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第11話 できない日の報告

 調整器の内部点検は、王都の供給元と連絡がつくまで保留になった。

 辺境伯は冬向けの運用を始めないと決め、古い手動の水門を整えるよう指示した。

 その作業だけでも、人手が要った。

 水門から戻ると、厨房の保温棚が止まっている。

 午後には診療所の換気陣。

 夜、ピップの灯りを検査してから、私は机に練習板を置いた。

 休んでいたぶん、今なら働けると思った。


 針を持った右手に、力が入らなかった。

 指を伸ばそうとすると、手首の内側がずきりと痛む。

 それでも細い線をつまみ、魔力を通した。

 針が滑った。

 隣の線が光り、板の上で小さな火花が跳ねる。


「先生!」


 アダが、壁の遮断板を倒した。

 練習台の魔力が途切れる。

 私は痛む手を抱え、椅子へ座り込んだ。


「どうして、まだやってるんですか」

「明日の教材を」

「今じゃなくていいです」


 声が震えていた。

 アダは走って医師を呼んだ。

 私は、初日に教えたはずのことを思い出す。

 指が震えるなら休む。一度に通す魔力を増やさない。

 生徒が守れた約束を、私が破った。


 医師は手を冷やし、包帯を巻いた。

 関節よりも、魔力を流す筋に負担が集中しているという。


「二日は針を持たないで。その後も、一時間ごとに手を休めなさい」

「二日もですか」

「ここで二日休むか、ひと月、持てなくなるか」


 私は口を閉じた。

 医師は辺境伯にも同じことを説明し、翌朝また診ると言った。


 修繕室を閉めるとき、私は皆へ頭を下げた。


「指示を守らずに作業しました。明日と明後日は、現場の仕事ができません」


 親方は、壁の予定表を見た。

 私の名前に線を引き、他の人の名前を書く。

 終わらない分は、日付をずらす。


「これでいい。原因は、材料の再点検だけか?」

「それと、水門と、通常の依頼が重なって」

「じゃ、受付を絞ろう。俺も入れすぎた」


 私だけを叱る話にはならなかった。

 私だけが悪くない、という話にもならなかった。

 仕事を減らすなら、困る人へ説明が要る。親方はナナさんと翌日の段取りを決めた。


 そのあと、辺境伯に呼ばれた。

 私は書斎へ入る前、解雇の話も覚悟した。

 試用期間の従業員が、指示に反して手を痛めたのだ。

 しかし机の上には、医師が書いた休養の指示と、手帳があった。


「心配しました」


 最初の言葉が、それだった。

 私は椅子に座り、包帯を見た。


「働けるところを見せたくて」

「もう、見ています」

「材料の検査を省きました。自分の失敗は、自分で取り戻さないと」


 辺境伯は、すぐに返事をしなかった。

 左の指を右手で包んでいる。


「私が火事のあと、同じように働いたとき、部下から言われました。あなたの後始末に、また私たちを使うつもりか、と」


 アダの震えた声を思い出した。

 心配をかけた相手へ、さらに心配を掛けていた。


「アダに、謝ります」

「ええ。それから、休んでください」


 私は頷いた。

 頷いたあと、涙が出てきた。

 きちんと反省しなければと思っていたのに、ただ、痛かった。

 手だけではない。

 役に立たない二日間を過ごすことが、まだ怖い。


 辺境伯が立ち上がる。

 ハンカチを机へ置き、給仕に茶を頼んだ。

 彼は私の包帯を握らず、向かいの席に戻った。


「手が治るまで、この椅子に座っていても、あなたの名前はリネットです」


 その言葉に笑いかけて、また涙が出た。

 辺境伯は困った顔になった。

 私はハンカチを借り、ようやく声を出す。


「名前は、知っています」

「よかった。何を言えばいいか、わからなくなってきました」


 私のほうが先に笑った。

 泣きながら笑うのは変だったが、彼もほっとしたように笑った。


 翌朝、アダが部屋へ来た。

 私は謝り、針を持たない約束をした。

 アダは、練習板と帳面を膝へ置く。


「見るだけなら、できますよね」

「午前中に一時間なら」

「じゃ、私が書きます。先生は、違ったら言ってください」


 アダは書き始める前に、私へ紙を一枚見せた。

 昨日、どの時刻まで私が働いていたかが書かれている。

 私が夕食へ行ったあとも戻ってきたこと。自分も残って見ていたこと。


「私、早く先生みたいになりたかったんです。だから、先生がまだ働くなら、残ろうと思いました」


 私は紙を受け取りかけて、手を止めた。

 片方しか使えないので、彼女が机へ置く。


「それは、真似しないでください」

「先生も、やめるんですよね」


 逃げられない質問だった。

 言葉で約束するだけなら、簡単だ。


「はい。夕方になったら、あなたと一緒に道具をしまいます」


 アダは、紙の下へその時刻を書いた。

 それから、余白をこちらへ向けた。


「戻ってきたら、教えていいですか」

「親方へ、伝えてください」


 彼女は大きく頷いた。

 私を守るために、見習いが遅くまで起きる仕組みにはしない。

 親方も一緒に見てくれる予定を、その場で確かめた。


 彼女の字は、ところどころ大きさが違った。

 左右も一度、逆になった。

 それを見つけて指摘すると、アダは直した。

 窓の外が明るくなるまで待たなくても、授業はちゃんと進んだ。

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