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再会


広場へ向かって駆け出しながら、私は隣を走るニアと互いに目配せを交わした。


無言のまま力強く頷いた彼女は、深い傷を負い、縄で縛られた竜人族たちの救護へ。

 私はヒノカを連れ、巨大な杭で地面に打ちつけられたドラゴンたちが多数いる元へ。

 私たちは二手に分かれ、それぞれが向かうべき場所へと突き進んだ。


荒くなった自分の呼吸と、地を蹴り上げる靴の音。

 広場へ近づくほどに空気は冷たく、そして重く淀んでいく。

 肺の奥まで侵食してくるのは、むせ返るような死の気配だった。


視界の端で火の粉が舞い、崩れ落ちた壁の隙間からは、冷たく湿った風が吹き抜けていく。

 胸をざわつかせる嫌な予感を振り払うように、私は祈りを込めて拳を握り、全力で地を蹴って突き進む。


ドラゴンたちの無残な姿が晒されているエリアに足を踏み入れた、まさにその時――。


「……っ、お母さんっ!!!!!!」


喉が張り裂けんばかりの、ヒノカの悲痛な叫びが辺り一面に響き渡る。

 彼女は脇目も振らず、冷たい地面に力なく横たわる一体のドラゴンの元へと駆け寄った。


「……っ、ヒノ……カ…………な……の…………っ? ……ぁ…………」


今にも消えてしまいそうなほど弱々しい、掠れた声。ヒノカの声に応えたドラゴンの姿を視界に捉え、私は息を呑んだ。


全身の血が、一気に引いていく。


ヒノカの母親らしきその個体は、太い杭で四肢を地面に打ちつけられているだけではなかった。

 その両目は無惨に潰され、溢れ出した大量の血液がどす黒く変色したまま、痛々しく乾ききっている。


辺りに漂うのは、鼻にこびりつくような強烈な鉄の臭いと、濃密な死の気配。生きているのが不思議なほどの重傷だ。


荒い呼吸を繰り返すたびに、剥き出しになった皮膚が痛々しく上下している。

 これほどまでの苦痛の中、彼女はたった一人で耐え続けていたのか。

 吐き気がするほどの暴力の痕跡を前に、私の拳は怒りで白くなるほど固く握りしめられていた。


(どうして……こんなにも、残酷なことができるのよ……っ!)


腹の底から、どす黒い感情が一気に込み上げてくる。

 再び頂点まで達しそうになる怒りを、私は奥歯を噛み締め、必死に自分を抑え込んだ。


「………っ!!!! お母さん、その目……ッ」


ようやく果たした再会の喜びは、一瞬で、奈落へと突き落とされた。

 母の顔を覗き込んだヒノカの瞳が、その凄惨な傷痕を捉えて激しく震え出す。

 彼女は何かを叫ぼうとして何度も唇を戦慄かせたけれど、言葉は声にならず、ただ苦しげに喉を鳴らすことしかできなかった。


私はヒノカの母親の側へ駆け寄ると、すぐに体力を回復させる治癒魔法を発動させた。それと同時に、四肢に打ち込まれた嫌な気配を纏った杭の『解析』を開始する。

 杭に魔力を通した瞬間、瞳の奥がジリジリと焼かれるような初めての感覚に襲われた。


なぜ、こんなことができるのか。自分でも理由はわからない。

 けれど、今はそんなことどうでもよかった。まずはこの人を――彼女の母親を、絶対に救ってみせる。


私の頭の中を占めているのは、その強い祈りただ一つだった。


私は想いを魔力に乗せ、四肢を貫く杭の奥底へと、深く、鋭く『意識』を潜らせていく。

 絡みつく真っ黒な澱みを掻き分け、その深部の核に触れて、ようやく辿り着いた真実。


暴き出した気配の正体、それは――『呪い』だった。


杭にまとわりつく、どす黒い鎖のような術式。それが心臓の鼓動に合わせるように、傷口から命をじわじわと吸い上げているのが視える。


その瞬間、ドラゴンを討伐するための『断絶の槍』にも、これと同じ呪いが施されているのだと確信した。


(……いま、ここで『呪い』なんて言葉は出さないほうがいいよね。きっと、余計な不安を煽るだけだから)


癒そうとする力を拒絶し、生を否定する、悍ましい執念の塊。

 回復を無効化するこの杭が刺さったままでは、いくら治癒魔法を重ねても意味がない。彼女自身、この呪いのせいで自己再生が阻まれ、ここまで衰弱してしまったはずだ。


私はヒノカの母へ、安心させるように優しく語りかけた。


「まずは、この杭を完全に引き抜く作業から始めますね。治癒魔法をかけながら行いますから、痛みは感じないはずです。……少しだけ、違和感はあるかもしれませんが。ですが、必ず完璧に治療してみせますっ! 私に、任せていただけますか?」


私の問いかけに、ヒノカの母は迷うことなく、深く、力強く頷いて応えてくれた。


四肢を貫く杭のすべてに意識の糸を繋ぎ、私の魔力でその一つ一つをがんじがらめに縛りつけ、しっかりと固定する。

「――抜きます!」

 声をかけた直後、私は一切の躊躇を捨てた。

 ズブ、と肉を裂く鈍い音と共に、ヒノカの母から自由を奪っていた巨大な杭を一気に引き抜く。

 それと同時に、傷口から溢れ出しそうになった鮮血を包み込むように、強力な治癒魔法を流し込んでいった。


痛みが走る暇さえ与えない。我ながら完璧と言えるほどの、神速の処置だったと思う。

 四肢の傷口は瞬く間に塞がり、失われかけていた生命力が、その巨大な身体へと目に見えて宿っていく。


「…………嘘。手足の痛みが……完全に消えているわ……」


混濁していた意識がはっきりとし、ヒノカの母は驚きに声を震わせている。

 弱々しかった呼吸は力強さを取り戻し、彼女は四肢が自由になったことを確かめるように、大きな前足をゆっくりと動かした。


「よかった……! 大丈夫そうですね。では、続けて瞳の治療に取り掛かります」

「……ええ。本当に、ありがとう。……けれど、この貫かれた瞳の傷はきっと……」

「特殊な形状をした『槍』で受けた傷、ですよね?」

「……っ! なぜ、それを……!?」

「お母さんっ!!! そんなことより、今は一刻も早く治療しなきゃ! 莉乃を信じて! 私も同じ槍でつけられた傷を彼女に治してもらったのっ!」


ヒノカの悲痛な叫びを受け、彼女の母は覚悟を決めたように深く一度だけ頷いた。


「……ヒノカ、分かったわ。……お願い、してもよいのですか?」

「ええ、もちろんです! ……あ、申し遅れました。私は蒼羽莉乃といいます。――では、始めますね!」


ヒノカの母に顔を伏せてもらい、私はその無惨に潰された両目から、今度は一度も目を逸らさなかった。

 魔族から受けたその凄惨な傷口をしっかりと見つめてから、私はそっと、両目の上に手をかざしていく。

 そして祈りを捧げるように想いを乗せ、一気に治癒魔力を発動させた。


その瞬間、私の手のひらから眩い光が溢れ出し、あたり一面を白一色に塗り替えた。

 温かな光は彼女の全身を優しく包み込み、目を逸らしたくなるほど凄惨だった瞳の傷を、みるみるうちに癒していく。


溢れ出る光の中で、失われていた組織が一つ一つ繊細に編み直され、新たな色彩が宿っていく。

 無惨に抉られていたその痕跡は――やがて跡形もなく、眩い光と共に完全に消失した。


「……よし、これで大丈夫。……痛み、どうですか?」


私の声に導かれるように、ヒノカの母がゆっくりと、重い瞼を持ち上げる。

 光を取り戻したその瞳は――彼女と同じ、黄金色に輝くとても綺麗な色をしていた。


「お母さんっ……! 私のこと、見える……?」

「……ええ。すごく、はっきりと……見えているわ……」


愛する我が子からの問いかけに声を震わせながら答えた、彼女の黄金色の瞳からは、大粒の涙が溢れ出していた。


「っ……! お母さんっ!!」

 ヒノカはたまらず、込み上げる感情をぶつけるように、母の大きな頬へとぎゅっと抱きついた。


その温もりに触れた瞬間、堰き止めていたものが決壊したかのように、彼女の瞳からもまた、涙がとめどなく溢れ出し、頬を伝っている。


「……ヒノカ。無事で、本当によかった……。もう一度、あなたの姿をこの目で見られるなんて……」


ヒノカの母は、夢ではないことを確かめるように、愛おしそうに娘の頬へ顔を寄せる。

 触れ合う肌の熱を噛みしめるようにしてしばらく目を閉じたあと、彼女はその潤んだ黄金色の瞳をゆっくりと動かし、静かに私へと視線を向けた。


「私の名は、フレアと申します。莉乃さん……。あなたには、なんと御礼を申し上げればよいのか……」


彼女は噛みしめるように私の名を呼び、震える吐息を漏らす。


「……痛みも。あんなに私を苛んでいた禍々しい気配さえも、今はもう……完全に消え去ってしまいました」


「フレアさん、本当によかったです……! 私もちゃんと治せて、実は今、めちゃくちゃ安心してますっ!」


私は胸に手を当てて、大袈裟にホッとしたようなポーズを取ってみせると、満面の笑みを浮かべた。


けれど、安堵に浸っていられる時間は短かった。

 ふと視線を周囲へ巡らせれば、そこにはフレア以外にも、まだ辛うじて息のあるドラゴンが数体、力なく横たわっている。


「……っ、ヒノカ! まだ助けられる仲間たちがいるわ! 私が処置を終えるまで、あなたの魔法で命を繋ぎ止めてあげて……っ!」


「……っ!! わかったわ、任せて!!!」


ヒノカは力強く頷くと、弾かれたような速さで地を蹴り、仲間の元へと駆け出した。


私の叫ぶような呼びかけに、フレアも即座に呼応する。


「莉乃さん、微力ながら私も協力させていただきますっ!」

「……っ?!!! フレアさん、あなたはまだ……っ!」


制止の言葉が届くより早く、彼女は大きな翼を力強く羽ばたかせた。

 巻き起こる突風。土埃を舞い上げ、彼女は一番遠くに横たわる仲間の元へ舞い降りると、その身から慈愛に満ちた光を放ち始める。


私の治癒魔法で傷は塞がったとはいえ、きっとまだ本調子ではないはずだ。

 それなのに、空を切り裂くその背中に、躊躇いは微塵も感じられなかった。


「……すごい」


その気高さに圧倒されて、私はただ、こぼれ落ちた言葉を追いかけるようにその背を見つめていた。


私もすぐさま彼らの元へ駆け寄り、打ち込まれた杭を抜き去りながら、次々と治癒魔法を施していく。


けれど、視界を広げるたびに、絶望が私の胸を容赦なく締め付ける。

 そこにはすでに事切れた、無惨な姿のドラゴンたちも数多く横たわっていた。

 冷たくなり始めたその鱗に触れるたび、私の指先から、やるせない焦燥感が全身へと伝わってくる。


――間に合わなかった。


鼻を突く血の匂いと、物言わぬ巨躯が放つ圧倒的な「死」の静寂が、私の心を折らんばかりに押し寄せてくる。


死者を蘇らせることだけは、いかなる魔法をもってしても叶わない。

 私は、爪が手のひらに食い込み、血が滲むほど拳を固く握りしめた。そうでもしなければ、溢れ出しそうなこの悔しさに押し潰されてしまいそうだったから。


(……ごめんなさい。助けてあげられなくて、本当に……ごめんなさい……っ)


心の中で繰り返される、届くはずのない謝罪。


どれほど懺悔し、祈りを捧げようとも、冷たくなった彼らが再び空を舞うことは二度とない。


治癒魔法の光が虚しく吸い込まれていく亡骸を前に、私は溢れそうになる涙を必死に堪えた。


けれど、いつまでも俯いてはいられない。


私は一度、深く目を閉じ大きく息を吐き出した。そうして無理やり心に蓋をして前を向くと、ヒノカとフレアが必死に繋ぎ止めてくれた命の元へと走り、今この場で救える全ての治療を終えた。


隣で安堵の吐息を漏らしながらも、どこか呆然と立ち尽くしているヒノカ。私はそんな彼女へ、なるべくいつもの明るい調子で声をかけた。


「ヒノカ、私はニアを手伝ってくるねっ! あなたはフレアさんの側にいてあげて!」

「……え? 莉乃っ!? ちょっと待っ……」


背後から届くヒノカの声を振り切るようにして、私は懸命に治療を続けるニアの元へ、弾かれたように駆け出した。



第5話、読んでいただきありがとうございました!


もし少しでも「続きが気になる!」と思って下さった方は、下にある【ブックマーク】や【評価(☆☆☆☆☆)】で応援していただけると、作者の心のステータスも徐々に上がっていくかと思います。何卒っ!


次回は「命名」です。よろしくお願いします!


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