17 悪役令嬢とヤンデレ令嬢
とりあえず、流石にパーティ会場で刃傷沙汰を起こすわけにも行かないので。アルにその少女を速やかに確保させ、事情を聞き出そうと大事にならないうちにテラスの外へ連れ出した。
……連れ出した、のは、いいのだが。
「恥ずかしいところを見せたわね。ごめんなさい、馬鹿な真似だったわ。忘れて頂戴。そしてパーティに戻って。さぁさぁさぁ」
「いや狂気しか感じないんですけど……?」
最早一ミリも隠しきれていない……というか、隠す気もなさそうな殺意に、流石のノアの口端もヒクヒクと引き攣る。
少女の手の中の銀のナイフは、今もしっかりと握られたままだ。 目もどことなく虚で、そこはかとなく狂気を感じる。
「……どうしますこれ。護衛に突き出した方が良いんじゃないですか」
そう、アルが声を潜めて言う。
「このまま俺達が立ち去ったら、間違いなくフィオ様を刺しに行きますよ、彼女」
「ええ……クラウチングスタートであの子の所に駆けていく所まで想像余裕ですわ……」
「完全にホラーですね。やっぱ突き出しましょう」
ドン引きした様子で、アルはそうきっぱりといった。
……確かに彼の言う通り、護衛に突き出すのが一番だろう。人命は何者にも代えられないし、諭したところで聞きそうな感じでもない。
不穏因子はさっさとご帰宅頂くのが一番だ。
一番、なの……だが。
「でも……ねぇ。そういうわけにもいきませんのよねぇ……彼女、ゲームの登場キャラクターですし」
「えっ」
マジかよ、と言わんばかりに目を見開くアル。
そう、彼女……ロザリアは立派なラブロイの登場キャラクター。それも、ファーガスの婚約者である。
ノア・オルコットは、ラブロイにおいて唯一、悪役令嬢ポジションを与えられた少女だ。
平民上がりのヒロインが気にくわない、という理由で、例えどこのルートに入ろうと、オルコット公爵家の権力をフルに活用してネチネチネチネチとヒロインの邪魔をしてくる。
……これだけでもかなり厄介なのだが、更に面倒な点が、もう一つ。
このゲーム、実はルートによっては悪役令嬢ではなく『お邪魔キャラ』が追加で登場する場合があるのだ。
つまりは、嫌がらせのような、姑息な手段で主人公を貶めようとするキャラではなく、正々堂々対峙してくる相手が登場するのだ。本当の意味で、ライバルキャラであるとも言える。
ファーガスルートに登場する少女……ロザリアがまさしくその良い例だ。
ロザリア・フリットウィック。
最近男爵の地位を得た、フリットウィック家の末妹で、ファーガスの婚約者。サイドテールの桃色の長い髪と、気の強そうな青いつり目、というその容姿の通り、さっぱりした性格の女の子である。年齢は、ノアと同じ十五歳。上に姉二人と、一つ上の兄を持つ。実はその兄こそ、ラブロイの攻略対象でもあるのだが……。まぁ、今回は割愛。また別の機会に、どうせ話す事になるだろう。
それより、今大事なのは、ファーガスと彼女の関係である。
前述の通り、彼女はファーガス・ノワールの婚約者だ。しかしその婚約は、純粋な恋愛によるものではない。大人の欲と、利害と、思惑によって纏められた縁談……すなわち、政略結婚というやつだ。今回の場合、貴族の地位を得たばかりのフリットウィック男爵家が、強大な力をつけ始めたノワール公爵家に取り入るべく、娘を差し出した形になる。そして、ノワール家側からしても、同じ事業に手を出すライバルと、繋がりを持っておくのは悪くない話だった。その爵位の差にも関わらず、縁談はホイホイまとまったそうだ。
勿論ファーガスにとって、この縁談は本位のものではない。しかし敬愛する父親にそう言われては、逆らうこともできず、渋々彼女との結婚を決めた。しかし一方でロザリアは、政略結婚の相手であるファーガスを、深く愛した。親に言われたから、ではなく、彼女は自分から恋に落ち、自分自身の意思で彼を愛したのだ。
そんなロザリア勿論、ヒロインとも正々堂々と戦う。一切卑怯な手を使わず、時には敵であるヒロインを、悪役令嬢ノアのいじめから守ることもあった。おまけにヒロインがファーガスを勝ち取った時も潔く身を引き、彼女達の幸せを願う……といういい人っぷり。そんな彼女を『姉御』と慕うゲームの女性ファンも少なくない。
そう、いい人なのだ、彼女は。真っ直ぐな正義感と、優しい心を持つ、まごう事なき善人。
「ファーガス様を誑かす女……絶対許さない……切って刻んで燃やして灰にしてやる……」
……こんな……こんな、間違ってもナイフを握りながらブツブツするような、サイコパスヤンデレキャラでは無いのだ。……決して。
「いや本当、何があったのかしらこれ……完全にプッツンしてますわよね……?」
完全にアウトな様子のロザリアに、遠い目をしながらノアが言う。アルに至ってはドン引きを通り越して最早無言だ。なんとも言えないチベスナ顔で、ただ呆然と彼女の方に視線をやるだけである。
「うーん、属性的には、圧倒的に光だった筈なんですけれど……」
「光属性……あれが……? 何かの間違いじゃないですか……? 闇通り越して混沌ですよ最早」
「まぁ確かにちょっと一途すぎる所はあったかもしれませんわね……ちょっと……ほんのちょこっと……」
「まぁ一途って言えば聞こえは良いですけど……」
一途というか、周りが見えてないというか。
例えるなら、暴走し過ぎて赤信号を軒並み無視した挙句、歩道に突っ込む三秒前という感じだ。危うすぎる。
「困りましたわねぇ……流石にこのまま放ってはおけませんし……。ねぇちょっとアル、貴方事情聞いてきなさいよ」
「お、俺ですか?!」
「貴方以外誰がいるんです?」
「い、嫌ですよ! どうするんですか、間違って地雷踏んだりなんかしたら! 刺されますよ?!」
「大丈夫、貴方ですもの」
「どういう意味ですかそれ」
「……うーん……貴方の代役ならいくらでもいますから、安心して行ってらっしゃい、とか?」
「いやマジで鬼畜かアンタ?!!」
いくらなんでもあんまりなノアのセリフに、アルのツッコミが入る。いつのまにかやり取りにも熱が入り、小さかった声は張り上げるような大声に変わっていた。
「お、俺、絶対行きませんから!! ヤンデレサイコパスに刺されて死亡なんて、冗談にもなりませんし!! ご自分でお尋ねになればいいじゃないですか! 『どうしてそんなにパスってるんですか、ファーガス様と何があったんですか?』って!!」
「そんな地雷原でタップダンスするような真似、できるわけがないでしょう!? 」
「俺だってそんなの恐ろしくて出来ませんよ!」
「でも主人の為に命を賭けるのが立派な従者ってものじゃありませんの?!」
「立派な従者じゃなくて良いです!俺は!自分が! 一番可愛い!!」
「言い切りましたわねこのクズっ……!」
アルのセリフに、ノアは悔しげにぎりりと唇を噛む。
……その時だった。地を這うようなハスキーボイスが、辺りに響いたのは。
「……ちょっと」
割り込んできたその聞き覚えのある声に、ギギギ……と二人同時にぎこちなく振り向けば、そこには、案の定機嫌が悪そうに腕を組み、仁王立ちするロザリアがいた。
「何なの貴女達。さっきからキャンキャンキャンキャン、喧嘩売ってるの?」
ごもっともである。ぐうの音も出ない。
「全部聞こえてんのよ。いい加減にしないとその薄汚い口にナイフ突っ込むわよ」
ギンッ、と鋭い殺気がこちらを向く。
元々不安定なところに、さらに散々煽り散らされたせいでどうやら随分ご立腹らしい。
まぁ、普通にこちらが悪い。
「あ……し、失礼いたしましたわ、ロザリア・フリットウィック様。どうぞ、ご無礼をお許しください」
流石にマズイと思ったのか、にこり、と引きつった笑みを浮かべ、ノアは小さく頭を下げる。
ロザリアはフンと鼻を鳴らし、
「で、何? 貴女誰よ?」
とぶっきらぼうに問いかけた。ノアは気を取り直すようにンンッと小さく咳払いをして、口を開く。
「失礼しましたわ。私の名前はノア・オルコットと申しますの」
「オルコット家ぇ……?」
ロザリアの瞼が、ピクリと動く。……露骨に反応を示すのも当然だ。彼女とノアでは、爵位に大きな差がある。本来身分の上で言うならば、こんな風に、不遜な口調で話しかけて良い存在では無い。しかしロザリアは表立って態度を変えることは無かった。むしろその声音は、より警戒の色が滲んだものに変わる。
「……公爵令嬢様が、どうして私の名前を知ってるのよ」
不思議そうに、そして訝しげに彼女は重ねて問いかける。手に握ったナイフに、少しだけ力が込められる。
「あ、貴女はファーガス様の婚約者だとお聞きしていましたから。一度ぜひ、お会いしてみたいと思ってましたの……」
適当に、ノアはそう答えた。勿論普通に嘘である。しかしゲーム云々の話なんてできるはずもない。そんなことをすれば、こちらの方が頭の心配をされてしまう。
「……そう。ファーガス、様の」
ロザリアはそう小さく呟いた。
小さく呟いて……彼女の薄い、形のいい唇が弧を描く。
「ふふ……ふふふふ……ファーガス様が……ふふ……」
「ひぇっ」
彼女の口からこぼれた気味の悪い笑みに、ビクリとノアの肩が跳ねる。そんな彼女にお構いなく、ロザリアは虚ろに微笑んで……その手に握ったナイフを、壁に向けて、ドスッと突き刺した。
「フィオ……フィオ・ノワァァァァールゥゥゥ…。あの、あのクソ……本当クソ……クソ女ぁぁぁぁぁぁっ!!」
ドス、ドス、ドスッ!!
壁に新しい傷が刻まれていく。
一振り一振り、殺意を叩きつけるかのように壁にナイフを振り下ろすロザリアを、二人は呆然と見ていた。
その姿、ヤバイなんて次元じゃない。最早狂女である。
「許さない許さない許さない………絶対許さない……あの淫乱女っ……! 死ねばいいのにっ……!!」
ぶつぶつ恨み言を呟きながら、ロザリアはナイフを壁に向けて突き立て続ける。食事用のナイフでよくもまぁここまでやるもんだ。
「あ、お、落ち着いて下さいロザリア様……。とりあえず壁はやめましょう……? それ一応、ノワール家の壁ですし……」
「知ったこっちゃないわよそんなの! 覚えてなさいあの女、絶対痛い目見せてやる……! どんな手段を使ってでも、この壁と同じだけの傷をあの白い肌に刻んでやるんだからっ!」
「それ痛い目で済みませんよね?? 絶対死んでますわよね??」
それも壁につけられた傷の数と深さを見る限り、即死も出来なさそうだった。恨みが深すぎる。
「い、一体何があったんですの? そこまでフィオ様を恨むなんて……」
意を決して、恐る恐るノアがそう問いかける。するとロザリアは、しっかり握っていたはずのナイフをカラリ、とその手から取り落とした。
「何が、何がって……」
どうやら、かなり動揺しているらしい。ロザリアは覚束ない足取りで、一歩二歩とその場から後ずさり……そしてそのまま、ペシャン、とその場にへたり込んだ。
「と、取られたのよぉっ……! あの、女にっ……婚約者をっ……!」
震える声で、ロザリアはそう言った。
……大きな青い瞳いっぱいに、涙をためて。そこに先程までの強気な態度はもうどこにもなかった。もちろん、ゲームのしゃんとした彼女の面影もない。その姿はまるで、虐められて怯えるか弱い乙女のようだった。
—— これは、よほど酷いやられ方をしましたわね。
今更ながら、ノアは悟る。
ロザリアはゲームの中では、一度だって涙を見せることはなかった。例えシナリオ通り婚約者をヒロインに奪われた時でさえも、彼女は泣いたりなんてしなかった。……どころか笑顔で祝福したのだ。それだけ、彼女は強い人だ。ただヒロイン……フィオにファーガスを取られたくらいで、ここまで追い込まれたりはしない。
それこそ、卑劣な手でも使われない限りは。
「落ち着いて下さい、ね。……教えてくれませんか。あの子……フィオ・ノワールと何があったのか」
言って、小刻みに揺れるロザリアの肩に、ノアはそっと手を当てる。
「何があったのか、なんて、こっちが聞きたいくらいよ……」
ロザリアは、そうポツリと呟いた。
「私、ファーガス様とはそれなりに良くやれていたの。良い雰囲気だったわ。このままならきっと、ステキな夫婦になれた」
「でも」と、彼女は続ける。
「あの子がやってきた途端、全部狂っちゃったの。ファーガス様は最初、あの子が気に入らなかったみたいなのに……急に態度を変えて。まるで、御伽噺の魅了の呪いにかけられたみたいに」
「魅了の、呪い……」
ロザリアが例えた言葉を、ノアはそのまま反芻する。……この世界に魔法の概念はない。魔法はそれこそ、御伽噺の類だと信じられている。まさかヒロインに備えられた、特別なギフトのようなものなのだろうか。
—— 考えられなくも、無いですけど……。
でもそれじゃあ、ゲームの通りにストーリーが進行しなくなる。もしストーリーに沿ってこの世界が回っているのなら、セリーナの死が絶対だったように、彼女がファーガスに疎まれる事も絶対の筈だ。じゃなきゃ、そもそもファーガスのシナリオが成立しなくなってしまう。
—— なら何故……。
「ファーガス様は、おかしくなったみたいにあの子しか見なくなったわ。私の事なんて目に入らないみたいに、フィオ、フィオ、フィオって……! アレは義妹なんかに向ける目じゃなかった! 完全に女性として、ファーガス様は彼女を扱ってた。……ねぇ、そんなの狡いじゃない。後から来たくせに、私の積み上げたものを全部持っていった……」
涙をぼたぼた零しながら、ロザリアは嗚咽混じりに言う。……これでは、あまりにも、惨めだ。プライドなんてズタズタになってしまう。
「私、ファーガス様を愛していたわ。でももし、これで婚約破棄なんて事になったら、私っ、私……っ、家になんて帰れない……! お母様達になんて言われるかっ……!」
……確かに。政略結婚の破談なんて、身分が上のノワール家からならいくらでも行える。ファーガスが少し理由をつければすぐだろう。それに……愛した人との結婚が破談になるのもそうだが、彼女はフリットウィック家の未来を背負って来ているのだ。それが、見向きもされなくなって返品されてきたなんてことになれば、彼女の両親はきっと落胆するし、社交界でも悪い噂が立つだろう。ポッと出の男爵家のフリットウィック家には、それは致命的なダメージを与えるに違いない。
……彼女は失うものが多すぎる。
ゲームのようにしっかりぶつかり合えば、ここまで彼女は追い込まれたりしなかっただろう。しかし彼女は、相手と勝負する権利さえ奪われてしまった。指をくわえて、愛する人と、自分からその人を奪った女との恋路を見ていなければならなくなってしまった。
……それは、あまりに酷な話である。
—— 仕方がありませんわね。本当は、柄じゃないのだけど。
目の曲で泣きじゃくる少女に目をやりながら、ノアはそう、心の中で溜息を吐いた。
……本来ノアは、ロザリアにはきっちり嫌われなければならないポジションだ。彼女は攻略対象の妹だし……何より、ヒロインに近しい存在だ。近しくなる予定だった存在だ。没落を心から望む彼女としては、ここで彼女に恩を売ってもマイナスにしかならない。
ならないが……しかし、このまま放っておくのも、彼女には出来なかった。
—— なんっか、面白くないんですのよねぇ、その話。
フィオも、ファーガスも、ロザリアも。彼女は全て気に食わなかったのだ。
そもそも、物語がゲームの通り動かない事がまずムカつく。
それから、フィオもムカつくし、ぽっと出の女の子にコロッと落ちるファーガスもムカつく。そして……うじうじと後ろ向きに嘆くロザリアも、同じくらい気にくわない。生前のノアが好きだったのは、凛として、何事にも屈さない真っ直ぐな芯を持った彼女だ。
「……顔を上げて下さいな、ロザリア様」
少し考えて、ノアはそう言う。
そして、言葉通り視線をノアの方へ向けたロザリアに、ノアは静かに微笑みかける。
気に食わなかった。だから、別にこれは親切心とか憐れみとか同情とか、そんなご立派なものではない。
ここにいるのは悪役令嬢だ。
だから悪役らしく、自分のやりたいように。
「……ねぇ、まだ諦めるのは早いと思いません?」
笑みを浮かべたまま、ノアはそう、弦楽器の音が美しく響きあう、大広間を指差した。
お待たせしました……。




