#11 刺繍
「おいゴミ」
大塚が掠れた声を絞り出した。
空気を震わせるような声の低さだ。
ツカツカと南雲に歩み寄ると、立てないまま荒く息を繰り返す南雲にそのまま馬乗りになった。
やばい。コイツはキレると手つけられない。
「きめえんだよ根性なしが!! てめえのせいでアイツは死んでいくんだぞ? なぁ? わかってんか!!」
吐瀉物でぬるぬるになっているのにも構わず、両手で南雲の詰襟を掴んで強く揺さぶる。南雲は口をぱくぱくさせておもちゃみたいに揺さぶられている。
「ほら、謝れよ!! 俺たち全員に土下座しろ、みーーーんな均等に我慢してただろうが??」
俺は一歩踏み出して、大塚を窘めた。
「大塚、待ってよ。南雲のせいじゃない、みんなあのとき限界で……」
「……ちがう」
呪詛でも口にするようにぶつぶつと呟いている。
「おれのは……最初から、変だった、お前らみたいに……っ、飲んですぐペラペラしゃべったりなんて絶対、絶対できなかった……」
「てめぇが貧弱だからだろタコが、ムカつくんだよ言い訳すんな!!!」
大塚の目は真っ赤になっていた。
佐伯は足元見て、知らん顔してる。情けない。
「っ、っ、っ、お、おれはっ、っ、この、の、ののみものがっ!!」
南雲は顔を真っ赤にして、同じことを主張しようとしている。
でもその言葉は大塚には言い訳としてしか伝わらない。
いや、大塚だけじゃないかもしれない。俺もちょっとだけ思ってしまう。
たしかに誰が吐いてもおかしくなかった。
でも、なんでごめんって言えないの。って……
大塚は大きな口をニヤッと開いて歯を見せた。
「お前またそれ? キモいなぁ相変わらず。何言ってんだかわかんねえんだよ」
佐伯もふっと笑って同調した。
嫌な笑い方だ。南雲はどう見ても怒ってるし悔しそうなのに、言葉を詰まらせるばっかりで一文字も出てこなくなっている。
喉まで出かかっている火薬が、いつまで経っても支えて出てこない。
「っ、っ、っほ、っほ、んと、っほんとにっ……」
「まだ言う? キッショ。一回死んだ方がいいんじゃねえの? それともお前を多目的送りにしてやろうか?」
大塚は大袈裟に鼻で笑ってみせる。
でも大塚も汗でびっしょりだ。南雲の髪の毛を鷲掴みにした手がブルブル震えてる。
「ほら。謝れよゴミ。お前友達いねえんだから誰も……ってぇ!」
大塚の手がぱっと離れて、南雲は後ろに倒れ込んだ。
南雲の目がぐらぐらと動いて、大塚を制止した桐原を見上げている。
やめろよ。と、それだけ。誰より低い声で、桐原は言った。
それでも大塚は吼えてみせた。
「んだよ。見てるだけだったくせにヒーローぶんな! ……はっ、さすが未来のお巡りさんは正義感お強いことで。早くパパ呼んでくればいいだろ。なぁ?」
「…………」
桐原の親父さんが警察のお偉いさんだっていうことは、クラスどころか学年中のやつが知ってる。
でもそれは桐原の口からは一回も聞いたことはない。
こんな皮肉を言われても、桐原は眉ひとつ動かさない。
ただ静かな目で大塚を見下ろしている。
南雲は乱れた前髪を苛立たしそうにぐしゃぐしゃにかいて立ち上がった。
それから桐原の方に向かって、苛立ちをぶつけるようになにか喚いていた。
それでようやく、教室の扉を、力無く押すような音がするのに気がついた。
先に気づいていたのか、葛西が心配そうな顔をして、犬のように扉の前で右往左往している。
「千秋……っ?」
南雲と大塚とのやり合いを苦しげに見ていた瑠伊は、弾かれたように立ち上がって扉に手をかけた。
葛西は瑠伊の肩に鼻をうずめてスンスンと呼吸を繰り返しながらも、目は扉だけを見つめている。
「……あけて……」
扉の奥で、小さく、千秋の声がする。
やっぱり生きている。
生きて、教室に帰されている。
瑠伊は一瞬躊躇ったように手を引っ込めたが、ごくりと喉を鳴らして扉をスライドさせた。
千秋は、立っていた。自分の足で、確かに。
学ランをワイシャツの両袖ごと肘まで捲った腕を、力無く、手錠をかけられている囚人のように前に差し出している。
でも、千秋の腕が光っているんだ。金色の、繊維のようなもので埋め尽くされて。
「っ……!!」
目の前で千秋を迎えた瑠伊が腰を抜かして座り込んだ。
千秋は、真っ青な顔をしたまま、一歩、また一歩、教室に入ってくる。
ゆっくり閉じていった扉が、ガチャンと固い音を立てた。
「……指、……動かないんだ……」
千秋が声を絞り出す。
何度も叫んで枯れ果てた声。
ぺた、ぺた、と頼りない足音だけが響く。
いや、ちがう。微かにぽたぽたと水が滴っている音もする。
血だ。千秋の足跡を、鮮やかな血が語っている。
やがて千秋に何が起こっているのか、いやでも目に入ってくる。
千秋の腕には、金の糸で、綺麗な花模様が刺繍されていた。びっしりとだ。
南雲が息を呑んでいる。たぶん、恐ろしくて、ではない。
怖い。許せない。酷い。
俺たちはみんな同じことを感じていたはずだ。
でも確かに、千秋の腕の刺繍は、宝石のように煌めいていて。
死によって完成される美しさ。
誰かが言った言葉が頭をよぎる。
地獄にはきっとこんな花が咲いてるんだと、漠然と感じた。
千秋は、罰を受ける前に自分が立っていた場所に、とても静かに戻った。
葛西は千秋の後ろを大人しく着いて行き、千秋が立ち止まったところで彼の腕に顔を寄せた。
「……ちい、いいな、キラキラかっこいい。……これ、かーしーて」
「や……やめてっ、杏ちゃんっ……動かすと……痛、っああああっ……?!」
葛西は千秋の両手を割れ物に触れるようにとって、胸より高い位置まで引き上げる。
手のひら側の腕は綺麗な金色なのに、反対側は血を吸った糸がぐちゃぐちゃに絡まっている。
葛西は構わず、糸の凹凸に頬を擦り寄せた。
『ペナルティが完遂しました』
電子音が響き、モニターのタイマーがリセットされた。
『1人1杯、コップに注がれた液体を飲み干し、30分体内に収めてください』
喉の奥までせり上がっていた吐き気が、一気に冷えて固まった。カタカタと、誰かの歯の根が合わない音が聞こえる。
誰も動かない。動けるはずがない。でも誰かが動かないと、永遠に時計の針が進まない気がして。手のひらに握っていた汗を、スラックスで擦った。
廊下にはさっきと同じグラスが置かれている。機械が並べたように、全く乱れのない整いようだ。
俺はグラスを手にとって、崩れかけた円に向かった。
「……俺は飲むよ」
自分の声とは思えない、カサついた声だった。
「飲まなきゃ、終わんないんだ。……待つよ、俺は。みんなが協力してくれるまで」
胃の中の花は、まだ熱を持って暴れている。もう一滴だって入りそうにない。
それでも、隣の教室から聞こえてきたあのミシンの音を思い出せば、指先に力がこもった。
自分は南雲のようになってはいけない。
誰かを千秋のようにしてはいけない。
視線を向けると、志麻と目が合った。志麻は何も言わず、ただ俺を見ている。
志麻は何を考えてるんだろう。
最初に動いたのは桐原だった。
まっすぐ廊下に行って、節のある右手にグラスを握って戻ってくる。
表情筋だけが死んでるみたいに機能してないけど、すれ違いざまに、ぽん、と右肩を叩かれた。
緊張していただけの筋肉がほんの少し緩んだ。
志麻は千秋の腕の刺繍をじっと見た後、目を閉じて細く長いため息をついた。
体内に溜まっている毒を全て吐き出すみたいに。次に顔を上げた時にはもう迷いはなく、淡々とした足取りでグラスをとった。
志麻は俺の視線に気づくと鬱陶しそうな顔をして目を逸らした。その熾烈さすら心強い。
志麻に瑠伊が続くと、佐伯が、大塚が続き、次々とグラスを手にし始めた。
みんなが何考えてるか、俺にはわかんない。
でもこの際、一つになってくれるならなんだっていい。
千秋も飲むと言ってくれたが、葛西が飲ませると言って聞かなかった。
葛西の両手に握られた液体が、ゆらりとゆれて何滴かぼたぼたとこぼれる。
うわ、どうしよう。これで失格になったら?
そんな恐怖をよそに、葛西は千秋の隣にぴったりとくっついて満足そうに笑ってる。
最後まで座り込んでいたのは南雲だった。
青い顔をして外の方を向いている。
「……侑吾」
鈴のような澄んだ声。瑠伊だ。
「ううん、侑吾だけじゃない。みんな聞いて」
瑠伊は南雲の前に立ち、庇うように語りかけた。
「こんな理不尽なことさせられてるんだから。強い薬だって、混ぜられてるかもしれない。さっき、侑吾が飲んだみたいな」
瑠伊は当然のように、南雲の言い訳を信じた。ひぐ、と音を立てて、南雲は息を呑んだ。
「……もし、吐いちゃいそうになったら。さっき蓮司が、杏太にやったみたいに。左隣にいる人に、抑えてもらうの。どう?」
瑠伊は艶のある唇を小さく噛んで、不安気にみんなの様子を窺っていた。
「さんせー。責任は分散した方がいいよ」
佐伯が力のない声で賛同する。誰も異議を唱えなかった。
南雲は瑠伊を光のない目で見つめてしばらく黙っていたが、ようやく頷いた。
こうして俺たちは、今度こそ全員で一度に液体を煽った。




