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14 悪役令嬢は見届ける




 中庭を飛び出し、廊下を抜け、もう一度角を三回曲がり。可愛らしいネームプレートが引っ掛けられた重厚な樫の扉を、また勢いよく開け放てば、セリーナは大きな天蓋付きベッドの中にいた。


「母上っ!」


 息を切らして、リーオがセリーナに駆け寄る。セリーナの顔からはスゥッと色が抜け落ちていて、気味が悪いくらいに真っ白だった。頬を色付けていた桃色は、もう見る影もない。


「ああ、リーオ……来てくれたの」


 しかしどうやら意識はあったらしい。セリーナはゆるりと微笑んだ。しかし薄い唇に浮かべられたその笑みは、やはりどこか痛々しい。


「母上っ!オイ、どういうことだ?!ここまで酷いなんて、一言もっ……!」


「……心配しないでリーオ。そこまで酷くはないの。少し発作が出ただけで……っ」


 言いかけて、セリーナは大きくゲホッと咳き込む。肺の中の酸素を苦しげに吐き出す彼女に、誰も何も言えなくなってしまう。


 ……セリーナの言葉が嘘だなんて、皆もうとっくに分かっていた。


「申し訳ございません、リーオ様。実は……ずっと黙っていたのですが、セリーナ様はもう永くはないのです。ご病気が随分と進行されていて……」


 爺やが沈痛な面持ちで言う。リーオはその言葉に何も返さず、ただ唇を噛み締め、じっとその場に突っ立っていた。


「……ごめんなさい、黙っていて。こんな姿、見せたく無かった。貴女の前では……元気なままでいたかった」


「でも、それも無理ね」と、セリーナは笑った。今まで見たこともないような、弱々しい笑みだった。


 ……何かを言いかけ、リーオはぐ、と言葉をのみ込んだ。恐らくそれは、「どうして」だとか、「置いていくな」だとか。そんな言葉だったのだろう。でもリーオは気づいてしまったのだ。もうセリーナにそんな言葉を吐いたって救えないくらいに無意味で、無駄な事をしている時間すら、もう残されていないのだと。


 だから、リーオは笑ったのだ。笑顔というには随分不出来なものだったけれど、それでも精一杯口端を吊り上げたのだ。


「……母上。さっきは、ごめん。……俺、冷静じゃ、無かった」


 ポツリ、小さくリーオの声が響く。

 部屋の中は痛いくらいに静かで、その言葉は声量の割によく通った。


「確かに、母上の言う通りだ。……俺は、弱い。いくら虚勢を張ったって、結局こうしてノアに背中を押してもらわなきゃ、多分ここに戻ってくることも出来なかった」


「…………」


「けど」


 布団の中で押し黙ったままのセリーナの手を取り、リーオはその無骨で節くれだった、大きな手で強く握った。


「けど……俺、強くなるから。絶対、絶対。誰よりも強くなって、父上みたいに国を守る。……必ず、母上に強くなった俺の姿を見せる。

……だからさ。だから……っ!まだ、まだ……死ぬには早いだろ……?!」


 ぼたぼたと、大粒の雫がリーオの頬を伝って落ちる。零れ落ちたそれは、シーツにじとりとシミを作った。彼の明るい色をした瞳は、どうしようもないくらい悲しみに歪んでいた。手は固く固く握られ、ぶるぶる震えている。


「……そうねぇ、そうよねぇ。まだ、早いわねぇ」


 言って、セリーナはもう片方の手でリーオの赤髪を柔く撫でた。青白いその顔には、まるで慈母のような、穏やかで美しい微笑が浮かんでいた。セリーナはそのまま、愛しい息子の頭を優しく引き寄せ……ゆるりと腕に抱きしめた。


「可愛い可愛いリーオ。貴方の覚悟、しかと受け取ったわ。でも、これだけは覚えていて。どれだけ強くなろうと、どんな道を歩もうと。

 ……貴方は、いつまでも。私の可愛いリーオだわ」


「母上っ……!」


 腕の中で無くリーオを、セリーナは更に強く抱きしめる。彼女の言葉は、酷く優しいものだった。


「……ああ、ほら。泣かないで。強い男は、そうポロポロ泣いたりするものじゃないでしょう?」


「……っ!」


 セリーナの言葉に、リーオは彼女の胸元を離れ、ぐしぐしと服の袖で目元を擦った。じわりと目元に涙が滲む。だがそれを、リーオは唇を噛んでじっと耐えた。


 ……母はそれを見て満足げに笑い、ふと天井を、見上げる。


「……不思議ねぇ。諦めた、つもりだったんだけど。最期になって欲が出ちゃったみたい。貴方の事、もっと、見て……いたかった、なぁ……」


 まるで、何かをつかもうとするみたいに、宙に伸ばした彼女の細い手は、力なくシーツの海に落ちた。いつのまにか瞼は閉じられ、まるで眠っているようだった。


「……行きますわよ、アル」


「……はい」


 深海の奥のように、冷たい静けさが漂う部屋を、令嬢と執事そっと後にした。続いて、爺やも。この時間は、彼ら二人だけのものにすべきだろう。部外者が立ち入るべきではない。



 ……誰も彼が泣くところを見なくて済むように。

逆に言えば、強い戦士になる彼が今日くらいは泣けるように。



この日流した涙が、この先リーオ・アズカヴァルにとって最後の涙となった。















 パカパカ、パカパカ。

 蹄の音が、静かな夜の森に響く。

 揺れる馬車の中で、ノアとアルはただただ何も言わずに、窓の外を眺めていた。

 ランプの暖かな光が照らす窓ガラスには、浮かない顔をした二人の表情がうっすらと映っている。


「……ねぇ、アル」


「は、はい!」


 ふいに口を開いたノアに、アルは慌てて主人の方へと顔を向けた。ノアは変わらず、無関心に、ただぼんやりと真っ暗な夜の闇を見つめている。


「残酷ですわね、人生って」


 それは、何気ない口調で、紡がれた言葉だった。素っ気ないとすら思えるような、単調なもの。でも無関心なようで、きっとその言葉には色んな思いが込められているのだろう。

 アルは何を言っていいか分からず、ただ「……そうですね」と、曖昧な相槌を打った。


「愛した人の側にいる事も許されないなんて。愛した人を、いつか必ず失わなければならないなんて。……とても、悲しい事ですわ。だからきっと、人は泣くのでしょうね」


「…………」


 アルは、何も言えない。彼女が今何を考えているのかを知ってしまったから。


「ねぇ」と、ノアは続ける。


「……お父様は、お母様の為にちゃんと泣いたのかしらね」


「っ……!」


 わざとどうでも良さそうな声音で、そう呟いた彼女のワインレッドの瞳には、じんわりと仄暗い色が滲んでいた。ワインレッドの瞳。

 ……彼女の母親と、同じ色。


 ガラガラ。ガラガラ。


 荒れた森のでこぼこ道に、馬車が揺れる。

 ノアは突然、にこりと微笑んで「お茶が飲みたいわ」と言った。


「お茶……ですか」


「ええ、そう。暖かくて、とびきり甘いのを」


 まるで先程までの表情が嘘のように、ノアは言う。まるで人形みたいな整った笑みを浮かべる主人に、アルは何を言うでもなく、ただ頷いた。


「……畏まりました。屋敷に戻ったら、すぐにお淹れしましょう」


「ありがとう。……少し、疲れましたわねぇ」


 あふ、とわざとらしく欠伸をしてノアは瞼をゆるりと閉じる。……彼女の小さな手はぎゅうと握られている。彼女の胸に、渦巻く思いにアルは気付いている。気付いた上で……何も言わなかった。


 立ち入るべきではないのだ。だって彼はただの従者。そんな資格は与えられていないし……何より、主人に拒絶されるのが一番怖い。



 彼にとって、彼女はとてもとても……なによりも、大事な人なのだから。


 ──── だけど、間違えそうになったその時は。


 夜の森を、馬車はひたすら駆けていく。

 ……窓の外に映る真っ暗闇を眺めながら、アルはまた小さく溜息を吐いた。
















 オルコット邸に着いた時、時刻はもう九時をとっくに回っていた。普段ならノアはもう入浴を済ませ、今頃は自室で日記を綴っている頃である。


「っあー……体がバキバキですわ……」


 オルコット家の長い廊下を歩きながら、ノアはそう言って腕をぐるぐると回した。どうやら本当に、馬車の中で寝てしまっていたらしい。


「お疲れ様でした。お部屋へお戻りになったら、すぐにお茶をお持ちしましょう」


「ええ、お願い。……にしても、やっぱり馬車は慣れませんわ」


「まぁお嬢様、夜会や街に行く時以外、基本は外に出られませんしね」


「引きこもりは良くありませんわね。外に出なくちゃあ」


「学園に通い始めたら毎日馬車……でしたっけ?」


「あ、いいえ。もう面倒だから寮に入りますわ」


「……徒歩十分なのに?」


「引きこもりですから」


「……太りますよ」


「は??」


「ひぇっ」


令嬢あるまじきドスの聞いた声で脅され、思わず縮こまるアル。どうやら彼女の地雷を踏んでしまったらしい。ンンッと咳払いをして、誤魔化すようにまた口を開く。


「まぁでもほら! お嬢様はどんな姿でもお美しいですし! ねっ!」


「ちょっと、全力でフォロー入れるのやめて下さる?それじゃあまるで私が今太りだしたみたいじゃありませんの」


「……どんなお嬢様も好きですよ、俺」


「露骨に顔を逸らさないでくれません?! 顔が嘘だと語ってますわよ?!」


びっくりするぐらい全力で墓穴を掘ってくれている。

ついでにノアの心にも穴が空きそうだ。


「気になさらないでください、お嬢様。男はちょっとぽちゃっとしてる方が好みです。多分」


「うっわ雑」


「おっと失礼しました。つい口が滑って。でも俺、本当にあんまり気にしませんよ?」


「良く言いますわね。……はぁ……おかしいですわね。最近はイケメンのストレスでげっそり体重が落ちてた筈なんですけど……やっぱりまた絞った方がいいかしら?」


「すみませんそれ冗談なんで。それ以上痩せてどうするんですかまた倒れますよ」


と、まぁこんな具合に無駄話を続ける事数分。

気がつけば長い廊下の角に突き当たっており、そこから二階への階段が伸びていた。ノアの自室は二階。部屋に向かうには、この階段を登らなければならない。

……ノアが異変に気付いたのは、ちょうどその階段に足を掛けたその時だった。


 ふいに、応接間の扉から光が漏れているのが彼女の目に入ったのだ。


「……お客様かしら」


 いや、そんなはずはない。今この屋敷にいるのは、使用人とノア達くらいのものだ。セドリックは相変わらず仕事で各地を飛び回っているし、父親も家にはいない。使用人達ももうこの時間なら仕事を終え、それぞれの部屋に戻っている頃だろう。


 ……なら、侵入者か。


「……アル」


「ええ」


 馬鹿話はおしまい。一気に緊張感が場に張り詰める。アルはコクリと頷き、ノアを庇うようにして一歩一歩ゆっくりと扉に近づいていく。



 そして……バンっと、勢いよく扉を開け放った。


「誰だ!!」


 アルの厳しい声が、室内に響く。


 ……部屋の中に居たのは、一人の青年だった。

 明るい部屋の灯りを受けて、キラキラと煌めく三つ編みの金髪。セリーナに劣らぬほどの、白い肌。美しい装飾が施された衣服から、高貴の出であることが分かる。部屋のソファに優雅に腰掛ける彼は、ノア達の方に、ゆるりとそのエメラルドの瞳を向けた。


「……おや、随分と遅かったですね、ノア様?」


「ウッ!」


 振り向いたその顔面に、ノアは苦しげに胸を抑え、その場にうずくまった。あの日の思い出(トラウマ)が、ノアの頭にチカチカとフラッシュバックする。そう、彼らはすっかり忘れていたのだ。


『彼』の存在を。


「さて……これだけこの僕を待たせたんだ。勿論、ちゃんと説明……してくれますよね?」


 にこり、と。その美しすぎる顔に、優美な笑みを浮かべ……彼、ウィリアムはノアに向けてそう言った。







 さて、どうやらまだまだ今日という一日はこれからのようだ。



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