第15話 三百三十枚の行方
会計検査官ローデ様は、私の契約書を最初に読んだ。
その後、王宮に保管されていた原本と照らし合わせる。
書き換えた箇所はなかった。
「月額八枚。四十八か月で三百八十四枚ですね」
「はい」
「あなたの銀行記録では、受領は九十六枚」
「最初の十二か月分です」
数字が口にされるたび、叔父が椅子を動かした。
フェラン様は、手袋を外して机へ置いていた。
王太子殿下は、検査官の後ろの席にいる。施設の監督者として呼ばれていた。
「婚姻時の精算につき、合意があったと」
ローデ様が尋ねる。
叔父は、待っていたように口を開いた。
「はい。家の事情ですから。リネットも承知しておりました」
「書面はありますか」
「身内の話で、いちいち」
「王宮の雇用契約を変更する話です。身内だけで変更はできません」
そこで、叔父は私を見た。
昔から、叔父が不機嫌になると、私が言葉を足すことになっていた。
説明し、謝り、相手が困らないように。
私は膝の上で両手を重ねた。
ここで足すべき言葉は、なかった。
「王宮側は、支払済みと処理しています」
フェラン様が、分厚い支出帳を開いた。
毎月八枚。私の名と、受領の署名がある。
私には、見覚えのない署名だった。
「これは、私の字ではありません」
言うと、工務長が肩を竦める。
「代理の受領があったのでは?」
「代理人の欄は空白です」
ローデ様は、淡々と指摘した。
「リネットの記憶が曖昧なのではありませんか」
叔父が、私のほうを向いた。
昔から忙しすぎて、細かなことを忘れる娘だったという。
私は、作業日誌を開いた。
「この受領日には、東門の検査に出ていました。立会人は、ここに記載があります」
印のある三日について、別の場所で仕事をした記録が残っていた。
それ以外の日まで、覚えているとは言わなかった。
覚えていない日は、わからないと答える。
ローデ様は、立会人への確認を担当者に頼んだ。
「すべてを、その場で記憶から答える必要はありません。記録があるなら、記録を調べます」
私は膝の上で、握っていた左手を緩めた。
叔父は、記憶が悪いという話を続けなかった。
受領の印も、私の持つ印とは欠けの位置が違う。
公証人が印を検める。
私は契約書に押したものと同じ印を、検査用の紙へ押した。
次に、ヴィヴィアン様が提出した帳面が開かれた。
王宮の支出帳と同じ金額が、彼女への予算説明にも使われている。
下書きという主張は、支払いの原本まで残っているため通らなかった。
「工務長。現金の引き出しを行ったのは、あなたの書記です」
その書記も、別室で事情を聞かれていた。
いきなり罪を認める人はいない。
しかし現金の行き先を、記録ごと消すこともできなかった。
叔父は、今度は生活費の話をした。
「彼女は、私の屋敷で不自由なく暮らしておりました。その分も、考慮されるべきです」
私は領収書の束を出した。
生活費は、母の遺した預金から引かれていた。
毎月、叔父が私へ署名を求めたものだ。
「費用は、別に支払っています」
自分の声が、思ったよりよく通った。
私が大きな声を出せないのではなかった。
出したときに何が起きるか、怖れていただけだった。
昼の休憩を挟み、材料費の確認へ進んだ。
領収書のない二件については、倉庫の受入記録で調べることになった。
私は全部をその場で認めてもらえなくても構わないと答えた。
受け取るべき額が、調べればわかることが大切だった。
最後に、殿下が口を開いた。
「リネット。なぜ私へ言わなかった?」
机の上に、一枚の写しがあった。
私が三か月前、未払いの扱いについて尋ねた報告書。
監督者の欄には、殿下の署名がある。
「こちらに書きました」
「こんな事務的な書き方では、深刻さがわからない」
私は紙の端を見た。
未払給与、と記されている。
余計な感情を入れず、わかるように書いたつもりだった。
「では、今日、直接お伝えします。私は支払われるべき賃金を、受け取っていません」
殿下の顔が赤くなった。
怒ったのか、恥じたのかはわからない。
ただ、今回の言葉は聞こえたはずだった。
ローデ様は、未払いの二百八十八枚を確定し、立替分は翌日までに照合すると告げた。
支払い義務は王宮にある。横領の疑いは、それとは別に調べる。
私の手続きを、不正の決着まで待たせないという。
廊下へ出ると、弁護士が小さく頷いた。
「よく説明なさいました」
私は礼を言った。
手は震えていた。
でも、叔父のほうへ戻って謝ろうとは思わなかった。
夕方、伝言石を使おうとしていると、宿へローデ様からの使いが来た。
耐熱線の不具合について、さらに聞きたいという。
添えられた書類に、私は見覚えのある推奨番号を見つけた。
水門の調整器に刻まれたものと、同じだった。




