13 悪役令嬢とヘタレ幼馴染
長い長い廊下をぴったり三回曲がった先。
アズカヴァル家の広大な屋敷に隠すように造られた中庭。色とりどりの花々が咲き乱れるその場所に、ぽつんとリーオの背中はあった。
リーオは噴水の近くに備え付けられた木製のベンチに腰掛け、どこから持ってきたのか長めの木の枝で地面をツンツン刺している。
「……分かりやすく落ち込んでますね」
「あれでいて繊細ですからねぇ、彼」
言って、ノアとアルは、二人仲良くひょこ、と中庭沿いの壁から顔を出す。とりあえず、リーオを連れ戻しにきたは良いのだが……なんというか、負のオーラが半端じゃない。一人佇むリーオの背中は『頼むからそっとしておいてくれ』と静かに訴えていた。
……流石にこの状況で庭にズカズカ踏み込んで、リーオを引っ張っていく訳にもいくまい。
「どうします? アレ」
とりあえず様子見の姿勢を取りながら、アルは声を潜めてそう言う。
「さぁ……。放置が一番な気もしますけれど、そういう訳にもいきませんしねぇ」
あのまま放置しておけば、意地になったリーオはきっとセリーナと和解することはない。
だが、こうして彼が庭でいじけているこの瞬間にも『終わり』の時は刻々と近づいている。
だからここは親友として、幼馴染としてなんとかして彼らを和解させなければならない。
……といっても、ノアの頭にまだ具体的な方法が浮かんでいるわけではないのだが。
「それにしても、驚きました。まさかあのメンっ……愛情過多のセリーナ様が、リーオ様にあんな事を仰るなんて」
「まぁ……腐っても軍人の妻ですしねぇ。彼女も元はバリバリの軍用看護師でしたし」
「えっ、マジですか?」
何気なくノアが漏らした言葉に、アルが大きく目を見開く。
確かに、側から見れば、あのセリーナが看護師……しかも軍人なんて、よもや思うまい。しかしそう、彼女は元バリバリのガチ軍人だった。現アズカヴァル家当主との出会いもこれがきっかけだ。怪我をして死にかけたリーオの父を、セリーナが必死に看病して……とかいう馴れ初め話をノアはもうセリーナから何度も聞いている。
「今でこそ丸くなってますけど、昔は物凄かったそうですわよ、色々と。ついたあだ名は戦場の悪魔ってね」
「看護師ですよね……? 響きのラスボス感が半端じゃないんですけど……」
「まぁ私も詳しくは知りませんが。……でも、アズカヴァル家の使用人曰く『あの頃の奥様に比べたら今の方が万倍マシ』だそうですわ」
「パワフル過ぎません……? 」
まぁ逆に言えば、それだけパワフルでなければアズカヴァル家当主の妻は務まらない、という訳だ。アズカヴァル家は代々軍人の家系。
それも軍の中枢を担う彼らは、他の貴族とは違い、常に命を狙われる立場にある。色々と気苦労もあっただろう。それこそ、箱入り娘なんかじゃ精神的にやられてしまうほどには。
「そんな彼女なら……まぁ。あのセリフも納得ですわね。軍人として生きる事の厳しさを、誰よりも知っている筈ですもの」
国の為に戦った戦士たちの命の終わりを、看護師として嫌という程見てきた彼女だからこそ。きっと、あのセリフを吐いたのだ。
……そしてそれが、彼女の親心なのだろう。
「っはー……こうしていてもラチが飽きませんわね。行きますわよ、アル」
「えっ、ちょっ……あ! お嬢様?!」
止めようとするアルにお構いなく、ノアはズカズカと大股で歩き始めた。どうやら、リーオに正面からガツンと言ってやるつもりらしい。
仕方なく、アルも彼女の後を追う。「もう少し慎重に」なんてアドバイスを彼女が聞く訳もない。
青々と茂る木々の隙間を抜け、花壇を超え、彼女の足は迷いなくリーオの方へ向かっていく。
「ちょっと、リーオ」
腕を組み、威圧的にノアはリーオの背に声を掛ける。するとリーオはビクリと露骨に肩を震わせ、ゆるりと彼女の方を振り向いた。
美しい顔面が、彼女の方を向く。
「……っ」
彼の目は、涙に濡れていた。
それでもノアに弱いところを見せまいと、急いで袖で涙を拭ったのだろう。若干目元が赤い。いつもはピカピカと元気に光るレモネード色の瞳も、今は力を失っている。
ちなみに彼との距離は現在わずか一メートル。
……気がつけば、彼女の許容範囲を大幅に超えていた。
「て、撤退〜!!!!!」
「いや、ええええ?!」
アルを放っぽって、ノアは全速力でバックを開始する。後ろ足でよくも、と思うほどの猛ダッシュだった。
主人のいきなりの奇行に、呆然としていたアルが正気を取り戻す頃には、彼女は元の位置……先ほどの石壁に、しっかり身を引っ込めていた。
残されたのは、リーオとアル二人だけ。
……気まずい空気が、辺りを漂う。
「…………」
「……あはははは……すみません出直してきます!!!!」
耐えきれず、アルもリーオを置いてぴゅっと駆け出した。向かうは勿論、自分を見捨てて一人で撤退しやがった自らの主人の所。つまりはさっきの石壁である。
「いや、何してるんですか!!?」
「ごめんあそばせ!! でもあれは無理!!!」
戻ってくるなり、ガッと自分の肩を掴んだ従者に、ノアは悲痛な声を上げた。
「無理って……! さっきあんな堂々と向かって行ってたじゃないですか」
「だって! 顔が! 顔が良いんですもの!! 何なんですの?! 何であんなにイケメンなんですの?!」
「今更でしょう?! ほら、見てくださいよ!リーオ様の顔!! 訳分かんなさすぎてポカンとしてますよ?!」
「やめて! 見せないで!! この距離でもぶっちゃけギリギリなんですから!!」
言って、ノアは全力でイヤイヤと頭を振った。ここからリーオの位置までは約五メートル。実は意外と近い。
「でも、馬車に乗っている時や、セリーナ様のお部屋を訪ねた時は平気でしたよね?」
「だって、あの時は極力顔を見ないようにしてましたし……! リーオも気を遣って、できるだけ視線を私の方に向けないようにしてくれてましたから……」
「……よくそれであんだけ自信満々に飛び出して行きましたね……?」
はぁぁ、と、呆れたように、アルが溜息を吐いた。こうして彼が溜息をつくことなんてしょっちゅうだが、今日のはまた一段と深い。
ノアも何だかバツが悪くなって、ふいと視線を泳がせる。
「……で? どうするんですか、これから」
「どうすれば良いと思います?」
「接近できない時点で詰んでるんで無理じゃないですか?」
「うう……自分から聞いたくせに……」
そう言って、ずけずけと遠慮なくモノを言う従者を、ノアはじとりと睨んだ。しかしアルは大して気にした様子もなく、言葉を続ける。
「やっぱり、もうお嬢様が頑張るしかないですって」
「……う、ううう……」
「頑張ってください。ここでやらなきゃ、リーオ様は一生お母様のことを背負って生きていかなきゃならなくなるんですよ? 良いんですか?」
「っううう……!」
「あーあ、可哀想に、リーオ様。イケメンに生まれてしまったせいで、彼は辛く苦しい思いを……」
「っああああ! 分かりましたわよ! もう!!」
ネチネチと嫌味ったらしく言葉を重ねるアルに、とうとうノアが折れた。
……というか、ここで引くなんて選択肢は、どっちにしろなかったのだが。
ここで引けば。きっと自分が一番後悔することなんて、彼女はしっかり分かっているのだから。
「っ……り、リーオ!!」
勢い任せに石壁から飛び出して、ノアは幼馴染の名前を呼ぶ。リーオはどうやらずっとこちらを伺っていたらしく、ノアが中庭に一歩踏み出せばカチリと視線がかち合った。
「ウッ顔が……いい……」
「頑張って!!」
ジリジリ後退しようとするも、アルに背中を押され仕方なく前へ出る。
するとリーオもどうやら色々察したのか、それとも単に気まずくなったのか。ふいとノアから視線を外した。
「……あ、あの」
「なんだよ」
つっけどんに放たれた言葉に、ノアの肩が跳ねる。最初の勢いは一体どこへやら。完全にノアの方がビビってしまっていた。……そんなノアに、リーオは苛立たしげに舌を打つ。
「どうせ、連れ戻しに来たんだろ?言っとくけど無駄だぜ。俺は戻ったりしない」
そう言って、リーオは手にした木の枝をポイと放り投げる。枝は歪な弧を描いて、ぼちゃりと噴水の中に落ちた。陽の光にきらきらと煌く水飛沫を、しばらくぼんやりと見つめ……リーオは自分の足元に目を落とす。
「母上は……何も知らないんだ」
ノアが何かを言う前に、彼はポツリとそう呟いた。……下を向いているのは、見られたくない何かを隠す為なのだろうか。
「どういう、意味ですの?」
そうノアが問いただすと「そのままの意味だよ」とリーオは答える。相変わらず、その表情は見えない。泣いているのかも、笑っているのかも分かりはしない。
「……俺はずっと、立派な軍人になる為に生きてきたんだ。父上のようになる為に生きてきた。……アズカヴァル家の当主になる為だけに、頑張ってきたんだよ」
言って、リーオはぎゅうと拳を握る。その声は、いつもの彼からは想像もつかないほどに弱りきっていた。
……幼い頃からリーオは熱心な子供だった。目的の為に身を削り、コツコツと努力を重ねる努力家。父に近づくために鍛錬に耐え、家を守るために勉学に励んできたのだ。幼馴染のノアはそれをよく知っている。『戦地に出せない』というその言葉が、彼にとってどれだけ辛いものだったかなんて……考えるまでもない。
「なぁ」と彼は言葉を重ねる。
顔を上げて、こちらを向いて。
まるで迷子の子供みたいな表情で。
「……努力を、存在意義を否定された俺は……一体どうすればいい?」
「いや馬鹿ですの?」
ビキリ、と。空気が凍る、音がした。
「いや、は……はぁぁっ!? 馬鹿ってなんだよ馬鹿って!! そりゃないだろ?! 親友が落ち込んでんだぞ?!」
「あーら、親友だなんて誤解しないでくださいまし。貴方とはただの幼馴染の腐れ縁ですわよ!! なんっです?! ネッチネチネチネチ……本当、陰気臭くて溜まったものじゃありませんわ!」
噛み付くリーオに、ノアがそうわざとらしく嫌味な笑みを浮かべる。
リーオの気持ちは、ノアにはよく分かった。
しかしあくまで分かるだけだ。彼の行動は、リーオにとってなんのプラスにもならない。だから彼女は言ったのだ。馬鹿じゃないの、と。
ノアは自分を睨みつける目の前の幼馴染に向けて「いいこと?!」と、彼女はビシッと人差し指を突き付けた。
「貴方は女々しすぎますのよ! 努力をしてきたんでしょう! おじ様のようになりたいんでしょう! なら、一度否定されたくらいでいじけてどうするんです?本当にやりたい事なら……ちゃんと覚悟を持って、納得して貰えるまで何度でも話せばいいじゃない」
……セリーナが……彼女が言いたいのは、きっとこう言う事だ。彼には覚悟が足りない。一人で自分を通すだけの、信念がない。逆に言えば、それが彼に足りないもの。覚悟と信念を持たない兵士は、戦場に出ても足手まといになるだけだ。だからセリーナはリーオを試したのだろう。彼が、一体どれだけ食らいついてこれるのか、を。
「おば様だって、ただの親バカじゃありませんわ。……聡明なあの人なら、きっと真っ向から向き合って話せば、貴方の気持ちを分かってくれるはず」
「……っ、でも。でも、それでも……もし、分かってくれなかったら……」
リーオはまた指で座っているベンチをツンツンと弄る。
──── ああ本当、この幼馴染は!
いい加減じれったくなり、ノアはリーオに向けてずんずんと歩みを進める。
イケメンフェイスなんて、もう知った事ではなかった。とにかくこのピュアで繊細で、ウジウジ女々しい幼馴染にガツンと言ってやらねば気が済まなかったのだ。
パチィン! と。甲高い音を立てて、ノアはリーオの両頬を、思いっきり平手で挟む。
自然と、向き合う形になる二人。
ノアは驚きに目を見開くリーオの瞳を、真っ直ぐに見つめた。それは彼女の人生で、初めてのことだった。
「今! ここで!! どうこう言って何が変わりますの?! 今貴方にできるのは、おば様のお部屋に戻って話をする事ですわ! ……っ、手遅れに、なる前に!」
「……っあ……」
リーオは、ただただその場に固まっていた。……呆然とするリーオに、ノアの頭に登っていた熱も次第に引いていく。そして冷静になってみれば、目の前に迫るイケメンフェイスにドクリと心臓が嫌な音を立てた。
「あ……ご、ごめんなさいっ……!」
慌てて手を離し、ノアはリーオと距離を取ろうとする。しかしその手は、他ならぬ彼の手によって捕まえられた。
「……ごめん。ノア、そう、だよな」
リーオはノアの細腕を掴んだまま、ポツリと呟く。彼の目には、涙が淡く滲んでいた。浮かべる笑みは、どこか切なげだ。ノアがたまらず手を振り払おうとすると、その手を握る力はより一層強くなった。
「り、リーオっ……」
「ノアの言う通りだ。……こんな所でずっといじけてても、何も変わんないよなぁ」
言って、彼はバツが悪そうにハ、と笑う。リーオはそのままポンと彼女の頭を撫でた。
「ち、ちょ!? 何しますの?!」
「ははは! ありがとなーノア! やっぱお前は俺の一番の親友だよ!」
ノアの抵抗を物ともせず、わしゃわしゃと彼女の髪をかき乱す。
幼馴染とはいえイケメン相手にこんな風に接触されて、彼女が無事でいられるはずもない。
真っ赤になったノアがパクパクと白目を剥き始めた辺りで「おお、悪り」とリーオはようやくその手を離した。
「……っもう! 髪がぐしゃぐしゃですわ……」
「だから悪かったって。……なんか、嬉しくなっちまってさ。お前が、まさかこうして近付いてくるなんて……思ってなかったから」
言って、リーオは恥ずかしげに頬を染めた。ノアもなんだか照れ臭くなって、そのままふいと顔をそらす。
「ほら、さっさと戻りますわよ。早くセリーナ様と話をつけて……って、あれ?」
言いかけて、ノアはその存在に気がついた。ハッハッと、息を切らしてこちらに向かって走ってくる白髪混じりの男。目を凝らしてよく見れば、それは先ほどの爺やだった。
「大変です! リーオ様!! お、奥様が! 奥様が倒れて……っ!!」
物語は、順調に、問題なく進んでいく。
楽しいことも、悲しいことも、全て飲み込んで……淡々と、時を刻むのだ。
遅くなりました……すみません……。




