#14 綿飴
教室に戻る途中、階段の方でくぐもった声がした。瑠伊には止められたけど、嫌な予感がしたから階段を駆け上がると、鍵のかかった屋上に続く鉄の扉に、南雲が打ち付けられていた。
南雲は鼻血を出してるし、口の端からも血が滲んでる。
大塚も佐伯も、ずるいやつだ。でもそれは、隠れてタバコ吸ったり、先輩の彼女にちょっかい出したり、調理実習で使うみりんが酒だって聞いて飲んだりする程度で。
こんな、どう考えても腕っぷしの弱い相手に二人かかって、青あざ作るまで殴るなんて、そんな奴らじゃない。
「大塚、蓮司」
こっちに気づいた佐伯が、肩で息をしている大塚に耳打ちする。
大塚は肩越しにこっちを見た。こめかみに青筋が浮いている。
「お前も手伝えよ。殴んの嫌なら抑えてろ」
「バカなことすんなって!」
大塚の両手で肩を掴んで揺さぶる。大塚は真っ先にシャワーを浴びたのかすっかり綺麗になって、志麻とおんなじの、清潔な匂いに包まれていた。
大塚は怯みもしないで睨み上げてくる。桐原に止められてた時とは大違いだ。
「コイツがなんか盛ったんだよ、それ以外あるか?」
大塚は鼻で南雲を差した。
「は……? んなことできるわけないだろ、みんないたのに……」
「説明つかねえことが起きてんだから何だって起こり得るだろ!!」
あっという間に大塚に投げ飛ばされて、冷たい床に背中が叩きつけられる。あやうく階段から落ちそうになった。
いってええ……
こいつ前に、姉ちゃんのカレシにブラジリアン柔術教わったとか言ってたな。
階段の下から様子を見ていた瑠伊が、ギョッとしてすっ飛んできた。
大塚は馬鹿でかい舌打ちをした。
「こんなのリンチだろ。佐伯もやめろって、バカ」
転がったまま立てずに言うと、佐伯は困った顔して笑った。
「えー。俺は殴ってないけどね?」
「おんなじだよ、バカが」
むかつく、佐伯。手汚さずに涼しい顔しやがって。
「ちょっと……大丈夫……?」
遠慮がちに近寄ってきた瑠伊の助けを借りて立ち上がる。が、瑠伊は俺より重症の南雲に気づくと、ぱっと離れて南雲に駆け寄った。
苦痛に呻いている南雲の血を、持っていたタオルで押さえている。
「何が起きてるかわかんねーから、助け合わなきゃだめだろが」
壁を支えに立ち上がって、大塚の目を覗き込むように言った。鋭い目がぐらぐら揺れている。大塚が協力的でいてくれたら、鬼に金棒なんだけどな。
もうひと押し。
「大塚はこんなことするやつじゃねーだろ」
本心だ。100パーセント本心。でもこれは博打だった。
大塚はこうやって踏み込まれた時、心に響くか、固く心を閉ざして敵とみなすか、きっとどっちかだ。
「……蓮司」
低い声。穏やかなようにも、キレてるようにも聞こえる。
「なんもできねーくせに、あんま調子乗んなよ」
「っ…………」
……どうやら後者だったらしい。なんにも言葉が出てこない俺から、大塚は目を逸らした。
そして佐伯を引き連れ、大きい足音を立てて階段を降りていってしまった。
十八時には、チャイムの代わりにあの鐘の音が鳴った。
机と椅子は教室の端にぐちゃぐちゃに寄せられて、俺たち二十人はバラバラに立ち尽くしていた。
教室は、篝ちゃんの授業を待つ時よりずっと静かだった。……いや、正確には葛西の声だけが響いている。
鐘の余韻が消えると、自動音声とともにモニターが指示文に切り替わった。
『【天使】は名乗り出て、教卓に起立して【自らが天使である】と宣言してください』
またこれか。
『【天使】を捧げられないときは、【試練】を完遂してください
【試練】を完遂できないときは、【悪魔】を選出してください』
淡々とした案内に、苛立ちのようなため息がところどころから漏れ聞こえた。
何人かは乱暴に貧乏ゆすりをしている。そのうちの一人が佐伯だ。
「つーか天使ってなんなの。それが分かんないと何にもできねーじゃん」
なぁ? と俺の方に向き直る佐伯の額には、じんわり汗が滲んでいる。
それを聞いた大塚の鋭い目が、一点、葛西を捉えた。
葛西は千秋の腕に頬を擦り付けていて、獣に狙われているのに全く気づいていないシマウマみたいだ。
大塚はずかずか葛西の前に歩み出た。葛西も着替えたのか、シャツは綺麗になっていた。大塚は真っ白な葛西の襟元を掴むと、軽々と千秋から引き剥がした。
ぐえ、と悲鳴をあげて、葛西が床に叩きつけられる。
体をこわばらせている千秋は、細い目をキョロと大塚の方に向けた。
「お前一組で誰に会った」
千秋はごく、と空気を飲んだ。なにか隠しているというよりは、あの時のことを思い出したことによる極度の緊張のように見えた。そして小さく首を横に振る。
「いや、誰も……こことおんなじように、モニターがついてて、教卓に大きい、っ……機械が、置いてあって……そこに、……す、座れって…………」
千秋の言葉はそれ以上続かなかった。動かせない腕ごとガタガタ震え始める。
誰かが千秋を慰める前に、葛西がわあっと泣きながら庇うように千秋に抱きついた。
痛みに悶える千秋の声も、葛西には聞こえていない。
大塚はバツが悪そうに舌打ちをした。
「じゃあ……杏太も、誰にも会ってないかもしれないってこと……?」
瑠伊の声はか細くて、独り言みたいだった。
それでも葛西には聞こえたらしく、首をふるふる横に振った。
「……天使様、……いなかった、天使様。あそこにはいなかったの。でもパパがいたよお」
……パパ?
「ちょっと待って。……葛西のパパ、ってこと?」
なるべくゆっくり、目を合わせすぎずに聞くと、葛西は「うーーん?」と言いながら九十度右に体を傾けた。
「おれのパパぁ! みんなのパパもいたよぉ。るい、るいのパパもいたよっ」
「えっ……?」
名前を呼ばれた瑠伊の顔から、さっと血の気が引いていく。さっき葛西に押し倒されてもピンク色のままだった頬は、みるみるうちに真っ青になっていく。
「それでねえ、天使になるにはねえ、中身を全部出さなきゃいけないの。だから吐くんだよ。ふ。ふふ。それで中にねえ。うふ。からっぽになったらね、光がはいってくるの、そしたらねえきれいなお花が咲くの。それで頭はふわふわ。あ! あのね、雲ってほんとはわたあめなんだあ。それでお祭りはね、死んだ人が戻ってきてえ。みんなで踊るの。こうやってえ!」
葛西はどたどた音を立てて机の上に立ちあがると、足音を立てて大きくジャンプを繰り返した。
「沈黙をもって、主を讃えよ!! 左手に花を、右手に慈しみを! 両腕いっぱいの、祝福を!!」
だめだ、意味わかんない。一個もわかんない。
葛西は経典みたいなものを何度も何度も繰り返して飛び跳ねている。
天井に頭をぶつけてもおかしくない、ものすごいジャンプ力だ。
九回繰り返したところで葛西はぴたりと動きを止めて大人しくなった。
葛西の目から狂気が溶けて無くなっている。
どこかオドオドしてて、困ってて、でも自分を律するような責任感に溢れている葛西の目だ。
葛西は目を細めて、窓際を――志麻のことを見ている。
「そうだよね、志麻くん」
志麻は、黒い瞳を丸くして葛西を見上げた。薄く開いた唇がわずかに震えている。
志麻の名前が呼ばれて、驚いているのは俺だけではない。
急に隙間風が吹いてきたように、底冷えした空気が流れる。
なんか、なんか知ってるのか。志麻が。
ブーッ、と聞き覚えのある警告音が耳をつんざいた。葛西はそれを聞くと奇声をあげて机から滑り落ちた。
理知的な色は完全にうせて、また爬虫類のようにぎょろぎょろ目を動かしている。
『選択が確認できません。三分以内に選択が認められない場合、全員を悪魔として断罪します』
「し……試練っ、で」
咄嗟にモニターに向かって叫んだ。否定する奴はいない。
特定の誰かを自分たちで選ぶ勇気が、俺たちにはなかった。
『二つ目の【試練】が選択されました。内容を提示します』
モニターの案内は、あくまでも健康診断か何かみたいに、単調に進んでいく。
『これからみなさんには、こちらが指定するペアに分かれて過ごしていただきます。Aに割り振られている生徒の左足首と、Bに割り振られている生徒の両手首を、指定の器具で繋いでください。一度着用すると、終了時刻まで外すことができませんので、ご注意ください』
器具……?
『指示なく器具を破壊するなど、装着の中断が認められた場合、失敗とみなします』
『試練の終了時刻は、明日午前10時です。それでは、ペアを発表します』
問答無用で事が進んでいく。
二十人いるクラスメイトは、十組のペアに分けられた。
不条理な状況に巻き込まれてるのは分かってるけど、こうして制服を着て、モニターに映し出された番号見てこれが誰だとかあれが誰だとか言ってると、席替えしてるような気分になる。
名前が一つも書かれていないので、探しづらい。
自分の出席番号を、目を細めて探した。
8番……は、Aの列にあった。
Bは……20番だ。
20番って、最後か。
てことは渡辺かな。そうだよな。
名前順なんて、ワなんとかが最後にきまってるんだから。
と思ったのに、渡辺は気の毒そうに千秋のそばに寄って何か会話してる。
明らかにペアになった雰囲気だ。
渡辺が20番じゃないなら誰が最後だ。
クラスの奴らはどんどんペアを見つけて、笑ったりちょっとはしゃいだりしている。
取り残されていくような感覚に、焦りを覚えた時だった。
あ、……転入生だ。
このクラスは最初、19人しかいなくて……
志麻の方を見る。志麻も俺の方を見ている。
窓から見える雲は紫とオレンジがぐちゃぐちゃに混ざって、もうすぐ黒くなろうとしていた。
わたあめだとしたら、多分毒入りだ。




