15 悪役令嬢と突撃王子
「あの……つまり。ウィリアム様はずっとここでお待ちになってたんですか……?」
「そうだね。ノア様が何故か……本当に何故か、僕から逃げてしまったから、ずっとここで待たせてもらっていたんだ」
頬を引きつらせて問いかけるアルに、ウィリアムはにっっこりと怖いくらいの綺麗な笑みを浮かべてそう答える。口調は穏やかな筈なのに、なんというか……威圧感が凄い。
カタカタと小刻みに震える二人を一瞥し「さて、と」とウィリアムは自分が腰掛ける方とは反対側のソファーを指差した。
「とりあえず、お掛けくださいノア様。ゆっくりお話ししましょうか。……二人っきりで」
そう言う彼のエメラルドの瞳は、1ミリも笑っていなかった。
「っ……ギブ」
「えっ?」
ノアの口から漏れた言葉を上手く聞き取れなかったのか、不思議そうな顔をして彼がノアを見遣る。……どうやら彼女の顔色を見て、大体察したらしい。
「大丈夫ですか……?」
アルがそっと、心配そうに耳打ちする。
しかし、その声が彼女に届くことはなかった。もっと言えば、ノアの視界にその姿が映ることすら無かった。彼女に見えているのは、婚約者のキラキラフェイスだけなのだから。
「はわ……はわわ……」
ノアの顔からは、面白いくらいにスゥッと血の気が引いていく。頭の中ではカァンカァンカァンと警鐘が鳴りまくり、心臓がえらいこっちゃと鼓動を鳴らす。蘇ったトラウマに、何も言えなくなって呼吸すらままならない。命の危機すら感じる。
……となれば、あとは取るべき行動なんて、もう分かり切ったものだった。
「ギブギブギブギブ!! ギブですわー!!!」
ぐるりと後ろを振り返り、ノアは脱兎の如く二人に背を向けて走り出す。しかしその腕は、他ならぬ彼女の従者の手によってガッチリと捕まえられた。
「っと、そうはさせませんよっ……!」
「ぴゃあっ!!」
掴まれた腕を強く引かれ、ノアはアルの懐に収まる。そしてそのまま、腹に腕を回され完全にロックされてしまった。
「なっにしますのよ! 離して下さいまし!!」
「いやいや、何してんだはこっちのセリフですって……! 逃がしませんよーお嬢様。死なば諸共、俺だけ置いていこうったってそうはいきませんからね」
「ぐうっ……! わ、分かりましたわ。ち、ちょっと飲み物を取ってきますから、ウィリアム様には貴方からいい感じに説明しておいて頂戴」
「ははは、やだなぁお嬢様。そんなの俺達従者の仕事でしょう?ほら、どうぞソファにお掛けになって下さい。飲み物なら俺が取ってきますから」
「そう言って私を置いて逃げる気でしょう!?」
「アンタに言われたく無いんですけど?! 最高にブーメランですからねそれ!! 俺に丸投げなんてさせませんから!!」
全力で抵抗するノアを抑え込みながら、アルがそう吠える。しかし彼女もここで折れるわけにはいかない。諦めるイコール死だ。
「考えてもみなさい?? ウィリアム様明らかにキレてますわよ?? アレと二人きりになったとして、何を言えばいいんですの?」
「……『幼馴染とお家デート洒落込んでました、テヘッ♡』……とか?」
「不敬の極みですわね。即没落ドボンですわ。……いや、いっそそれでも……」
「いやダメダメダメ!! ほら、お嬢様が目指すのは完膚なきまでの没落でしょう!? 諦めないで、頑張って!!」
「無理……もう無理ですわ……。しかも相手はあの腹黒ドSと呼び声高いウィリアム様ですわよ……? キラキラの顔面で淡々と責められるのが目に見えてますわ……。え、それなんて拷問……?」
「それはまぁ……確かに。あの人見るからに腹黒そうですしねぇ。ほら、笑顔なんかもう特に。ああいうのを暗黒微笑って言うんでしょうね」
「キッツ……。無理……」
「語彙力が女学生みたいになってますよ」
「アレ相手に……謝罪会見……許してもらえる気がませんわね……? なんなら弱みに付け込んで脅されそう……もう笑顔から性格の悪さが滲み出てる……」
「あ、分かる……」
「ごめんさっきからずっと聞こえてるんだけど???」
「「ひぇっ」」
ウィリアムの声に、二人の悲鳴が重なった。
ギギキギ、とまるで油が切れた機械のように後ろを振り向けば、変わらず優雅にソファに腰掛けるウィリアムの笑顔が目に入った。
「とりあえず、座って?」
「……はい」
冷ややかな、まるでこちらを脅すようなその声に、ノアとアルは仲良く同時にコクコクと頷いた。
「……で? さっき聞こえた話だと、ノア様は僕という存在がありながら、幼馴染とデートをしていた……ということでよろしいですか?」
「いいえ、違いますわ。それは全くの事実無根。ウィリアム様の誤解です。私はウィリアム様に未来を捧げた身、そんな愚かな真似はしません」
「……そうですか。そういうセリフはまず壁じゃなくてこちらを向いて言って欲しかったんですけどね……?」
若干苦笑しながら、ウィリアムは自分に背を向けてソファに腰掛けるノアにそう言った。
困ったように笑う顔面キラキラ王子と、彼にそっぽを向く形でソファの上に正座するノア。それから、そんな光景を少し離れたところから遠い目で眺めるアル。
控えめに言って、かなりカオスな光景だった。
しかし仕方がないといえば仕方がない光景でもある。なんてったって、彼女はイケメン恐怖症。顔面最終兵器のウィリアムとまともに会話を成立させるには、こうして顔を背けるしかない。……まぁ実際のところ、これでも随分ギリギリなところではあるのだが。
だがそんなノアの事情なんてこの男は知るはずもなかった。
「……ねぇ、ノア様。こちらを向いて頂けませんか?そんな風にされてしまっては、僕も悲しいです」
「ヴッ!!」
しゅん、としたウィリアムの声に、ノアの口から汚い悲鳴が漏れた。
── 物凄い、ですわね。
まるで雨に濡れた子犬のような声。さすがはラブロイ人気ランキング第一位をぶっちぎりで駆け抜ける男、ボイスの破壊力も違う。そこらの女子ならば、きゅんきゅんときめいて彼のお願いなんてコロッと聞いてしまうのだろう。……無論、言うまでもなくノアは例外である。1ミリもきゅんきゅんしない。彼女が感じたのはぎゅんぎゅん心臓が締め付けられるような緊張感と、本能的な恐怖である。
恐ろしい男だ。
ノアはより一層、強く一人がけのソファの背もたれをその手で掴んだ。プルプル震えながらガシッと背もたれにしがみつくその様は、まるで弱りかけの蝉のようでもある。苦笑いの仮面が剥がれたウィリアムは、婚約者の姿をまるでおかしなものでも見るような目で眺めていた。いや、おかしいものなのは間違い無いのだが。
……ノアの後ろに控えていたアルは、主人の情けない姿に小さく嘆息し……ウィリアムの方へ、深く頭を下げた。
「申し訳ございません、ウィリアム様。しかしどうかお許しを。……実は、お嬢様は極度のイケメン恐怖症。こうしていなければ貴方とまともに会話することができないのです」
「イケメン、恐怖症……?」
耳慣れない単語に、ウィリアムが不思議そうにアルの言葉を反芻する。アルは「ええ」と頷いて、続けた。
「お嬢様は、顔がいい男性がとても苦手でして。ですから、ウィリアム様のように美しいお顔を見ると発作を起こしてしまうのです」
「……発作って?」
「あー……まぁ、軽い順に、奇声、奇行、頭痛、心拍異常、吐き気、過呼吸、気絶……ですかね」
「……病院行った方がいいんじゃない?」
「私もそう思います」
「ちょっと??」
いきなり飛んできたdisに、さすがのノアも不満げな声を上げる。つい漏れた心の声を誤魔化すように、ウィリアムはンンッと小さく咳払いをして、改めてノアに向き直った。……正確には、彼女の背中に。
「……分かりました。その件は……そうですね、また今度ゆっくり話しましょう。で??結局貴女は、僕から逃げた先で、何をしていたんですか??」
またその顔に綺麗な笑みを貼り付け、ウィリアムが問いかける。茶番を挟んで少しは怒りが引いたかと思ったが、そんなことはないらしい。相変わらず目は笑っていない。
こうなってしまっては仕方がない。というか、早いとこ、説明しないとこちらの胃に穴が開きそうだ。そう思い、後ろから放たれるひしひしと肌を刺すような威圧感に怯えながら、ノアはゆっくりと口を開いた。
「……実は……幼馴染の、親子喧嘩を仲裁しに行ってましたの」
「親子、喧嘩?」
どうやら予想だにしなかったワードだったようだ。ウィリアムは驚いたように目を見開いた。
「そう。彼の母は、病気でもう永くなかったので……せめて彼女が亡くなる前に、仲直りをしてもらおうと思って。逃げてしまってごめんなさい。でも、あの時は一刻を争いましたの……」
ぶっちゃけウィリアムから逃げたのは普通に、例のイケメンアレルギーのアレなのだが、まぁそこは上手い具合に触れないでおくことにした。貴方の顔が苦手なので全力ダッシュキメましたすみません、なんて王族相手に不敬にも程がある。いや、理由はどうあれ王子から逃げた挙句、何時間も屋敷で待たせている時点で、かなり手遅れ感はあるのだが。それはさておき。
「……そう、だったのですか」
ウィリアムは深刻な面持ちで、ゆるりと頷いた。それから、長い指を顎に当て、少しだけ考え込むような仕草を見せる。しかし次の瞬間には、またニッコリと明るい笑みを浮かべていた。
「それは大変でしたね。分かりました、今回は僕も信じましょう」
「……良かったですわ、わかっていただけて」
ホゥ、と誰にも聞こえないように、ノアは小さく安堵のため息を吐いた。とりあえず、これで首の皮は繋がった。
同じように肩の力を抜いたアルを見て、ノアはクスリと笑った。
「でも……随分簡単に信じてくれますのね。貴方は、そういう人じゃないと思っていましたけれど」
「おや、そうですか?これでいて僕は単純な男ですよ。それに、嘘を見抜くのは得意なんです。……貴女のような分かりやすい方の嘘を、僕が見抜けないわけもありませんしね」
「……ははは……」
その分かりやすい、というのはどちらの意味なのだろうか。……答えは大体分かっているような気がしたが、ノアは敢えて考えるのを止めた。世の中知らなくていいこともある。
複雑そうな表情を浮かべるノアに、ウィリアムはまたニコリと笑う。
「でも……良かったです、浮気じゃなくて。もしそうだったら……僕は貴女に、酷いことをしなくてはいけませんでしたから」
「は、はははは……」
穏やかな声で紡がれたその言葉に、苦笑いがもう止まらない。酷いこと、とは。一体何をするつもりだったのだろうか。……恐ろしくて聞けはしないが、腹黒ドSの彼のことである。……体も心もタダでは済むまい。
「と、ところで……どうしてウィリアム様は私の所に?」
顔につい出そうになった怯えの色を誤魔化すように、ノアはそうウィリアムに問いかけた。否、これは普通に気になっていたのだ。わざわざ王族の彼がアポ無しで家を訪ねてくるなんて、そう考えられるようなことでは無い。
「もしかして、婚約に関するお話ですか? 婚約破棄とか??」
「いやなんでそんなに食い気味なんです? 破棄されたいんですか? 婚約」
「いえ、別にそんな事は!!」
素直すぎるのも困りものである。
思わず出そうになってしまった願望を誤魔化すように、ノアが乾いた笑い声を上げると、若干納得がいかなさそうではあったものの、ウィリアムは「まぁ、でもそうですね」と話を続けた。
「確かに、婚約に関する話ではあります。……破棄はしませんが」
「そうですか……」
「なんで残念そうにしてるんです?」
「いえそんな事は」
「…………貴女とは、一度じっくりたっぷりお話した方が良さそうですね?」
「ぴえっ」
それは勘弁して欲しかった。ノアにとっては、イケメンと同じ酸素を吸うこと自体もうストレスである。今この状態だって、体と精神に多大な負荷をかけている。もうじき胃に穴が空きそうである。……そろそろ茶化すのはやめたほうが良さそうである。
「実は、今日はノア様のお身体の調子を見に来たのと……あと、母上と父上との顔合わせについて、ご相談を」
「顔、合わせ……」
ああ、そういえばそんなものがあったな、とノアは今更ながらに思い出す。そうだ。確かにそんな話をちらりと聞いた。実はノアは、まだ正式にウィリアムの両親……つまりは国王と皇后と顔を合わせてはいない。そして更に言うなら、正式な許嫁でもないのだ。正式な許嫁になるには、国王と皇后両方と顔を合わせ、直接二人から承認の言葉を受けなければならない。こういうのは早い方がいいと言うし、何よりノアは一応数週間前にぶっ倒れた身。彼女の身を案じてわざわざここまで足を運んでくれた、と考えれば……繋がらなくもない。
「でも、どうして何も言って下さらなかったの?ちゃんと言っておいて頂ければ、準備しましたのに」
「おや。一応ノア様のお父上にはお伝えしたんですが……聞いてませんでしたか?」
不思議そうな顔をして、ウィリアムが言う。
──── ああ、なるほど。お父様、に。
それなら納得がいった。あの仕事人間がこちらにきちんと情報を回してくれるとは思えないし、回ってきた試しもない。実際、何度か過去にこういうことがあった。……どうやら元凶はノアの父親のようだ。
「失礼致しましたわ、こちらの不手際で」
「いや……まぁ、構いませんよ。ミスの一つや二つ、誰だってするものですから。で、その顔合わせの食事会の件なのですが……」
「ああ、いつに致しますか? ご都合の良い日を言って頂ければ、勿論日は……」
「いえ、それなのですが。……しばらく、延期にしませんか?」
「……え?」
ウィリアムの言葉に、ノアは一瞬言葉に詰まった。延期、ということは、もしかしてしばらく都合が悪いのだろうか。王族は忙しいものねぇ、とノアは思う。どっちにしろ、延期してくれるなら万々歳だ。正直言って、ウィリアム含め国王皇后と食事だなんて、ストレスマックスで死ぬ未来しか見えないし。しかしそんな呑気なことを考えているノアに、次の瞬間、恐ろしい言葉が降ってきた。
「で、代わりに僕と一緒にリハビリしましょう。イケメン嫌いを治すための」
「ブッ?!?!」
ノアの耳に入ったのは、信じられないようなセリフだった。
この男は、今一体今なんと言ったのか。
リハビリ?イケメン嫌いを克服するための?僕と、一緒に??
「あの……どういう、意味でしょうか」
カタカタ震える手を挙げて、まるで先生に質問するような格好で、恐る恐るノアは尋ねる。
「ふふ、そのままの意味です。ほら、この感じだと、僕と父上と母上……三人での食事なんて、とても無理でしょう?」
「ぐっ」
「流石にこうして一人後ろを向いて食事をするわけにもいきませんし……。それに、僕の顔をまともに見れない相手なんて、二人も認めるかどうか……」
「ぐぐっ」
「だから、ここはひとつ、二人で居る時間を少しずつ取って、僕に慣れて貰った方がいいんじゃないかな、と」
「ぐぅぅぅぅっ……!」
正論だった。完膚なきまでの。
確かに、この状態で国王夫妻の前に出るわけにはいかないのは事実だ。息子の顔をろくに見ないような女、二人は間違いなく認めはしないだろう。いや、それで婚約破棄……の流れでもノアとしては構わないのだ。むしろ美味しい。……けど。ここで彼の言葉に従わない訳にはいかない。そんなの、私は貴方と結婚したくありませんと言うようなものである。
……しばらく、じっくりと考えて。退路が全て塞がれている事を確認したノアは、コクリと重々しく頷いた。
「……分かりました。お願い、しますわ」
「ええ、お願いされました」
にこり、とウィリアムがまた唇を釣り上げ笑う。ノアにはその顔が見えていないが、彼が笑っているのはしっかりと感じ取っていた。声がなんだか嬉しそうである。
「……では、僕は今日はこの辺りで。もう夜も遅いですから」
「そう、ですか。お待たせしてしまい申し訳ありませんでしたわ」
背後でウィリアムが立ち上がった気配に続き、ノアも慌てて立ち上がる。極力顔を見ないように下を向きながら、ノアはゆるりとウィリアムの方へ体を向けなおした。公爵令嬢たるもの、流石にそっぽを向いて座ったまま挨拶もなし、という訳にもいかないのだ。
「ごきげん、よう……ウィリアム様」
顔が熱に染まっていくのを感じながらノアは微かな声でそう言った。
……不意に、ウィリアムの足音がゆっくり近づいてくる。
そして気がつけば彼はノアの目の前に立っていた。
「っあの、ウィリアム様っ……!?」
「……ごきげんよう、ノア様。また近いうちに、ゆっくりとお茶でもしましょう」
そう言って、まるで美術品のような笑みを浮かべたまま、彼はノアの耳元に唇を近づけた。……まるで、内緒話でもするみたいに。
「……そうだ。僕の事、ちゃんと警戒した方がいいですよ? ……あの日のこと……忘れた訳じゃないでしょう……?」
「……っ!」
吹き込まれた息のくすぐったさに、ノアの肩がピクリと跳ねる。
そしてすぐに脳が沸いてしまいそうなくらいに顔が真っ赤になって、なんだかくらりと眩暈がした。
……あの日。初めてウィリアムとお茶会をした日。
『君のこともっと知りたいなぁ。……もっともっと、深いところまで、ね』
意識を失う間際、囁かれたその台詞が頭の中でリアルに蘇る。
彼のエメラルドの瞳が綺麗で、長い金髪がくすぐったくて。……どうしようもなく、恥ずかしくって。
「……きゅう」
「お、お嬢様ぁぁぁぁっ!!」
ボンっと頭をショートさせたノアに、慌ててアルが駆け寄る。そんな様子を可笑しそうに眺めながら、ウィリアムは悠々と部屋を去っていった。
なんとか意識を取り止めたノアが、蘇ったトラウマと、そのあまりの恥ずかしさに全力ヘドバンをするのはまた別の話である。
次回より、夜会編スタートです。ファーガス君とヒロインちゃんが出ます。新キャラも……ね。




