↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
18/24

第18話 私一人では、三つの門は開けられない

 最初の線を外すと、機械室の床が震えた。

 水門の向こうで、流木が当たったのだという。

 職人が、扉へ杭を打ち足した。

 私は針を一度引き、手の震えが収まるのを待った。


「もう一度、線の番号を」


 ベルトン技師が図を読み上げる。

 私は声を聞いてから、作業を進めた。

 自分の目だけで確かめるより遅い。しかし、その遅さで間違いを防げる。


 十分後、指先が熱くなった。

 水桶へ手を浸す。

 その間に、親方たちが新しい歯車を入れた。

 軸へぴたりとはまった音に、皆が少しだけ声を上げる。


「回すぞ」


 門はわずかに動いた。

 そのあと、軸の横で鋭い音がした。

 補助の留め具が折れ、親方が輪から手を離す。

 門は途中で止まった。


「交換した歯車じゃない。残っていた留め具だ」


 私は折れた部分を見た。

 ここは魔法陣ではない。強い力を受け止める金属の芯だ。

 針でつないでも、水の重さには耐えない。


「それは直せません。別の留め具が必要です」


 職人の一人が、扉に積んだ鎖を指した。

 物資を引き上げる鎖は、門の軸より強い。二か所へ巻き、仮の支えにできるという。

 親方とベルトン技師が、その位置を測った。

 私は動力線を止めたまま、鎖を巻くための空間を空けた。


「これで、今夜は保てる。明日は芯ごと替える」


 親方が鎖の留めを叩いた。

 直したのではなく、次に直せるまで支えている。

 その違いを全員に伝えてから、再び輪を回した。

 水の音が変わる。

 ところが二番門から、警告が入った。補助線に熱が偏り、仮の接続が緩んだという。

 直せる技師は、今、三番に集まっている。


「誰か、二番へ」


 親方が言いかけたとき、石から別の声がした。


『私、ここにいます』


 アダだった。

 避難所で灯りの設置を手伝い、二番門の係に呼ばれたのだという。

 彼女は自分が見える線を、一つずつ説明した。

 番号も、色も正しい。


「強い魔力は通さないで。まず遮断して、線を冷まします」

『はい』

「針は?」

『先生にもらった細いの』


 私は、石を持つ手に力を入れた。

 初めて直したのは、小さな灯りだった。

 水門の補助線も、原理は同じだ。

 ただし、場所の怖さが違う。


「アダ。できないと思ったら、やめてください。門は人力で保てます」


 すぐには返事がなかった。

 雨の音と、人が掛け声を上げる声が聞こえる。


『機械室は、まだ乾いてます。ガルド親方のお弟子さんが、隣で見てくれています。私、やります』


 私はベルトン技師へ目を向けた。

 彼は頷き、二番の図面を広げる。

 アダの説明と合わせ、必要な線を確かめた。


「では、一針だけ。終わったら、声をください」


 沈黙が続いた。

 その間、私は三番の戻り線を外した。

 同じ動作を、離れた場所で別の手がしている。

 それを信じなければ、間に合わなかった。


『一つ、できました』


 私は息を吐いた。

 次の手順を伝える。

 伝言石が熱くなり始め、使える時間が減っていた。


「あと二本です。太い動力線は触らないでください。終わったら、現地の技師に試験を頼んで」

『わかりました』


 声が途切れた。

 私は石を冷たい石壁に置き、三番の最後の接続へ向かった。

 床の隅に水が染みてくる。

 撤退の印まで、まだ二段ある。


 針を持ち直そうとして、親指が痺れた。

 以前なら、力を入れて続けた。

 私は針を置いた。


「ベルトンさん、最後の一本をお願いします」


 技師が私を見る。

 彼の魔力は、私より強い。細く保つのが苦手だと、旅の途中に話していた。


「通す量を、見てもらえますか」

「はい。今より半分。もう少し、細く」


 彼は呼吸を整え、針を進めた。

 私は線の接触だけを見て、必要なところで止めてもらう。

 じりじりと時間が過ぎた。

 床の水が、一段上がった。


「つながりました」


 技師の声に、親方が手動の輪を回した。

 三番門が上がる。

 逃がした水が、使われていない砂利場へ流れ出した。

 川の本流の音が、低く変わった。

 ただ、一度開ければ終わりではない。

 流木が詰まれば、水はまた行き場を失う。親方は見張りを残し、職人二人を交代で休ませた。

 私は戻り線の位置を板へ書き、次の当番へ渡した。

 線に触れず、門の動きと水位を見てもらう。

 使えるようになった設備を、安全に使う仕事が続いていた。


 石が光った。

 アダではなく、二番門の職人だった。


『こちら、接続できた。門を開けられる』


 私の目から涙が出た。

 泣いている暇はないと思ったが、止められなかった。

 アダがやった。

 私の知らない誰かが、横で確かめてくれた。


「一番へ、伝えてください」


 親方が伝令を走らせた。

 一番門は町への流入を抑えたまま、二番と三番が水を外へ逃がす。

 それぞれの門の水位を、紙で受け渡す。

 魔法の線が動いても、最後に決めるのは人だった。


 夜明け前、雨が弱まった。

 低い地区の倉庫二棟に水が入った。川沿いの畑も浸かった。

 それでも家々の床へ届く前に、水位は下がり始めた。

 避難者の確認が進み、行方のわからない人はいないと知らせが来た。


 丘の道で、辺境伯に会った。

 泥のついた外套を着て、左腕を三角布で支えていた。


「怪我を?」

「冷えて動かなくなっただけです。輪を回す役は、途中で代わってもらいました」


 私は頷いた。

 彼も私の手を見て、眉を寄せる。


「最後は、ベルトンさんが」

「それなら、よかった」


 私たちは、互いに最後まで無傷で働けたわけではなかった。

 でも、代わってくれる人を呼べた。


「戻りました」


 私は言った。

 辺境伯は、空いている右手を差し出した。

 握ることのできない私の手の代わりに、肩へ触れてよいか尋ねる。

 頷いた。


「お帰りなさい」


 その声を聞いてから、膝が抜けた。

 彼も片手しか使えず、うまく支えられない。

 すぐに親方が来て、私たちをまとめて近くの荷車へ座らせた。


「二人とも、医師のところへ行くぞ」


 叱る声に、私は笑った。

 辺境伯も、隣で笑っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。