19 悪役令嬢とライバル
夜会の喧騒の外側。大広間から少し離れた廊下を、歩く影が一つ。
白く、華奢な背中をした少女。
桃色の髪を揺らし、ドレスを引き摺るように覚束ない足取りで、彼女は幾度となく歩いた道を行く。
目的地なんて無かった。
行く先なんて無かった。
彼女は、ロザリアは……もう、進むことも戻ることもできやしない。
落ちるところまで、落ちきってしまった。
賑やかな弦楽器の音は、もうとっくに聞こえない。響くのはただ、彼女自身の息遣いのみだ。
……震える手で、ロザリアは手の中に隠し持ったあるものを取り出す。手の中で、鈍く光る銀色のそれ。とびきり上等なわけでもない、中途半端な価値のオイルライター。だけど同じく、中途半端な成り上がり一家の娘には、お似合いの代物だった。
「……こうして燃やしてしまえば、全部忘れてしまえるかしら」
……言って、ロザリアはオイルライターに火を灯す。彼女の荒い吐息に、微かに揺らめく炎。少女は無理矢理口端を釣り上げたような、歪な笑みを浮かべて。そっとそれが、側にあった上等そうなレースカーテンに……
「ハイ、確保ぉぉぉぉぉっ!!」
点く前に、声が飛んだ。
「の、ノア……!?」
驚いたように目を見開き、声の主……ノアの方を振り返るロザリア。間髪入れずその腕は背後から、ガッと捻り上げられる。
カラン、と手の平からライターが滑り落ちる。
「あ、あっぶねー……」
そう肩で息をしながら、アルがロザリアの背中の向こうから現れた。その手は未だにがっしりとロザリアの腕を押さえつけている。
「ちょっ、離してよ! な、何……何なの?! どうして追ってきたのよ!」
「いやまぁ、追い詰められたヤンデレヒロインのやる事なんて一つでしょう。そりゃ止めますわよ」
「は、はぁ……!?」
訳が分からない、とでも言わんばかりの表情を浮かべるロザリア。ノアは特に何か言葉を返すことはせず、そのまま彼女の足元のライターに手を伸ばした。
ヤンデレ、について説明するより、このライターを回収するのが先だ。
ノアの手に、銀色のしっかり質量を持ったライターが収まる。明るい照明に照らされて、ライターに薄ら掘られた鷹の紋章が光を帯びる。
「……あら?」
—— この紋章、どこかで見たような。
しかしノアが記憶の糸を探る間もなく、ロザリアが声を上げた。
「返してっ!!」
「っ!」
噛み付くように放たれた言葉に、びくりとノアの肩が跳ねる。ロザリアは剣呑な雰囲気を纏わせたその青い瞳でこちらを強く睨みつけていた。踏み出そうとした一歩はどうやらアルに阻まれてしまったらしいが、それがなければ今にも飛びかかってきそうだ。
「返せ、と言われましても……。流石に貴女に渡しておく訳にはいかないでしょう。屋敷にまた火を放たれちゃ困りますもの」
言ってノアは、オイルライターを手の中に、しっかり握りしめる。そして重ねて問いかけた。
「で? 何がありましたの? ……随分と顔色が悪いようですけれど?」
「……っ……!」
ノアの言葉に、ロザリアはギリと唇を噛んだ。
ぶるりと震えて露骨に動揺を示す身体。
ぴくぴく引き攣る瞼。
……まぁ、大体察しはつきそうなものだが。
「……貴女に、関係無いでしょう」
強気に、ロザリアはそうノアを睨みつける。しかしその瞳には、確かに涙が滲んでいた。
「も、元はと言えば……貴女が、貴女が私を焚きつけたんじゃない……貴女が言うから私、ファーガス様を誘って、ああ、そうじゃなければ……あんなこと……」
「あんなこと?」
不規則に揺れる声でブツブツ言うらしくもないロザリアの言葉の先を、ノアはそっと促す。するとロザリアは、ぼとりと目の端から大粒の涙を零した。
「婚約破棄されたの! 私、じゃなくて、自分が好きなのは、あの女だからって……! 私とは、踊れない、って……!」
「っ……は、はぁぁ??」
ノアの口から、素っ頓狂な声が漏れる。
—— あ、あんの馬鹿! 一体何してますの?!
否、この場合何をしているんだ、というよりは、何てことしてくれてんだ、の方が正しい。
だってこれじゃあ、ファーガスルートのシナリオは完全に成立しない。台本が当てにならなくなってしまう。何より、ロザリアが完全に悪役令嬢ポジションを追われてしまうのが痛い。ノアの没落を成功させる為には、糾弾イベントの引き金を引く彼女が必要不可欠だ。いじめられるヒロインの背を押し、糾弾の為に率先して動き出す彼女がいなければ、糾弾イベントは起こらなくなるかもしれない。
……というか、なんなら糾弾イベントとかいじめとか云々以前に、このままじゃマジでロザリア自身がフィオを刺しに行ってしまう。
—— じ、冗談じゃありませんわ! ゲーム開始前に血を見るなんて御免でしてよ?!
内心慌てながら、ノアは何とかしなければ、とうんうん頭を捻る。しかしそうしている間にも、ロザリアはボロボロ涙を零し、とうとうその場にへたり込んでしまった。レッドカーペットの赤色が、涙に濡れて深いワインレッドに染まる。
「ファーガス様……ああ、私の何がいけなかったの……? 私、こんなに貴方に見てもらおうと、私、私、私っ……!」
「……あー、ロザリア様、泣かないで下さいよ……ね? 失恋くらい誰でもしますって、どうしてもうまくいかない事も……」
あんまりなロザリアの姿に、見ていられなくなったのかアルがロザリアの手を優しく離し、背中を撫でようとゆっくり手を伸ばす。しかしその手はパシン、と他ならぬロザリア自身によって払われた。
「…………」
もうどうにもならない状況に、アルが助けを求めるように目線を向けてくる。
……とりあえず。このままロザリアがフラれたまま……というか、婚約破棄されたままなのは大変困る。どうにかして二人を両思い、とまではいかなくとも元の関係くらいには戻さねばなるまい。それに、確かにロザリアがさっき言った通り、婚約破棄を告げれた事への責任は、少しくらいはノア達にもある。
ノアは少し考えて、それからロザリアの方へと一歩、踏み出した。そして目線を合わせるように、その場にしゃがみこむ。
「な、何よ……」
「いえ、別に。……でも、一体いつまでそうしているつもりなのかと思って」
「……は?」
何気ない口調で放たれたノアの言葉に、ロザリアの眉がピクリと跳ねた。しかしノアはそれを気にする事なく、そのまま淡々と続ける。
「今、こうして泣けるってことは……まだ、ファーガス様が好きなんでしょう? なら、諦めずにアタックしにいけばいいじゃない」
「アンタ……私の話聞いてたの? 私、ファーガス様に、婚約破棄、されて……」
「だから何ですの?」
「は……?」
「関係無いでしょう。破棄されたなら、もう一度婚約を結び直させればいいのよ。気持ちは最後まで押し通さなきゃ、きっと後悔しますわ」
そう、彼女の中にはまだあるはずなのだ。どれだけ裏切られようと、彼への恋心がきっと。
「……アンタ、いいわよね。そうやって無責任に他人を焚きつけて、いい人のフリをして」
皮肉げに、ロザリアは言う。
「何様なの、貴女。黙って聞いていれば、偉そうに。今日会ったばかりの初対面の相手に、そこまで踏み込まれたくないわ」
「……まぁ、確かに、そうでしょうね」
確かに、一方的に知っているというだけで。ノアとロザリアは今日会ったばかりの赤の他人だ。こうして、偉そうにご高説を垂れる権利なんてないのかもしれない。だけど。
「でも私、知っていますわ。……貴女はそんな、弱い女の子じゃないでしょう?」
そう、ノアは知っている。どんなに見せつけられようと、好きな人を手に入れる為に最後まで戦った女の子を。
……あの強く、美しかったロザリア・フリットウィックを。
「……どうして、そんなことが言えるのよ」
途切れ途切れに、ロザリアはそう問いかける。
ノアは迷いながら、
「……ファンだから?」
と、小さく答えた。
「ファン……?」
ロザリアに向けてにこりと微笑みかけ、ノアは続ける。
「ともかく。元の貴女を思い出してご覧なさいな。……貴女はそんな風に、べそべそ泣いたりするようなタイプじゃないでしょう?」
「元の……私……」
呟いて、ロザリアは虚に自分の掌を見つめる。ナイフを、ライターを、握った掌。
……シナリオが捻れて、少しキャラは変わってしまったけれど。きっと本質は変わらない。
だってあの真っ直ぐさが無ければ、ここまでファーガスに執着したりなんてしない。
—— まぁぶっちゃけ、ファーガス様も相当クズだと思いますけど。
まぁそんなものだ。ここは腐っても乙女ゲームの世界。あくまでもヒロイン中心で、物語は進んでいく。
「そうよね……。こんなの私らしくない。こんな風にみっともない姿、私じゃない。……私はこんなにみっともなく、執着したりしない」
ポツリとこぼしたロザリアの言葉に、ノアは小さく微笑んだ。
「……ありがとう、ノア」
言って、ロザリアは手袋でぐしぐし涙を拭った。そしてそのまま立ち上がり、まだ腫れた目元を緩ませて、にこりと笑う。
「……私、ちゃんとファーガス様のところに行ってくるわ。話をつけなきゃ」
「ええ、行ってらっしゃい。ああ、そうだ、ハイこれ」
ノアは思い出したように、その手にあったライターをロザリアに手渡す。流石にもう、火をつけたりはしないだろうと思ったから。
「……ありがとう、止めてくれて」
「構いませんわよ。というか、屋敷を燃やされたら私まで火だるまですし」
冗談めかしてそう言うと、ロザリアは「それもそうね」と笑う。
「でも良かったわ。……やっぱり燃やして殺す前に、一発殴っておきたいもの」
「えっ??」
「いいえ、何でもないわ」
……なんだか不穏な空気を感じたような気がして、ノアの背筋に一筋汗が伝う。
目の前の彼女から、先ほどまでの負のオーラは感じない。感じないが……。
やっぱりライターは預かっておいたほうがよかったか、と後悔がノアの頭をよぎる。
……声が聞こえたのは、その時だった。
「キャァァァァッ!!」
静けさを切り裂くような甲高い悲鳴が、辺りに響く。女の声だった。……いや、女というより、少女といったほうが近いか。
「……もしかして」
からころと鈴が鳴るような、可愛らしい声が耳の奥に響く。
—— もしかして、フィオ?
咄嗟にノアは、アルの方へ視線をやる。
どうやらアルも同じことを考えていたようだ。
切羽詰まった声で「お嬢様、これ……!」と訴えてくる。
「ええ……行きましょう!」
言って、ノアはアルを連れて駆け出した。
ゲームのヒロインのフィオに、何かあっては困る。特に今はシナリオが捻れているのだ。何が起こるか分からない。
「あ、ちょっと待って! 私も行くわ!」
後ろからロザリアの声が追いかけてくる。
三人は廊下を駆け抜けて、フィオの悲鳴が聞こえた方……大きな屋敷の片隅にこっそり佇む物置部屋へと、足を進めた。




