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何も疑わず、朝の屋敷(?)の中みたいな急変もなく。ただ無邪気に純粋なままに自分を見返してくれる彼女。その表情は疲労と悲哀からほとんど……ほとんど快復し、その瞳は真っ直ぐに自分を見据えてくる。ただ自分を見透かして、同時にこの存在を静かに認めていてくれるような眼。それに自分は思わずたじろきそうになる、が顔に出さず意識で抑え込む。
「――」
目を合わせ続けるのがこんなにも大変だとは思わなかった。
言葉を紡ぎ出すのが、こんなにも大変だとは思わなかった。
「――――」
自分は所詮平々凡々……というのもおこがましいほどの、矮小で劣悪な存在だと思う。弱くて脆くて偉そうで曇ってて汚くて濁ってて淀んでて鈍くて愚かで嘘つきで複雑で面倒で狂ってて壊れてて――なにより、最低だけれども。
例え迷惑でも。
例え妄執でも。
それが依存だとしても。
――――たかがその程度の下らない☓☓なんかで、彼女が困りそうになるさまを黙って見ていられるほど、自分は……、
「ユウちゃん…………?」
「――――…………紗希」
喉から急速に水分が失われ、唇が乾いてゆく。唾液と共に呑み込みそうになるその言葉を、まるで掃き出すようにして……、
「――――紗希も働いてみたら?」
告げた。
「…………え?」
こちらに向けられる彼女の表情がキョトンとしたものになり、首を傾げていた。
「ああ、いや、そのだな……、」
彼女には伝手――血の繋がりのある相手に手を差し伸べてもらう事なんてものが、ない。つまり、生臭い話をしてしまえば金銭的な部分の負担が丸々彼女自身へと降り注いでしまうという事だ。幸いにも確か彼女の母親が以前に家は一括購入だったとは言っていたが、だからと言ってその他の水道代・ガス代・電気代などなどと……俗に言う生活費の問題が浮上してくる。そうなると、どれだけ考えても労働を考えなくてはならなくなるはずだ。
…………と色々と説明というか懸念すべき事があるはずなのに、如何せん上手く伝える事ができないでいた。元来から通話とやらをほとんど行使しないからこその弊害なのかもしれない。
なので、
「…………だからあのメイドの人達のように、彼女達と一緒に使用人として働いてみたら? ……なんて思って」
本当に肝心な部分しか言えなかった。
当の本人である目の前の彼女も目をパチクリと瞬かせるだけで、どうやら要らない誤解を招くだけとなってしまったようだった。




