第9話 戻れ、という手紙
王都からの手紙が届いた。
私の名で、三通。
一通は銀行。叔父へ財産記録の提出を求め、支払いを一時停止したという通知だった。
一通は王宮会計局。未払いの照会を受け付け、契約の確認を進めると書かれている。
最後の一通には、セルヴィ家の封があった。
『王宮へ戻りなさい。殿下は、先日の失言を気にしておいでだ』
叔父の字は大きかった。
便箋の半分を使い、私がどれだけ恵まれた立場にいたかが書いてある。
辺境伯に拾われて働くなど、男爵家の名を汚す。未払いの照会を取り下げれば、殿下の配慮で元の仕事に就ける。
最後の行で、手が止まった。
『お前の母も、与えられた役目を辞さなかった。それを忘れるな』
母は、村で修繕の仕事をしていた。
父が亡くなってからも、屋敷の収入が細ったときも、母の道具箱は空にならなかった。
風邪をひいた冬、頼まれた水車を直しに出て、肺を悪くした。
帰ってきた母の手が冷たかったことを覚えている。
私は叔父に、よくできた娘だと言われたくて、母の針を握った。
紙を折ろうとして、指がうまく動かなかった。
そこへアダが、練習板を持ってくる。
「先生、つながったのに光らないんです」
返事が遅れた。
アダは、私の顔と手紙を見比べた。
「あとでいいです」
「今、見ます」
板を受け取ろうとして、落とした。
木の端が机に当たり、大きな音がした。
修繕室が静まる。
親方が、私の手から手紙を取り上げたわけではなかった。
ただ、空いている椅子を引いた。
「座れ。道具は逃げない」
私は座った。
アダは練習板を自分で拾い、親方に見せにいった。
その間、誰も私を叱らなかった。
仕事のあと、顧問弁護士との面談があった。
ナナさんが、手紙も持っていくよう勧めてくれた。
弁護士は読み終えると、私の財産管理の委任状を確認した。
「お母様の仕事については、法的な意味を持ちません。戻る義務はありません」
「ですが、叔父が管理していた間の費用は」
「正当に支出した分は、報告を受けて確かめましょう。勝手に使ってよいわけではありませんし、すべて返せと言うわけでもありません」
紙の上に線を引きながら、一つずつ分けてくれた。
母の家の賃料。私が支払った生活費。王宮の賃金。叔父の旅費。
曖昧なままでは、同じ袋に入れられてしまうお金だった。
部屋を出ると、辺境伯が廊下にいた。
待っていたのだろう。ただ、扉の近くには寄っていなかった。
「お茶にしますか」
「はい」
私は彼の書斎へ行った。
薄い紅茶が出てくる。砂糖入れの蓋も、先に開けてあった。
その小さな準備に、喉が詰まった。
「王宮へ、戻るよう言われました」
「戻りたいですか」
辺境伯は、叔父の悪口を言わなかった。
王宮がどんな場所かも、決めつけなかった。
それで私は、自分の答えを探さなければならなくなった。
「仕事が残っていることは、気になります」
「ええ」
「でも、戻ったら、また同じになると思います」
母の家へ帰れないことより、ここにいられなくなることが怖かった。
ここには明日の仕事がある。新しい手袋も、教え始めた見習いもいる。
それを望んではいけない理由は、手紙のどこにも書かれていない。
「私は、ここで働きたいです」
辺境伯が、少しだけ息を吐いた。
私の答えを待つ間、彼も緊張していたのだと気づく。
「では、雇用契約どおりに。試用期間の終わりには、改めて双方で話しましょう」
「伯爵様のご迷惑になるかもしれません」
「王宮から依頼が来れば、私が判断します。あなたは私の心配まで、先に引き受けなくていい」
声は強すぎなかった。
私は紅茶を飲んだ。
少し冷めていたが、好みの濃さだった。
その夜、返信を書いた。
復職は辞退する。照会は取り下げない。財産記録は弁護士へ渡してほしい。
母のことについて、一度は何か書きかけた。
結局、書かなかった。
叔父に母の生き方を判定してもらう必要は、もうなかった。
封筒を閉じ、明日の予定を見る。
アダの練習板を一緒に見直す、と書き加えた。




