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20 悪役令嬢は駆けつける


 息を弾ませ、鼓動を鳴らし。声の聞こえた方へと駆ける。ここは東館。声の聞こえた先には、物置部屋しかなかった。他の部屋とは違う、簡素な造りのお粗末な薄い扉の向こうからは、何やら争うような声が聞こえる。


「……めて……!……い、は……て!」


 どこか怯えた色を持つ、少女特有の高い声。


「……やっぱり」


 その声は、フィオのものに間違いなかった。


「お嬢様、ロザリア様、下がってください」


 言って、アルはノア達の前に進み出る。

 そして懐に手を入れたまま、金メッキのドアノブを握った。


「……っ、何してる!!」


 バン!と音を立てて、アルが扉を勢いよく開く。……廊下のあかりに照らされて浮かび上がったのは、フィオと、顔を赤らめた身なりのいい中年の男だった。


「あ、貴方はっ……!」


 フィオの目が、驚きに見開かれる。しかしそれはアルも同じだった。だってそこにいたのは、アルも顔見知りの男だったのだから。


「貴方は……ヘースティングス子爵?」


「の、ノア様……これは」


 問いかけたノアに、男……子爵は、気まずげに視線を逸らした。ヘースティングズ子爵といえば、会社を複数所有する、オルコット家の良き取引相手だ。子爵、と貴族としての位はそこまで高くはないが、それなりに友好的な関係を築いてきており、ノアとも幼い頃からの顔見知りである。


 —— そんな彼が、一体何故ここに?


「お久しぶりですわね、子爵。……で? 貴方は何してらっしゃったのかしら。随分、穏やかではないようですけれど」


 声に硬さを滲ませながら、ノアがそう問いかける。しかし子爵は何も言わず、ただ口ごもるだけだ。……否、何も言えない、のか。

 そんな彼を見て、今がチャンスだと悟ったのか。フィオが声を上げる。


「た、助けて下さいノア様っ! わ、私っ、彼に、乱暴されそうになってっ……!」


「ち、ちがっ……!わ、私はただっ……」


「ただ?」


「……っ、」


  子爵は何かを言おうとしたが、しかし促した言葉の先が、紡がれることはなかった。体を揺らし、唇を噛むその姿から、酷い動揺が見て取れる。……後ろ暗い事をした人間がする顔だ。


「フィオ様、こちらへ」


 慎重に、アルがフィオへ向けて手を伸ばす。恐る恐る、彼女は足を踏み出し、アルはそのままフィオの腕を引き寄せた。


「大丈夫ですか?」


「は、はい……」


 大丈夫、なんて言う割に、フィオの体はまだ小刻みに震えている。目には薄く涙が滲んでいた。よほど怖かった、のだろう。そんなフィオを見て、ロザリアはギンッと子爵を睨みつける。


「貴方、恥ずかしくないの? 女の子を連れ込んで襲おうとするなんて下衆な真似をして」


 侮蔑の色を隠そうともしない声が、子爵に問いかける。芯の真っ直ぐな彼女のことだ。いくら恋敵といえど、流石に許せなかったのだろう。

 ういう浅ましい事を、彼女は一番嫌う。


「……それ、は」


 鋭い目に、子爵はまた何かを言いかける。しかし結局言葉は形を為さず、フィオをちらと一瞥し、拳をきつく握るだけだ。ロザリアはそれも気に食わなかったようで、ハンッと嘲るように鼻を鳴らす。


「本当……貴族としての品位が知れるわね」


「……うるさい」


 ロザリアの冷ややかな声に、とうとう子爵はまともな言葉を口にした。子爵の瞳が、ロザリアをギンッと睨みつける。


 その目に滲むのは、完全な怒りだった。


「っ、子爵、貴方……」


「黙れ! 黙れよ、黙ってくれ! 」


 ノアの声を遮り、子爵は怒鳴る。子爵の手は、もう何も聞きたくないとでも言わんばかりに自らの耳を塞いでいた。……ひどく狼狽したその表情は、明らかにノアの知るヘースティングズ子爵のものではない。


「お前達に、何が分かる……! 私は、私だって、こんなことっ……!」


「おい、何をしている貴様ら!!」


「……っ?!」


 突然、背後から声が響いた。

 反射的に、全員が入り口の方を向く。

 すると、髪を乱したファーガスが息を弾ませながらそこに立っていた。後ろには、黒い燕尾服を身に纏った、ガタイの良い男達が数人控えている。


「お兄様!」


 フィオが一目散に、ファーガスの胸の中に飛び込む。ファーガスはそれを片腕で抱きとめ、自分よりも癖のある柔らかい金髪を優しく撫でた。


「フィオ……! 一体どうした? 君の悲鳴を聞いて駆けつけてみれば、ヘースティングズ子爵に、オルコット家の令嬢に……それから、ロザリアまで」


 愛しい妹の怯えきった姿に、慌てた様子で、ファーガスは問いかける。……言葉の最後に、その目がちらとロザリアを捉えたのは気のせいだろうか。フィオはファーガスの腕の中でふるふる肩を震わせ、そのまつげに薄く涙を乗せて途切れ途切れに


「じ、実は、子爵に無理やりこの部屋に連れ込まれて……乱暴をされそうになったんです」


 と、そう答えた。



「……何?」


 ファーガスの声が、一気に怒気を孕んだものに変わる。子爵がヒィと小さく、引き攣った声を上げるのが、ノアの耳に届いた。


「ヘースティングズ子爵、今のは本当か?」


「あ、ち、違うんですファーガス様……。私は、ただ……」


 言いかけて。子爵は、また黙った。

 まるで、何か言いたくても言えない、みたいなそんな風に。


 しかしファーガスには、それが、彼の問いかけに対する肯定に見えたらしい。その赤い目でギロリと、目の前の男を睨みつけた。


「貴様、随分な事をしてくれたな。このままで済むと思うなよ」


 ぎゅう、と妹の肩に添えられた手に力が込められる。喉の底から、唸るようなその声は、相手を威圧し萎縮させるには充分過ぎるものだった。


 —— 終わりましたわね、彼。


 貴族の世界において、身分は絶対だ。自分より格上の者を怒らせるなど、絶対にしてはいけない。ましてや相手はノワール家。同じ公爵家のオルコット家すら、ご機嫌を取りに伺わなければならないような相手だ。そんなマズイ相手を子爵ごときが敵に回して、無事で済むわけもない。冗談抜きで、没落一直線だ。


 ……しかし、ひっかかるのは。彼が何の言い訳も、しない事。


 普通ならもっと足掻くはずなのに、みっともなく言い訳を並べるわけでもなく、ただただ何かを言いかけては黙るだけ。


 まぁ、完全に現場を抑えられて言い訳ができないだけ、と言われればそれまでなのだが。


 —— それにしたって、なんだか……。


「さっさと連れて行け。……コイツの顔など、これ以上見たくもない」


「ハッ!」


 ファーガスに命じられ、側に控えていた男達が子爵の両脇を抱える。子爵はやっぱり最後まで、ただ悔しそうに唇を噛んで、男達に引きづられるようにして部屋から出て行った。


「さぁ、部屋に戻ろうフィオ。怖かっただろう。夜会も、今日はもうお開きだ」


「っ……はい、お兄様」


 腕の中の妹に優しく言って、ファーガスは踵を返そうとする。……しかしその目は、ふと、ロザリアの青い瞳とかち合った。


「……っあー、ロザ、リア」


 その目の下の涙の跡を、一緒に見てしまったのだろう。目が合った事を後悔するように、ファーガスの表情が気まずげなものに変わる。


 しばし迷うように、その視線を泳がせて、彼は重々しく、口を開く。


「……その、すまなかった。身勝手な理由だったことは、分かっている」


「……」


 何も言わないロザリアに、ファーガスは言葉を重ねる。


「本当に、すまない。失礼な事をした。君の品位を貶める結果になることも分かっている。……だが、俺はやはり自分の気持ちに嘘はつけない」


 彼の長い金髪がなびく。頭を下げたファーガスを、ロザリアはただただ冷たい瞳で見下ろしていた。彼の言葉に、きっと嘘はないのだろう。

 しかしその響きは、ひどく残酷だ。「自分には、君を愛せない」と、直接伝えられているようなものなのだから。


「婚約破棄の理由は……君の好きに、付けてくれて構わない。君の満足のいくようにしてくれ」


「そうです、か」


 顔を上げたファーガスに、ロザリアは俯きがちに、ようやく言葉を返した。そして「なら」と、言葉を続ける。右の拳を、しっかりと握って。


「なら……妹にガチ恋してる、ドシスコン変態野郎に嫌気がさしたから、でも構いませんよねぇぇっ!?」


「は?……って、ブフォ?!」


 一閃。


  全身を大きく使って、ファーガスの左頬に叩き込まれたそれは、見事なまでの右ストレートだった。文句なしの百点満点。前世はボクサーか何かですか?? と問いかけたくなるような美しいフォーム。……綺麗な顔面に放たれたそのパンチの重さに、ファーガスは汚い悲鳴を上げて後方へ吹っ飛んだ。


 —— い、いや、え? えええええ?!


 突然の出来事に、ノアの口があんぐりと開く。どうやらアルもそれは同じのようで、まるで目の前の出来事が信じられない、とでも言うように目を大きく見開いていた。


「い、いや……いやいやいや……アリなんですか、あれ」


 そう、アルが小さくノアに耳打ちする。


「ナシに決まってるでしょう……?! 自分より高位の者相手にあんなの許されるわけがありませんわよ?!」


「その割にはめちゃめちゃいいストレートキメてましたよね?」


「溜まってたもの全部込めたって感じでしたわね」


「全身フルに使ってましたよ、あれ」


「アレは何かやってますわね」


「嫌ですよそんな戦闘系令嬢……」


 しかもヤンデレが掛け合わさっているのだから、余計にタチが悪い。


「お、お兄様っ?!」


 吹き飛ばされた兄に、フィオが健気に駆け寄る。その様を「ハンッ」と鼻で笑う彼女は、まるで悪役令嬢そのものだった。


「あー……スッキリした」


 満面の笑みを浮かべ、ロザリアは言う。

 パシン、パシンと拳を左手に打ち付けるその動作には似合わない完璧な笑顔に、思わずノアの背筋がぞくりと冷える。


「お言葉に甘えて、理由は私の方で好きに付けさせて頂きますわ。……それと。そんな軽い頭を下げられたくらいで癒える程、この胸の傷は深くありませんの。次はしっかりと、乙女心を予習してからアプローチを仕掛けたほうがよろしいかと思いますわ、『お兄様』」


「……っ!」


 頬の痛みのせいか、それとも放たれた嫌味のせいか。ファーガスは露骨に顔を歪め「行こう」と、そう、自分を気遣うフィオを連れて部屋から出て行った。


「……さて、見苦しいところを見せたわね」


「って、今更か」と、ロザリアはまた笑う。

 淀みなんてない、晴れやかな、スッキリした笑顔だった。


「よ、良かったんですの? あんな盛大にブン殴っちゃって……」


 プライドの高いファーガスのことだ。口ではああ言っていたが、何か仕返しをされてもまぁおかしくはない。しかしロザリアは大して気にした様子もなく、


「あぁ、平気よ。何も言い返してこなかったってことは、自分の所為だって分かってるんだろうし。それに、何よりムカついたもの」


 と、あっけらかんと言った。


「ノアに言われて、冷静になって考えてみたの。それから、思ったのよ。婚約者をほっぽってポッと出の妹にうつつを抜かした挙句、集団の前でこっぴどく振るなんて最低じゃない? って。そしたらなんだかフィオよりも、ファーガス様の方にムカついてきちゃって。一発くらい殴ってやりたかったの」


「は、はぁ……」


 あまりの激変っぷりに、ノアは言葉が出なかった。今のロザリアは、間違いなくあのゲームの中のロザリアに近い。黒く淀んだあの負のオーラはもう消し飛び、どこか吹っ切れたような、そんな表情をしている。


「まぁ、ファーガス様もフィオも、妬ましいしムカつくし目障りだからいつか焼き殺すけど」


 前言撤回。ヤンデレの根はまだまだ根深い。


「……でも少し、改善したと思っていいのかしらねこれ」


「まぁ……少なくとも、前よりはマシじゃありません? 殺意は置いといて」


 ロザリアにバレぬよう、ひそひそと耳打ちをするノアとアル。ロザリアはまた、晴れやかな表情で


「改めて、ありがとねノア」


 と、手を差し出した。


「貴女が居なかったら、私、ずっとあのままだったわ。貴女のお陰で吹っ切れられたみたい」


「……別に、お礼を言われる程の事でもないですわよ」


 そう言って、ノアはその手を握る。

 ロザリアは嬉しそうに笑って、手を強く握り返した。


「あれ、お嬢様。顔赤いですよ?」


「うるさいですわよ黙りなさい」


 アルの冷やかしに、なんだかより一層照れ臭くなってパッとその手を離す。それから何事もなかったかのように「そろそろ行きません? ここ、埃っぽくて嫌になってしまいますわ」と、言って出口の方へと足を踏み出す。


「ふふ。それもそうだわ、行きましょノア!」


「……ほーんと、素直じゃないですよね〜」


 二人も、その後に続く。扉はギィィ、と、音を立てて再び閉じられた。











 夜会は、ファーガスの言葉の通りもうお開きにされたようで、玄関ロビーからはぞろぞろと大勢の貴族が帰宅しようとしていた。


「アル、馬車の準備は?」


「ああ、出来てますよ。丁度このくらいの時間に来るように伝えてありますから」


「そう、じゃあここでお別れですわね」


 言って、ノアはロザリアの方に向き直る。……そこでふと、ノアはある疑問をくちにした。


「貴女、馬車は? ……というか、今更ですけれど。従者はいませんの?」


 そう、そうなのだ。最初から何か引っかかると思えば、彼女はどこにも従者を連れていなかった。いくら男爵家といえども、貴族は貴族。普通何人か連れている筈だ。しかしロザリアは少しバツが悪そうに微笑んで、


「実はね、はぐれちゃったのよ。多分馬車に行けば、会えると思うけど……」


 そう言って、ロザリアは誰かを探すようにぐるりと辺りを見渡す。……そして、突然、あるところでその動きを止めた。


「……あ」


「ん?」


 不思議に思い、ロザリアの視線を追う。するとノアの視界には、ロザリアと同じ明るいピンクの髪を高い位置で結い上げた、ツインテール頭がはっきりと映った。


「お嬢様、アレはもしかして……」


「ええ、来るときにぶつかってきた、あの……」


 そう、あの少女の後ろ姿と、そっくりだったのだ。少女は、側に若い執事連れ、一緒になってなにかを懸命に探しているようだった。


 ……ふと、少女の瞳が、こちらを捉える。


「あれ? ロザリアじゃーん!」


「やっぱり! テオお姉様、それにキースも!」


 ブンブンとこちらに手を振る少女に、ロザリアは嬉しそうに駆け寄っていった。少女と同じ、桃色の髪を揺らしながら。


 桃色の髪。明るい水色の瞳。そして、少しハスキーな声。……何より、ロザリアの……『姉』


「っ、出ましたわね、四人目……!」


 そう、目の前の彼女。正確には、彼。



 彼の名前はテオ・フリットウィック。フリットウィック家の長男であり……攻略対象の一人、そして、このゲームでウィリアムに次いで、最も警戒すべき強敵である。

お久しぶりです。生きてました。テストを殺してきたので、次回よりまた通常の日程で投稿します。

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