23 悪役令嬢と従者と弟と
ラエリアン王国は、現在発見されている国々の中では、先進国と呼ばれる部類の国である。
莫大な領地と、有能な人材、そして古くから続く王制に支えられた我が国は、政治、文化、産業……どの分野においても発展しており、大陸……否、世界を牽引していると言っても過言ではない。
しかし、どんな国にも当然見せたくない部分はある。ラエリアン王国の場合、それは富裕層と貧困層の経済格差だった。王制を敷く我が国では、身分秩序が厳格化され、人の命の価値は身分によって変わる。ノアの住む首都、アムネリスは勿論整備され発展しているが、少し外れの方に行けば、スラム街なんていくらでもある。いくら発展しているとはいえ、まだまだ国民皆を幸せに、とまではできないしならない。使い潰しの庶民の命はこの時代、酷く軽いものだった。
そしてアルもまた、その使い潰しの命として生まれてきた。親の顔も、出身がどこかも彼は知らない。ただ、嘘と暴力に塗れたあの街で、地べたを這いずり回って必至に生きていた。
『兄弟』と出会ったのがいつのことだったかは、もう覚えていないとアルは語った。
ただ、たまたま同じような年齢で、同じように傷を抱えて。互いが互いを利用価値がある人間だと踏んだ。それだけのことだったらしい。一人、二人と仲間は増え、気がつけば一緒に路地裏を駆け回っていたと、懐かしげに笑っていた。そんな仲間たちのために、可愛い弟たちのために。この苦しい生活が、少し楽になるようにと、彼は必死に学を詰め込み、今こうしてノアの側に立っていた。彼のこの数年の努力は本当に讃えられるべきものだとノアは思う。……そんなことを言えば、彼は柄にもなく「別に普通ですよ」なんて、へらりと笑うのだろうけど。
だが、そんな努力をできる人間が限られた存在であることを、ノアはちゃんと知っている。
あの日、久しぶりに届いた手紙を嬉しそうに眺めていた彼の顔は、間違い無く一家族の兄そのものだった。彼は愛しい家族に、惜しげも無く時間も金も費やした。
「……で、その結果がコレですか……」
「コレ、ですねぇ……」
至極微妙な顔でそう漏らしたノアと、その視線の先の存在に頭が痛むのか、眉間にシワを寄せるアル。目の前のソファにふてぶてしく腰掛けるのは、アルとは似ても似つかない派手な髪色をした青年。ロイ・スニットソン。つまりはアルの弟。
「んだコラ文句あんのかよアァン!?」
「あるに決まってんだろ殴るぞ」
「……わぁ」
……あまりにも。あまりにも非常な成長だった。
否、世間一般の反抗期といえばこんなものなのだろうが。でもそれでも、従者の努力を知るノアとしては『マジかコイツ』というのが、率直な感想だった。
「しっかしまぁ……以前はもう少し丸かった気がしたんですけど……その、なんて言うか……」
「やめて下さいお嬢様、それ以上は……」
切実な従者の言葉に、ノアはそっと口をつぐむ。やめよう。これ以上は彼が哀れで見ていられない。……なんというか、かつての彼も大概だったけれど、それとはまた違ったトンガリ方である。
「ケッ、相変わらず情けねぇなぁクソ兄貴! そんな女にへこへこしやがってよ! だっせーと思わねぇのか、あぁん?!」
そう、チィッと舌打ちをして、ロイは出された紅茶を品もなくグビリと飲み干す。外で騒がれては堪ったものではないので、一応客人として通したが、さっさと追い返してしまうべきだったかもしれない。さっきからギャンギャンうるさくて仕方がないのだ。
「ったく、なよなよしちまってなっさけねーよな兄貴は! そんなんだからアリスに『アルお兄とだけは結婚したくない』って言われるんだぜ」
「やっかましいわ! っつーか俺だけじゃないからな! お前もこの間『ロイ兄ぃのとパンツ一緒に洗濯しないで』ってアリスに言われてたぞ!」
……お互いに。
「は?! 言っとくけどお前もだからなそれ!!俺とお前のパンツだけタライの外に弾かれてたかんな?! 人の事言えねーから!!」
「お前それ自分で言ってて虚しくなんねーの?!」
「……あの、どうでもいいので静かにしてもらえません?」
喚く二人に、ノアは心底うんざりした表情で言う。隙あらば口論、口論、口論。流石のノアもそろそろ我慢の限界だった。
「これ以上騒ぐのなら、人を呼んで両方摘み出しますわよ」
そう、側にあった電話機に手をかける。ノアが一声内線を掛ければ、腕っ節自慢の使用人達はすぐに飛んできてくれるだろう。流石にそれはマズイと悟ったのか、ソファを立ち上がり今にも掴み合いの喧嘩を始めそうだった両者は、お互いを睨みつけながらも、その拳を収めた。
大人しく引っ込んだ辺り、ロイもつまみ出されるのは困るらしい。どうやら彼も、わざわざ兄と喧嘩をするためだけにここに来たわけではないようだ。
「……で? ご用件は何かしら?」
小さく溜息を吐き、ノアはそうロイに目を向ける。その気取った口調が気に食わなかったのか、チッとまた舌打ちを飛ばし、しかしそれでも再びソファに腰を落とした彼は、ぶすくれた表情で答えた。
「オメーを、迎えに来たんだよ」
「……俺を?」
ギッと睨まれ、アルは首を傾げる。どうやら迎えに来てもらうような心当たりがないらしい。
——- あれ、でもそういえば彼、今日は実家に帰るって言ってなかったかしら。
断れば済むから、と彼は笑っていたけれど、もしかしたらロイはそれを迎えに来たのかもしれない。だがご覧の通りの反抗期の彼が、兄の到着が遅いからってわざわざ迎えになんてくるのだろうか。
「っテメェ、その顔はやっぱり覚えてねぇな……?」
キョトンとした顔をする兄に、弟は呆れ切ったように盛大に溜息を吐いた。そのセリフに、アルはようやく得心がいったように「あ」と声を漏らす。
「ごめんごめん。あとで連絡しようかと思ったんだけど、今日はやっぱり屋敷に残ることに……」
「あ?」
「ひぇっ」
室内に響くドスの効いた声に、アルが思わず声をあげた。どうやらいい感じに地雷を踏んだらしい。ロイはまた、盛大に溜息を吐いて今度はノアに向き合った。
「オイ、お嬢様よぉ」
「何ですの?」
「コイツ、今日は休みだよな?」
「……ええ、まぁ、一応は」
まぁ確かに、本来今日彼は休暇だった筈である。ノアが引き止めていなければ、今頃はロイ達家族の暮らす家に帰っていただろう。
「じゃ、休みっつーことはコイツが何してもオッケーだよな?」
「そうなりますわね」
いくら主人といえど、別に従者の仕事外の行動を制限する自由はない。見越したノアの言葉に、ロイは「よし」と口角を上げた。
「じゃ、オレがコイツ借りてってもいいってことだよ……なっ!」
「っ、おおう?!」
ぐい、といきなり腕を掴まれ、アルの口から素っ頓狂な声が漏れる。アルを無理矢理立ち上がらせたロイの指先は、まるで逃がさないとでも言わんばかりに彼の腕にしっかりと食い込んでいた。
「いや、借りてくってお前、どこ連れてく気だよ?!」
「あ? 家に決まってんだろーが。そういう約束だろ」
「いやでも……」
ちら、とアルの瞳がノアのを見やる。
ノアは少し考えて、それから、さっさと出て行け、とでも言わんばかりにピラピラ手を振った。別に、彼以外にも執事はいる。今更作戦会議なんてノリでもないし、何より元々は休暇だったのだ。行きたければさっさと行けばいい。
……ついでに、潰してしまった半日分の休暇もサービスしてやろう。
……何か事情もあるみたいだし。
「っし、決定だな! オラさっさと歩けクソ兄貴!」
「っえぇ……?! いや、ちょっ、良いんですかお嬢様?!」
「だーから構いませんわよ、別に。ほら、さっさと行ってらっしゃいな」
久しぶりにゆっくりしてこい、と。そんな意味も込めて言葉を掛ければ、アルはなんだか申し訳なさそうにしながらも、最終的にはぺこりとノアに頭を下げた。
「……すみません、ありがとうございます」
「はいはい。お土産よろしくね」
そう笑いかけたノアに「了解です」と眉を下げて、アルはロイの後に続く。
……普段頑張ってくれているのだ。休みの日くらいは、気にせずゆっくり羽を伸ばしてきてほしい。
—— 作戦会議は、また彼が帰ってきてからにでもしましょうか。
そう思いながら、羊皮紙とペンを片付けようと、ノアは机の上に手を伸ばした。
……その時だった。
ジリリリリリリ!!!
「っ?!」
鳴り響くけたたましいベル音に、全員の肩がびくりと跳ねる。音の主は、先程ノアが手を伸ばした電話機だった。
「……電話……?」
一瞬ドキリと飛び跳ねた心臓を押さえつけ、誰からだろう、と不思議に思いながらノアはその受話器をとる。アルもロイも、そっとこちらの様子を伺っていた。
『ああ、もしもしアルかい?』
声の主は、この屋敷に長年務める執事長だった。基本的に、主人であるノアがこの電話の受話器を取ることはあまりない。大体内線の対処をするのは執事のアルだ。というのは、受話器の向こうにいるのがノアの父や、セドリック、同位の貴族であるならまだしも、屋敷内にいながら使用人の身分で、電話で業務連絡、というのはあまりいただけないからだ。だから執事も、電話を取ったのはアルだと勘違いしたのだろう。
「いえ、私ですわよ。どうなさったの?」
『おや、お嬢様でしたか。失礼いたしました。いえ、実はですね、先程電話が掛かってきまして、アルに繋いで欲しいと』
「アルに……?」
名前を呼ばれたアルは「俺ですか?」と首を傾げている。……アルに電話を掛けてくるような友人なんて、いただろうか。
「分かりましたわ、繋いで頂戴」
『畏まりました』
執事の言葉を聞き、ノアはアルに受話器を差し出す。そろそろとそれを受け取ったアルは、そっとそれを耳に当てた……が。
『っアルーーーーーー!!!!』
「っべ、ベロニカ?!」
キィン、と。受話器を通してここまで届くような、甲高いその声に、アルが目を見開いた。
ベロニカ。
ベロニカ・スニットソン。彼の妹だ。
どうやら電話は、そのベロニカからのものらしい。
—— あら? でも彼の家に、電話機なんて無いですわよね?
この時代、電話機まだまだ貴重品だ。不自由ない生活を送る商人などならまだしも、一般庶民の、それもその中でも貧しい部類に入るアルの家に電話などあるはずない。
そして、それにはアルもすぐに気がついたらしい。
……なにかを察したような表情で、受話器に声を吹き込む。
「……落ち着け。どうしたんだよ、そんなに慌てて」
『った、大変なの、アル兄ぃ! 大変なのよっ!!』
「あーはいはい分かったから。ほら、ゆっくり。……何があった?」
『っう……アリスとね……アランがっ……攫われちゃったのっ!!』
「っ……?!」
カラン、と。アルの手から受話器が落ちた。
ペリドットグリーンの瞳は大きく見開かれ、言葉が出ないようだった。……ロイもどうやら話は聞こえていたらしい。同じように瞳を見開き、呆然と立ち尽くしている。
「…………ヤベェな、それ」
乾いた声が、部屋に響いた。
休日はまだ、始まったばかりである。




