11 悪役令嬢は逃亡する
パカポコパカポコ。
馬の蹄が、あぜ道を鳴らす。
森の中をひた走る無駄に豪奢な黒い馬車には、オルコット家の紋章が入っていた。
「なぁノア……本当に、良かったのか? これで」
リーオが、そう重々しく唇を開く。なんだか居た堪れなさそうな表情で彼は視線を床に落とす。馬車の中には、まるでお葬式のような、どんよりと重苦しい空気が張り詰めている。
「……良かったわけが、ないでしょう」
そう、ノアは答えて、グッと拳を握る。
リーオの斜め前に腰掛ける彼女はカタカタと小刻みに体を揺らしていて、顔は病人のように青い。まるで死刑を宣告された囚人のようだ。この先のことを考えると、恐怖のあまり、まともな言葉も出ないらしい。「あ……う……」と赤子のようなうめき声を上げていた。
「……大丈夫ですか、お嬢様?」
目の前に腰掛けていたアルは、もはや憐れみの表情を浮かべて気遣うように彼女の背に手をやる。
……しかし主人は、その手を跳ね除けて、
「大丈夫?! はぁぁぁ?! んな訳ないでしょう?! 王子をほっぽって……馬車ですたこら外出って……ああああ無理ですわ!! 無理無理無理ぃぃぃっ!!!」
ノアのそんなヒステリックな声が、キィンと狭い馬車の中に響いた。
そう、この令嬢。あろうことか、婚約者であり王子でもあるウィリアムを放置してきたのである。
もちろん、普通なら許されない重罪だ。王族相手にシカトをかますなんて、その上王族より他の用事を優先するなんて、それこそ勇者の所業と言ってもいい。いくら公爵家の令嬢で、婚約者のノアといえどそれは変わらない。完全にあかんやつである。
「いや〜でもお見事な機動力でしたよ、お嬢様。玄関からダッシュして馬車に飛び乗るまで、十秒掛かってないんじゃないですか?」
「火事場の馬鹿力って奴か。すごいすごい。
俺、あんなに素早いお前初めて見たぞ。
……王子もガン見してたけど」
「うぁぁぁぁぁぁっ!!」
リーオの言葉で、また悲鳴を上げるノア。
馬が驚いたのか、ヒヒンと鳴き声が聞こえて、がたんと馬車が揺れた。
「しょ、しょうがないでしょう?! あ、あんないきなり訪ねてくるなんて聞いてませんわ……!
『来ちゃいました♡』じゃありませんわよお呼びじゃありませんわお帰り下さいまし!!!!」
「そんな肉食系女子みたいなテンションでは無かったと思いますけど」
かつてないノアの剣幕に、アルが引き攣った声を上げる。無理もない。イケメン嫌いの彼女にとって、あんな綺麗な顔面を引っさげて家に突撃されることはもはやテロに等しい。せめて事前に連絡をくれていれば心の準備も出来た。
……まぁ、予告殺人レベルくらいには、メンタルの被害も抑えられた筈である。
「本当、こっれだから……これだからイケメンは……!! 自分の顔面偏差値が公害レベルだって分かってるのかしら……?!」
ブツブツと、ノアは苛立ったようにそう呟く。「王子もまさかここまでボロクソ言われてるとは思わないだろうなぁ」なんて、リーオは小さく苦笑した。しかし実は、笑っている場合でもないのだ。
「なぁ、でも、さすがに逃げる事は無かったんじゃないのか? だってどう考えたってヤバイよな、これ」
「……」
何も答えないノアに、真面目な表情を浮かべたまま、リーオはそのまま続ける。
「王子の目の前で他の貴族の男と馬車に乗って……って、浮気だと思われるかもしれないぜ?」
そう、彼が一番危惧しているのはその可能性だった。うら若き男女が、二人で馬車に乗って……だなんて、誤解されてもおかしくないシチュエーションだ。一応従者のアルも乗ってはいるが、こういう場合従者というのは基本空気。
頭数には入らないし、貴族は人として認識しない。つまり周りから浮気と見られても、文句は
言えないのである。……王族相手に浮気だなんて。王権の強いこの国では、公爵家といえど牢に放り込まれてもおかしくない程の不敬である。そう、割と軽いノリで馬車を出しているが、状況は結構深刻なのである。
「今からでも御者に言って、引き返して貰った方がいいんじゃないのか……?」
ごもっともなセリフ。至極真っ当な意見だった。それにこのままでは、オルコット家だけでなくアズカヴァル家にも責任がいきかねない。彼の言う通り今ここで窓から顔を出し、御者に命じてオルコット家に戻ってもらうのが一番だろう。
しかしそう簡単にいくなら、彼女も最初から逃げたりはしない。
「無理ですわ」
きっぱりと、ノアはそう言い切った。
いっそ清々しいくらいの拒否だった。
「何でだよ? とりあえず謝って……」
「っだから無理ですって……本当に、勘弁してくださいまし……今、今あの顔面を直視したら死んでしまいます……主にトラウマと羞恥心で」
「は、はぁ……」
かなり微妙な顔をしているが、どうやら何かあったことを察したらしい。リーオもそれ以上は踏み込んで来る事はなかった。
一体何を思い出しているのか。虚空を見つめるノアの瞳は完全に死んでいる。
「それに、マズイことくらい私も分かってますわよ……。でも、それでも……アレと同じ酸素を吸うくらいなら、罰を受けた方がマシですわ」
「……どんだけ嫌なんだよ……」
ノアは、何も言わずに窓の外へと目をやった。
呆れた、と言わんばかりのリーオからの視線は無視することにしたらしい。
アムネリスの街はもうとっくに見えなくなった。森は深まり、窓に映るのは一面の緑。
アズカヴァル邸は、もうすぐだ。
──── まぁ、こちらを選んだ理由は、それだけじゃないんですけど。
ノアは心の中で、こっそりそう言った。
……リーオ・アズカヴァルの母は、明日突然、病に倒れ死ぬ。いや、もちろんあくまでゲームの中での話だから、実際にどうなるかは分からない。それが明後日にずれ込むかもしれないし、今日唐突に死ぬかもしれない。あるいは、彼女に死が訪れるのはずっと先なのかもしれない。
でもここはゲームの世界。ストーリーに沿って作られる。実際、リーオと彼の母のケンカ、というイベントが発生しているのだから、今はある程度ゲーム通り話が進んでいると考えていいのだろう。
……だから、だからこそ。リーオは、今日のうちに母親と仲直りをしておかなければならない。
でなければ彼は、今後母親への懺悔を胸に抱きながらずっと生きていくことになる。そんなリーオを、ノアは見ていたくはなかった。どこまでも明るくて、正しくて、優しい彼に、そんな思い過去は似合わない。
しかし素直じゃない彼の事だ。
きっと、一人彼を送り出した所で、また火に油を注いで帰ってくるのは目に見えている。
恥ずかしがり屋で、意地っ張りな彼には、ちゃんと背中を押してくれる人が必要だ。
「まったく、世話の焼ける幼馴染ですわね……」
「……何だ?何か言ったか?」
「いーえ、別に」
小さく呟かれたその言葉は、彼女以外の耳に届くことはない。ノアはそのまま、それをそっと自分の胸にしまっておくことにした。
パカポコパカポコ。
馬車は森の中を進んでいく。
……光の差し込む明るい出口の先。
アズカヴァル家の紋章が彫り込まれた鉄の門が、重々しく彼らを待ち構えていた。
時は遡ること数十分前。ノア達が乗った馬車を、見送る影が一つ。
「……ふふ。まさか、私を放ってデートだなんて。……本当、貴女は面白いですね。ノア・オルコット」
影……青年は、そう、小さく微笑を漏らす。
風になびく長めの金髪。陶器のように白い肌。楽しげに歪められた唇……その容姿は、まさしく美青年、と呼ばれるに相応しい。
ただ、ギラギラと昏い光を灯すそのエメラルドグリーンの瞳は、彼の普段のイメージとは随分と違ったものだった。
「……ふふ、ああそうだ。いい事を思いついた」
「驚くかなぁ」と、青年……ウィリアムは、無邪気に笑って。側にいた部下の耳元に、口を寄せるのだった。




