12 悪役令嬢とメンヘラ奥様
三人が馬車から降りて、まず耳にしたのは、女の甲高い叫び声だった。
「し、死んでやるー!!!! リーオに嫌われるくらいなら生きていたって意味がないわ!!! 死んでやる死んでやる死んでやるぅぅぅぅっ!!!」
「いやちょ、お、お辞め下さい奥様ぁっ!!」
三階の窓に足を掛ける女と、その執事と思わしき男。女は随分と混乱しているようで、その美しい顔をぐちゃぐちゃにして泣きじゃくっている。彼女の足は、今にも窓枠を蹴り、宙へ飛び出そうとしていた。それをかろうじて、男の手が引き止めている。
「っ離しなさい爺や! リーオに拒まれるなんてこの世のお終いよ! 死ぬしかないわ!」
「困りますよ!! 今月何度目の自殺未遂ですか!?」
「……五回目!」
「十五回目ですよ!! 全く、リーオ様と喧嘩する度に死のうとして……!!」
「う、うるさいうるさいうるさい!! 私は死ななきゃいけないの!! そして葬式で後悔するリーオを、私は幽霊になって眺めるのよ……!
きっとリーオは優しいから、私の死は深いトラウマになる筈! ……ああ、そうすればリーオは私の事しか考えられなくなるわよね?」
「それが母親の吐くセリフですか!! っつーかアンタ、身投げなんかしなくてももうすぐ死にそうな位ヤバイんでしょう?! 大人しく、寝てて、下っさい……!!」
「嫌ぁ〜!! 死んでやる、死んでやるぅぅぅっ!!」
バタン!!
女性の長い足が窓の中に引き摺り込まれ、戸は勢い良く閉められた。
……馬車を降りて早々、何とも言えない空気が辺りを漂う。目の前で唐突に繰り広げられた、勢いのあり過ぎるコントに、固まる事、数秒。
「……相変わらず、物凄いですわね。おば様」
「……頼む、言わないでくれ……」
ノアの言葉に、リーオが頭を抱えた。
アルに至ってはまだ目の前で起こった事が飲み込みきれていないらしく、ぽかんと虚空を見つめている。無理もない。彼は確か、彼女に会うのは初めてだった。初めての人間に、あれはちょっと刺激が強すぎる。
……なんてったって、リーオ・アズカヴァルの母親……セリーナ・アズカヴァルは、とんっっでもない親バカメンヘラ女なのだから。
「っあああー……行きたくねぇ……」
カツン、カツンとゆっくりした足取りで大理石の床を打ち鳴らしながら、リーオは盛大にため息を吐いた。普段はニコニコとしつこいくらいの笑顔を浮かべるその表情は、今日一番に重い。廊下の窓からは暖かな午後の日差しが差し込み、小鳥がピピピと優雅に歌っていると言うのに、室内の空気と言ったら酷いものである。それこそ、全員のテンションをどこかに置いてきたような、そんな空気だ。ひどい。
「いやはやしかし、助かりましたよ。リーオ様が戻って来てくれて。本当、喧嘩されてから凄かったんですから……」
廊下を先導する爺やが、はは、と疲れきった笑みを浮かべて言った。凄かった、というのはもう初っ端で見せられている。あれは確かに凄かった。普段の五割増しくらいで。
「でも確かに、最近更にパワフルになりまして? おば様」
「ああ……いや本当、体は悪い筈なんだけどな……日に日に強くなっていきやがる……」
「もう少し病人っぽく大人しくしてくれりゃあな……」と、リーオは付け加えた。
……まぁ実際のところ、ゲームのストーリー通りなら、明日彼女は死ぬのだから笑うべきところではないのだが、ノアとアルはただ、はは……と乾いた中途半端な笑みを浮かべた。
ちなみにアルには、ノアからしっかりこの先の事についての話がいっている。……まだ半信半疑のようではあったが、まぁ従者なので彼女の言葉に逆らう権利はアルにはない。主人が右と言ったら右だし、左と言ったら左なのだ。それに今回は特に、アルの手が必要ということもない。この後は適当に場を納めて、二人を和解させれば話は済むのだ。……セリーナが、亡くなる前に。
「こちらが、奥様のお部屋でございます」
前を歩いていた執事の足が、艶を纏った荘重な造りの木の扉の前でピタリと止まった。扉には、厳かな屋敷の雰囲気にそぐわず『セリーナの部屋 ノックしてね♡』という可愛らしいフリルでデコレーションされた札が掛けられている。……最早扉からも滲み出るアクの強さに、苦笑いが止まらない。リーオは再びはぁぁぁ、と陰鬱な溜息を吐いた。
「……マジで行くの……?」
「……行くしかないでしょう。ほら、早く」
ノアが悲壮な顔をするリーオの背中をぐいと押し、ノックを促す。リーオはごくりと息を飲んで、扉に向かった。
コンコン
震える彼の拳が、二回扉を叩く。
「……」
しかし、反応が帰ってくる事はなかった。
扉は、うんともすんとも言わずにただその場にどしりと佇んだままだ。
「……ねぇ、まさか」
ノアの声音が、不自然に波打つ。
……全員の脳裏に、最悪の展開が浮かんだのは、最早言うまでもない。
「っ、おい母上! 開けるぞ!!」
慌てた様子で、リーオは向こうの反応を待たず、勢いよく扉を開けた。
……ヒュウウ、と。窓から勢いよく吹き付ける風。それに煽られ、パラパラと捲れる本のページ。それから、窓枠に足を掛ける、上品なドレスに身を包んだ美しい女性。
「……あら、まぁ」
女のアメシストのような綺麗な色をした猫目が、四人の方に向く。日に照らされた顔は、病的に白い。形のいい唇はぽっかりと開き……そして、ニンマリと、猫のように弧を描いた。
「まぁまぁまぁ!! リーオ、帰ってきてくれたのねぇぇっ!?ああ嬉しいっ!! 嬉しいわリーオ!! 母様は、貴方が帰ってきてくれると信じてたわよ!!!」
「うわぁぁぁぁっ! や、やめろ!! 寄るな触るな近づくな!!っつーか今の今まで死のうとしてたくせに嘘つけぇぇっ!!」
窓枠から飛び降りたセリーナに詰め寄られ、リーオは壁際までダダダダッ! とものすごい勢いで後退する。……しかしそんな事をすれば、追い詰められるのは火を見るより明らかで。
「はぁぁぁっ……好き……愛してる……いい匂いする……」
「ぎゃぁぁっ!!」
リーオの悲鳴が、室内に響く。執事が場を諌めようと、二人の方へと駆けていく。
「……カオスですね」
アルが遠い目をして呟く。あんまりな惨状に、ノアはただ、こくりと頷くことしかできなかった。
……ともあれ、閑話休題。
「ごめんなさいねぇ。リーオが帰ってきてくれたものだから、嬉しくて……ついはしゃぎすぎてしまったわ」
ソファに腰掛けたセリーナは、ふふふ、と口に手を当てそう笑った。もちろん、この場で笑っているのはセリーナだけだ。ソファに腰掛けるリーオもノアも、勿論壁際で待機する執事も、ノアの後ろに控えるアルも、誰一人として笑っていない。というか笑えない。『はしゃぎすぎて』リーオに拒まれ、そのショックでリストカットをしようとした彼女を見て笑えるわけがない。アルと執事が全力で止めたが、リーオに拒まれたくらいで毎度毎度こんな事をされていては、こちらの体力が追いつかないというものだ。まだ屋敷に着いて数分だというのに、全員がもう既にげんなりした表情を浮かべている。
「自分から言いだしておいて何ですけど、私今心の底から帰りたいですわ……」
「抑えてくださいお嬢様。お気持ちは全力で分かりますが」
コソコソと、周りには聞こえないような小声で愚痴るノアに、アルも真面目な表情を崩さないように努めつつ、同意を示す。幸い隣に腰掛けるリーオと、その正面のセリーナはまたヤイヤイ茶番を繰り広げているようで、こちらの話は聞いていない。
「っていうかあれ本当に死ぬんですの?? めちゃくちゃ元気じゃありせん??」
「まぁ当分は大丈夫そうな感じがしますけどね……。どっちかっていうと、死因は病死っていうよりは、メンヘラ拗らせて自殺って感じがします」
「否定しきれないのが辛いところですわね……」
「でも、もしそうだとすれば、彼女の死は回避できてるって事になりますね。こうして、お嬢様がリーオ様を引っ張ってきた訳ですし」
ちらり、と隣に視線をやりながらリーオは言う。
まぁ確かに。何だかこの元気っぷりを見ていると、その線も考えられなくはないような気もしてくる。……それなら、ここでリーオが彼女と和解すれば、ハッピーエンドで話は済むのだが……。
「ああ、可愛いリーオ……これからもずっと私の側にいてね……そう、例え私が死んだとしても一緒に……」
「怖っええよ! ナイフちらつかせんな! アンタそれでも母親か?! 母様なんかと一緒に心中なんて俺はごめんだからな?!」
まぁ、見た感じ普通に無理そうである。ナイフを持ってうっそりと笑うセリーナと、ドン引きしつつツッコミを入れるリーオ。まさかこれが余命一日の母親と、その息子のやり取りだなんて誰が思うだろうか。
しかし、とりあえずやる事はやっておかなければ。一体なんのためにここに来たのか分からない。和解は厳しそうだが、とりあえず落ち着いて話をするところから始めさせることなら出来る。
ノアははぁ、とまた小さくため息をつき……二人に向き直った。
「とりあえず、まぁほら……お二人とも落ち着いて。今日はそんな話をしに来た訳ではないでしょう?」
そう、柔らかい声音で、二人の間に割って入る。
「とりあえずおば様は席にお戻りになってください」
「……分かったわよぅ」
どうやら、子供のノアに諭されたのが気に食わなかったらしい。若干むぅっと頬を膨らませつつ、それでもセリーナはノアの言葉通り、またソファへと掛け直した。
「……ってあれ? そういえば、ノアちゃんはどうしてここにいるの?」
「お二人の喧嘩を、仲裁しに来ましたの」
不思議そうな顔で問いかけるセリーナに、ノアはそう淡々と答えた。
……リーオが、ピクリとその隣で固まる気配がする。
セリーナは「へぇ」と目を見開き……そして、意地の悪い笑みを浮かべた。
「リーオ。ノアちゃんに付いてきて貰ったのね」
「……っ!」
冷ややかな、声だった。
彼女の口から発せられたのは、心底馬鹿にしたような声。口元こそ微笑みをたたえてはいるが、先ほどまでの明るく、軽やかな雰囲気はどこにもない。
突然ガラリと変わった空気に、ノアの後ろで控えていたアルが驚いたように息を飲む。……どうやらノア自身もセリーナのこの反応は予想外だったようで、驚いたように目を見開いている。
「ねぇ、リーオ。可愛いリーオ。貴方って本当に可愛いわねぇ」
「……っ!」
母親の蕩けるような甘い声に、リーオが唇をキツく噛んだ。膝の上で握られた拳はぷるぷると震えている。
まるで何かに怯えるような色が、彼の瞳に宿るのをセリーナは見逃さなかった。
「軍人というのはね、いつだって一人なの。孤独に孤高に生きて、敵の首を搔き切る。周りは皆、敵みたいなものよ。……それこそ、貴方の背を押す誰かだって、貴方を奈落に落とそうとしているのかもしれない」
「ねぇ、リーオ」と。まるで聞き分けのない困った子供に言い聞かせるように、セリーナは続ける。
「女の子に背を押してもらうような、男としてのプライドも持たない『可愛い』貴方を……私は戦地には出せないわ」
バンッ!! と。
机を蹴る音がするのと、セリーナがセリフを言い終わるのは、ほとんど同時だった。
「あらあら、物に当たるなんていけない子ねぇ?」
「っるさいな!!」
揶揄うような母の声を、リーオの怒鳴り声が一蹴する。シィン、と辺りが静まり返る中、セリーナだけがニコニコと微笑みを浮かべていた。
「っとに……ムカつく!!」
チィッと大きく舌打ちを打って、彼はノア達に背を向けた。そしてそのまま扉の方へ真っ直ぐ進んでいく。
「クソッ……母様なんか死んじまえ、バーカ!!」
「ちょっ、リーオ!!」
最後に残された悪態に流石のノアも立ち上がる。そればかりは、冗談にならない。しかし彼女の言葉に耳を貸すことなく、リーオはバタン!と鼻息荒く、扉を開けて外へと出て行ってしまった。
「っええー……」
伸ばした手が行く宛てもなく虚空を掴む。……どうやら、仲直り作戦は失敗してしまったらしい。ノアもアルも、それから壁の隅に待機していた爺やも、微妙な表情を浮かべている。
「ど、どうします?これから」
「いや、どうするも何も……追うしかないでしょう、これは」
困惑した様子のノアに、アルが気まずそうにそう返す。するとセリーナは、変わらずじとりと微笑んで
「ごめんなさいねぇ、ノアちゃん。……行ってあげて頂戴」
と、優しい声音で言った。もうあの冷たさは、どこにも残っていない。
──── ああ、成る程。……本当、昔からこのお方は……困った方ですわね。
全てを察したノアは彼女に向かって、コクリと頷き「行きますわよ、アル」とアルを一瞥し、セリーナに背を向ける。さて、あのお坊ちゃんはどこへ行ったのやら。
「待ってくださいよ!!」
と後を追ってくるアルの声を背に、ノアは部屋を後にした。
「ケホッ」
……誰にも聞こえぬように、セリーナが小さく咳き込む。
タイムリミットは、刻々と迫っていた。
更新遅れててすみません……私生活が本当に忙しいので、大変申し訳ありませんが、次回お休みさせていただきます。次の更新は2/1です。




