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第8話 仕事のない日の、手袋

 休日の朝、食堂で辺境伯と顔を合わせた。

 彼も外套を持っている。


「今日は秋市です。町を見ますか」

「点検のついでに?」

「私の買い物に付き合っていただけないかと」


 少し迷った。

 王宮の催しに付き添えば、私にはいつも役目があった。衣装の確認、控室の空調、会場の照明。

 買い物に付き合うだけなら、私でなくてもよい。

 そう考えてから、私でよいという誘いなのだと思い直した。


「ご一緒します」


 秋市には、普段より遠くの村からも人が来ていた。

 木の匙、干した果物、羊毛の糸。川魚を焼く匂いに、蜂蜜を温める匂いが混じる。

 辺境伯は帽子を深くかぶっていたが、すぐに見つかった。


「伯爵様、今年の梨は大きいよ」

「マルタが買いすぎるなと言っていました」

「三つくらい、数に入らないでしょう」


 押し問答の末、彼は梨を四つ買った。

 私が笑うと、自分の手を見て肩を竦める。


「四つなら、誰かにも分けられる」


 帽子のせいで髪が少し乱れていた。

 王宮で会ったときの礼服より、こちらの姿が好きだと思った。

 思ったことに、自分で戸惑った。


 手袋を売る露店で、私は足を止めた。

 細い革の手袋がある。掌の内側だけ、柔らかい布が張ってあった。

 針を持つときに使えそうだ。

 店主へ値段を聞くと、予想より高い。


「丈夫に作ってあるからね。冬を二度越せる」


 封筒の中のお金を思い浮かべる。

 買えない額ではない。けれど、今の手袋も、まだ穴は空いていなかった。


「道具として必要なら、修繕室の経費にしてください」


 辺境伯が言った。

 私は手袋を棚へ戻しかけた。


「私物でも使いたいです」

「では、選んだものを買いましょう」


 彼はお金を出さなかった。

 そのことに、私はほっとした。

 自分が欲しくて迷っているものを、迷う時間ごと奪われずに済んだ。


 試してみると、右手に少し余裕がある。

 別の組を出してもらうと、ぴたりと合った。

 私は代金を払い、店を出た。


「似合っています」

「手袋の似合う似合わないなんて、わかるんですか」

「嬉しそうにしているので」


 顔が熱くなった。

 店主が後ろで笑っているのが聞こえた。


 茶屋へ行く途中、輪投げの露店へ寄った。

 棚の上に、船の形をした小さな木箱があった。帆を開くと蓋になる、細工物だ。

 私が見ていると、辺境伯が店主に硬貨を渡した。


「お好きなんですか」

「昔、弟に負けまして」


 渡された輪は三つ。

 一つ目は棚に届かず、二つ目は船の手前に落ちた。三つ目は隣の空瓶に引っ掛かった。

 店主が、景品の小さな笛を出した。

 辺境伯はそれを受け取り、真面目な顔で私へ見せる。


「目標は達成できませんでした」

「笛は、獲れましたね」

「これはあなたに」

「ご自分で吹いてください。私は木箱が欲しいです」


 思わず本音が出た。

 辺境伯は目を丸くし、それから笑った。

 私は自分のお金で輪を買った。

 結果は、三つとも外れた。


「弟を呼ぶべきですね」


 辺境伯が言うので、今度は私が笑った。

 店主は私たちを見かね、木箱は普通に売っているとも教えてくれた。

 買えるものを、わざわざ当てようとしていたらしい。

 私は箱を買い、彼は笛をポケットへしまった。

 失敗したまま終わる遊びが、こんなに楽しかったのは初めてだった。


 河原の茶屋に座ると、辺境伯は左の手袋を外した。

 温かいカップを持つと、指が動かしやすいのだという。

 火傷の跡が、陽の下ではっきり見えた。


「痛むんですか」

「冷えると。医師には、よく動かすよう言われています」


 彼は指を曲げてみせた。

 小指だけ、曲がりが浅い。


「三年前、倉庫の火事で負いました。人を助けた、などという立派な話ではありません」

「どういうことですか」

「火の回りを甘く見て、帳簿を取りに戻った。助けに来た部下のほうが重い怪我をしました」


 川の水が、椅子の足の影を揺らした。

 私はカップを置いた。


「その方は、今は」

「働いています。ただし、前と同じようには走れません。領の倉庫を任せています」


 辺境伯の声は穏やかだった。

 何度も誰かに話し、何度も自分で考えた話なのだろう。


「ご自分の手を忘れて、重いものを持つときがあります」


 橋で荷箱を持った姿を思い出して言うと、彼は苦い顔をした。


「ありますね」

「私も、止めていいですか」


 辺境伯が、私を見た。


「助かります。ただ、あなたの新しい職務には加えません」

「休日にまで監督したくありません」

「それは困った」


 ふたりで笑った。

 彼の傷を治せないことは、最初からわかっていた。

 私の魔法は、線をつなぐだけだ。人の身体へ使えば危ない。

 役に立てなくても、こうして話はできる。


 帰りに、辺境伯は毛糸の店へ寄った。

 マルタさんに頼まれた、厨房用の鍋つかみを買う。

 私が冬向けの指なし手袋を見ていると、隣で同じものを見た。


「これは、仕事では使いますか」

「休日に。買った革のものは、やっぱり仕事用になりますから」

「では、贈ってもいいでしょうか」


 彼の言い方が、さっきと少し違った。

 伯爵から従業員へ必要なものを支給する声ではなかった。


「……はい」

「色は?」

「薄い青を」


 店を出ると、彼は包みを私に渡した。

 小さな毛糸の輪が、掌に乗る。


「次の休日に使ってください」


 私は頷いた。

 次の休日があることに慣れかけていたのに、その日を楽しみに待つのは、まだ初めてだった。

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