↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/33

#12 不随意

直感を信じなさいよ。

という言葉はパパの口癖であり、かつての母さんの口癖だ。


俺が反抗期らしいものをいまだに経験していないのは、いつでも俺たち兄弟と馬鹿笑いして、喧嘩して、筋トレし合ってくれるパパのおかげだと思う。

パパ。


志麻が転入してきたってラインしたら、仕事サボって鬼のように返事を連投してきたパパ。

あんまり裕福じゃない志麻を、うちの五番目の兄弟として受け入れてたパパ。

母さんのことを下の名前で呼び続けてたパパ。


俺もいつか、奥さんができて、子供産まれて。

それでもずっと仲良いままでさ。

二人でジム行ったり、子供が買うような食玩買ってはしゃいだり、するんだ。


俺、パパみたいな親父になるんだ。


オネエなんだって教えてくれた時、そんなのやだって言ったのは、パパがオネエだからやだとかそんなことじゃなかったんだよ。

パパが母さんの代わりしようとしてるなら、そんなのやだよって言いたかったんだよ。

ごめんね。


パパ。

俺なんか、今すごいことになってるよ。

頭おかしくなって、パパのことも、志麻のことも、分かんなくなっちゃうかも。

俺が葛西みたいになったら、俺はどの部分が残って、どの部分が消えていくんだろ。


あーパパ。

こんな状況でも、パパならみんなを笑顔にして、地獄の扉ぶち抜いてくれるんだろうな。

俺も、そういう、パパの気質っていうの。受け継いでると、思ってたんだけどな。案外、そーでも、なかったな。


直感かぁ。なんにも頭、働かないよ。

ひとつだけ思うのは、あんなイキリ方してるけど、志麻は志麻のままだって、ことくらいかな。


泥だらけで。日が暮れるまで遊んで。パパが迎えにきて。腹パンパンになるまでカレー食って。一緒に風呂入って。パパの車で家まで送ってた。帰りたくなさそうな志麻。また明日なって笑ってた志麻のまま。たぶん。たぶんそう。


あーあ。

あ。あ。あ、やばいかも。やばいな、けっこうやばい。

目の前が暗くなるって、ほんとなんだ。ゲームでよくあるよな。いや白かな。白か、白かも。いや、白じゃないか、これ、黒。黒だよな。あれ、白?




突然呼吸ができなくなって、ああもう終わった、死ぬんだ、と思ったら、筋っぽい手に口を塞がれていた。

あ、わかるよ誰の手か。志麻の手でしょ。あったかくない。でも冷たくもない、細い指。


「おい」


志麻は耳元で怒ったみたいな声で言う。低い声が鼓膜を通じて、過敏になった全身の神経を震わせた。


「しっかりしろよ。なんて顔してんだ」


志麻の目が光ってる。深海を彷徨っていた俺の脳内には、それが月の光のようにも、救助船の照明のようにも見えた。

やっぱり志麻は志麻だ。

少しずつ正気を取り戻すのと同時に、猛烈な吐き気が迫り上がってくる。


「うえッ…………」


思わず声を漏らすと、志麻が手に力をこめて鼻も口も塞いだ。

息ができない。頭がクラクラする。喉元まででかかったものは、急に出口を失って口内に溢れてきそうになる。


「んむッ……!!」

「飲め」


志麻の声、くすぐったい。首の周りがゾクゾクする。ぼーっとしたから余計に変な感じする。


「んーっ……っ」

「飲み込め」


わ、うわ、やばい。

お願い、このゲロ飲み込みます。だから喋んないで志麻。くすぐったい!

分かってほしくて何度も頷く。志麻が苛立ったように鼻を鳴らす。

その息がかかるだけで身体が反対方向に逃げようとしてしまう。


でも志麻の力は強かった。あ。耳元で志麻の唇が開く音がする。ちょっと待って……


「飲めって」


わかってるって!!

でも待って、とりあえず喋んないで!

あー? 待って? なんかやばいって、俺、なんか、え、あれ、え、えー……??


「蓮司」

「ん゛ッッッぐ…………げほっ……」


うわ、飲めた。

胃がこんなもん送り込んでくるなってブチギレてる。思いっきり声出したかったけど、みんなの吐き気を助長しないように、ゲロごとなんとか飲み込んだ。

喉が動いたことを確認したのか志麻の手がぱっと離れた。咄嗟に前屈みになって悶える。


最悪! 俺最低! 志麻はありがとう! ……でも見ないで、頼むから見ないで。違うんだ。ごめん。神様助けて。ごめんなさい! あ、パパの顔思い出そ。筋肉。洗濯物。宿題。コーチ。監督。篝ちゃん。落ち着け俺。


志麻は青い顔をして脂汗を流している俺を訝しげな目で見下ろしながらも、肩の力を抜いていた。


「蓮司、大丈夫……?」


瑠伊が震えながらこっちを見ている。答えられない俺の代わりに、志麻が肩をすくめることで答えた。


モニターの表示は21分40秒を過ぎたところだった。

いつのまにか、南雲が脱落した13分を超え、ゴールが見え始める。


皆青白い顔はしているが、誰も吐いてない。

南雲も上向いたり俯いたりしながら耐えてるし、葛西はケロッとした顔で、肘から先を動かせずに震えている千秋の背中をさすり続けている。


志麻を見上げる。気まずくて一瞬しか見られなかったけど、志麻も額に真珠みたいな粒々した汗を浮かべて集中していた。

俺の口を塞いでいた右手は、スラックスの上で握りしめられている。


タイマーが残り4分を過ぎた時だった。


「……あ、おい」


佐伯が声を上げた。

佐伯の右隣に座っていた大塚が、フラフラ立ち上がって輪を離れたんだ。

追いかけるように立ち上がった佐伯の顔が、緊張で強張っている。


大塚の顔は見えない。たぶん誰からも見えない。

大塚は吸い寄せられるように、教室後方の扉の前に立っていた。


とんとん、と、大塚は拳で扉を叩いた。

大塚にしては弱い音だ。と思った。

でも今更扉なんか叩いて何になるってんだ。


「……開けろ」


大塚の声、だとわかるのに数秒かかった。

聞いたことがなかったからだ。大塚の声がこんなに情けなく震え、ひっくり返ってるのを。


どんどんどん、と、再び拳で扉を叩く。当然だけど開く気配はない。でも大塚はその場を動かない。


「……あけろっ……」


絞り出すような声。佐伯が大塚に近づいたのに、五歩から先はバリアでも張られているように近づけなくなった。大塚の様子が、おかしいから。


大塚はものすごい勢いで扉を叩き始めた。

癇癪を起こした子供みたいに扉をゆすって。殴って。蹴飛ばした。


「……開けろ、開けろよ、開けろ開けろ!! 開けろって!!! おい!!! ふざけやがって!!! 開けろ!! 開けろッッッ!!!!!」


顔は見えない。でも刈り上げから覗いている耳も、袖を捲っている腕も、着崩してはだけている首も。茹蛸みたいに真っ赤だ。

みんなの青白い顔とは、明らかに違った。


「っざけんな!! 変態!!! 死ね、死ね死ね死ね死ね!!! 開けろって言ってんだろ!! っ……ぁ、あけ、っ……う、……あ゛ッ……!?!」


あ。あ……

28分6秒。

強烈な破裂音と、じんわり密室に広がっていく悪臭。


俺たちはみんな大塚の方を見ていた。

でも、大塚を直視できてた奴は、いたんだろうか。

大塚はその場に崩れ落ちて、奥歯をギリギリ噛み締めて唸っている。


「違う、俺じゃない、俺じゃ、俺じゃない!!! 下剤ッ、下剤入れられたんだよッ、俺の……俺のせいじゃない!!! クソ野郎!!! 殺す、殺す殺す!!」


大塚が静かになるまで、俺たちは誰ひとり、指一本動かすことができなかった。

沈黙を破ったのは、あの機械音声だった。


『おめでとうございます。試練の達成を確認しました』


「えっ……?」


達成した……のか?

確かに言われてみれば、大塚は飲んだ液体そのものを吐き出してはいない……


「っクはは……」


え。

笑ってる、やつがいる。


「ッはは、っぁははは、あは、っくく、はははっ!!」


笑い慣れてないやつの笑い方だ。何度も空気を飲み込みながら、息を詰まらせながら、涙を流して笑ってる奴がいる。

南雲侑吾だ。地団駄踏んで、手叩いて、壊れたみたいに笑ってる。


大塚は座り込んだまま、腹痛に苛まれているのか、汗でぐしょぐしょになって動けないでいる。

屈辱と怒りに燃えた鬼のように赤い目で、南雲のことを睨みつけている。


南雲の肩を、桐原が叩く。

が、南雲はかえってヒートアップした。

どもりながら、おそらく大塚への罵詈雑言を、言葉の限り吐き出し続けている。


それに触発されたように、葛西が眉を寄せて顔を上げた。嫌な予感がする。

葛西はすんすんと、千秋の首や腰周りに鼻を近づけて匂いを確かめている。それから、声を張り上げて言った。


「ちい。……誰かうんちした? くさい」


……最悪だ。

千秋はぽたぽた汗を垂らして一層真っ白な顔になった。震える声で、杏ちゃん、と窘めると、葛西は首を傾げながらも黙った。


「ぷっ……ふは」


大塚に最も近い場所で、佐伯が、吹き出した。

佐伯はずっと、自分の肩に顔を埋めて肩を震わせていた。

それは、吐き気と、漂う悪臭から逃れようとしている、苦しい後ろ姿のように見えたのに。

堪えきれなくなった笑いは、佐伯にも止められないようだった。ゲロとおんなじだ。


「ぶっ殺すぞ佐伯……!!」

「っはは、っは、あ、……っはは、わり、なんか……っはは!」


大塚は佐伯につかみかかることもできない。

俺が大塚だったら、佐伯に笑われたら、傷つくよ。因果応報だとは思う。でも、笑えるわけない。


『ポイントを算出しました。付与します』


モニターに表示されていた0/100という数字が、切り替わる。


『5/100』


「は……5ポイント?」


こんなに、こんな目に遭ったのに? たった5ポイントだって?こんなことを、あと19回も、しなくちゃいけないのか?


絶望のためか、臭気に耐えられなくなったのか、誰かが嘔吐した。


「っざけんなよ……!! こんなことして! 出てこいよ!! 殺してやるよクソが!!!」


自動音声は、大塚の声など届いていないように淡々と遮った。


『一年三組教室に、全員分の着替えが支給されています。また、体育館のシャワー室を利用することも可能です。各自、ご自由にお使いください』

『今後、教室は常時開錠されます。十八時までには教室にお戻りください』


着替え。シャワー。

淡々と、当たり前のように説明される奇妙な気遣いに眩暈がする。


『警告! 学校の敷地内であれば、どこにいていただいても構いません。しかし、敷地外には絶対に出ないでください』


『それでは、【天使探し】を続行してください』 


だから、なんなんだよ、天使って。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。