16 悪役令嬢と夜会
ノワール家の本邸は、オルコット家と同じく、首都、アムネリスの街にある。しかし最近改築されたというその大邸宅は、まるでオルコット家を避けるようにその反対側に位置していた。そのため、目的地までは馬車で約三十分。同じ街にしてはそこそこの所要時間である。
そして……馬車に揺られること、御者の言う通りぴったり三十分。
二人はとうとう、この日を迎えた。
「嫌ぁっ! やっぱり行きませんわ! オルコット嬢は急な心不全の為帰宅するとお伝えくださいまし!」
「こんだけ叫び散らしてる癖に、仮病ってバレない訳ないでしょう?! いい加減覚悟決めてくださいよ、ほら、ちゃんと歩く!」
セドリックに仕立ててもらったワインレッドのイブニングドレスを身に纏い、馬車でゴネるノアと、そんな困った主人を引き摺り下ろすアル。
そう、今日は待ちに待った約束の日。
ノワール家主催の夜会が開かれる日である。
カツン、カツンとヒールの音が、石畳を打つ。ドレスと揃いの渋みがかったワインレッドのパンプスの足取りはどこか重い。
「死にたい」
「負のオーラがすごい」
顔面蒼白でノアが呟いた一言に、アルは半ば引きつった声でそう返した。
ノワール家の玄関まで、約三百メートル。
その道をわざとゆっくり歩く彼女のその表情は、とても今から夜会に赴く令嬢のものとは思えなかった。夜会というものは本来、貴族が新たな出会いを求めて集う、そう、いわば楽しい場の筈だ。こんな地獄送りの判決を受けた亡者みたいな顔をして行く場所ではない。
……のだが。彼女にとっては、これから始まる夜会は戦場のようなものだ。
「ああ……いじめられる……ファーガス様にいじめられる……無理……」
「だ、大丈夫ですよお嬢様! な、なんとかなりますって。それに流石のファーガス様も今日はお忙しい筈。嫌味を言うにしても、三十分ぐらいで切り上げて下さる……と思います……といいなぁ……」
「それどの辺が大丈夫ですの……? っていうか希望系じゃない……。三十分もあんな顔面偏差値勝ち組野郎に嫌味を言われるなんて、拷問でしかありませんわ……」
「まぁ……ファーガス様ですし、何か言われるのは間違いないかと……」
「自らが持ち得るボキャブラリーの全てを総動員してディスってきますものね、彼……。本当脳みその無駄遣い以外の何物でもないでしょうに……」
しかも、今日のノアはファーガスから招かれた(あるいはセドリックが何らかの手を回して招かせたのかもしれないが)招待客である。なんにせよ主催である彼のところには、必ず挨拶に向かわねばならない。
「憂鬱ですわねぇ……いっそそこの池に飛び込んでやろうかしら……」
「やめて下さいよ……それ回収して家で世話すんの誰だと思ってんですか……」
「それとも燃やします? 屋敷」
「正気ですか、捕まりますよ」
「でも没落は……できますわよね?」
「ちょっと本気にするのやめてもらえません?!嫌ですよそんなサイコパス主人に仕えてたなんて経歴持つの……他で雇ってもらえなくなるじゃないですか」
「貴方って割とドライですわよねそういうところ」
はぁ、と吐いたノアの重たいため息が、夜の冷たい空気に溶けていく。屋敷から漏れるバイオリンの音が、なんだか余計に虚しくなって、ノアの気分は沈むばかりだ。
慌ただしい足音が背後から聞こえてきたのは、丁度そんな時だった。
「ちょっと、退いて退いて〜!!」
焦ったようなハスキーボイスが耳元で言うと同時に、何かがぶつかったような衝撃がノアの肩に走る。小さくよろめくのと同時に、ひらりと桃色の長いツインテールがノアの目の前で揺れた。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ……」
体をアルに支えられ、体勢を立て直す頃には、ぶつかってきた少女は、ふわふわのフリルで飾られた白いスカートを揺らしてノアのずっと先を走っていた。
「ごめんねおねーさん! ちょっと急いでるんだ!」
走りながら水色の瞳をこちらに向け、軽く頭を下げた少女。貴族として、あまりふさわしい振る舞いとは言えない。
「な、何ですの、アレは……」
「さぁ……?」
二人が呆気に取られる間に、少女はもう開け放たれた玄関の奥へと駆けて行ってしまった。
残ったのは、後になってふつふつと湧いてくる苛立ちのみである。
「無礼な女ですわね、人にぶつかって……」
「何をあんなに急いでたんですかね……?それに、従者も居なかったみたいですが」
「ああ、そういえば。……逸れたのかしら……?」
こういった貴族の集まりにおいて、従者を付けない事は、まずあり得ない。従者なしで、のこのこパーティに出席するなど、貴族としての品位に関わる。それこそ公爵家クラスなら、五人連れていたって普通の枠を出ない。どちらかというと、ノアの方が奇特なのだ。
……となると、さっきの令嬢は、逸れた従者を探していたのだろうか。
「まぁ、別にどうでもいいですけれど。……っと、おや?」
カラン、と。ノアの靴の先に、何か固いものが当たった。
「……これは……」
そっと拾い上げ、よく見てみると、それはどうやらブローチのようだった。装飾が施された金の額に、大きく美しい紫色の宝石がはめられている。……光に透かしてみると、宝石の奥に鷲のような紋章が浮かび上がった。
「落し物、ですかね?」
アルがひょこっとノアの手元を覗き込んで言う。落し物。こんな高価なものが、そう長時間置いておかれたとは考えにくい。
「……あの女のものかもしれませんわね」
「持っていなさい」とノアが、ブローチをアルに手渡す。
「え……? お嬢様、盗みですか?」
「失礼な。そこまで落ちぶれてませんわよ。
……そうじゃなくて、さっきの女に届けついでに、一つ文句を言ってやろうと思ったの」
丁度、ムカつく女だと思っていたところだ。渡すついでに、嫌味の一つ二つふっかけてやってもバチは当たるまい。
「……ま、その気力が残ってれば、の話ですけどね」
「ウッ胃痛がっ……!」
アルの言葉に、ノアはグッと胃を抑えた。
ちょっとだけ忘れかけていたのに、また思い出してしまった。
……余計な事を言ってくれた従者をギリと睨みつけ、ノアは歩みを進める。豆粒ほどの大きさだった玄関の明かりはすぐそこまで迫っていた。
出迎えの使用人が、愛想よく笑顔を浮かべているのがもうはっきり見える。
……拳をぎゅうときつく握りしめ、ノアは腹を括った。
今更、何を言ったって仕方がないのだ、進むしかあるまい。
—— ええい! 当たって砕けろ、ですわ!!
とどのつまり、ヤケクソというやつである。
眩い程にきらめくキャンドルの灯り。視界を彩る、令嬢達の色とりどりのドレス達。楽団の奏でる優雅な音楽に、あちこちでグラスが踊る。
「っあーー……鬱……」
「それ今日何回目ですか……」
笑顔が溢れる豪奢な大広間の隅の隅。
先ほどの勢いは一体どこへやら、入場三十分、ノアは完全に壁の花と化していた。
「お嬢様、まずいですよ。これじゃあぼっちの可哀想なご令嬢です」
壁際で一向に固まったままのノアに、アルがこっそり耳打ちする。周りの貴族達は楽しそうに歓談しているというのに、ノアは死んだ魚のような目でそれを眺めるばかり。確かに、マズイ。
そもそも壁の花というのは、誰にも話しかけに行けないような消極的な女性、もしくは誰にも相手にしてもらえない可哀想な女性を指す言葉だ。この場合、後者に見られるのは貴族にとってとんでもない不名誉。若い少女達は、そうして後ろ指を指されることを何より恐れる。
「でもアレに見つかるくらいなら、そっちの方がマシですわ……」
ノアはそう言って乾いた笑いを零した。彼女にとってみれば、貴族の間の格付けよりもよっぽどイケメンの方がよっぽど怖いのだ。
「いやそんなダメな方に覚悟決めないでくださいよ……そもそも、ファーガス様にはご挨拶に行かなきゃ行けないんでしょう?」
「いやもう……ここから見えるファーガス様の顔だけで充分お腹いっぱいですわ……」
「本気ですかそれ……? ここからまだ三十メートルはありますけど……? 顔、見えませんけど……??」
「オーラがイケメンだから近づきたくない……」
「おーら」
ここまでくると筋金入りである。
だが仕方がない。怖いものは怖い。覚悟を決めようとなんだろうと、結局はこれに尽きるのである。
隣でアルが、はぁぁぁ……と深く深く、息を吐くのが耳に届くのは、気にしないことにした。
—— さて、ファーガス様は……。
そう思い、ノアは先程までファーガスの影があった場所に目線をやる。
……しかし、そこに彼の姿はなかった。
どうやら、お喋りに興じている間に見失ってしまったらしい。彼の姿を追うように、ノアはキョロキョロ辺りを見回す。
……しかし結果から言えば、その必要は無かった。
ファーガスは、すぐ真正面から、優雅な足取りでこちらにゆっくり向かってきていたのだから。
「き、来た……」
「へ……? ちょ、お嬢様……?!」
反射的に、ノアはアルの背中に隠れた。アルもどうやら目の前の男に気がついたらしい。彼の表情が、げ、と露骨に嫌そうななものに変わる。
ファーガスはそんな二人に眉を顰め、そして嫌味に口端を吊り上げた。
「おやおや……これはこれは。随分なご挨拶じゃないか、ノア・オルコット。人の顔を見るなり従者の背に隠れるとは……オルコット家の程度が知れるな」
「……っ」
肩まで伸びた金髪を揺らしてそう笑う男を、ノアはキリリと睨みつける。
——流石にここまでバカにされて、隠れっぱなしというわけにもいきませんわね。
ノアだってプライドを捨てたわけじゃない。別にオルコット家がバカにされるのは全然構わないが、自分がバカにされるのは我慢ならなかった。
それもそれで、どうなんだという話だが。
従者の背を離れ……ノアは、顔を、真っ直ぐに上げた。
「……あら、隠れてなどいませんわ。別に、全然。ただ、申し訳ありませんが、貴方とお話しできる気分ではなくて」
「ふん……言ってくれるな。ところで、そっちは壁だぞ??」
「何のことだか」
壁紙に向かって嫌味を吐く姿に、ファーガスは口元のバカにしたような笑みを更に深めた。
「お嬢様……流石にそれは無いです」
耳元で、アルがこっそり耳打ちする。その声には完全に呆れが滲んでいた。
「仕方がないでしょう、こうでもしなきゃ話なんて出来ませんわ」
「それ自分で言ってて虚しくならないんですか」
「うるさいですわね! 知ってますわよ! ダサいことくらい! 何も言えないよかマシでしょう?!」
背後から聞こえるファーガスの喉を鳴らすような、見下すような笑い声に顔を赤く染めながら、ノアはそうまくし立てた。これでもこの令嬢は必死なのである。
「いやはや、失礼。そうか、君は重度の人見知りだったか。はは、全く。それならこんな場所で壁の花になっているのも頷ける」
「……別に、人見知りという訳では……。いえ、何でもありませんわ。貴方こそ、わざわざ私のところに来るだなんて。自慢話ばかりで、周りに相手にしてもらえなくなりましたの?これだから成り上がりのノワール家は」
「は、自慢話ならお前のところも大概だろう。この間お前の兄に会ったが……」
「あ、それ以上は大丈夫です大体察しました」
どうやらセドリックは相変わらず元気でやっているらしい。
「本当、君も、君の兄も父親も……失礼な奴らだよ。招待された立場のくせに、挨拶もしに来ないとはな。……いや、本当はした覚えはないんだが……」
どうやら彼自身、招待状を書いた覚えは無いらしい。となると、本格的にアレがどこから出てきたのか謎である。一体どんな手を使ったのか。
「ともかく、社交界の最低限のマナーも守れないような家だ。行く末も知れてるな?」
フフン、とまた調子を取り戻してファーガスが嫌味に言う。
「あら、そう意地悪を言わないで下さいませ。ファーガス様が自慢話にお忙しいようでしたから、タイミングを伺ってましたのよ」
「減らず口を」
「お互い様でしょう?」
「フン……こちらを向いていれば、良い啖呵だったんだがな。壁に掛けられた言葉は悪いが聞こえなくてね」
「……っ」
ファーガスにそう言われ、ノアの顔が羞恥に赤く染まる。……確かに、壁を向いたままで格好なんて付くはずもない。ファーガスが勝った、と言わんばかりにフン、と鼻を鳴らす。
悔しさに任せ、言葉を吐こうと吐こうとしたところで……それを、少女の可愛らしい声が遮った。
「……お兄様?何をしてるんですか?」
視界の端で、桃色のドレスと、柔らかな金髪のボブカットが揺れる。
—— この声、どこかで聞き覚えが……。
聞こえた懐かしい声に、つい、ノアはくるりと後ろを振り向いた。
視界に映ったのは、ノアと同い年くらいの少女。柔らかな金髪に、陶器のように白い肌。ピンクダイヤモンドのような、淡い色をした大きな瞳。大人しめの装飾が施された、瞳と同じ色のドレスを纏う少女は、間違いなく美少女と呼ばれるに相応しい容姿をしている。
—— あら。もしかして、この子……。
「お兄様、早く戻ってきて下さい。私、慣れない場所で心細くて……」
寂しげな声で、ファーガスの袖を引く少女。ファーガスはこれまで見たことのないような優しい笑みを浮かべて、
「ああ、すまないフィオ、一人にして。すぐ行く。少し待っていてくれ」
と少女……フィオに言った。
……鳥肌の立つような、甘い甘い声だった。
「……いや、は……?」
——どういう、事ですの?
ノアの頭に、クエスチョンマークが踊る。いやだって、おかしいのだ。目の前の少女が、もしも。もしもあのフィオなら。ラブロイのヒロインである、フィオ・ノワールなら。……彼女が、こんな風にファーガスと親しくしている筈がない。
ファーガスはプライドの塊のような男だ。庶民出身の彼女を疎み、ゲーム中盤では冷たい言葉を浴びせ続ける。
その彼が、こんなデレッデレになるはずか……。
「と、いうわけだ。可愛い妹が来たので、これで失礼する。……招待した覚えはないが、精々楽しんでいくと良い。壁際でな」
呆然とするノアを置いて、去っていくファーガス。嫌味なんて、最早頭に入らなかった。『可愛い妹』まるで、どこかの誰かみたいな台詞だ。普通なら、ファーガスが絶対に言うはずもない。
—— まさか。まさか、ストーリーが歪んでる?
だが、セリーナは死んだ。物語のキャラクターとしての運命に抗うことなく、死んでいった。全てシナリオ通りだ。……一体、どういうことなのか。
……なんだか得体の知れない悪い予感が、ノアの脳裏をよぎる。
「……あの、お嬢様?」
壁の方を向いたまま考え込んでいると、ふいにノアの耳に、アルの声が届いた。
「あ、ああ……ごめんなさい。何かしら?」
「……あ、いや……あの。別に、大したことじゃないんですけど……」
振り返ったノアに、アルは何か言いづらいことでもあるのか、もごもごと口ごもる。ノアが視線で促すと、アルは開いた窓の先……テラスの方をこっそり指差して、
「何か、さっきから……すごい殺気を感じるんですが」
と言った。
「え?」
言われて、ノアもアルの指差した方を向く。すると、その指の先にいたのは、一人の令嬢だった。少し長めの桃色の髪をサイドに束ねた、深い青の瞳の令嬢。黒いドレスが、白い肌によく映える。……普通に黙っていれば、引く手は数多だろう。
……本当、その手に、食事用のナイフを強く握ってさえいなければ。
「こ……殺してやる……ファーガス様を誑かす不届き者全て……全て……」
「うわぁ……」
どうやらこの夜会、一筋縄ではいかないようだ。
夜会編スタートです。




