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17/24

第17話 雨の夜、開かない水門

 領境へ着いたのは、予定より半日遅かった。

 山道へ入る手前で、倒木の片づけを待ったのだ。

 その間も、雨は降り続いた。

 馬車の屋根に当たる音が、誰の声より大きい。


 最後の宿場で伝言石を開いた。

 親方が出た。

 一番門は修繕を終え、町へ向かう水を絞っている。二番門は仮の歯車で動くようになった。しかし、三番門には適合する部品がない。


『水が増えてきた。伯爵が低い地区の避難を始めた』


 馬車の窓から、川を見た。

 茶色の水が、普段の河原を隠している。

 荷の中には、三番門へ使える歯車があった。

 ただ、それだけで動くとは限らない。調整器の線を外し、旧式の操作盤と接続する必要がある。


「ここから、まっすぐ水門へ向かっていただけますか」


 御者は護衛と相談した。

 水辺の道は使わず、丘の道を回る。それなら行けるという。

 私はベルトン技師と、馬車の中で図面を開いた。

 雨の音の中、互いの声を大きくして、作業の順を決める。


 町に近づくと、灯りを持った人たちが列になっていた。

 荷車へ毛布を載せる男。子供を背負う女。屋根のある場所へ羊を連れていく老人。

 混乱してはいたが、皆が同じ方向へ歩いている。

 門のそばで、ナナさんが名前を確かめていた。


「リネット!」


 私を見つけた声に、ほっとしたものが混じった。

 彼女はすぐに地図を出し、通れる道を示す。


「ここから先は、徒歩。部品は領の馬で運ぶ。伯爵様は一番門です」

「三番門へ行きます」

「伝えておく」


 ナナさんは、余計なことを聞かなかった。

 濡れた紙を胸へしまい、次の家族を呼んだ。


 丘の道を半分進んだところで、荷車の車輪が泥へ沈んだ。

 歯車を入れた木箱が、斜めになる。

 私が押そうとすると、護衛が止めた。

 木箱は重く、一人で扱えるものではない。


 ベルトン技師が、部品だけを背負うための紐を出した。

 箱の封を開く前に、濡れた紙へ部品番号を写す。届ける途中で入れ替わったと言われないため、護衛にも署名を頼んだ。

 雨の中で紙を守る仕事が、こんなに難しいとは思わなかった。


「印は、私が保管します」


 私は箱についていた札を外し、鞄へしまった。

 四人で荷を分け、丘を上がる。

 機械室へ着くまで、技師の肩に食い込んだ紐を何度も掛け直した。

 使える部品が手元に来るだけでも、こんなに人の手が要る。


 三番門には、ガルド親方と四人の職人がいた。

 水が上がり、門の表側からはもう作業できない。丘側の機械室だけが、まだ乾いていた。

 親方は部品を見ると、声を上げた。


「間に合った。箱を上げろ!」


 ベルトン技師が寸法を測り、歯車を検める。

 私は調整器の外側へ触れた。

 切り離したはずの戻り線が、またつながっていた。


「誰が、これを?」


 親方の顔が暗くなった。

 昼間、供給元の整備係を名乗る男が来たという。工務長の古い委任状を持ち、無断開封の処置をして帰った。

 親方は修繕を止めるなと抗議したが、領の役人が書類を信じて入れてしまった。


「そいつは、もういない。使った紙は押さえた」


 保証を守るための処置なのか、証拠を元へ戻すつもりだったのか。

 意図はわからない。

 今、問題なのは、その線が歯車の動きを阻んでいることだった。


 私は脇の遮断弁を見た。

 水から得る魔力を、三つの水門に分ける線が走っている。

 それを全部切れば、三番門は止まる。

 だが二番門の補助動力も失われ、重い門を人力だけで持ち上げなければならない。


「全体を落とさずに、三番だけ切ります」

「時間は?」

「二十分。途中で水がここまで来たら、やめます」


 ベルトン技師が私の手を見た。


「二十分続けては、持ちませんね」

「二度に分けます。私が線を外している間に、歯車をお願いします」


 親方が頷いた。

 壁に水位の印をつけ、撤退の合図を決める。

 そのとき、伝言石から辺境伯の声がした。


『戻ったと聞きました。今、どこですか』

「三番門です。修繕を始めます」

『ここへ来てほしいと言うつもりでしたが、そちらに必要なのですね』


 短い間があった。

 私は雨の音の中で、自分の心臓を聞いた。


「はい。伯爵様は、一番をお願いします」

『わかりました。……リネット、危なくなったら戻ってください』

「ルイス様も」


 名前を呼んだ。

 初めてだった。

 石の向こうで、彼が息を吸った気がした。


『約束します』


 私は石を脇へ置き、道具箱を開いた。

 青い手袋は、鞄の中にある。

 針を持つ手には、仕事用の革をはめた。

 冷たい金属へ触れる。線の位置を確かめる。

 雨はまだ、弱まっていなかった。

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