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#13 勃起

十七時。いつもなら部活してる時間だ。


俺たちは一応、仲良いやつでくっつきながら校舎内をうろついてみた。

モニターが勝手についたことを考えたら、やっぱり職員室に誰かいるはずだ。教室出る時はそんなこと考えていたのに、校舎があまりにも静かだから、職員室がもぬけの殻でも驚かなかった。


唯一希望があるとすれば、篝ちゃんがいるはずの国語科準備室だ。

瑠伊とくっつき合って三階に上がった。

準備室の廊下には、いつもみたいに、先生が吸う煙草の甘い匂いが漂っていた。でも二人でノックしても、扉を引っ張っても、耳をそば立ててみても、先生がそこにいる気配はなかった。


教室に戻ると、同じように校舎を回ってたやつらが帰ってきていた。

電波は屋外でもつながらず、グラウンドも、体育館も、人は一人もいなかったそうだ。


校舎と反対側にある部室棟や武道場の方には桐原が回っていた。遅れて一人教室に入ってきた桐原を、俺たちは縋るように見たけど、桐原は黙って肩をすくめるだけだった。


門の外はどうなってるんだろ、って誰かが口にしたけど、俺が行く、なんて言い出すやつは誰もいなかった。




あのモニターが提示した通り、生活に必要なものは本当に一通り置いてあった。

しかも、非常時に支給されるようなものじゃない。備品も飯も、高級ホテルに泊まっているような質の良さだ。


「……ほんとに帰れないの、僕たち」


瑠伊は備品が陳列された三組の教室を覗きながら顔をこわばらせていた。俺も流石に言葉に詰まりそうになる。


「……。ま、誰かすぐ気づくだろ。ほら、寮母さんとか。二組の奴らだけ帰ってこなかったら変だろ?」


そう言うと瑠伊は小さく頷いた。


「な。シャワー浴びね。まだ時間あるし」


それにちょっとは気分転換になるかもしれない。

瑠伊はわずかに顔を明るくして、今度は大きく頷いた。




体育館裏にあるシャワーは八つあって、個室っていうほど立派じゃないけど、一応カーテンで仕切られている。

四つずつ向かい合って並んでいて、一番左奥のシャワーに誰か入っていた。

服を脱いだ瑠伊が左手前に入ったので、その隣の個室に入ろうとしたら、瑠伊がカーテンを開けたまま俺の手を引っ張った。


「蓮司、一緒に入って。怖いから」

「え」


シャワー室、なかなか狭いぞ。

校舎の建て替えは終わってるけど、この体育館周り、シャワー室と部室棟の改修は文化祭後からだ。

オンボロなのが怖いのか? 瑠伊は捨て猫みたいな顔して見上げてくる。


「お願い! あんなことあったし。……それに、シャワー浴びたあと、目開けるのって怖くない?」

「……ちょっとわかる」

「そうだよね?! ほら、蓮司も怖いんだから一緒に入ろっ」


瑠伊は本当におんなじ十七歳と思えないくらいガキみたいな体つき……だと思っていたけど、案外普通の男子って感じでびっくりした。

骨格とかもちゃんと男だ。

でも筋肉はもうちょっとつけた方がいいぞ! とか観察していたら顔面にシャワーをかけられた。


「見過ぎ、キモい」

「わりっ、なんか普通に男だったから……」


咄嗟に言ったら瑠伊は一拍だけ黙って、吹き出した。


「あは、なにそれ。余計キモい! 篤人くんに言うよっ、逮捕してもらお」

「あつとくん?」

「あ、桐原くんのこと。僕たち幼馴染なんだよ、もうあんまり喋んないけどね」


瑠伊と桐原? 喋ってるところなんて想像できないけど。


瑠伊は大袈裟なくらい笑いながらシャワーを浴びた。

本人は真面目に頭あらってるんだろうけど、癖っ毛がくるくるになっていて、子犬が水浴びするみたいでかわいい。


俺たちは、天使のことも試練のことも、葛西のことも千秋のことも、何も口にできなかった。


目を閉じてシャンプーで頭をガシガシ洗っていると、同じく目を閉じて頭を洗っているだろう瑠伊が、「ねえ」とこっちを向いた。


「ん?」

「死刑囚もね。刑が執行されると、勃っちゃうらしいよ」

「たっ……は? あ痛っっ」


思わず目を開けるとシャンプーが目に入ってきた。

最悪。何も見えない。でも今なんて言った?!


「窒息すると、人間、勃起しちゃうってこと」

「えっ……ぼ、っえ……」


瑠伊から聞きたくないなそんな話。


「だから蓮司、さっきの気にしない方がいいよ。生理現象だから」


え。

うわ。え。うわ。終わった。最悪。バレてた。

瑠伊にバレてたってことは志麻にもバレてるかもしれないよな。

てかクラス中にバレてたっておかしくないよな。

はい、最悪です。ごめんなさい。


「蓮司ってさ。志麻くんのこと好きなの?」


くすくす笑いながら瑠伊はそう聞いてくる。

もちろん即答だ。


「好きだよ」


間髪入れない返事が意外だったのか、瑠伊は気後れしたように黙った。


ん、なんだこの沈黙。

あれか。好きってそっち?

やば。違う違う、そういう意味でああなっちゃったわけじゃないんだって……


「いや、あれだよ。友達としてね。人として」

「……人として好きなのに、その先はないの?」


なんでこんな食い下がってくるんだろ。

瑠伊はたまにこういうところがある。

大事なことをなあなあにしたくないんだろうな。


「あるわけねーだろ」


シャワーで泡を流しながらそう答える。


だって志麻は家族みたいなもんで。

兄弟みたいな親友で。


瑠伊は目を閉じたままぎこちなく頭を洗っていた手を止めて、つまらなそうに口を尖らせた。


「ふうん。こんな時代に、そんなこと言うんだ。蓮司って意外と保守的だよね」


ホシュ? なんの話?

首ひねりながらシャワーもひねったら、すごい勢いで水が出た。

いつも出が悪いのに、空いているからかな。


「うわぁ! ちょっと!」


瑠伊が目を閉じたまま暴れるので身体がもつれるみたいに触れ合った。

あーやめてくれ……


そのまま瑠伊にシャワーをぶっかけて泡を全部流す。

瑠伊は観念したように大人しくなって、ぎゅっと目瞑ったままされるがままになっている。


「ん……蓮司、もう目開けてもいい?」


瑠伊はこっちを見上げてそう聞いてくる。

もう泡は残ってない。


「いーよ」


そう言ってやると、瑠伊はゆっくり目を開いた。

長いまつ毛に水が染みるのかパタパタと眩しそうに動かす。

瑠伊のまつ毛は栗色だ。

新品の筆みたい。

まつ毛の色とおんなじ茶色い瞳を、にっこりと細めた。


「ふふ」

「なに?」

「お化けじゃなくてよかった、と思って」


ひどく安心したようなため息とともに、そういうこと言うんだ、こいつは。


あー。

このクラスに瑠伊のこと嫌いなやつなんていないだろうな。

この世にすらいないんだろうな。


瑠伊は俺がシャワーを浴び終えるのを待って、両手で顔についた水を拭った。

カーテンを開けて置いていたタオルを手に取ると、俺の腹にギュッと押し付けた。

ちっこい手の感覚がタオル越しに伝わる。

あー。なんか不適切なんだよな、やっぱり。


瑠伊が体を拭いて裸のまま脱衣所に出ようとするので手を引いた。


「タオル巻けって。なんか犯罪臭するから」


瑠伊の細っちょろい腰回りにタオルを巻いてやる。


「ちょっと……何! 僕だって大和男児なんだから」


瑠伊は楽しそうに笑ってるけど。

ちょっとだけ笑顔が引き攣ってる気がする。


「なにが大和男児だよ。もっと筋肉つけろよな」


気づかないふりしてそう言った時だった。


シャ、とカーテンを開ける音がした。

俺たちのシャワー室じゃない。だって全開になってるから。

もっと奥の方で。


うわやばいって。

流石に勘違いされたりはしないだろうけど、瑠伊と一緒に入ってたの人に見られたら気まずいって。


見られる、くすぐったい、瑠伊がかわいい、この三つがぐるぐるして熱になって下半身に集まってくる。


いやちょっと待ってくれ、そんな、童貞みたいなことあるかよ、俺は去年の冬に童貞を卒業――あいや正確にいうと最後までできなくて蛙化されて別れたけどこんなことで動揺するような俺では――


「あっ、志麻くん」


瑠伊が顔を上げてにっこりと笑った。

 

え。志麻?

志麻だ。


濡れた髪の毛を全部かき上げて、腰よりちょっと高い位置にタオルを巻いてる。

志麻白いな。こんな白かったっけ。


志麻はゴミ見るみたいな目で瑠伊のことを見下ろした。


「呑気だなお前ら」


掠れた声で吐き捨てた。

シャワー室に妙に反響して、くすぐったい。


「志麻……」


なんか喋んなきゃ。あ、ほら、さっき助けてくれたお礼とか?

てかさっきの瑠伊との会話聞かれてたかな。


一瞬考えてるうちに、志麻はぺたぺた足音を立てて行ってしまった。


「はい、失恋〜」


瑠伊が小声で囁いて、クツクツ笑ってやがる。

やっぱり悪魔だこいつ。


瑠伊の腰に巻いてやったタオルを奪い取り、顔に押し付けた。


「ぎゃあ、追い剥ぎ! っあははは!」

「やめろ瑠伊っ、ほんとに失恋だよこれじゃあっ」


あーあ、ただでさえ嫌われてる感じなのに。こんなのないよ。


脱衣所でシャツに通してる志麻を横目で見る。

ちらりとも目を合わせてくれない。


志麻、小学生の時は俺より大きかったのにな。

誰より日焼けてた肌が、あんなに青白くなるなんて。

あれが本来の志麻なのかな。

いまの志麻が、本物なのかな。


まだ湿っている前髪をいつも通り下ろして、志麻は俺たちの隣を何にも言わずに通っていく。

太陽の匂いでもない、土の匂いでもない。

みんなと同じシャンプーの匂いがする志麻の、遠くなっていく後ろ姿を見ていた。


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