第38話 バスでの一時
翌日。山へ向かうバスの中。
床下から、かすかに伝わってくる振動。
それは機械的なものではない。
もっと柔らかく、一定で、どこか生き物みたいな――魔素の流れだ。
低く静かに脈打つそれが、車体全体を満たしている。
……のだが、
「うわぁぁぁぁ! 木! 山! 自然! あと木! 木! 木ぃぃぃ!!」
――台無しである。
運転手すら必要としない神秘的な魔導バスの雰囲気が、背後からのけたたましい奇声によって微粒子レベルに粉砕された。
振り向くまでもない。
澪だ。
窓ガラスに顔面を押し付け、皮膚を歪ませながら叫んでいる。
「語彙力どうした」
後ろから、斗真の冷ややかなツッコミが入る。
「だってテンション上がるじゃないですか!!」
「分かるけど、木しか言ってないぞ」
「木はすごいんですよ!?」
「その説明をしろ」
「いっぱいある!!」
「雑すぎるだろ!」
「……木の良さは言葉じゃ表せないんですよ!」
「逃げたな!?」
完全にIQが3くらいに低下している澪だが、本人はすこぶる楽しそうだ。
そのまま『むにっ』と頬をガラスに張り付けたまま、なおも発狂気味に叫ぶ。
「見てくださいあの木! あの木めっちゃ木ですよ!!」
……騒がしい。
本当におめでたい頭をしている。
ちなみに斗真の隣では、伊藤が眠っていた。
「……位相……干渉……第七……爆ぜる……回路……収束……くらえ……」
(寝言で何と戦ってるのよ)
小さくため息をつき、視線を自分の隣へと戻す。
「……」
慧だ。
彼もまた、静かに眠っていた。
シートに体を預け、ほんの少し首を傾けている。
窓から差し込む木漏れ日が、その整った横顔を柔らかく照らしていた。
(……珍しい)
思わず、息を呑んで見入ってしまう。
普段の慧はいつだって張り詰めている。
誰よりも鋭く周囲を警戒し、スキを見せない。
なのに――今の彼は、拍子抜けするほど無防備だ。
年相応の、ただの男の子の顔。
(……ズルいんだけど)
ドクン、と胸の奥が大きく跳ねた。
整いすぎたまつ毛、すーすーと聞こえそうな小さな寝息、少し開いた唇。
(見てはいけない気がするのに、目が離せない……っ)
ダメだ、心拍数が跳ね上がって暴走しそうだ。
もう少しだけ見ていたい、あと少しだけ――
「凛先輩」
「ひゃいっ!?」
変な声が出た。
いつの間にか、澪が真横に生えていた。
「……な、何よ」
「今、慧先輩の寝顔めっちゃ舐め回すように見てましたよね?」
「見てない!!」
「え〜〜〜〜?」
澪が底意地のアクマみたいなニヤニヤ顔で、ぬうっと顔を寄せてくる。
「絶対見てましたよね? 穴が開くほど! なんなら穴開いてましたよ!?」
「見てないって言ってるでしょ!!」
「今めっちゃ目逸らしましたよね!? 泳いでますよ、目が太平洋くらい泳いでますよ!?」
「眩しかったの!!」
「バスの中ですよ? 今ちょうど日陰に入りましたけど!?」
「……光の、残像が」
「く、苦しい! 言い訳が苦しすぎる!!」
うぐ……っ。
完全に追い詰められた。
澪はニマニマと口角を吊り上げ、逃げ場を塞ぐように迫ってくる。
「凛先輩」
「……何よ」
「分かりやすすぎて愛おしいです」
「黙りなさい!!」
睨みつけるが、現在の澪にはノーダメージどころか極上の燃料にしかならない。
そして彼女は意地悪な笑みを浮かべ、決定打を打ち込んできた。
「で、どうでした? 旦那様の寝顔は」
「だッ……!? だ、誰が旦那様よ!! 普通! 普通だったわよ!」
「普通って何ですか! 語彙力が私レベルに低下してますよ!?」
「あなたと一緒にしないで!!」
必死に抗弁する私を、澪は生暖かい目で見つめ――ついに、核兵器級の質問を投下した。
「凛先輩」
「何よ……っ」
「慧先輩のこと、ぶっちゃけ好きなんですか?」
――思考停止。
時が止まった。バスの振動すら消えた気がした。
「〜〜〜〜〜〜っ!?」
顔面に血流が爆発的に駆け巡るのが分かる。
「ち、ちちち違うから!!
な、何言ってるのバカじゃないの!? 全然違う!! 異次元レベルで違う!!!」
(……あ、しまった)
焦れば焦るほど墓穴を掘る。
案の定、目の前の澪の表情が【勝利を確信した悪魔】へと進化していた。
(これは……図星では――っ!?)
澪の脳内で、クラッカーとファンファーレがド派手に鳴り響いているのが目に見えるようだ。
「そ、そんなんじゃない! ただ……っ!」
腕を組んでごまかそうとするが、震える指先が言うことを聞かない。
言い訳の言葉を探すのに脳細胞が全滅しかけている。
「……ちょっと」
「ちょっと〜〜〜?」
逃がす気ゼロの食いつき。蛇に睨まれた蛙状態だ。
「……気になる、だけ」
絞り出すように呟いた、その瞬間。
澪の脳内ライブ会場で、爆薬10トン分の花火が打ち上がった。
現実の澪は「ニヤニヤ」を通り越して、「ぬふぅ〜〜〜」と凄まじい顔で口元を歪ませている。
「へぇ〜〜〜〜〜」
「な、何よその顔!! うっとうしい!!」
「いいえぇ〜〜? すっごくイイと思いますよぉ〜〜?
甘酸っぱくて私吐きそうです」
「だから違うってば!!」
「否定すればするほどドツボにハマるシステムになっております〜〜」
恥ずかしさで爆発しそうな私の頭上から、さらに追い打ちがかかる。
「……あらあら、青春ねぇ」
「甘苦くて眩しい。目が潰れる」
前から、柳先輩と優里先輩が身を乗り出してこちらを見ていた。
(最悪……!)
「いいなぁ、若い子の恋愛初期イベント。特等席で観賞中」
「混ざる? 煽ってあげるけど」
「いや、極上のラブコメは観客席でニヤつくのが一番だろ」
「柳、最低ね。同感だけど」
クスクスと楽しそうな笑い声と生温かい視線が突き刺さる。
さらに後ろからは、
「お前ら、朝から何の拷問イベントやってんだ?」
呆れ顔の斗真だ。
「……何でもない!!」
「その顔は絶対『何でもある』やつだな。……え、何? イチャイチャ?」
「次その口開いたら灰にするわよ?」
「すみませんでした」
生命の危機を察知した斗真が爆速で撤退していく。
「……」
熱くなった頬を隠すように、もう一度だけ、こっそりと隣を見た。
慧はこれだけの騒ぎの中でも変わらず眠っている。
(……ホント、何なのよ)
小さく息を吐く。
私の胸の奥の騒がしさは、さっきよりもずっと激しく脈を打っていた。




