18 悪役令嬢と聖人ヒロイン
ロザリアを連れて暖かい光に照らされた室内に戻り、少し辺りを見渡せば、ファーガスの背中はすぐに見つかった。
「あ……ファーガス様……」
ファーガスは、フィオと並んで貴族の輪に囲まれていた。その輪の誰もが笑顔を纏い、さも楽しげに談笑している。
「ファーガス様を囲む女がひぃふぅみぃ……ああ、皆楽しそうねぇ……全員刻んで二度と見れない顔にしてやろうかしら」
「あの、後ろでナイフ構えるのやめてもらえません? 気が気じゃ無いんですけど……」
「心配しないで、狙った的は外さないわ」
「いやそんな歴戦のスナイパーみたいな事言われても」
狙う的が令嬢の顔面の時点で問題である。
というか、さっきナイフは取り上げておいたはずなのに一体どこから取り出したのだろうか。
「……まぁでも。婚約者の貴女が出ていけば、他の貴族の女も流石に引きますわよ」
言って、ノアはファーガスを指差す。
そう、例え愛が無かったとしても、身分違いだったとしても、建前上ロザリアはファーガスの婚約者。一流の令嬢たるもの、引き際は弁えているはずだ。
「ほら、早く行って、ファーガス様をダンスに誘ってらっしゃい」
「……う……」
ノアの言葉に、ロザリアはびくりと固まった。
そう、わざわざノアがロザリアをここまで引き戻してきた理由……それは、ファーガスをダンスに誘わせる事、だ。
夜会は、貴族の出会いの場である。ある者は友人を見つけ、ある者は己が野望の為のコネクションを作り、またある者は……将来のパートナーを探す。
特にこういう場は、若い男女の見合いも兼ねているのだ。気に入った相手と共に踊り、仲を深める。
婚約者ともなれば、必ず一度は踊っておかなければならない。周りへの体裁的にも。そう、この場は、ファーガスと二人きりになり、かつ自分の心中の思いを打ち明けるにはぴったりの場所だった。正直にお互い話せば、関係が変わるかもしれない、と踏んだのだ。……踏んだの、だが。
「……どうしましたの?もしかして、怖気付きました?」
「いや……別に、そういうわけでは……」
「ないけれど……」と、尻すぼみなロザリアの声は、響く楽しげな笑い声の中に消えた。
どうやら図星らしい。
—— ……ゲームの彼女なら、ここで勇気を出して一歩踏み出したんでしょうけど。
ゲームの登場キャラクターとしてのロザリアは、圧倒的な光属性。特にこういった場で怖気付くなんてことはなかったのだが……やっぱりそう簡単にもいかないようだ。
いつまで経ってもしどろもどろしている彼女に一つ嘆息し、ノアは再び、ロザリアの手を強く握った。
「ほら、行きますわよ」
「えっ、ちょ、ちょ……?!」
いきなりのことに困惑するロザリアを他所に、ノアはその手を掴んだままずんずん貴族たちの輪をすり抜けていく。そして輪の中央に出るなり、ノアはンンッと咳払いをして、
「あ〜ら、これはこれは。今日も自慢話に花が咲いてますわねぇ、ファーガス様?」
と、嫌味ったらしく言い放った。
「……また貴様か、ノア・オルコット」
ファーガスは心底不快げな声を上げ、ノアの方を振り向く。しかしファーガスが何か言い返そうと口を開いたその瞬間、周りの貴族達からどよめきが上がった。
「ノア・オルコット……オルコット公爵家の?!」
「え?!ウィリアム王子と婚約を結んだ、あの?!」
「何故オルコット家のご令嬢が、ノワール家の夜会に……」
……彼らの目が、一気に欲を孕んだものに変わる。どうせ、オルコット公爵家の権威のおこぼれに預かりたいのだろう。今日来ている貴族の中でも、オルコット家程の権力を持つ家は確か無かったはずだ。……辺りから上がる声にノアは大きくため息を吐き……周りの貴族に向けて、にこりと微笑みかけた。
「ご機嫌麗しゅう、皆さま。ですが……ごめんなさい。私、今はファーガス様と大事なお話がございますの。……騒ぐのは後にしていただける?」
ビキリ、と空気が固まる。そりゃそうだ。たかが小娘とはいえ、立場が上の者に『やかましいんだよすっこんでろタコ(超意訳)』などと言われて仕舞えば、黙る他ない。ソロソロと引き始めた彼らに満足げに鼻を鳴らし、ノアは改めて、ファーガスに向き直った。まぁ向き直ったと言っても、イケメン嫌いが治ったわけでは勿論ないので、彼女はファーガスのネクタイを見つめている形になるのだが。それはさておき。
「貴様、何をしに来た?」
そう唸るようにファーガスが言う。何故かフィオをその背に隠すような立ち方をする彼に、ノアは内心舌打ちを打ちながら、
「忘れ物があったようですから。届けに来て差し上げましたの」
とにっこり笑った。
「……忘れ物?」
「ええ、そう。……ほら、行ってらっしゃいな」
怪訝な表情を浮かべるファーガスに、ノアは笑顔を崩さぬまま言って、斜め後ろに隠れるように控えていたロザリアの腕をぐいっと引いた。「きゃっ」と可愛らしい悲鳴をあげ、ロザリアがファーガスの前へと姿をあらわす。
「ロザリア……」
「あ……えと……ファーガス様……これは、その……」
驚きに目を見開くファーガスに、恥ずかしげに俯くロザリア。特にその赤く染まった頬が、なんとも愛らしかった。……咄嗟に後ろ手で隠された、そのナイフさえ無ければ、あとは完璧だったのだが。
「……ファーガス様はどうやら大切な大切な婚約者と逸れてしまったようでしたから」
ロザリアの手の中のナイフを回収しながら、ノアはそう笑顔で言い、続ける。
「ああ、それともまさか……婚約者を放っておいて、まさか貴族のご令嬢とキャッキャウフフなんて……そんなこと、しませんわよねぇ?」
「……っ」
ファーガスが、露骨に言葉に詰まるのが分かった。遠回りに非難されているのだ、とようやく察したのだろう。ファーガスは少し考えるような素振りを見せて、それからようやくフィオの手を離した。
「すまない、フィオ。少しだけ彼女と話をしてくる」
「大丈夫ですよ、お兄様。……ロザリア様は、お兄様の婚約者なのですから。ゆっくり、してきて下さい」
心底申し訳なさそうに言うファーガスに、フィオはそう微笑む。……どことなく悲しげなその笑顔は、やはりノアには、どこか作り物めいているように思えた。
「さて……じゃあまぁ後は、ロザリアの報告を聞くだけですわね」
会場の中央に向けて歩いていく二人の背中を見送りながら、そう言ってノアは先程ウエイターが持ってきてくれたジュースに口を付けた。
ちなみに彼女は、もちろん壁の花に徹している。元よりノアは、こういう場があまり好きではないのだ。
「しかし……上手くいきますかねぇ? アレ、完全にフィオ様に惚れてましたよ」
隣で控えていたアルが、微妙な表情を浮かべてそうこぼす。たしかにあの様子を見る限り、今ファーガスを振り向かせることは難しいだろう。
「けどまぁ……きっかけぐらいにはなるかもしれないでしょう? このまま泣いているよりは、行動を起こす方がよっぽどマシな筈ですわ」
何事も、スタートラインに立たねば始まるまい。……それに、確かファーガスルートのバッドエンドでは、ロザリアがファーガスとくっ付いていた。やりようによっては上手くいく筈だ。後は本人次第。彼女は第一歩を手助けしただけだ。そしてそれ以上介入するつもりもない。
「……お嬢様は誰かと話にいかないんですか? さっきから周りの貴族の方達が皆、お嬢様を狙ってますよ?」
「……別に良いですわよ。どうせ家の権力に寄ってきてるだけですもの、ファーガス様と違って、おべっか使いと話す趣味はありませんわ」
こういう集まりに来る貴族なんて大体、そういう奴らばかりなのだ。相手にしていると、こちらの気が滅入ってくる。……曇り気味になってきた気分を晴らすよに、ノアはまた、手の中のグラスを傾ける。……すると、ふと、こちらに駆け寄ってくる柔らかな金髪が視界の隅に映った。
「……あれは……?」
グラスを置き、目を凝らしてじっと見てみる。すると相手もこちらの視線に気がついたらしく、嬉しそうに、にこりと微笑み掛けてきた。
「もしかして、フィオ様……ですかね?」
アルがそう、驚いたように目を見開きながら言う。
揺れる金髪。ピンク色の瞳。そこにいたのは、間違いなくフィオだった。
「こんばんは、はじめまして! ……といっても、何度かお見かけはしていますけれど……改めまして、フィオ・ノワールと申します!」
ノアの下までやってきた彼女は、そう、スカートの裾をつまみ、ぎこちなくお辞儀した。その顔に浮かぶのは、少し気恥ずかしげな、はにかむような笑顔。……見たところ、何かこちらを害そうという思いは感じられない。
—— なら何故、わざわざフィオが?
いくら養子とはいえ、ノワール家の一員であるなら、オルコット家には近づくなと厳しく言われている筈だ。いやたしかに、ゲームの主人公もそんな決まりに従うようなタイプではないが……大好きな兄に、あんなに盛大に嫌味を言った女の元に、どうして彼女が。
「……はじめまして。……オルコット公爵家令嬢、ノア・オルコットですわ」
クエスチョンマークが脳内で踊るのを悟られぬようにしつつ、ノアもとりあえず、フィオに向けてそう頭を下げた。若干声が硬くなってしまったのはご愛嬌、だ。
「ノワール家のお嬢様が、一体どうなさったの? ……オルコット家との仲が悪い事、いくら養子とはいえご存知でしょう」
若干の棘を声に含ませながら、ノアはそう問いかける。しかしその棘がフィオに刺さることはどうやらなかったようで、彼女は恥ずかしげに顔を赤らめ「ノア様と、お話がしたかったんです」と、か細い声で言った。
「……私と、話が?」
「は、はい……お嫌、ですか?」
「い、いや、嫌っていうか……」
なんというか。嫌というよりは、戸惑っている、というのが正解に近かった。フィオの行動原理が分からず、現状についていけない。
そのままノアがしどろもどろしていると、フィオは申し訳なさそうに「ご気分を害してしまったのなら、ごめんなさい」とへにゃりとはにかんだ。
「でも私、確かめたかったんです。お兄様が悪く言うノア様が、オルコット家の人間がどんな人なのか……この目で。でも、ノア様は悪い人には見えませんから。少しお話ししてみたくなってしまって」
「は、はぁ……」
恥ずかしげに紡がれた言葉に、ノアはすっかり棒立ちになっていた。
「どうしましたお嬢様、ポカーンとしちゃって」
「いや……なんていうか……そうですわね……ううん……?」
「善性の塊のオーラに当てられて、ご気分が悪くなられました?」
「違いますわよ失礼な。っていうか、それじゃあまるで私の心が汚いみたいじゃない」
「……」
「無言で目を逸らすのやめていただけません?!」
……失礼な従者に茶々を入れられたせいで、話が逸れた。……否、でもアルのセリフももしかしたらあながち間違ってないのかもしれない。
—— 確かに、気味が悪いんですのよねぇ。彼女。
心の中で、何気なしに彼女はそう呟く。
そう、つまるところノアは、フィオの『良い子ちゃん』っぷりにドン引きしているのだった。
……そもそも、考えてもみてほしい。
普通、普段から良くないイメージを植えつけられている家の令嬢に向かって、「お話ししてみたかったの〜」なんて言えるだろうか。ましてやその女は、自分が大好きな兄に嫌味を吐くようなどう見ても性格最悪の女だ。
……否、言える訳がない。
普通の人間に、そんなことが言える筈はない。そんなセリフを地で吐けるのは、よっぽどの聖人か脳内お花畑女だけだ。
気味が悪いほどの善性。人間味が無いとすら言える。
—— ゲームのノアも、フィオに会った時こう感じたのかしら。
しかしその善性が、いい子ちゃんっぷりこそが、彼女が紛れもなくヒロインである証拠でもあるのだが。
—— さて、どうしましょうか。
そう、ノアは少し考え……そしてにっこりと、意地悪く微笑んだ。
「ええ、結構ですわよ。庶民上がりの雑草如きを隣に侍らせるなんて本来は私の趣味ではないのだけれど……特別ですわ」
「うわぁ、絵に描いたような嫌味ですね、ムッカつく〜」
「黙りなさい、アル」
ピシャリとアルを一蹴し、フィオの方に目をやると、彼女は嬉しそうに「ありがとうございます!」と目を輝かせた。
—— まぁ、いいわ。聞きたいこともありましたし。
安定のいい子ちゃんっぷりに心の中でしっかり舌打ちを打ち、それからノアは単刀直入に、口を開いた。
「……で? 貴女、どうやってファーガス様に取り入りましたの?」
「……え?」
ノアの言葉に、フィオが露骨に固まった。
「あ、あの……どういう意味、ですか?」
いきなり変わったノアのオーラに、フィオの声が上ずる。ノアはそのまま冷淡に「そのままの意味ですわよ」と返した。
「ファーガス様はね、昔から頑固なお方だったわ。貴族主義で、プライドも馬鹿みたいに高い嫌な奴。……そんな彼が、庶民上がりの貴女を気にいるはずがない。この短期間で、あんなにデレデレになるなんて……異常ですわ」
いくら善性の塊のヒロインフィオといえど。ロザリアを嫉妬に塗れさせるほど、彼の好感度を爆上げするなんてそんな真似、普通じゃできるはずがない。
「貴女、ファーガス様に何をしましたの?」
そう、ノアは冷たい声で、威圧するように重ねて問いかけた。
……沈黙が、辺りを包む。
高らかに鳴る弦楽器の音が、緊張感をさらに高める。
……どれだけたったか、ついにフィオは、その震える唇を開き……
「……え? 何もしてませんけど……」
と、全力のきょとん顔でそう答えた。
「……は?」
いや、そんなはずは無い。何もしていない訳がない。ファーガスはそんなにチョロい男じゃなかった筈だ。そんなチョロ男だったらシナリオが成立しない。
「ど、どういう事ですの?何もしてないって……」
「いや、そのままの意味ですよ?別に私、普通に生活してただけですし……。確かにファーガス様、最初はちょっと冷たかったですけど……お話しするうちに、心を開いて下さったんです! 今では私の優しい、自慢のお兄様なんですよ!」
ノアの問いかけに、フィオはそう、満面の笑みで返した。……嘘偽りなんて一つもない、憎たらしいくらいに純粋な笑顔だった。
「うわぁ、完敗ですね」
「うるっさいですわよアル……違う、こんな筈……あれ、あるぇ……?」
—— もしかして、本当に勘違い? 実はファーガス様はチョロキャラだった? いや、でもそれなら私あんなに攻略に手間取ったりは……。
合わないピースに、ノアは小さく頭を抱える。情報がぐるぐる頭を回って、なんだか脳がオーバーヒートしそうだった。「大丈夫ですか?!」というフィオの声が聞こえてくる。
「ま、まぁまぁ、とりあえず落ち着きましょお嬢様……分かんないことは分かんないんですし、ね?」
そう、苦笑いしながらアルが声をかける。
「そ、そうね……そうですわ……」
アルの言葉通り、とりあえず冷静になろうと、ノアが顔を上げる。
……そして、丁度その時だった。ふと、泣きながら会場を出て行くロザリアが視界に映ったのは。
「……あれ、まさか……」
たまたま同じ方を向いたアルがそう呟く。咄嗟に二人が踊っていた場所に目をやれば、ファーガスは何とも言えない顔でその場に突っ立っていた。
何があったかなんて、考えるまでも無い。
「……っあの馬鹿男!」
全てを察したノアはロザリアの出て行った扉目掛けて、脱兎の如く駆け出した。
このままロザリアを放っておくわけにはいかない。
「あっ、ちょっ、待ってくださいよ!俺も行きます!」
続けてアルが、ノアの背を追う。
二人の思いは一緒だった。
—— このままじゃ、屋敷に火が付く!
最悪の未来を想定しながら、二人は煌びやかな会場の中を全力疾走で駆けていく。
「……ふふ」
夜会は、まだまだ終わらない。




