央に向かっていた。
「喘息なんだよね」
「かんけーねーだろそんなの」
うんざりしたような顔をする大塚だが、本気で止めようとする様子はない。
「は? 採血中に発作出ちゃったらどうすんの? 薬だって持ってきてないのに。こんなの体力自慢の馬鹿と、それでしか役に立てないようなやつらがやればいいでしょ」
南雲は捲し立てるように言った。
「お前が咳き込んでるとこなんて見たことねーけど」
佐伯が肩をすくめる。南雲はすかさず、憐れむように言った。
「それはお前らが日頃から俺のことなんて見てないからだろ。俺いつも薬飲んでるからね? そうだよね桐原?」
「…………」
桐原は答えなかった。
馬鹿な会話に入りたくないという意思表示のようにも、本当にわかっていないようにも見えた。
南雲を嘲笑うやつはこのクラスにはもういない。
弱いものいじめはなくなったんだ、それなのに一つも嬉しくない。
葛西と千秋も、採血することは不可能だと判断された。
千秋の腕は一日経ってもまだ動かなかった。
神経が死んでしまったのかも知れない。
目もどんどん光を失って、葛西に弄ばれる人形のようになっていた。
葛西は相変わらず奇行を繰り返している。1分ですら、椅子に座り続けることは難しいだろう。
南雲に続くように、一人、二人、三人。少しずつ何やら言い訳を盾にして離脱した。
全員Aだったやつらだ。
「12人で3000ねぇ。まぁ、いけるか」
佐伯はのびをするようにそう言って、用意されていたゴム手袋をはめ始めた。
「12人? ……13人の間違いだろ」
「え? ……あ、俺はできないよ、採血してやるからさ、みんなのこと。姉ちゃんにやり方聞いたことあるし。だから全部で12人。あってるだろ?」
佐伯の姉は医大生だ。でも入学したてのはずだ。
みんな知ってるはずなのに、それを指摘する者はいなかった。
誰だってやりたいはずがない、クラスメイトの血を抜くなんて。
残った12人で血を抜くんだ。牛乳パック3本分。
志麻は片時も、俺のそばから離れようとしなかった。




