↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/34

#17 キス

志麻が転入してきたのは二週間前だ。

日焼けした野生児みたいな志麻とは全然違ったけど、一目見て分かったよ。


「志麻!!!」

って。弾かれたみたいに口に出してた。


でも志麻は目も合わせてくれなくて、篝ちゃんに指定された席にむすくれた顔で座って、突っ伏して、それから誰とも口きかなかった。


小五の夏、突然いなくなっちゃった志麻。


学校は、個人情報だから、って何にも教えてくれなかった。パパや兄ちゃん姉ちゃんと一緒に町中探し回ったし、捜索願を出そうとか言って深夜に交番にも行った。

親じゃないから、って取り合ってもらえなくて、みんなで泣きながらファミレスで飯食った。


何も言わずにどっか行っちゃったのには、理由があったはずだ。

転校してきた志麻を一目見た時も、あの腰のあたりの不気味な傷に触れた時も、今俺の足元で丸まっている志麻を見ていても、変わらずそう思う。


志麻は誰にも言えない何かを抱えていて、それは俺にも言えないことで。

志麻が閉めたくて閉めている扉を無理にこじ開けようとして、怒らせてしまった。


でもあいつも悪いだろ。

なんで俺ばっか悪いみたいな言い方してくんの。

……いや、言ってもくれない。

ずっと軽蔑したみたいな目で見てくる。

なんなの。




腹一杯になったあと、クラスの半分くらいは二年二組の教室に戻った。


志麻と二人になるのが気まずいから、俺は黙って教室に入ろうとした。

志麻の手首からは相変わらず血が滲んでいる。

何度も擦れて同じところばかりにあたって痛そう。


でもどうしても、みんながいる教室入れなかった。ここには志麻を悪くいう奴らがいる。

そんなところで一晩過ごすのが、なんとなく気持ち悪い。


結局、三階の人気のない教室で、志麻と一夜を明かすことになってしまった。

こっちの方が気持ち悪いかも、って後になって気づいたけど、もう引き返せなかった。


外はもう真っ暗で、念の為点灯させている廊下の照明と、窓から差す月明かりがぼんやり教室を照らしていた。


俺が横になる足元で、志麻は俺の顔に足元を向ける形で、胎児のような姿勢をとっていた。


むかつく。

むかつくむかつく。


桐原に先にカレー食わせたのが嫌だったの?

緊急事態なんだからそんくらいのことで怒んなよ。

ガキの時は喧嘩なんかしたって、一晩寝たら全部忘れてたのにな。

こんなんじゃ寝られるかどうかも怪しいよ。


時計を見る。まだ22時。


ふと体勢を変えようととしたら、鎖がじゃり、と重たい音をたてる。

あ。いま志麻痛かったかな。

ごめん、と言いかけて言葉に詰まる。

そしたら志麻がクスっと笑った。

気持ちのいい笑い方ではなかった。


「お前のヒーローごっこ、せいぜい半日が限界?」


かちーーん。


「は? お前こそなに。悲劇のヒロインごっこやめろよ」


むきになって言い返すと、志麻はでっかい舌打ちをして体を起こした。


「は。俺はずっと、構うなって言ってんの」

「はぁ? あんなに仲良くしといて、俺が歩み寄ったらもう構わないでくださいって? どんな神経してんの?」

「…………」


やべ、言いすぎたかな。と思ったのに喉から次の言葉が出てくるのを止められなかった。


「そもそも無視ばっかりしてきて何? みんなに噛み付いてばっかでさ。何に気づいて欲しいのお前は?」

「…………」

「俺はね? 寂しかったよ。お前が何にも言わずにどっか行っちゃったのは、なんか事情があったんだろうなって思ってる。でも、なんでこんなに冷たくされなきゃいけないんだよ。志麻に。俺、なんかしたかよ。お前、俺の大親友だったのに」


そう、大親友だったんだ、俺たちは。

恋人みたいに別れが来るわけじゃない。

友達だったら何にも縛られないで、ずっと一緒にいられるんだろ。


目頭が熱くなって、涙が滲んでくる。何歳だよ俺は。


志麻の唇が、わずかに動いた。

でも言葉になっていない。


「……なんだよ」

「…………そればっかり」


低い声。震えてる。志麻の声も。


「前は前はって。……じゃあ今の俺はどこ行くんだよ?」


志麻は笑ってた。

力無く、諦めたような顔をして。

ようやく笑ってくれたのに。今の志麻が一番反対のところにいる。


「……志麻、」


名前を呼びかけたけど、志麻の目はもう憎しみに燃えていた。

口元に笑みを貼り付けたまま、志麻は俺の足首を両手でぐいと掴んだ。


「そもそも気持ち悪いんだよ、蓮司」


……志麻。


「お前だけ小学生のまんま。教室にいるお前も、あの薄っぺらいオトモダチと仲良しごっこしてんのも。俺は誰も見捨てません、みたいな顔して、結局誰のことも助けられてないだろ。お前は気持ちよくなりたいだけだろ。そんなん自慰と何が違うんだよ?」


志麻の額に汗が滲んでる。唇がわなわな震えてる。 


「それに、何あいつら。器のちいせえゴリラに、中身ねえヒョロヒョロ。それにあのチビ。誰にでも色目使って、弱者に手を差し伸べますみたいな顔しやがって……はは、お前と一緒じゃん。ルイは友を呼ぶってぇ? 笑わせんなよ」


志麻の目が揺れている。チリチリとした炎が揺れているんだ。


「お前らが大好きなあのクソ教師。……あいつだって怪しいぞ。閉じ込めて、こんな悪趣味なこと強いてんのはあいつかもな?」


志麻の呼吸が、目に見えて早くなっていく。肩が大きく上下し、鎖がガチャガチャと音を立て始める。


「っはは……おい、何黙ってんだよ。ショックだった? お前のちっせえ脳みそじゃ分かんないか?」

「志麻っ、お前……落ち着けよ、呼吸が……」


肩に手を置こうとすると、志麻は獣みたいに身を捩って拒んだ。

そして、志麻の目が光ったんだ。

今までのギラつきとは、明らかに違う光り方だった。


まるで俺じゃない何かを見てるみたいな。


「触んなよ!!!」


それはおそらく、今志麻に出せる、渾身の威嚇だった。


触られることを拒んでるんだ。

葛西にキレてた時も、おんなじ声で怒ってた。


怖いんだろ。

お前それ怖がってる顔だろ。何が怖いんだよ。ずっとずっと。


「っは、大親友? ……独りよがりの、偽善者が……」

「っ…………」

「笑わせんな、みんな頭おかしい、お前も、上っ面の、友達ごっこしやがって……っは、っは……」


志麻がうつむき始める。

焦ったみたいに、なんとか呼吸を落ち着かせようと足掻いている。


「死ねよ……みんな死ね……! 俺を、こんな風にしたやつら、っはあ……、おれ見て憐れんでくる、お前も、全部、全部死んじまえよ……っ、ひ、ふっ……」


志麻は、完全に過呼吸に陥った。

滲んでいた程度だった汗が一気に吹き出し、志麻はみるみるうちに水を浴びたように濡れた。


顔は土みたいな色になって、丸められた肩が忙しなく酸素を求めて動いている。

縛られた腕は動かすことができず、両手を差し出して許しを乞うているような姿勢で悶えた。


過呼吸で人は死なない。分かってる。

でも目の前の志麻はパニックになっている。

全身が肺になったように大きく上下しているが、全くおさまる気配がない。


「志麻っ」


声をかける。が、志麻には届いていないように見える。

志麻の顔からさらに血の気がなくなってくる。


「志麻っ……」


過呼吸で人は死なない。


「ぁあーっ…ぅ、ひゅ……ひゅ、っぅ゛ううっ……っあ、あ゛っ……」


死なない。

しなない、しなない。大丈夫。

大丈夫だ、大丈夫。大丈夫、大丈夫。か? 本当に?


葛西があんなことになったのに? 千秋があんなことになったのに?

志麻が今こんなに苦しそうなのに?


そもそもこれ、過呼吸なのか?

志麻にだけ何か盛られたんじゃ?

あの傷がなんか関係してんじゃないか?


志麻が拒絶してるのは分かってる、でも目の前にいる志麻を助けられなかったなんて、そんなの本当に俺なの?


偽善者って言われても、分かってもらえなくてもいい。志麻を助けたい。志麻を地獄から引っ張り上げたい。


「う゛ーっ……ひゅ、ひゅ、は、っ……、?……んんん゛っ?!!」


俯く志麻の両頬を掴んで、空気を求めて喘ぐ志麻の唇を唇で塞いだ。

志麻が吸い込もうとする空気を阻んで、嘔吐するように吐き出される呼気を受け止めた。


志麻は全身を横にねじって精一杯暴れたが、俺の片手で抑え込めるほどの力しかなかった。


それでも志麻は、固まっている俺の舌を歯で探り、思いっきり噛んだ。

俺の舌を噛みちぎってでもやめさせたい、という執念を志麻から感じた。


俺は志麻の反抗を受けても、いくら血の味が滲もうとも、キスをやめなかった。



次第に酸素が薄れてきたのか、志麻の抵抗も弱くなってくる。

噛みついていた志麻の歯が力無く離れていく。


志麻は代わりに、猫が毛繕いするように、血の滲んだ俺の舌を弱々しく舐めた。


そこに志麻の意思はないように感じた。

ただ、そこにあるものが何なのか確認するように、のろのろと舌を動かした。


ぬるりとした志麻の舌の感触は、死体の一部を押し付けられているような、得体の知れない寒気を感じさせた。


慣れてる、こいつ。

何かを諦めることに。


志麻が唇を離す。血の混じった唾液でつながったまま、志麻は目を細めた。笑ったんだ。


「……ありがと」

「っ……しま……?」


救えたの。

しま。しまのこと、おれ、おれは、


「……あ……」


志麻の目を見た。そこには何も映っていなかった。鎖も、口から滲む血も、目の前にいる俺自身も。


俺はようやく、志麻の心を決定的に、自分の手で、バラバラに引きちぎってしまったことを知った。


なんもできねーくせに。大塚の言葉が頭の中をこだましている。


違うよ大塚。俺はやったよ。直感を信じて、志麻を助けようと思ったんだ。

それなのに、俺、志麻を、助けられなかった、


パパ。俺、志麻のこと、殺しちゃった。


気づけば俺は悲鳴をあげていた。

自分の声だって気づくのに時間がかかった。

喉が潰れるまで、言葉になる前のぐちゃぐちゃしたものを、吐き出し続けた。

やがて空は白くなり、ほのかに薔薇色の雲から光が溢れても、唸り声は止まなかった。


両手を使えない志麻は、俺に体を預け、頬を寄せ続けていた。

もうずいぶん前に、試練の達成を告げる放送が流れた。

俺たちは未完成の石像のように、そこから動くことができなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。